七代千馗のちょっとした事情


 美味しい美味しい和食の夕飯を終えて、朝子先生の煎れたお茶で一服していると、朝子先生が改まった顔で俺に言ってきた。
 「あのね、七代くん。聞いておかなくちゃ、と思ってたんだけど…」
 何だか先生モードのような真剣な顔だったので、俺も思わず姿勢を正して座り直す。
 「はい、何でしょう」
 「あ、ごめんね、急に。普通に、楽にして貰っていいから…」
 そう言われても、いきなりあぐらをかくわけにもいかず、俺は正座のままちょっと首を傾げて朝子先生を見つめた。清司郎さんは何を言い出すのか、と思ったのだろう。俺と朝子先生、どっちにも対応できる位置でちょっぴり緊張の色を浮かべている。
 「あの…七代君の、ご両親のことなんだけれど。私、お父さんに任せっきりで、全然事情を聞いてなかったんだけど…ご挨拶、しなくちゃいけない、と思って。だって、大事な時期でしょう?これから、進路のこともあるし…」
 うへあ。
 そう来たか。
 清司郎さんをちらっと見たが、難しい顔で考え込んでいるだけだったので、どういう対応をしてくれるのかさっぱり見えなかった。
 「えーと、ですね。その…清司郎おじさんからは、全く聞いてない…という感じでしょうか?」
 ちょっとゆっくりめに喋って、相手の反応を見ながら言葉を続けてみた。うん、どうもホントに一切聞いてないって感じだ。俺が言うのもなんだが、お年頃の娘さんが、思春期の男を預かるのに、何の事情も聞いて無しで納得して良いんだろうか。
 「そうなのよ。ごめんなさい、何だかちょっとバタバタしてて…」
 うん、バタバタ、というより、教職に必死で、それ以外の時間は寝てる…いや、逆か。ほとんど寝ていて、起きている時間を教師としての仕事に全力投球してるのか。実際、朝子先生のエネルギー配分として、俺にかかずり合うだけの余裕は無かっただろう。
 「そうですか…うん、そうですね、聞いて楽しい話じゃないし」
 清司郎さんは、目で「余計なことを言うな」と言ってきていたが、ちょっとは事情を説明しないと納得しないだろう。そして、俺は納得させられるだけの説明をする自信がある。
 「えーっと、白。俺の部屋にうまい棒詰め合わせセットあるから、それ食べながら本でも読んでてくれるか?」
 「む。そのように、あからさまに妾を追いやろうなどと…」
 白はむっとしたようだったが、俺たち3人の顔を交互に見やってから、すいっと立ち上がった。
 「まあ良いわ。大人の話、という奴であろ?妾は気が利くからの。そなたの菓子を食べ尽くす前に、話を終わらせるが良かろう」
 「…うん、少しは駄菓子おいといてね…」
 「それはそなた次第じゃの」
 優雅に袖で口元を覆って、白は障子を開けて出て行った。最初の頃より、微笑みが微笑みらしくなった気がする。特に目元が描く線がとても柔らかい。
 「…七代くんは、本当に白ちゃんが大切なのね」
 朝子先生も優しい色で白を見送り、俺にもその色を向けた。
 「まあ、可愛い妹ですから」
 「ふふ、そうね」
 清司郎さんは、朝子先生の後ろだと思ってか、何言ってやがる、みたいな顔でこっちを見ていたが、俺は気付かないふりをした。
 ぱたぱたと軽い足音が聞こえなくなるまで、俺はゆっくりと茶を飲み、それから一つ息を吐いた。
 「さっきも言いましたけど…聞いて楽しい話じゃないですが。聞きますか?」
 にっこり笑って湯飲みを茶托に置くと、朝子先生は戸惑った色ながらも頷いた。そりゃまあ、聞かないと聞きたくない話だかどうだかも分からないんだけどね。
 「では、時系列で話しますね。まず、俺の生物学上の父親は、俺が4歳の時に死にました。良い人でしたけど、事故ばかりはしょうがないですね」
 何の事故か、までは言わないけど。というか、俺も詳しくはしらない。ひょっとしたら、OXASで調べたら出るのかも知れないけど、今更どうでもいいし、封札師の仕事で死んだ、とかだと俺の気持ちが挫ける。
 「母はしばらくシングルマザーで俺を育ててくれましたけど、4年後再婚しました。義父は普通に接してくれましたね、ええ。俺を愛してもないけど、他のうちの子供よりは特別扱いしてるって程度に」
 義父はうちの母を一人の女性として愛して結婚したのであって、その余分なオマケで付いてきた俺を愛してるわけじゃない。それは普通のことだと思うし、別にどうでもいい。ニュースでよくやってるような虐待が無かっただけ儲けもんだ。一応、気分が乗った時にはキャッチボールの一つもやってくれたし。父親が男の子とやるべき光景ってのをなぞっただけで、俺も彼もやりたかった訳では無かったけれど。
 「まあ、そこそこ上手くやってたんですけどね。白も生まれたし」
 はい、そこ、清司郎さん、目ぇ剥かない。
 朝子先生は、ハラハラした表情で俺の話の続きを待っている。どうも話がこれから嫌な方向に向かうのを予測したのだろう。だから、あえて俺は軽い口調で続ける。
 「その義父が浮気したんです。浮気って言っても、一時の気の迷いじゃなく、完全に別の女に乗り換えるっていう」
 俺はその過程がずっと見えていた。俺にはともかく、母には向けていた愛情が色褪せてきて、むしろ別の色に変わっていく過程が。
 「俺が見つけちゃって」
 見つけちゃった、のか、俺が故意に探したのか、自分でも分からない。
 母に向けていたような色を浮かべて他の女と接している義父を。
 息子の目から見ても、そりゃ母よりは若くて美人だったけど。そりゃ母の愛情はひどく息苦しいものだったけど。
 「俺も思春期真っ盛りだったもんで、何かテンパっちゃって。いやー!不潔よー!みたいな感じで」
 冗談ぽく裏声で女の真似までして見せたのに、朝子先生も清司郎さんも笑ってくれなかった。
 「ぶっちゃけちゃったんですよねー、母のいる前で、義父に。あんた、どういうつもりだって。…で、義父、きっぱりはっきり、うちの母より他の女愛してるからって出て行って」
 冷えたお茶を手にとって、一口こくん、と飲んでみる。
 それから、なるべく平成に聞こえるよう、さらっと言ってみる。予想に反して、ちょっと声が震えてしまったけれど。
 「俺としては、精々怒りの矛先は義父に向かうと思ってたんですが、何でか、母の怒りは俺に向かってきまして。まあ、後で落ち着いて調べてみると、よくあることみたいなんですよね、相手が浮気しても我慢してればいつかは本妻に帰ってきて仲良い老後を過ごせる、みたいなことは。だから、母が余計なこと言って破滅させた俺に怒りを爆発させるのも一理あるのかもしれないけど。…でも、包丁まで持ち出されたから。俺のせいで、あの人が逃げたんだって言われたから。で、俺一人なら、まあ体格も俺の勝ちだし、何とかなったかもしれないんですけど、白もいたし…いや、標的は俺一人ではあったんですけどね。何があるか分からないし」
 ちなみに、時系列で嘘はついていない。ただ、本当は中学の時の出来事だ、というだけだ。あ、もちろん、白が妹としている、というのも嘘だけれど。そういうとこ忘れずに話に混ぜられる自分の冷静さを褒めてやりたい気分だ。
 それとも、嘆くべきなんだろうか。冷静に既に過去の話として話せるようになったことを。
 「家を離れて行く当てを探したんですけどね。俺としては警察沙汰にまではしたくなかったし、でもどこまで本気で殺されそうなのか分からなかったしで、なるべく遠い当てを探したんです。しかも、俺の本当の父親系列で。俺が行く当てとして、母が咄嗟に頭に浮かばないような親戚を。…すみません、結構薄い血の繋がりしか無いのに、清司郎おじさんに快く引き受けて貰っちゃって」
 言うまでもなく、血の繋がりなんぞこれっぽっちも無いけど。
 それでもにっこり笑って清司郎さんを見ると、清司郎さんは苦い顔をしてそっぽを向いた。
 朝子先生は何とも言えない顔をして俺を見やってから、ぺこりと頭を下げた。朝子先生に謝られる筋合いは一欠片もないんだけど。むしろ、騙してごめんなさいするのは俺だと思う。
 「…ごめんなさい、そんな事情があるだなんて知らずに…言いたくなかったでしょう?本当に…ごめんね。お父さんに聞けば良かった…」
 「あ、いえ、そんな。もう吹っ切ったつもりだし。それより、うん、俺、ここに来て嬉しいんですよ。毎日、行ってらっしゃい、と、お帰りなさいが聞けて、しかも美味しい朝食と夕食が食べられるんですよ?最っ高!じゃないですか、いやもう本当。むしろ、こうなって良かったなぁ、みたいな…まるで…家族、みたいな」
 行ってらっしゃいって言ってくれるのは、実はこの二人以外に外にもう二人いるけど。それも含めて、俺はこの場所がとても好きだ。
 もちろん…俺の本当の家じゃないのは、重々承知の上だが。
 朝子先生の手が伸びてきたので、俺はきょとんとしてその手を目で追った。
 白くて柔らかな手が、俺の目元を拭った。
 何か付いてた?と何度か目を瞬くと、頬がくすぐったくなったので自分でも拭ってみて。
 「…あれ?」
 自分の指が濡れているのに気付いて、俺はまじまじと己の人差し指の背を見つめた。
 これは泣ける話だったのか…そういえば、この話するの、2回目だけど、九龍兄ちゃんに話したときも俺、泣いたっけか。あれはまだ生々しい時だったからだと思ってたんだけど…。
 しかし…今更泣かなくても良いじゃないか、俺。とっくに吹っ切ったはずなのに。あんなの、昔話として笑い飛ばせばいいくらいのものなのに。
 それとも、俺は自覚している以上に<家族>に夢を持っているのだろうか。どうせ手には入らない、と諦めたつもりだったのに。
 「えーと…まあ、そういう理由なので。ご両親に進路をお話、どころか、むしろ俺の母親だってのが連絡してきたら、そんな奴知らないってすっとぼけてください。あ、勿論、それで命の危険を感じるようなら、俺を突きだして貰って結構なんですが」
 「そんなことしないわよ!…あ、ごめんなさい、大きな声出しちゃって」
 慌てて口を押さえる朝子先生の手が、ひどく白く見えて俺はもう一度目を瞬かせた。綺麗な手だ。本当に、綺麗な手。
 こんな優しい人、守りたいのは当たり前だ。
 「今の話、白には内緒でお願いします。包丁までは言ってないんで。…あぁ、白と言えば、そろそろジャンク菓子に飽きて冷たくて甘いものを求めてくる頃かな。すみません、朝子先生、リンゴでも剥いてくれると嬉しいです」
 言外にこの話はおしまい、とにっこり笑うと、朝子先生は素直に腰を上げた。
 「そうね、白ちゃんも身体に悪いものばかり…任せて、ウサギリンゴにするの、結構得意なのよ」
 そうして障子がぱたんと閉められて数秒してから、清司郎さんが、顎をしゃくった。
 「で?」
 「もちろん、白が生まれたって部分は嘘ですね。実際には中学の時の出来事で、3年ほど親戚を頼って従兄弟に仕送りして貰ってました。それ以外は事実ですが何か他に聞くべき事は?」
 清司郎さんならOXASから話がある程度伝わってるものだと思ってたんだけど、そうでもなかったらしい。OXASの手抜きなのか、個人情報の守秘義務なのかは分からないけれど。でも、事情は知ってないと困ると思うんだけどなぁ。娘には内緒にしてるなら、特に。
 清司郎さんはガリガリ頭を掻いてから、呻くように言った。
 「まあ…その、何だ。うちは…お前にとっちゃあ任務で割り当てられた家かもしれないが。…ここにいる間は、お前のうちだと思ってくれて構わない」
 「ありがとう御座います」
 俺は正座のまま、ぺこりと頭を下げた。
 遠くから、白と朝子先生の声がする。清司郎さんが返事を出来なくなる時間であるのを分かっていて、俺はそのまま告げた。
 「俺は、こういう育ちだから。…何を犠牲にしてでも娘を守りたい、というのは、理想の父親像に見えるんですよね。すごく、羨ましいし、すごく…あるべき当然の姿だと思うんですよ、親として」
 「七代、お前…」
 見える、というのは、時に悲しい。
 清司郎さんに疑心暗鬼の色が浮かぶのを見ながら、俺はにっこり笑ってやった。
 「本当に、ね。理想の父親像ですよ、ええ」
 だから、俺は決して清司郎さんを憎むことは出来ない。それは俺にとっての二律背反になってしまう。
 憎むことは出来はしないが…それでも、俺のことをもっと好きになって、ちょっとは悩んでしまえ、と思う俺は性格が悪いのだろうか。
 「もう、白ちゃん、お行儀が悪いわよ?」
 障子が開いて、朝子先生と白が入ってきた。白が返事をしないと思ったら、ウサギリンゴをくわえているところだった。どうやら、先につまみ食いしたらしい。
 「白〜白〜」
 手招きすると、目を丸くしてから素直に寄ってきたので、俺は足を崩してあぐらにしてから、ぽんぽんと自分の膝を叩いて見せた。
 「何じゃ、藪から棒に…。良いか、妾は愛玩動物では無いのじゃぞ?」
 「ごっめーん、でも、俺に愛を頂戴。今はそういう気分なの」
 ぶつぶつ良いながらも白は俺の膝の上に腰を下ろした。本体がアレだからなのか、非常に軽い。
 ふわふわの羽毛のような髪に顔を埋めていると、白にしては珍しく、気遣うような色で呟いた。
 「まったく…どうしたと言うのじゃ」
 「んー…家族って、良いなぁって思ってるとこ」
 「家族…か。妾には、よぅ分からぬ」
 「だよねぇ、俺にもよく分からない時がある。血と情愛、どっちが優先なのか、とかね」
 おっと、これもちょっと危ないとこスレスレかな。
 やめとこ。今はあんまり崖っぷちを歩いてスリルを楽しむ気分じゃない。
 改めて神社内を見る。
 清司郎さんがちょっとぴりぴりしてる以外は、優しい気配が4つ。ほんわかと胸が温かくなるような色だ。清司郎さんだって、ちょっと別の色が混じっているだけで、基本は優しい色だった。
 「うん、俺は、ここが好きだな。白も好きだろ?」
 「妾が、か?…そうじゃの、悪くはないの」
 「うん、その悪くは無いっていうのが、大事なんだと思うよ」
 何だか気怠く目を閉じた俺を、朝子先生が柔らかいけれどどこか痛ましいものを見ているような目で包み込んでいるのが分かった。お母さん…じゃないな。お姉さんっていうのが俺にいるなら、こんな感じなんだろうか。お姉さんなら、久栄先生タイプも良いけど。
 だったら清司郎さんはお父さんだな。白が妹で…九龍兄ちゃんが兄ちゃんだ。あ、鍵さんもか?鍵さんは悪いこと教えてくれる次兄って感じだな。年は上なんだけど。後は…弟?弟…年下なら、長英…蒐…うん、可愛いけど四六時中一緒にいるのはきっついぞ。
 あぁ、たとえ疑似家族でも楽しいよね。それとも、本物じゃないからこそ、夢みたいに楽しいのかな。
 いつか壊れる偽物だからこそ…今、浸ってても良いよね、うん。

 俺はいつか手に入れる本物の家族を思い浮かべてみた。
 そうして、俺の目にしては珍しく何にも見えないことに、俺は小さく笑ったのだった。
 



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