夢を破る
クリスマスイブの新宿御苑には人が少なかった。普通の人間もここがピリピリした空気を漂わせていることに気付いているのだろうか。
きりきりと耳の奥が痛いほどの静寂の中、灯籠に手を掛け、よいしょっと力を込める。
「ごめんなさいっと」
謝るのは灯籠にだろうか。
それとも仲間にだろうか。
燈治たちには、義王がうるさいから義王と御霧の二人を連れて行く、と伝えた。燈治は一瞬怒ったように絶句したが、それでも灯籠前で帰ってくるのを待つ、と言ってくれた。
どうかなぁ、クエストもするから長いかもよ?と言うと、呆れられた末に、お前らしいと笑われた。
ごめんなさい。俺は嘘をついています。
あぁ、イヤだなぁ。
どうして『まるで知っているかのように』敵の弱点が分かるんだろう。
どうして『まるで知っているかのように』仕掛けを解くことが出来るんだろう。
だんだん、夢へと近づいていく。
耳鳴りが酷い。
血脈が轟々と音を立て、他の何も聞こえなくなる。
鍵を開け、扉を開く。
万が一のために、<藤に赤短>に頼んでおく。もしも、他の存在がここに入ろうとしたら、邪魔をしないように絡め取って欲しい、と。
一人で来た俺に、紅緒は驚いたようだったが、遠慮はしてくれなかった。だから、俺も遠慮無しに可愛い小動物を狙い撃つ。ごめんね、月舟に痛い思いさせて。
それから、ごめんね、雉明。
お前の弱点も『知って』るんだ。
そんな顔をしないで欲しいな。俺はお前の言うことを聞いてないんじゃない。ただ、あまりにも何度も聞いたから、そらんじてるだけ。
そう、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
何だか、あまりにもいつもと同じすぎて、現実感が無い。
声もはっきりしないし、俺の眼にしては世界が歪んで見える。
あぁ、何だ。
これは、またいつもの夢なのか。
俺はまた夢を見ていて、同じことを繰り返すのか。
目覚めは悪いけれど、それでも死ぬよりはマシかな。
いつもと同じように、俺は封印を選び、目を閉じる。
そして、イヤな汗と共に目を覚ます。
はははははは、何だ、いつもと同じだ。
「七代…決めるのは…君だ」
答えは決まっている。俺の愛しい札たち。
俺はお前達を殺したり出来ない。そんな勇気が無い。そのくらいなら、俺が死んだ方がマシなんだ。
「俺は」
<選ぶ>前に<振り向け>
「雉明、白。二人とも大好きだよ。だから、二人を死なせない」
「何じゃと…では、主よ、それでは…」
「七代…君は、まさか…君よりも、俺たちに生きろと言うのか…?」
「ごめん、最後まで頼りない主でさ。ごめん、本当に。雉明が精一杯考えてくれたのは分かるんだけど、でも俺は」
<選ぶ>前に<振り向け>
「…俺は…?」
何だろう。何かしなくちゃいけないような。
言葉を途切れさせた俺を、二人が訝しそうな目で見る。
<選ぶ>前に<振り向け>
「そうだ、俺は…<選ぶ>、前に、<振り向く>んだった」
独りごちて、振り返る。どう見ても変な人だろうが、どうせ俺の夢の中なんだ。どう思われようと気にしない。
振り返って、見えるのは、地面から天へと伸びる蔓の塊だった。
…何だっけ、これ。扉があるんじゃなかったっけ。
この蔓は…ところどころ赤い布のようなものが混じるこの蔓は…
「あぁ、そうか。<藤に赤短>だ。お前も戻っておいで」
どうせなら、みんな一緒に眠ろうね。まあ、まだ48枚全ては揃っていないのだけれど。
手の中に<藤に赤短>が収まる。
同時に、赤い赤いものが駆け寄ってくる。
えーと。何だっけ、これ。
全身に、酷い衝撃を受けて、思わずよろけたが、何故か倒れもしなかった。
「よぉし、ひとまず褒めてやる!」
何だっけ、誰の声だっけ。
こんなのは、始めてだ。聞き覚えはあるんだけど。
「なに馬鹿面晒してやがるんだ、大将よォ!しっかりしろよダチ公!テメェがこんなとこでくたばるタマかよ!それとも寝惚けてんのか!?目ェ開けたまんま器用だな、オイ!」
??????
何を、言ってるんだ?
俺は、選ぶ
封印を 執行者として
何故ならば、札を壊すか、封印するかしか無いのだから
ガツッ!
脳天を、凄まじい痛みが襲った。
「〜〜〜〜〜〜!!!」
声も出せずに頭を押さえて座り込む。
目の前が真っ赤になって、まるでマンガのように星が散った。信じられない、初めて見た。誰だ、この世で最初にマンガに星を飛ばした奴は。天才だろう。
「痛いよ、義王」
声が出た。
我ながら情けない、泣き出しそうな声だ。
「痛いよ、義王!マジ痛い!信じられない、脳しんとう起こしたらどうしてくれんだ!それに知ってる!?頭部に衝撃を加えたら脳細胞が壊れて馬鹿になるんだぞ!?」
言いながら顔を上げると、義王が仁王立ちして俺を見下ろしていた。腕を組んで偉そうに。俺が死ぬかもって怯えてる癖に。
ぷふっ
空気が口から漏れた。
「あははははははははは!痛いよ、ホントに!あはははははははは!」
信じられない。
マジで痛い。
痛すぎて涙が出るくらい痛い。
腹を抱えて笑い転げている俺を、白と雉明と紅緒が、目を丸くして見ている。やだわぁ、紅緒さんたら、冷たい目。
腹筋が攣るんじゃないかと思うくらい笑って、さすがに息が続かなくなって、ひーひー言いながら立ち上がる。ちょっとだけ目が廻ったので、目の前にいる義王のタンクトップを掴んでやった。
「あーもー頭くらくらするじゃん、責任取ってちょっと台になれ台に。俺のもたれ台」
俺と義王の身長はほぼ同じなので、しがみついたら顔は肩に乗せるような形になるんだけど、ホントに頭が貧血みたいだったので、下を向いて胸に頭を押しつけるみたいにしてやった。
燈治ほどではないけど、義王の胸筋も大したもんだ。温かくて、硬くて、んでもって脈動してる。
「…痛かった、よ」
「オウ」
「ありがとう」
「…オウ」
義王の声がくぐもっているのは、俺がぐりぐりと頭を押しつけているからだろうか。
その状態で思い切り息を吸い込むと、ちょっぴり汗臭かった。タンクトップなんて外が冬とは思えない格好だけど、ここ夏だしね。まあ、別に不快じゃない。生きてるって感じがするだけだ。
吸って吐いて、吸って吐いて。
よし。
俺は手を離して、雉明たちに向き直った。
「ごめん、お待たせ」
何も言わないけど、義王は俺の斜め後ろに立っている。喋ってる訳でも俺に触ってる訳でもないのに、何だか凄い存在感。おちおち夢も見てられない。
「もう一回、言うよ。俺は、お前達を壊すつもりは無い。あぁでもね、俺が優しい人間だっていうんじゃなくて。俺にとってお前達は<人間>で、俺は<人殺し>になる自分が耐えられないだけ。究極の我が身可愛さよ。やだもん、ずっとお前達殺したって罪の意識に苛まれるの」
「だが、七代、俺たちは…」
予想通り(夢の通り、じゃない、単に雉明の性格から推測できる通りってことだ)反論してきた雉明に、人差し指を突きつけて黙らせる。
「黙らっしゃい。お前らが自分のことどう思ってようが関係無いの。俺にとっては人なんだから、人殺しになっちゃうの。まあ、犬だったらいいのかって言うと、良くないんだけど」
まだ何か言おうとする雉明に、中指も立ててやる。
「二つめの理由。呪言花札を破壊すること。これは万黎が見た未来(あした)だ。万黎に会ったときと、それから紅緒ちゃんを見たときに、俺にも見えた。花札に蓄えられたエネルギーが放出される。それはいったん天へと向かうけれど、龍脈へと、つまり地上へと帰って行く」
「それは…良いことなのではないかえ?あの筑紫という男は、札がえねるぎぃを溜めておるからこの地は滅ぶと言うておったからのぅ」
「うん、エネルギーは帰るけど」
約2年後に降り注ぐ光。龍脈から吸い取られ、元に還っていく<力>。
「ねぇ、紅緒ちゃん。それは良いことだと思う?」
びくりと紅緒が肩を揺らした。そっと目を伏せ、静かに呟く。
「私は…私は、最後まで人として兄様のお側にいたい…」
「万黎はねぇ。それを<進化>だって思ってるけど。人が人じゃなくなる<力>が降り注ぐ。札憑きになるくらいの根性のある俺の仲間たちなら無事かもしんないけど。大多数の人間は、やな方向に<進化>しそうだよねー。何たって、人を<隠人>に変える<力>の欠片だもん」
弱肉強食の世界。
ひょっとしたら、10年ほど前に変わったかもしれない世界。
「まあ、どこかの誰かさんみたいなタイプには面白いかもしれないけど。俺は平和主義だからさー。イヤなんだよねー、そういう世界。まったり本を読める世界が一番よ」
くすくす笑いながらちらりと肩越しに振り返ってみたが、義王は自分のことだと気付いていないのか、難しい顔で斜め下を睨んでいた。
「そーゆーわけでね、俺的に、お前ら破壊は無し。大体、他人の思惑通りに動くとか気に入らないし。それから」
一度大きく息を吸って。
大丈夫、ここは、もう、夢じゃない。
「俺が死ぬのも無し。封印エンド、マジ勘弁。…それでも、俺さえ死んだら総ハッピーなら選んだかもしれないけど」
もしも、本当に、全てが丸く収まるなら、俺はその誘惑を断ち切れないだろう。今でも本当はちょっと不安なのだから。
「でもね、俺は夢で見たんだ。お前達を封じる。俺は死ぬけどお前達が眠っていられるよう精一杯包み込んで、<人>としての意識はないけど、何となく周囲のことをぼんやり感知してるんだ。急速にエネルギーが枯渇して滅ぶ大地。花は咲かず、水も涸れ、人心も乱れまくる。…そうして、誰かが知るんだ。それは、呪言花札に龍脈の<力>が封じられているからだって。そうしたら、花札を解放して龍脈に<力>を戻すことがこの地の復活への道だって思う奴が出てきて…<俺達>は引きずり出される。繰り返すんだ。もっと酷い状況で。俺、犬死にもいいとこじゃん、それ」
雉明も白も、惚けたような顔で俺を見つめている。
彼らは二つの選択肢を用意した。そのどちらも蹴られるとは思っていなかったのだろう。
正直、俺も思ってなかったけど。
「考えよう。雉明、お前、俺が死なないためには自分たちが滅べばいいって、それしか考えてなかっただろ?別のやり方なんて、考えようともしなかった。違うか?」
雉明が、はっと気付いたような顔になって、こくこくと頷いた。ちょっと子供っぽくて可愛い。いや、俺より図体はでかいんだけど。
「あぁ。俺は今度こそ執行者を…君を死なせたくないと思って……花札を消滅させれば全ては解決するのだと…」
しょぼんと垂れた頭を撫でてやりたい。あぁもう早く撫でてやりたいったら。
「白、お前もだ。花札が世に放たれたら、執行者を選んで封印する。それしか考えてなかっただろ?」
「それは…妾は、それが役目じゃ。そうする以外に、道など…よもや、鬼札がこたびのようなことを考えておったなどと、思いも寄らぬわ。そもそも、札が『考える』などあり得ぬことじゃ」
俺の愛しい札たち。まだ<人>になったばかりの初々しい子供たち。
おいでおいで、と二人を手招くと、おずおずと寄ってきた。こうして見ると、案外に白と雉明は似通っている。
両手を広げて、二人を思いきり抱き締める。
「七代!?」
「な、何を…!」
「考えよう。3人とも生き残る方法を。大丈夫、3人寄れば文殊の知恵って言葉があるし。考えて考えて考えた末に、それでもどっちかしか無いのなら諦めも付く。でも、考えもしないで、試しもしないで死ぬのはイヤだ。実際、そんなあと10分で世界が滅びる訳じゃ無し、まだ数日の余裕はあるんだから。3人で考えて分からなくても、まだまだ一杯考えてくれる人はいるよ。御霧や絢人は情報を集めてくれる。伊佐地センセも筑紫さんも教えてくれるさ。みんなで考えよう」
二人とも、髪がふわふわで撫で心地がいい。白は見かけから羽毛っぽいから分かるけど、雉明までこんなふわっふわの触り心地だとは思わなかった。
きゅきゅきゅーっと抱き締めて、笑って言う。
「みんなで生き残って、お正月にはお節料理を食べよう。清司郎さんにお年玉を貰おうか。2月になったら節分だ。雉明に変化して貰ってもいいけど可哀想だから、義王に鬼役になって貰おう。3月はひな祭りだ。白に振り袖を買ってあげる。そうだな、桜の模様が良い。俺、4月生まれだから桜が好きなんだ。それから、卒業式があって、春休みにみんなで花見をするんだ。それから……!?」
まだまだ一杯計画があったのに、急に首を絞められて思わず二人から手を離した。
えっ何!?とじたばたしたら、どうやら義王が背後から腕を回してきたのだと分かって力を抜く。いや、状況は分かったんだけど。何でかはさっぱり。
首を捻って義王の目を見ると。
………えーと。この色は…よく分からないけど…独占欲?そういう感じ?
何だ、いきなり。
あぁ、あれか。二人にばかり構わずオレ様にも構えとかそういうアレか。もう可愛いんだから。
手を回して義王の頭をぽふぽふしてから、二人に笑いかける。
「そういう感じで。今から考えよう。大丈夫。龍脈に<力>は足りない。でも花札に蓄えた<力>はある。大丈夫、元々あるべき姿に還るだけなんだから、やり方さえあれば、ちゃんと上手くいくさ」
まあ、肝心な『やり方』が大問題なんだけど。筑紫さんみたいなダイナミックな還し方は不許可で。
でも、ここには執行者で封札師と、札の化身で封札師がいる。他にも大勢の札憑きがいる。
何とかなる。
何とかする。
雉明は茫洋とした顔で(いや本当は真剣に考えてくれてるんだろうけど、何か雉明の顔はほんわほんわだ)、斜め上を見つめた。
「そうだな……ひょっとしたら……」
「それには、<龍珠堂>に行かねばならないでしょう…」
紅緒が静かに呟いた。万黎の意に沿って動くと思ったが、なかなかどうして、紅緒にも『守りたいもの』はあるらしい。
「よぉっし、やることも見つかったし、今日は帰ろう!何たってクリスマスイブだし!…あ、やばい」
テンション上げた後に心底うんざりした声が出たせいか、俺の首に腕を回したままの義王が反応した。というか、お前はいつまで俺の背後から俺の首を絞めてるんだ。締めてるってほどでもないけど。
「俺、帰れないつもりだったら、チョーやばい。みんなに嘘つきまくってる。…責められるよなー」
「ハッハァ!殴られてろ、馬鹿が!」
何でそんなに嬉しそうですか、義王さん。
洞から帰って、みんなに会って。
色々と齟齬があるのを責められるんだろう。それに燈治にはホントに殴られるかも…あ、結果的に義王はここにいるからばれないか。
「みんなに良い顔しちゃったしなー…殿になる約束とか四角に四角って言われて四角って答えたり好きだって言われて俺もって返したの3人以上いるけどどうしようかしらー」
一番やばいのはクリスマスイブでしかもこれで最後だと思ったから矛盾も気にせずみんなに愛を囁きまくったことか。ごめん、くー兄ちゃん。くー兄ちゃんの教えを忘れてました。
ぎぎぎぎぎぎっと首がイヤな音を立てた。
おうふ、義王さん、ギブ、ギブ!
首に回った腕をべしべし叩いても力は緩まなかったので、本気で死ぬかと思った。必死で爪先だって何とか酸欠は免れたけど。よかった、身長が似通ってて。
「千馗。テメェは一度死んどけ」
あらやだ、低い声。しかも大将から格下げ?
…何で、お前はそこまで怒りますか。
やだわぁ嫉妬深い男ってぇ…って嫉妬なんかね、これ。やっぱり義王もこれでも年下らしく俺に構って欲しがってるのかなぁ、今までそういう雰囲気無かったけど。
朝子先生が目を覚ましたのでそちらに向かう途中、ちらりと振り返って見たときには、義王は途轍もなく機嫌の悪い顔をしていた。せっかく生き残った俺を言祝ごうという気は無いのか。
…何だろう、独占欲…それから…えーとあんまり見ない色だけど…やっつけたいとかそういう…支配欲?征服欲?何かそんな感じの色をまとわりつかせて、義王は俺を睨んでいた。
何だろう、この感じ。
背筋がぞくぞくする。でも不快じゃない。
何だか、その感覚は、高層ビルの屋上から下を見下ろした時の感覚にも似ていた。