俺たち同棲を始めました
いちるはカレー屋の扉をくぐった瞬間からカウンターに目を向けていた。空きはあるか、混み具合はどうか。今日のおじさんはどんな格好をしているか。
だから、背後から声を掛けられたときには、ひどく驚いた。
「Hola!いちる!こっちおいでヨ!」
「えっ!?」
店主に向かって口を開きかけていたいちるは、慌てて振り向いた。テーブル席は各々に衝立が立てられていて、すぐにはどこに誰がいるのか分からない。
きょろきょろとしていると、奥の席でぴょこんと金髪が跳ねた。
「こっち、こっち!大丈夫、悪の組織は今、ただのお食事中ネ!」
そう広くはない店内の一番奥、ソファが角になっている席にいたアンジーを見つけて、いちるはぎこちない笑顔で手を肩の辺りまで挙げた。七代を通して知り合った<仲間>だが、そう長い付き合いというのでもない。友達づきあいの少ないいちるにとっては、まだまだ間合いが測れそうにない。
それでも呼ばれたら断ることなど考えも出来ず、いちるはそちらへ足を向けた。
立ち上がっていたアンジーがソファの奥へと身体をずらし、いちるが座る空間を空けてくれる。
アンジーの奥には義王がふんぞり返っていて、アンジーと逆側には御霧が座っている。アンジーの一存であたしが一緒になってもいいのかな、といちるは二人を見たが、別に機嫌を損ねた様子も無かったので、ちょこんと浅くソファに腰を下ろしてみた。
「えっと、こ、こんにちは!君たちもお昼ご飯に?」
「そうだヨ!やっぱり冬はカレーが温まるネ!」
「あたしは買い物の途中で、そろそろお腹が空いたなって………アレ?千馗!?」
いちるが慌てて立ち上がった様子を見て、義王も素早く店内と窓の外を見る。いちるが七代を発見したのだ、と思ったからだが、御霧は痛そうに額を押さえた。何せ、七代と最後に会ったのがアレなのだ。出来れば会いたく…というか義王と会わせたく無かった。
ぱたぱたといちるは入り口へと走っていき、扉をがばりと開いた。
「千馗!?」
「もー、いちる、ひどいよー。俺、手が塞がってるんだから、扉開けといてよー。目の前で閉まったから、慌てて荷物持ち替えようとしたら、紙袋破けちゃったし」
言葉通り持ち手のところが破けた紙袋を両腕で抱えた七代が、言葉ほど怒った様子もなく笑いながら店へと足を踏み入れた。
「…御霧ィ。そっち出ろや」
「………………不本意なんだが?」
「どのみちオレ様は思うとおりにするぜ?素直に聞いといた方が手間が省けるだろうが」
確かにそうだ。どうせ御霧の言うことなど聞くはずもない。
御霧が黙ってソファから立ち上がるのを押し出すようにしておいて、義王はさっさと御霧を角へと押し込んで自分が手前に座った。これで角の奥の席は義王から御霧に変更だ。
「オカシラ、胸毛だネ」
「それを言うなら健気だ!そして、明らかに健気ですらないわ!」
ぎゃんぎゃん喚いているところに、いちると七代がやってくる。もちろん、いちるはアンジーの隣に座るので、どう見ても七代が座るべき隙間は義王の隣にしか無かった。
「アンジーが声掛けてくれたんだ!一緒にお昼ご飯だよ!」
「へー、そっちも今からだったんだ?グッドタイミングだなー」
御霧からすれば、不自然なほど自然な態度で七代は盗賊団に笑いかけた。あれから初めて顔を合わせるはずなのに、一切そんな気配を感じさせないのは、さすがとしか言いようが無い。というか、普段から自分の考えていることを他人には気取らせないようにしているのだろうか?これまで、七代という男はやたらと感情表現が素直で自分の考えていることなどをぺらぺらと喋る裏表の少ない奴だと認識していたが、考えを改めなくてはならない。
御霧がそんなことを考えている間に、七代は何のてらいもなく義王の隣に腰を下ろした。もっとも、自分と義王の間に大きな紙袋を置いたが。
「…オイ」
もちろん、それが不満な義王は七代の肩を叩いた。何?と振り向く七代に、紙袋を顎でしゃくってみせる。
「だって、こっちに置いたら落ちそうじゃん」
それもまた当然だ。ソファの通路側になんて置いたらすぐにでも倒れそうだ。
「だったらこうすりゃ文句ねェよな」
紙袋を取り上げ自分と御霧の間へ置こうとする義王に、七代は眉を顰めたが制止しようとはしなかった。
「割れ物も入ってるからね?落とさないように気をつけて欲しいな」
確かに持ち上げたときにがちゃりと言う陶器が触れるような音も聞こえたので、義王は紙袋が安定するように角度を付けてソファへ凭れさせた。
それでもっていつものように背もたれに腕を投げ出したので、まるで七代の肩を抱いているかのような姿勢になる。明らかに確信犯だ。
「いちるは最初からチーフと一緒だった?デート?」
羨ましそうに言ってから、アンジーはちらりと義王に舌を出した。オカシラの聞けないこと言ったアンを褒めてネ!ってところだ。もっとも、当然それは七代にも見えているが。
「デッデートだなんて、そんな…!」
「デートだよー。ねっ、いちる」
あわあわと手を振るいちると同時に、七代がのほほんとした声で肯定した。
「ういぃぃ!?デートだったの!?…そうかーデートだったのかー」
そしていちるは唸りながら両腕を組んで難しい顔をした。いちるは可愛いなぁ、とにこにこしている七代の右肩を、ぎちぎちと掴んでくる手に関しては、まあ放っておくことにした。体勢的に、骨が砕けるほどの力は込められないはずだ、たぶん。
「デートでしょ。男女が二人きりでお買い物するんだよ?これをデートと言わずに何と言う!」
「お買い物」
「うん、まあ、そうなんだけどね…。もう、いちるには敵わないなぁ」
ぷぷぷ、と笑って、七代はソファに深く凭れた。今のところ、七代といちるの間柄は『仲の良い同僚』だ。これからも同僚であり続ける相手と恋愛関係になる気は一切無い。七代は折りに付けいちるにそういう風に匂わせているつもりなので、これはただの冗談だ。
「必要経費は領収書を貰ってくる、というお買い物をデートと言うのは厳しいかぁ。しょうがない、今度は零と3人でデートしようなー」
「うん!それ楽しみ!」
いちるは空気を読んでいないだろうが、ぱぁっと顔を輝かせたので、おそらく七代と二人きりよりも3人で楽しくデートの方が良い、と他の面々にも伝わっただろう。そして、七代の『デート』に含める意味合いも。
義王をからかう意図は無いが、ちょっとした意趣返しくらい許されるだろう。もっとも、いちるを巻き込むのはゴメンなので、さっさと誤解は解いておくが。
「…何買ってんだよ。ゴチャゴチャとまあシャベェこった」
袋に大盛りの荷物は、それぞれ違った包み紙なので、色んな店で色んな物を買った、と分かるのだろう。義王が袋を見て馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「えっとねー」
「待った、いちる!シー!」
あっさりと嬉しそうに言いかけたいちるに人差し指を口の前に立てておいて、七代は財布からレシートを取り出した。
御霧の前のテーブルに滑らせるのに、義王の大腿に手を突いたのは無意識だ。別に七代は他人と接触するのは嫌いでは無い。もちろん、相手が女性ならセクハラなのでしなかったろうが。
そんな風に急に意識したのは、触れた途端に義王の色合いが濃くなったからだ。どうもこれは良くない行為だったらしい。キャバクラでホステスに触れられたのでもあるまいに。
「さぁ、情報屋さん。レシートから推測される事態を述べよ!」
「ふむ」
興味深そうに御霧がレシートを取り上げたので、七代はいちると顔を見合わせてくふふと笑った。自分たちだけが答えを知っているクイズを出すのはとても面白いものだ。
一通り見た御霧は、眉間に皺を寄せた。
「日用雑貨全般だな。普通に見れば、誰か一人分…家元から離れて下宿でも始める時の準備物に似ている。…しかし、かっちゃん。この寝衣18000円は無いぞ!たかがパジャマにどれだけ掛けてるんだ!」
「そこ突っ込むの!?やだ、御霧さんってば主夫なんだから…」
「ほらー、やっぱり高いよ、千馗」
明らかに値段が一桁飛び出しているそれに、御霧がきりりと眉を上げる。おそらく御霧本人のパジャマは一桁下なのだろう。下手したら1000円切るのかも。
「だってさー、桜色の男物って、それしか見つけられなかったんだもんよー」
「オイオイオイオイ、男がピンクのパジャマかよ!シャベェ!」
「だって好きなんだもーん。それにね、一目見て気に入ったんだ。すっごい綺麗な色なの。うっすら桜の模様が織り込まれててね、これだぁ!って感じで」
「テメェなら女モンでも着られるだろうが。女のならピンクはいくらでも見つかるんじゃねェか?可愛いフリフリでも着てろ」
「だって俺のじゃないし……あ、言っちゃった」
ぺろ、と七代は舌を出した。
本当は、もっと御霧に推理させたかったのに。
とりあえず、フリフリはスルーしておく。女装28点の男を舐めるな。
義王の気配が瞬時に変わる。シャベェと言いつつ楽しそうだったのが、一気に温度を下げてピリピリとした棘を潜ませた。
分かり易くて可愛いなぁ、と七代はにこにこしたまま、あえて隣は振り向かなかった。代わりにアンジーの表情でも楽しむことにする。ちなみに、いちるは予想通り全く義王の気配に気付いていない。
だが、義王が何か言い出す前に、店主が足取り軽く皿を…もといカレーの塔を持ってきた。
「ハァイ!カルさんのオススメよー!」
どんっとテーブルの上に置かれたのは、高く高く積み上げられた塔だった。頂点から流れ落ちるのは匂い的にはカレーのはずだが、何故カレーが5色の彩りなのかは不明だ。
「すっげー、3人でコレ食べるんだー。あ、そういや俺たち、まだ注文してな…」
「おぉっと、かの字、みなまで言いなさんな!これは、熱き友情と愛情で攻略する戦隊英雄的一杯!ちょうど5人のお客サンが来たら食べさせようと待ってたでゴザルよー!」
はいはいはいはいはーい!と皿とスプーンが各自の前に置かれる。
「…ってちょっと待て!オレ様たちの注文も無視かよ!」
「おんやー?まさか怖じ気づいたでゴザルか?そう、この戦隊英雄的一杯は、さすがのカルさんもおののく品…しっかーし!若さ故の過ちなら、食べきれると信じているでゴザルよーー!!」
「…イヤな説明だな…」
「ちなみに、カルさんの期待も込めて、何と5人前なのにたったの千円でゴザルよ!…実験作でゴザルからしてね」
「いただこう」
さっくりと値段で寝返った御霧に同情の視線を注いでおいて、七代は自分の分のスプーンを手に取った。
「ま、俺といちるがいるんだから、量的には問題ないよね。あ、カルさん、ラッシー2つ」
「あいよ!お任せネ!」
さて、どう攻略するか、と高くそびえ立つカレー塔を見上げる。本当は目の前の部分から取っていきたいが、そうすると崩れること間違いなし。
ここは上から取るのが無難だが、と立ち上がりスプーンを近づけてみたが、細長い先は片手では上手くすくえそうにない。
「カルさん、おっきいスプーンとか、予備のスプーン貸してくれない?」
「ノー!戦隊英雄的一杯ヨ!?5人が協力すれば不可能は無い!」
「あ、そういうカレーなのね…」
苦笑して、ふて腐れたような顔で座っている義王にこいこいと手を振った。
「はい、義王皿持って立ってー、スプーン持ってー。はい、二人の初の共同作業です!カレー入刀!ちゃーんちゃーちゃちゃーんちゃーちゃらららちゃっちゃっちゃー」
「…いや、かっちゃん、その曲は違うだろう…」
御霧に突っ込まれながら、義王は左から、七代は右からスプーンを入れて、カレー塔の最上部をすくって皿に入れることに成功した。義王は利き手では無い側だったはずだが、上手いものだ。
さて、次はだれかな、と思ったが、すぐに義王が七代の皿を取り上げたので、2回目の共同作業を行う。
「ミギー、皿出してー」
「あぁ、イイヨ!チーフからは遠いからネ!代わりにアンがミギーと協力プレイだヨ!もちろん、いちるともネ!チーフはオカシラと愛を育んでて!」
遠いってほどでもないが、確かに繊細な手さばきは無理な体勢になるのも確かだったので、アンジーのウインクを受けて素直に腰を下ろした。
「んじゃ、お言葉に甘えて、お先にー。いっただっきまーす!」
両手を合わせて元気よく言ってからふと気付くと、皿に乗っているのは一番最初に取ったてっぺん部分だった。一番色んな色が乗ってて美味しそう(?)だなーと思ったのは確かだが、絶対『一番上』なんて義王が好きそうだと思ったのに。
ちらりと横を見ると、いただきますも無しに義王がさっさと食べているところだった。
そういう奴だと知ってはいたが、年下の癖に生意気だ。
むぅ、と唇を尖らせてから、七代は天頂をたっぷりとスプーンにすくって、大きく口を開けた。
しばらくはカレーを食べては味の感想だの他愛のない話だのが続いて。
だいぶ恐怖の塔も終わりが見えてきた頃に、義王が口を開いた。
「で?これは雉明のモンなんだな?」
それは質問ではなく確認だった。まあ、七代のものではなく、生活用品一式、男物、と来たら、相手の推測は容易だろうが。
「そ。ちゃんと人間らしく生活することから教えないとね」
緑色のカレーを咀嚼しながら、七代は顔も上げずに答えた。
「ワオ!あの鬼札くんにピンクのパジャマ!?」
「んー、あたしも雉明クンには白黒のチェックなんてどうかなーって思ったんだけどね?千馗がどうしても桜色がイイって言って」
いちるが選んだパジャマは、シックなものだった。確かにそれを来た雉明を想像すると、とても似合っていた。似合ってはいたのだが。
「だって、白黒なんて似合いすぎてつまんない。それに、何か色を付けてあげたかったんだよ。零、真っ白だから。白はね、やっぱり女の子だから萌葱色とか藤色とか何でも似合うし可愛いんだけど、正直、零は思いつかなくてさー。普段着じゃなくパジャマくらいならちょっと冒険してもいいかなーって思って。ていうかさ、零はきっと『好きな色?…よく分からないな。考えたことがなかった。君が好きな色は何色だ?』って言うよ絶対。零、俺基準だから」
本当は、『好きなもの』くらい雉明本人に考えて欲しいのだが、なかなか全部が全部聞いていられない。それに、雉明もあまり考えずに分からないことは七代を基準にしようとする。
それは嬉しいと言えば嬉しいのだが、ちょっと困る。自分を世間から外れまくっているとまでは思わないが、『普通』かというと『普通』じゃない面も多いのだから。
どっちかと言うと、壇あたりを基準にした方がまだしも一般的じゃないだろうか、とも思う。まあ、誰かを真似ること自体がおかしいのだが。
「鬼札は<人>としてOXASが預かることになったのか?」
「そりゃそうよ。最初から封札師として試験にも通ったんだもん。ねー、いちる」
「そうだよ!3人で伊佐地先生に報告に行ったの。何たって、カミフダのプロだもん!あたしなんかよりずっと知識もあるしね!OXASが手放すわけ無いじゃない」
はっきりとした<人>としての意識を確立したのは最近としても、雉明には古い歴史の記憶がある。何たって札そのものなので、カミフダを操ることに掛けてはおそらく七代よりも得意だ。もっとも本人に言わせると、雉明は札を同調させることは出来るが、札の好意を引き出せるのは七代だけだということだ。それは長年の歴史からしても稀な能力だと言う。七代にとっては割と『当たり前』なため、その有り難みがピンと来ないが。
「ま、それはともかくとして、いちるはもっと勉強しようよ。マンガなら読める?陰陽師関係のマンガとか、一時ブームになったから結構あるよ?リストアップしとこうか?」
「うー…あたし、勉強って、ホント苦手で…」
「勉強だと思うから駄目なんじゃない?色々新しいこと知るのって楽しいじゃん」
「それは千馗が勉強得意だから言えるんだよ…あたし、文字読むだけでうわああってなっちゃうんだもん。でも、マンガか…マンガなら読めるかなぁ、あたしにも」
「うん、面白そうなのリストにしてメールするから。京都の図書館、マンガも置いてたらタダで読めるんだけどなぁ。マンガ図書館とかある?マンガ喫茶ならあるかなぁ」
「分かんない…千馗のお薦めなら、買うけど?」
「辞令が出たとき、身軽な方が良いでしょ。実家に置いとけるなら良いけど」
「あ、そっか」
ホントにデートしてるかのように二人で話していると、義王が乱暴にスプーンを投げ出して水を飲み、それもまた乱暴にテーブルに戻した。いちいち音がうるさくて、如何にも邪魔をしてますって感じだ。
「なぁに、義王もうギブアップ?」
わざと違う質問をしてやると、予想通り対抗心を剥き出しにして、残りのカレーを皿へと盛った。もう残り少ないカレーを、七代も全部皿へと移す。
さっさと手を止めていた御霧が、まだ持っていたレシートを七代に返した。
「ほら、領収書が必要なんだろう。…つまり、鬼札は封札師になる。武藤は封札師としての知識を蓄えるべく、京都へ勉強しに戻る、ということだな?」
「おう、いえーす」
「で、かっちゃんは?すぐに辞令が出るのか?」
義王の手が止まったのを視界の端で捉えながら、七代はにっこり笑った。
「答えは、いいえ。さすがに新米に大規模な件を任せちゃったからって、伊佐地センセが頑張って交渉してくれたらしくって、俺、卒業までは鴉乃杜にいられるし、清司郎さんも神社で居候してて構わないって。まあねー、いくら大学受験せずにすぐ就職とはいえ、そのくらいはして貰わないとねー」
「寇聖に来いっつってるだろうが」
「やぁよ。大体、俺3年なんだから、そっち行ったってほとんど授業も無いでしょうが。あと2ヶ月なんて一緒のガッコになって何すんのよ。おてて繋いで一緒に登校?あ、そっちは寮か。俺と一つ屋根の下暮らしたいわけ?もう零としてますのよ、それで俺の許容範囲一杯、義王さん、スプーンが折れます」
めきょ、とイヤなしなり方をした木製スプーンを無言で放った義王が、じとりと七代を睨んだ。
でも、予測はしていたと思うのだ。雉明の生活用品一式を買ったとして、雉明が一体どこで暮らすか、と言えばやっぱり七代の側以外に無いのだから。
「清司郎さんはさ、何て言うか、俺に負い目を感じてるからさ、頼んだら割とあっさりOKしてくれたよ。期間限定とはいえ、俺が言うのも何だけど、年頃の娘さんがいるっていうのに男子高校生二人を下宿させるって太っ腹だよねー」
七代と白は親戚設定だが、雉明なんてただの『七代の友人』なのだ。あっさり受け入れる朝子も朝子だ。無意識に呪言花札に親和性があるのだろうが。
「…一緒に、暮らす、だと…?」
「しかも、お布団並べて寝てますわよ?白も入ってきて可愛いの何のって。両手に花ってこのこと?みたいな。俺もう鼻から涎出そう」
きたねーな、くらい突っ込むかと思ったが、見事に笑いの一つも取れなかった。
相変わらず空気は読めないいちるが心底羨ましそうに言う。
「えー、いいなー!あたしも混ざりたい!」
「いや、いちる、女子高生が男子高校生2人の布団に入っちゃ駄目よ」
「千馗ずるーい!あぁあ、あたしが男だったらなー」
「それはそれで凄い図だなー」
ちなみに、布団は二組で七代が真ん中に寝るため、いつも布団の境目にいるのはちょっと辛いのだが、まあこれも主としての務め、とあまり気にしないことにしている。両脇にふわふわ羽毛がいるので、むしろ暖かくて気持ちいいし。
思い出して、くふくふと笑う。
「家族ってこんなんかなーって思うよ。すっごく嬉しい。まあ、封札師は基本単独任務らしいから、すぐに別行動だろうけどさ」
一つ(二つだけど)布団で一緒に寝る、なんて初めてだ。寝付くときも起きたときも隣に寝息が聞こえるというのは最初は慣れなかったけど、すぐに心地よくなった。
あまり慣れすぎると、今度は独り寝が寂しくなりそうで怖いくらいだ。
ほんわか笑う七代を見て、いちるも笑う。いちるの想像では、どう考えても穏やかな長閑な光景しか思い浮かばなかったし。
おかげで七代の視界は微笑ましい春のような景色だというのに、真横からはジリジリと人を灼くような気配がしていた。
さて、カレーも終わったし、どう切り上げよう、と思っていると、ぐいっと肩を引き寄せられた。
「…オレ様が一緒に寝てやろうか?」
耳に吹き込むような低音に、七代は肩を竦めてから引かれるままに義王の肩に頭をこてっと乗せた。
「何言ってんの。それって、眠れるわけ?」
こちとら雉明と違って普通に18年の人生を経験した男子高校生だ。しかも本を読むというのは余計な知識だって付き物なのだ。耳年増ならぬ目年増だ。
つまり、七代は鈍感でもなければ純情でもない。キスどころか舌まで入れられたら、さすがにナニを期待されているかくらい分かろうというものだ。
ギリギリの発言に、際どい返事を返して七代はちらりと義王の方へ視線を向けた。目に入るのは義王の頬から顎に掛けての皮膚だ。女の子のようにすべすべでもなく、柔らかそうでもない顔。
剃り残しを見つけて爪で摘んで引っ張ると、「いてーよ!」とぺしりとはたかれたので、ついでに義王から離れて普通に座り直す。
「さてっと。今晩寝るときに、零にパジャマ着せたら写メって送るよ」
「うん、楽しみにしてるね!」
七代と義王の様子を「仲が良いなぁ」とにこにこ見ていたいちるが、嬉しそうに答える。
「それじゃそろそろ…っと、ごめん、いちる、カルさんに大きめの紙袋か何か無いか聞いてくれる?これ袋破けたまま持って帰るの面倒で」
「うん、分かった!」
いちるが席を立ったので、七代は義王の奥から紙袋を取り上げつつ小さな声で告げた。
「空気読んでくれてありがとう。やだわ義王さんってばそういうところそつがないんだから」
ファーストキスの話題だの、義王と七代の噂だの、義王がその気になれば、いちるの前で七代を虐めることはいくらでも可能だったはずなのに、そんな話は一切出なかった。こういう眼を持っていると、義王が傍若無人でいながら空気読む奴だということも見えてしまうわけで、そうすると、七代としては改めて惚れ直し…もとい見直す羽目になって。
だが、義王は面倒くさそうにそっぽを向いて頭を掻いた。
「別に…テメェのためじゃねェ」
じゃあ誰のためだと?とツンデレお約束な言葉ににやりと笑った七代を見て、義王が眉を寄せた。
あ、何か余計なこと思いついてる、と七代が若干引いたところに、義王が悪い笑みを浮かべる。
「そうだなァ。感謝してるってんなら、態度で表して貰おうじゃねェか?」
手の平を上に向けてくいくいと己を差す。
「感謝の態度、ねぇ」
十中八九、キスしろ、と言ってるんだろうな、と七代は小首を傾げた。
店主に大きめの紙袋を貰ってきたいちるは、目の前の光景に目をぱちくりさせた。
腹を抱えて笑い転げる七代に、憮然とした表情の義王。陰鬱な溜め息を吐く御霧に、何が起きたのか分からないと言った顔のアンジー。
「え?え?え?どうしたの?」
「アンにも分からないヨー。チーフがオカシラに熱い視線を送ったかと思ったら、急に笑い出したノ!オカシラもビックリ!」
それだけ聞いたら七代が変な人のようだ。いや、時々本当に変だが。
「い、いやだって…義王って凄いよ!ホント、時々義王って秘法眼かそれに近いの持ってるんじゃないかって思うくらい!」
涙が出るほどひーひーとソファの上を笑い転げながら七代がそう説明する。もちろん、全く説明になっていない。
ひとしきりのたうってから、七代は涙を拭きながら起き上がって、いちるから紙袋を受け取った。それに破れた紙袋ごと入れて重みを確かめる。
「この俺が、ねぇ…いや、やっぱり信じられない。無いだろ、普通」
ぷぷぷぷ笑いながら紙袋に向かって呟く言葉の意味は、その場の誰も理解できない。
「大将」
その一言に、七代が顔を上げて、義王の目を真っ直ぐ見つめた。
「しばらく会わないでおこうか」
穏やかだがきっぱりとした言葉に、義王が慌てて跳ね起きた。
「ハァ!?テメェ…!」
「ご存じの通り、俺は大変巻き込まれ型でして。真面目な話、義王に応えたがってるだけなのかどうか、自分でもよく分かんないのよ。だから、もうちょい義王抜きで考えてみたい」
義王の眉が上がった。
事情を知らない人間には意味不明な言葉だったが、義王には完全に理解できる。
いっそ無理矢理…とか何とかやばめの思考も通り過ぎるのを見ながら七代が待っていると、義王は長く息を吐いて、ソファにもたれ直した。
「長くは待てねェぞ?」
「長く待たすようなら、それ自体が答えだよ。会わなくても平気っていう」
七代は立ち上がって、紙袋を持ち上げた。うん、破れそうにない頑丈な良い袋だ。
「ねぇ、結局、何の話?」
自分だけ分かってないのか、と不安になったいちるが聞くと、七代はいつもの優しい笑みを浮かべてさらりと答えた。
「あぁうん、俺が義王を好きって話」
「そっかー。仲良いもんね…って何でそれが笑う話なの?」
「いや、あんまりにも自分で自分がおかしくて。さっきね、ちょっと、相手は年下の男の子よ!って感じで」
またおかしくなったのか、ぷぷぷぷ吹き出した七代に、いちるは理解出来ずに鼻の頭に皺を寄せた。
とりあえず、喧嘩したのでなければ、それでいいけれど。
「いちる、途中どっかでアイス食べたくない?」
「あっ、欲しい!」
カレーの後にはアイスに限る。いつも通りの七代の様子に、いちるはそれ以上質問しなかった。きっと自分には分からなかっただけで、大した話では無かったのだろう。
そう思って、荷物を持つ七代とカレー屋から出て行った。
「うわぁ、寒っ!」
「ホントだー。雪降りそう」
七代は零とも仲がよいし、義王とも仲がよい。彼らが話しているのを聞いていると、何だか彼らにしか分からない別の言語で喋っているかのようだった。
「うーん、あたしも女同士の友情ってやつを極めてみようかなぁ」
「それもいいかもね…って、あんまりいきなり深いのもどうかと思うけど。とりあえず、みのりんたちとお泊まりしたんでしょ?どうだった?」
「うん!すっごく楽しかった!」
道を歩きながら、七代とたくさんの会話をする。
七代と喋って、神社に着いてからは雉明ともお喋りして。
いちるは、それだけでとても満足したので、カレー屋でのちょっとした引っかかりなど、すぐに忘れてしまったのだった。