鬼印盗賊団
正月が開けても、<力>は失われず、札憑きの身に残ったままだった。と言うことは、これまでよりも無茶が出来る…いや、もともと自重なんてしてないが…更にレベルが上の<お楽しみ>が出来る訳で。
これまでよりもハイレベルな仕事を終えた盗賊団は、路地裏に集結していた。今日は幹部まで揃い踏みなのだ。失敗するはずもない。
「ハッハァ!テメェら、ご苦労!まっ、つまんねぇ仕事だったな!」
「…世間一般的には、結構なお宝なはずなんだがな。まあいい。どうせお前の頭では理解出来ん」
「アァ!?どういう意味だァ、御霧ぃ!」
「Vaya!やっちゃえ、ミギー!」
あぁあ、また始まったよ、早く解散してくれねーかなー、なんて頭の中では思いつつも口には出さない程度に自分が可愛い下っ端達は、いつもの幹部漫才を眺めていた。
そのいつも通りの光景が、背後からの声によって破られる。
「おっかしらー!やぁだもうひっどーい!」
やたら甘えたような声だが明らかに男の声がして、思わず振り向いた盗賊団たちの間を、ダッフルコートの男が駆け抜けた。盗賊団が制止する間もなく、それは幹部達のところまで辿り着く。
そのままの勢いで、驚愕の表情を向けた頭領に、どーんと飛びついた。
「何で連絡してくんないわけー?せっかく勝負して団員バッチ貰ったのにー」
「…ハァ!?ついに頭沸いたのかよ、テメェは!…つか、とにかく離れろ!」
「やぁん、オカシラってば冷たいんだからー」
頭領に抱きついているのはどう見ても男だ。それが引き剥がされながらも嬉しそうな声を出している。
ナンデスカ、コレハ
盗賊団が思考停止をしている間にも、話はどんどん進んでいく。
「…七代、とにかく大人しく離れてくれ。団員に示しがつかん」
「はぁい」
参謀の苦々しい声に、七代と呼ばれた男が、巫山戯たように両手を上げて降参の意を示した。
盗賊団の中には、七代、という名を思い出した者もいた。確か、女子更衣室覗き疑惑で鴉乃杜にカチコミかけた時の相手だ。それが何だって頭領にべたべたくっついているのか。しかも、まるであの有名な八汎の風紀委員のように、女子よりも女子的なはしゃぎっぷりで。
そして、目敏い者ならもっと違うことに気付いただろう。名を参謀が口にした途端、頭領が妙な表情になってちらりと参謀の顔を見やったこととか。
つまらなそうに襟元の団員バッチを弄っている男は、染めたことなどなさそうな黒い髪で大人しい顔立ちをしたごく一般的な男子高校生に見えた。
まさか、こいつが噂になっている『鬼丸義王をサシの勝負で負かした奴』だというのか。
「お前が、うちの頭とどういう約束をしてそのバッジを手に入れたのか俺は知らん。しかし鬼印盗賊団は他校の生徒を団員にはしない。これからもお前を仕事に呼ぶことは無い。理解しろ」
「…えええええええ」
眼鏡を指で押さえながら、参謀が低い声で七代に告げると、七代はあからさまに不満そうな声を上げた。
その二人の様子をついつい見守っていたため、盗賊団下っ端たちは、義王の顔に浮かんでいる鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情は見逃した。
七代は頬を膨らませて足下を蹴ったりしていたが、ちらっと表通りの方を見てからよく通る声で言った。
「ま、今日は引いてあ・げ・る。早く解散した方が良いだろうから、オカシラに迷惑かけられないもんねー」
その通りだ。全然歯ごたえ無かったとはいえ、盗賊団のお仕事後なのだ。さっさと解散しないと面倒なことになる。
盗賊団団員が、早く消えろ!と念じているのが通じたのか、七代は振り返って団員達に輝くような笑顔を向けた。うっかりと魅惑される団員まで出てくる中、七代はまた振り向いて、ひょいと爪先立ちになった。
「んじゃ、またね、ミギー」
盗賊団からははっきりと見えなかったが、どうも頬にキスしたらしい態勢に、全員が固まった。それを後目に、七代はアンジーにもキスをする。
「Chao!アンジー」
「Chao!アハハ、やっぱりチーフは楽しいネ!」
頬にキスを返してアンジーが笑う。
そうして、七代がきびすを返して表通りの方へ足を踏み出した時。
「…待てよ」
頭領の不機嫌な声によって、七代の動きが止まった。一瞬だけ困ったように視線を表通りに向けてから、にっこり笑って七代が頭領に向き直る。
「なぁに?オカシラ」
身長を感じさせない上から目線で、頭領は手の平を上に向け人差し指一つで七代を呼びつけた。
無警戒にとっとっとっと頭領に近づいた七代の両上腕を、頭領ががっしりと掴んだ。
あぁ、身動き取れなくして殴るんだな、と団員達は思った。頭領にこれだけ馴れ馴れしい真似をして、こんなに不機嫌にさせたのだ。拳の一発や二発は覚悟するべきだ。まあ、両腕で掴んでどう殴るかはおいといて。
「え…ええと…義王さん?」
ちょっとだけ引きつったような声で七代が呟いたのが合図のように、頭領がぐいっと七代を引き寄せた。
ナンデスカ、コレハ
団員達は、二度目の思考停止をした。
ええとなんでしょうかこれはいわゆるキスをしているのでは?
頭領が?男に?
うええええええええええ!?
知らず漏れたどよめきも余所に、頭領はぶつかるようなキスの後に掴んでいた腕を離し、代わりに片腕で七代の背中を抱き寄せてもう片方の手で七代の後頭部を押さえ込んだ。
「ちょ…ぎお…」
抗議の声がすぐに途切れる。
「お、おい!義王!何をやっている!離れろ!」
「ウワオ!オカシラやるぅ!」
幹部二人の声の合間に、「ん…う…」と鼻に掛かったような声だの、濡れた音だのが聞こえてきて、団員はちょっぴり泣きそうになった。
出来れば、オカシラの濡れ場なんて見たくなかった。しかも、相手は男だ。
その長いキスシーンは、動揺したのか無駄に両手を上げ下げしながら二人の周りをうろうろしていた参謀が、ついに頭領の頭を後ろから力尽くで引っ張ったことによって終了した。
「…ちょ…義王…反則ぅ…」
「うるせぇ、テメェがオレ様の前で他の奴にキスすんのが悪い」
「んもー焼き餅妬きなんだからー」
胸に顔を押し当ててぼそぼそ言っている七代を、頭領が担ぎ上げた。まるで荷物のような持ち方だが、七代は文句も言わずに大人しく伏せている。
「オレ様はこいつをタクシーに押し込んでくっから、テメェら勝手に解散しろ。御霧、アンジーは後でな」
学校に帰ってから、幹部は集まれ、という指示に参謀は溜め息を吐いてから、団員の顔を見回した。
「今日のことは忘れろ。いつものように各自散ってから帰校するように。では解散」
つくづく愛想が尽きた、という顔で機嫌悪く告げられた命令に、団員たちは「はい」と答えるしかなかった。
ちらっと頭領はあいつをタクシーに押し込んで…ホテルに行くんだろうか、と想像した団員もいたが、慌ててそれを頭から追いやった。無敵の鬼印盗賊団頭領が男と…なんて考えたくもない。
盗賊団本部に帰って、ソファにどっかりと腰を下ろした義王は、二人の顔をじろりと見た。
「さてっと。説明して貰おうじゃねェか」
はぁ、と溜め息を吐きながら頭を振る御霧を横目に、アンジーはふるふると両手を振った。
「アンは知らないヨ?チーフが来ることも、ミギーと打ち合わせしてることも」
「ま、そうみてェだな。…御霧ィ」
「はぁ…まさか、こんなことになるとは…」
眉間に人差し指を当てて思い切り溜め息を吐いてから、御霧は義王の正面に腰を下ろした。机の上に、いつものノートパソコンを置いて起動する。
「順を追って説明する。まず、お前は自分の名が影響を持っていることは理解しているな?」
鬼丸の名を継ぐ者として、あるいは、寇聖の代表として、あるいは盗賊団の頭領として。
一般人は知らずとも、ちょっと足を踏み外した高校生、裏の世界の住人、または逆に警察関係…などなどに、鬼丸義王の名は知られている。
それがどうした、という顔の義王に、御霧は視線は画面に落としたまま続ける。
「そのお前が、サシの勝負で負けた。そういう噂が流れた。俺も情報統制はしたが、それ以上に噂の広まりが早くて消し切れなかった。ま、それだけお前が負けた、という情報には価値があった、ということだ」
ただの高校生が喧嘩で負けたのとは訳が違う。盗賊団が一時は下克上で崩壊しかけたことと相まって<鬼丸義王>の価値に疑問が付いてしまったのだ。鬼丸家の相続争いにも関係してくるかも知れないし、そうなってくると今までは媚びを売っていた裏の住人や、手出しできなかった警察関係だって何かしてくる可能性がある。
<鬼丸義王>の名には、それだけの価値があった。
「大半の人間はまだ様子を見るだろうがな、力で世の中を渡って行こうという脳みその欠片もない奴には、絶好の機会だと捉えられる可能性がある。つまり、『あの鬼丸義王を倒した男』を倒して名を上げよう、などと考える馬鹿が出ないとも限らないから、かっちゃんに忠告しておいたんだ」
義王がぴくりと眉を上げた。それが「七代」から「かっちゃん」に戻ったことについてか、内容についてかは分からない。
「それがクリスマス頃の話だ。それからごたごたあって、今になってかっちゃんから連絡があった。俺が噂が消えていないと答えると、どうにかしたい、と言い出したんだ」
御霧は、単純に七代の身を心配した(もちろん、口に出しては「お前のためじゃない」と言うが)のだが、七代はとんと自分の身については考えない男だった。
「かっちゃんにとっては、あの勝負は『反則』なんだとさ。札の力を使ったから。…あぁ、お前が本気でやって、本気で負けたことくらい分かっている。…俺は分かっているが、かっちゃんにとってはそうじゃないってことだ。とにかく、かっちゃんは、お前が負けた、という噂が気に入らないから何とかしたい、と言った」
七代自身の理由はどうあれ、御霧としてもその噂はない方が望ましかったので(主に七代のために)、色々と考えてみた。七代の提案を思い出して、一瞬優しい顔になってしまって慌てて渋面を取り繕う。
「かっちゃんはなかなか情報屋としての素質がある。価値のある噂は、消そうとしても余計に広まるばかりで無駄だということを知っていた。俺としては、あの壇燈治に被せても良かったんだがな、かっちゃんが反対したから、結局別の手を使うことにした」
ある噂を消したければ、否定するよりも少しは事実が被っていて、かつもっと面白い噂なら、元の噂を薄れさせることが出来る。そう二人は結論づけた。
クリスマスに校門前で義王が鴉乃杜學園の制服を着た男と抱き合っていた。
義王が誰かにサシの勝負で負けた。それはどうも鴉乃杜の男子生徒らしい。
七代は義王に鬼印盗賊団団員バッジを貰った。
その辺りのことをミックスして考えた結果。
「七代千馗は、鬼丸義王と勝負して勝った。これはそのままにしておく。その代わり、その勝負がガチでは無い、という方向にすることにした。つまり、鴉乃杜學園の生徒が、お前に心酔して盗賊団入団を希望、お前は『オレ様とイイ勝負したら認めてやるぜ』的なことを言って勝負して、負けたのでバッジをくれてやった、という展開だ。これなら、本気の勝負じゃなくお前が寛大にも負けてやった、という解釈も出来るからな」
寛大にも、という部分にイヤミをたっぷり乗せたが、義王はむしろ怖いほど静かだった。
何を考えてる?と御霧はようやく画面から眼を離して義王を見たが、怒ったようにどこか別の場所を睨んでいるだけで、原因は御霧には分からなかった。
「それで、そういう噂は流しつつ、団員の前でバッジを持っていること、かっちゃんがお前を……慕っている、ことを見せておけば、後は勝手に噂が広まっていくだろうと思ったんだが…お前に言っても芝居は出来んだろうと思ったのが裏目に出た…」
御霧ががっくりと頭を垂れた。
まあ、そもそもは七代の演技も間違っていたが。あれは盗賊団お頭に憧れる他校生というよりも、義王にモーションかけるアレだ。ひょっとしたら蒲生を参考にしたのかもしれない。大いに間違っている。
だとしても、まさかいきなりキスが始まるとは夢想だにしなかった。義王が七代に並々ならぬ執着をしているのは知っているし、その方向性がちょっとあっちに向かっていることも気付いてはいた。しかしまさか、公衆の面前でああいう振る舞いに出るとは思っていなかった。
「…明らかに、噂が歪むぞ。勿論、お前がかっちゃんに惚れたから負けてやった、という噂になるのなら、それはそれで目的を達成した、と言えなくもないが、逆にかっちゃんがお前の<弱点>だと考える馬鹿が出ないとも限らない。…くそっ、どうしてこうなった!」
情報をチェックしても、既に御霧が修正できないほどに噂は増殖を始めている。こうなったら手の施しようがない。
「別にイイじゃねェか。大将はオレ様のモンになる。噂が事実よりちっと早ェだけだ」
義王がいつもの如く俺様な意見を述べたが、どこか口調が上の空だった。視線の先に何があるんだ、と思ってみれば、義王の携帯だった。気にしてないフリをして、それでもちらちらと見ているところを見るに、どうもメール待ちらしい。
あぁもう馬鹿者が、と頭を抱えていると、義王の携帯が派手な音を鳴らした。素晴らしい反射速度で開いた義王が、ハッハァ!と声を上げる。本人が気付いているのかどうか知らないが、嬉しさは隠し切れていない。
「『今無事着いた。寝る。
ちくしょー!俺のファーストキス返せ、盗賊!
バカバカバカバカバカバカバカバカ!』
だとよ!馬鹿だな、大将はよ!オレ様を何だと思ってんだ!」
「ワオ!これアン知ってるヨ!バカップルって言うんだよネ!」
「違う!いや、違わないのかもしれんが、まだカップルじゃないだろう!」
とりあえずアンジーに突っ込んでおいて、御霧はがくりと突っ伏した。
御霧にとって七代は大事な友人だ。純粋に友情という意味でも、職業的な意味合いでも。出来るだけ、七代が幸せな方向に持って行きたいのに。
ファーストキスが男相手で、しかも公衆の面前で、汚い路地裏で、舌まで入れられたのか。気の毒すぎるぞ、かっちゃん。
とは言うものの。
本気で七代が嫌がっていたのなら、何とでも方法はあったはずだ。いくら演技しに来ていたとはいえ、七代ならうまい逃げ方くらい分かっているはず。
と言うことは、イヤでは無かった、ということなのだろうな、と御霧は画面を憂鬱に眺めた。
それをぱたんと閉じ、御霧は立ち上がった。
夢中で携帯を打っている義王を見下ろし、息を吸った。
「言っておくがな。お前とかっちゃんの身長はほぼ同じだ」
それがどうした、と言うように義王がちらりと見上げたが、すぐに画面に視線を戻す。
「そして、かっちゃんが年上だ。…お前が突っ込まれる方だ、という噂もまことしやかに流れているからな。ま、尻には気をつけることだ」
性格的に義王が肉食系とはいえ、あの場面では七代の方が積極的と見えなくもない。
何より赤の他人からすれば、<あの鬼丸義王>が女役、という方が逆よりもよっぽど<面白い>噂なのだ。
とりあえず、愕然とした顔の義王を見て溜飲を下げつつ、御霧はさっさと扉に向かった。何とかしろ、御霧、という命令が来る前に、ここを立ち去りたい。
閉めた扉の向こうから、意味不明の雄叫びが聞こえたが、御霧は振り向かなかった。