ドッグタグにて


 携帯が鳴った時、一瞬「義王だ」と思った。そして、「義王だ」と思った瞬間、戸惑いよりも歓喜がこみ上げたことに気付いて苦笑する。
 また会える、とか、声が聞ける、とか、たかがそのくらいで嬉しいなんて、やっぱり『そう』なんだ。
 けれど、そんな思考が過ぎると同時にその呼び出し音が義王では無いことに気付いた。この音は設定では鴉乃杜の誰かだ。
 メールじゃなく直接かけてくるなんて珍しい。センター試験は終わっているが、これからが忙しい時期だろうに。それとも2年生連中か?
 そう思いながら携帯の画面を見て。
 「はい、七代です。どうしたの?巴さん。何か困ったことでも?…へ?……はぁ、うん。分かった、ドッグタグに行けばいいんだね?これから行くよ」
 ぱたんと携帯を閉じて立ち上がると、隣に座っていた零がゆるりと首を傾げた。膝の上の本を閉じ、少し眉を寄せて七代を見上げる。
 「何かあったのか?俺も手伝えることなら…」
 「あぁ、違うよ、いいんだ零。俺のね、前のガッコの友達が来てるからっていう連絡。喧嘩するような相手じゃないよ、念のため。話だけして帰る予定だから心配しないで」
 いつものダッフルコートに腕を通し、鏡の前でちょちょいと髪を確認する。よし、跳ねてない。
 「何?フレンチトーストの店に行くのかや?うむ、あの店のあれは絶品じゃ。よし、妾も付いていって…」
 「あ、ごめん、白。相手は俺に<妹>がいないのを知ってるから、説明が面倒なんだ。そんな長話する予定でもないし…フレンチトーストはまた今度なー」
 一瞬お持ち帰りで、と考えたがこの時期では絶対に帰るまでに冷めてしまう。あれは熱々をはふはふするのが美味しいのだ。
 「しょうがないのぅ。では、今日のおやつは妾のものにする、ということで手を打ってやるわ、千馗兄様」
 「あははは、食べ過ぎて晩ご飯が食べられないなんてことにならないようになー」
 ふん、と得意満面に笑う白の髪をぽんぽんと撫でる。何て可愛い<妹>だろう。ちなみに、呼び方は七代の指定だ。ある時から白が七代を主と認めたらしく「千馗様」などと呼び出したのはいいが、何せ<妹>設定で神社にお世話になっている建前上、兄に向かって「千馗様」は無いだろう、ということで、「お兄ちゃんと呼んで!」「なっ、主にそのような呼び方!」という折衝の末に間を取って「千馗兄様」に落ち着いたのだ。それも兄に呼ぶには仰々しいが、そもそも白の話し言葉自体が時代がかっているので違和感はさほど無い。肝心の朝子先生が「あら、いいわね」と和んでいるようなので良しとしよう。
 「んじゃ、行ってくるよ。晩ご飯までには帰ってくるからね。ついでに何か買い物ある?」
 「俺は特に…」
 「ポテチじゃ!夕べCMでやっておった焼きそばとこらぼのあれを…」
 「却下」
 「焼きそばとポテトチップス…それは成り立つものなのか…どちらも炭水化物、という点では焼きそばパンも同じことだが、やはり何かが違う気がする…焼きそばは食事、ポテトチップスはおやつ…」
 「…分かった、買ってきてやる」
 「なっ…ずるいではないか、妾の頼みはすぐさま却下しおった癖に、零の言葉なら良いと申すのか!」
 「だって白はもうジャンクフードマスターでしょ!零はポテチすら初心者なの!」
 「えぇい、忌々しい!そうじゃ、ますたーたる者、全ての味を賞味せねば気が済まぬのじゃ!いいから妾の分も買うて参れ!」
 ぽこぽこ怒る白に、わざとらしく首を竦めて怯えてみせる。あぁもう可愛いなぁ。こういうのが『愛』だっていうのは、よく分かるのに。
 行ってくる、と二人をハグしてから部屋を出て、縁側から裏庭の清司郎さんにも声をかけ、夕飯までに帰ってくる、と伝える。
 それからもちろん、神使の二人にも挨拶して、七代は「しまった、時間取りすぎた」と呟きながら走っていった。

 それにしても、どうしたことだろう。
 誰にも転校先は告げていないのに。もちろん事務手続きをする関係上教師は知っているはずだが、曲がりなりにもOXASは国家機関で、その国家機関が県立高校に守秘義務を課したはずなのだ。だから、こちらから連絡を取らない限り、誰も知らないと思っていたのに。


 ドッグタグの扉をくぐると、すぐにこちらを向いて座っていた子が腰を浮かせた。
 えーと。
 にこやかに笑みを浮かべながら歩く数秒の間で、七代はさらっと記憶を検索した。
 「みゆちゃん。久しぶりだね。一瞬分からなかったよ?女の子って、たった3ヶ月会わないだけで綺麗になるんだねぇ」
 「やだぁ、かずくんったら」
 ふわりと頬を染めた彼女の色に気分を良くして、七代は更に続ける。
 「ホント、ホント。大人っぽいって言うか…私服だと見違えるね。まるでもう大学生のお姉さんみたい」
 長い黒髪をさらさら流した彼女が恥ずかしそうに唇を押さえた。つやつやなピンクの唇は口紅なんだろうか、それとも色つきリップなんだろうか。七代は化粧品に疎く判別できなかった。女装したときは穂坂が頑張ってくれたし。
 彼女の正面に座っていた飛坂が立ち上がる。呆れた顔なのは、七代の口説き文句を本気とは取っていない証拠だ。まああれだけ誰にでも愛を囁くところを見られていれば、それが普通の反応だろうが。
 「確かに、連れてきたわよ?千馗、貸し一つね」
 「はぁい、ビッグマム。何なりと」
 入れ替わりに彼女の正面に座ると、彼女も腰を下ろした。何というのだろう、カントリー系というのだろうか、茶系の地味な色のずるずる長い重ね着は、彼女を見知らぬ人のように見せていた。もっとも、彼女の私服の記憶は無い。ただ、同級生だというだけだ。
 マスターにフレンチトーストとコーヒーを頼んで、七代はちらりと店内を見回した。
 見える範囲内だけでも、絢人、輪、飛坂(案内が終わったなら帰れば良いのに)がいる。彼らに聞かれながら話すのは、少々気が張るのだが。
 「巴さんは生徒会長でね。色々お世話になったんだけど…知り合いだったわけじゃないよね?」
 「え…うん。かずくんが転校したっていう高校、行ってみたのは良いけど、今日は日曜だし…どうしようって校門で困ってたら、あの人が通りがかって声をかけてくれたの」
 大体想像が付く。生徒会の引き継ぎだの何だのと、飛坂は今でも忙しい。今日も仕事で鴉乃杜に行って、学生以外がいたのでつい職務質問してしまったのだろう。
 「よく分かったね、俺の高校。先生に聞いたの?」
 「えっと…ううん、谷先生は教えてくれなくて…香先生に御願いしたら、こっそり書類を見てくれて、教えてくれたの。かずくんの近況を香先生にも教えるって条件で」
 「おーまいが」
 一応笑顔は浮かべたまま、咄嗟に呟いた。
 担任には、しっかり釘が刺さっていたはずだ。しかし、懇意にしていた(というか例によって愛を囁いた)保健の先生まではノーマークだったのかも。しかも、書類覗き見して生徒に教えるって何だ。個人情報保護法案はどうした。まあ、恨むべきは己の口の軽さかもしれないが。
 「他に、誰かに言った?」
 「ううん、会えるかどうか分からなかったし…」
 恋敵に出し抜かれるのもイヤだったし。
 言葉を濁した彼女の表情から読み取って、七代はこめかみを掻いた。さて、どうしよう。
 「あのね、俺、詳しくは言えないけど、家庭の事情で転校して、意図的に足跡を辿れないようにしてるんだ。谷先生を怒っちゃ駄目だよ?先生は国に命令されて隠してるんだから。それから、みゆちゃんも誰から聞いたのかも、言っちゃいけない。でも、もし国家機関から捜査が来たら素直に白状した方が良いよ?その方が拘置期間が短く済むと思うし…」
 「え…またかずくんったら冗談ばっかり…」
 長いカーディガンの袖で手の甲まで覆った彼女は、その袖を口元に当ててくすくす笑う。けれど、七代が笑わないのを見て、眉を下げた。
 「冗談…じゃなくて?」
 「みゆちゃんに迷惑が掛からなければいいんだけど…香先生にもね、俺には会えなかったって言った方がいい」
 「わ、分かったわ…二人だけの秘密ね…」
 …しまった、何かまずい方に転がった。
 まあこれで多数の人間に七代の居場所がばれるという自体は防げたかも知れないが…もちろん噂は隠される方が俄然広がるというのも知っている。しかし、基本的に彼女は優等生の女の子なのだ。国家機関から捜査、なんて怯えて口を閉じていてくれるだろう。
 ま、第一、七代がここにいるのは卒業までだ。それ以降はOXASの命令のまま日本全国どこへ飛ばされるやら。
 「知っちゃったことはしょうがないとして。どうしてわざわざ俺に?」
 さりげなくテーブルの上に出現したコーヒーを口に含む。さすがにこの話の流れでフレンチトーストにまで手が回らない。
 彼女は頬をうっすら染めて、身を乗り出した。
 …あぁ、そうか。彼女は俺のことが好きなのか。
 「あの…あたし、どこの大学にするか決めかねてて。それで…もし、かずくんが新宿にいて、大学に行くのなら…」
 彼女の表情だけ見ていたので、周囲に対する注意が遅れた。耳で、喫茶店のベルが鳴ったのは聞いていたはずだったのだけれど。
 ん?聞き覚えがある足音かも?と振り返るより早く、がしっと肩が掴まれた。
 「ヨゥ、大将!ま〜た違う女連れてやがるのか!?」
 なんて間の悪い。
 七代はゆっくりとコーヒーカップをソーサーに戻しつつ、彼女の顔色を窺った。ぽかん、としている。まあ順当なところだろう。
 横を向いたり声を出したりする間もなく、ぐいぐいと押されて奥に追いやられる。
 当然のように隣に座った義王が、声を張り上げた。
 「オッサン!こいつと同じ食いモンとホットミルク!」
 「えっ、何、ホットミルク!?義王のくせに可愛いもの頼んでる!」
 「オウよ、オレ様はテメェの身長を引き離してやろうと決めたんでな」
 照れも怒りもせずに、義王は堂々と宣言して、ふん、と鼻息荒く両腕を組んだ。
 どう見ても、ここから退きそうにない。
 「えーとね、みゆちゃん。こう見えても2年生で可愛い後輩なので、怖がらなくても大丈夫」
 一見…というか、十見くらいしたって義王は不良さんだ。田舎の優等生が怯えるのも無理は無い。
 「あぁ、それから、違う女云々は気にしないで。…えーと改めて思い出したって、義王の前で女連れって、この間のいちる以外に思い浮かばないんだけど?」
 「そうかァ?オレ様が直接見ただけでも、カラスのとぼけた女に、八汎のテメェのお仲間、うちのアンジー、胸のでけェ教師、サツの女、訳の分からねぇオカマ…は数に入れないでおいてやる。まっ、そんなとこか」
 指を折ってきっちりグーになった拳を、ぐりぐりと頬に押し当てられ、痛いです、と呟く。
 「どれだけ見てるのよ。義王、ストーカーだったの?」
 「…テメェがそんだけうろちょろしてんだよ!ったく、他人を見たら口説いてりゃ機会も増えるってモンだ。…オレ様だって、見たくて見てんじゃねェよ」
 「あーーーーーーー。まあーーーーそうでしょうね」
 事情が事情なので、曖昧に肯定するしかなかった。さすがにこの場でその話題を深めるわけにもいかない。
 それはともかく、と七代は顔を正面に向け、さすがに不安そうな彼女に笑って見せた。
 「俺はこっちでも友達がたくさん出来てね。まあ、ちょっとやんちゃして先生とか刑事さんの知り合いも出来ちゃったんだけど。やんちゃといえば、ユースケはどうしてる?ちゃんとガッコ来てる?」
 「あ…うん。かずくんが急にいなくなってから、ちょっと荒れてたんだけど…ユースケくんね、ココちゃんと付き合いだしたの。だから、それからは出席も真面目にしてたし、二人で勉強もしてるみたい」
 「ユースケが?ココちゃんと?…うわあ考えられない!そっか、ユースケやるな!」
 ちらりと隣の様子を窺ったが、こうして義王には通じない話題で盛り上がっていても、別に邪魔もせずに大人しくしているのでとりあえずは安堵する。もっとも、邪魔をしたら叩き出されると悟っているのだろうが。そういうところは勘が働く奴だ。もっとも、大人しく、と言っても大股を広げて通路に足をはみ出させている様子は実に傍若無人で、彼女はまだ少し怯えているようだが。
 「…かずくんは、怒らないの?」
 「へ?何が?」
 「だって、かずくん、ココが好きだったんじゃないの?すごく…仲良かったし…」
 「同じくらいユースケとも仲良かったと思うけど?もちろん、俺はココちゃんも好きだったし、ユースケも好きだったよ?その大好きな二人が幸せなら俺も嬉しいから」
 七代としては、普通の感覚だった。何せ、どれだけ愛を囁いても『友愛』の枠を越えない男だったのだから。
 それに、冷たいようだが、もう会うことのない元友人が何をしようと、あまり関係無いし。どうせなら楽しくやっているという知らせが聞ければ嬉しいというくらいで。
 「そ、そうなの…そっか…」
 彼女がにこりと微笑む。安心したように笑う様は思い悩むよりは綺麗と言えるだろうが、何故かあまり純粋に綺麗とも言い難い色を滲ませていた。
 「それでね、あの…さっきの話なんだけど…」
 「さっき…あぁ、大学の話か。ごめん、俺、就職決まってるんだ。大学には行かないよ」
 「えぇっ!?だってかずくん、あんなに頭良かったじゃない!お金なら、特待生制度とかあるし、奨学金もあるのよ?もったいないわ。大卒か高卒かで生涯賃金だって違うのよ?」
 思わず、ぷふっと笑う。生涯賃金か。この2ヶ月で500万稼いだのだが、このペースで稼いだら、年収はいくらになるんだろうか。
 「うん、でももう決まってるし。結構人使い荒い職場だから、勉強する暇もなかなか取れないだろうしね。でも、自分の好きな分野だけ好きなように勉強出来るっていうのは嬉しいかも」
 彼女はまだ不満そうな顔をしている。七代が大学に行こうが行くまいが、関係ないだろうに。
 「でも…就職、するんだったら、場所は決まってるのよね?東京なの?」
 「まあ、一応…」
 言いかけて、ふと気付く。彼女は「大学を決めかねている」と言った。進学を、ではない。どこの大学にするか、と七代の進学は無関係だが、彼女が七代を好きなのだとしたら。
 「あのね、みゆちゃん。もしも、みゆちゃんが、『東京の大学を受験するから、合格したらまた遊びましょう』って言ったのなら、俺、喜んで『うん、そうしよう』って言ったと思うよ。でも、みゆちゃん、違うんでしょ?俺の動向で大学決めようとしてるんでしょ?そういうのは困る。俺の有無なんて、一生を左右する問題に関わらせるべきじゃない」
 大学名なんて本当は大したものじゃないのかもしれないが、それでも一生ついて回る肩書きだ。そこまで他人の人生に責任持てない。
 彼女は可哀想なほど顔を赤くして、両手をぱたぱたと振った。清楚で控えめ。前の学校でも、わいわい騒いだ後に、ふっと振り返るとそこに大人しく混じっている、という子だった。そういうところが気に入っていたし、今でも可愛いと思う。
 「わ、私…そんな、かずくんに、責任負わせたり、しないから…ただ、もっと…会いたいって思っただけなの」
 消え入るような告白。
 今までの自分だったら、おそらくへらへらと受け入れただろう。あぁ、そうだね、俺も会いたいよ、なんて。
 七代がやたらと喋るのは、それに反応して周囲が色を変えるのが楽しいからだ。<その瞬間>優しい色が見えればそれで満足なのだ。それが永続的であることなど、望んだことも期待したこともない。
 というか、あり得ない。<愛>なんて、この世で最も脆くて不安定な幻想だ。
 相手が喜ぶ言葉を吐いて、綺麗な色が見られたらそれでいい。後は野となれ山となれ。その約束は果たされず、日本のどこかにとんずらだ。
 責められる筋合いはない。彼女だって、いつまでも夢を見ていられる。
 そう自分に言い訳してみても。やはり、それは『酷い』。
 でも、もしも、上辺だけではなく本当のことを伝えたとしたら。
 おそらく。
 彼女を傷つける。
 彼女は七代を恨み、鋭い感情をぶつけてくる。
 それが分かっていても。
 大きく息を吸って、それから吐く。
 彼女の目をまっすぐ見つめて、はっきりと伝えた。
 「俺、こっちで好きな人が出来たんだ。今まで言ってたみたいな、友達の『好き』じゃなく、恋愛感情で『好き』な人。俺は今、その人のことしか考えられないし、頭固いから振られたってしばらく他の人は好きになれないだろうし、とにかく、それ以外の人は『友達』としてしか付き合えない。そんな、タダの『友達』のために、自分の大学を考えるのは勧めないよ。俺、就職は東京かもしれないけど、すぐにどこか飛ばされるかもしれないから、まだ住むところも決まってないくらいだし」
 「え…え…」
 混乱。羞恥。憤り。
 予想通り、不快な色だ。こっちが泣きたくなってくる。
 視界から気を逸らそうとすると、耳には喫茶店の各所からテーブルだの椅子だのカップだのが鳴った音が聞こえてくるし。どれだけ周知の人間が店内にいるのやら。
 彼女の握った手が白い。
 力一杯握りしめて、泣くのを堪えている。あぁもう、冗談だよ、と言ってやりたい。そうしたら彼女はきっとまた優しい色に戻るのに。その誘惑を断ち切るべく、こちらもぎゅっと拳を握った。
 俯いた彼女の唇から、震える声が漏れた。
 「どんな…人なの?…かずくんが、一人に決める、なんて…凄く、美人?それとも、可愛い子?」
 「どんなって…」
 これは言った方が良いんだろうか。余計に傷つけることにはならないだろうか。
 けれど、少々疑い…というか信じたくないという強い希望なのだろうが…も持たれているようなので、当たり障りの無い言葉を選ぶ。
 「美人…かどうかは分からない。俺にとっては凄く魅力的かもしれないけど、他の人が見たら…美人、とは言わないかも」
 ちらりと顔を上げた彼女の顔には、何でそんな人を、という不満と期待が混じっている。
 「顔立ちじゃなくて…何て言うか。不思議な人、と言うか」
 僅かに隣の義王が身じろいだ。けれど、何も言うでもなく、唇を歪めてあらぬ方向を見つめてる。
 「何でかね…俺ってイイカッコしいって言うの?みんなによく思われたいって皮被ってるのに、何故かその人、俺がへこたれて強がれない時に限ってそこにいるんだよ。それで励ましてくれるって訳でも無いんだけど、何か…その人がそこにいるから、俺もへこたれてばかりいられないって言うか…それに、どうせ弱いとこ見られてるから、強く見せなくてもイイってのも…まあ、甘えちゃうのは良くないんだけど。第一、その人、弱い奴が嫌いだし」
 自分で言って落ち込んで、がっくりと肩を落とす。
 どう考えても、好かれる要素が無い、というのも辛い話だ。
 「とにかくね、うまく言えないけど、俺がへこたれたその時にそこにいて助けてくれたのはその人だけなんだ。だから、俺はその人が好きだし、他の人じゃ駄目なんだ。…ごめん」
 彼女のどこが気に入らない、というのではない。
 ただ、その瞬間、そこにいたのは一人だったというだけだ。
 彼女が微かに笑った。困ったような、泣き笑い。
 「もしも、そこにいたのが、私なら…かずくんは、私を好きになったの?」
 「どうかな。そうなってみないと分からない。…その人以外だったら、俺、今頃死んでたかもしれないし」
 小さく息を飲んで、彼女はしばし七代を見つめた。
 彼女がどんな想像をしたかは分からないが、だいぶ泣き叫ぶような棘は色を潜めてきていた。
 「まだ…告白は、していないの?」
 「あーーーー…なかなか認めがたくて…嫌われるの、やっぱり、怖いし。…そろそろ覚悟決めてとこ」
 「そっか」
 ふいに彼女は立ち上がる。
 傍らのバッグを取って、通路に出た。
 「帰るわ。かずくんのことは、帰っても誰にも言わない」
 「うん、ありがとう」
 「うまくいくと、いいわね。悔しいけど…でも、かずくんがふられるのは、もっと悔しいから」
 ぐす、と鼻を鳴らした彼女に、七代も慌てて立ち上がる。
 「駅まで送るよ。言っても新宿なんだし…」
 大人しい美少女が泣きながら歩くには合わない街だ。
 けれど彼女は首を振る。
 「ごめんなさい…顔、見られたくないの」
 「あー………巴さん。借り二つで御願いします」
 「…しょうがないわね。後できっちり聞かせなさいよ?」
 すぐ後ろの席に陣取っていた飛坂が、文句一つ言わずに席を離れた。さらっと伝票を七代のテーブルの上に置いて、彼女を促す。
 そうして二人が出て行ってから。
 七代はがくりと突っ伏した。
 テーブルが頬に心地よい。がんがん鳴っていたこめかみが音を静めさせていき、痺れた指先に感覚が戻ってきた。
 「うおあああああ…緊張したああああ…」
 嫌われる、と分かっている言葉を吐いたのは初めてだ。喧嘩を売る意図でイヤな言葉を吐くことはあっても、嫌われたくない相手にわざわざキツイ色を見せられるなんて、そんなマゾい真似したことない。
 ぽふ、と軽く頭に手が乗せられる。
 「ま、テメェにしちゃあ上出来だ。頑張ったんじゃねェの?」
 褒めてくれたので、とりあえず目を閉じる。
 そうだ。頑張ったのだ。
 ちゃんと、好きな相手がいる、と言って、相手に無駄な希望を与えずに済ませたのだ。何せ自分が恋愛感情というものを理解した分、他人にも苦しい思いはさせたくない、とようやく考えるようになったのだ。
 これは進歩だ。
 思う存分自画自賛して良い事態だ。
 が、しかし。
 今になって、汗がぶわりと噴いた。
 「………俺、何か、凄い勢いで告白してしまったのですが」
 本人を横にして。
 「おー」
 義王の応答も何だか妙だ。しかし、どんな表情をしてるのかは見ることが出来無い。七代自身が、顔を上げることが出来ないので。
 「いろいろ考えてはみたんだけど、くー兄ちゃんにも相談したんだけど、そしたら『嫌われたら手足ぶち切ってでも自分のものにしたいって思うのが恋愛感情だ』って言われて、それで吹っ切れたって言うか、嫌われたらどうしようって悩んでたけどそんなの考えなくてもそうなったらちょっとアレしてナニすればいいのかって思ったらちょっと落ち着いて考えられるようになって。…ということで、俺は義王が欲しいです。なるべく一緒にいられたら嬉しいです」
 ぼっそぼっそと壁に向かって喋って、反応が無いのに不安になって顔を上げかけたら、べふっとテーブルに戻された。
 「あー…悪ィ、まだちょっとそうしてろ」
 「そ、ソウデスカ…」
 後頭部に感じる手の平の温度が高い。
 冬なのに、二人ともきっと体温沸騰中だ。
 とりあえず、輪を必死で引き留める絢人の声が聞こえるのでもうじき一騒動起きそうだけど、今はこの痛みを味わっていよう。全身を痺れさせる、甘い毒のような痛みを。



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