くー兄ちゃんと俺 1



 本は好きだ。本を読むことによって、俺は何にでもなれる。俺のちょっとした体質だって、そうもおかしくはないものなのだと思わせてくれる。他人から見ればバカバカしいの一言だろうが、何度空を見上げて火星に手を伸ばしたことか。…もっとも、どれが火星か分からずに相手が月だったことも何度もあるが。
 あぁ、うん、ただの現実逃避だ。
 そんな俺の部屋は本で埋め尽くされ…と言いたいが、残念ながら選び抜かれた数冊しか無かった。それも中表紙に『ぶこふ100円』のシールが貼ってある奴。
 何と言っても、俺は自分で稼ぐことなく他人様の施しで生きている身なのだ。生きていくのにどうしても必要、というのでは無いものに金を消費するのは躊躇われる。
 ああ勿論、俺のあしながおじさんはケチではない。むしろこんなどんぶり勘定でいいのか、というくらい太っ腹に金が振り込まれてくる。しかしながら職業柄なのか何なのかしらないが、それがひどく不定期なため、一体いつまでこの金額で過ごせばいいのか、という見通しが立たないのも事実だ。
 俺には甘い人だから、万が一の時には、俺に多額の金が振り込まれるような備えはしていると思うけど…実際、それに近いことを言っていたし…だから、この何か切り詰めなければならない、という強迫観念は、おそらく俺の性格によるものなのだろう。
 それに、あの人が命がけで稼いだ金を俺がほいほいと嗜好品につぎ込むわけにはいかない。そんなことを考えていると知ったら、けらけら笑った挙げ句に仕送りを倍増しかねないけれど。
 まあ、そんな感じで。
 俺はもうとっくに死んだ父の姉の子である、つまりは従兄弟さまであらせられる九龍兄ちゃんに仕送りを受けながら生活をしているのだった。
 この従兄弟様は何でもトレジャーハンターという一般人が耳にしたら3秒ほどの間を置いてから「…はあ?何、それ?」と聞き返すような職業に就いている。俺も正直胡散臭いと思う。だって九龍兄ちゃんの話を聞いている限りでは、あれはトレジャーハントではなく…その…うん。
 それはともかく。
 いくら血の繋がった従兄弟とはいえ大して年も離れていない若い人に、命がけで稼いだ金を貢がれて「はいそうですかどうもありがとう」と湯水のように使えるはずもなく。
 そんなわけで俺はもっぱら放課後は図書館に通っているのだった。タダでいくらでも本を読めるというこの図書館というシステムは、これ以上なく素晴らしいものだ。
 そして毎日通うとなると自然と司書のお姉様方とお知り合いになるのも理の当然で。
 いつもの如く愛を振りまきながら貸し出しの手続きをしていた俺に、お姉さんが何気なく差し出した紙を俺は注意することなく受け取った。
 「ええ、はいはい、もちろん書きますよ。いつも後藤さんにはお世話になってますし…大変ですね、本来の業務以外にもこんな雑用まで。もしも後藤さんさえ良かったら、俺、いつでも手伝いますよ?こういうのって、回収した後の統計とかが面倒なんですよね。あ、俺、数学得意なんで、P値とか算出する必要があったら言って下さいね。データの打ち込みでも何でもやらせていただきますよー」
 へらへら喋りながら、考えることなく丸を付けていく。
 書かれた通りに裏返して、そこで初めて俺は視線を司書のお姉さんから手元の紙へと移した。
 <あなたはこの質問が見えますか? はい いいえ>
 …何だ、これ。
 やたらと紙の下の方に書かれたそれ。
 俺は、そのあからさまに怪しく広がった空間をしばしじっと眺めた。
 「どうかしたかしら?」
 「いや…これ、あぶり出しか何か?この質問が見えますか?って…何も書いてないように見えるし…」
 そう、俺は、その問いの上の空間に『この質問』とやらが書いてあるのか、と思ったのだ。まさか天下の県立図書館でジョークアンケートが行われるとは思わないし、だとすると、何か特殊な知能テストみたいなもんが仕込まれているのでは、と手の平で温めてみたり蛍光灯に透かしてみたりしたのだが、いっこうに何も浮かんでは来なかった。
 「うーん…よし、閉館時間も迫ってるし…いいえっと」
 素直に敗北を認め、俺は<いいえ>に丸をして、司書のお姉さんにアンケートを提出した。
 「それじゃ、また明日〜!」
 元気よく手を振って、既に意識は借り出した本に向かっていた俺は、司書のお姉さんが呟いたことを聞き取ることなくその場を離れたのだった。

 で。

 「あのね、くー兄ちゃん。俺、何か封札師ってものになっちゃった」
 「え…いや、お前、まだ高校3年だろ!?まさか国家機関に就職決めちまったのか!?」
 「話が早くて素敵」
 久々に電話で直接九龍兄ちゃんと話した俺は、封札師、の一言でそこまで理解した兄ちゃんにちょっぴり驚いた。あれだろうか、トレジャーハンターは封札師ともお近づきになるのだろうか。
 「いやー、しっかしOXASも手が早い…くっそぅ、進路決まらなかったら、俺がさらってバディにしちゃろと思ってたのにさー」
 「え、そんなつもりあったんだ。ごめん、何なら今からでも…」
 「いや、それはいいわ」
 いつも助けて貰っている九龍兄ちゃんの手助けが出来るなら、それが一番の恩返しなんだし、と言った言葉を、兄ちゃんはさくっと断った。
 「俺のは、単にお前の目ぇ利用しようってだけだからな。どうせなら、そっち系が詳しい奴にしっかり仕込んで貰った方がいいだろ。俺もちらっと聞いたことあるってだけだけどさ」
 実のところ、俺も封札師というものが何をするものなのか、はっきりとは分かっていなかった。ただ、俺のこの目に名前が付いていて、そういう人間は俺だけじゃなく、組織になって働いている、というのだけは分かった。うん、SF系ジュヴナイルみたいな話だ。謎の転校生、とかそういう感じの。
 「秘法眼…ねぇ。言うまでもないけどな、千馗。一言忠告しとくぞ。…お前が見えるもの、全部は言うな。相手が見ていると類推できるものだけ反応しろ」
 「へ?でも、くー兄ちゃん、みんな秘法眼持ちなんだよ?」
 兄ちゃんは真剣に言っているようだったが、俺は咄嗟に反論した。あの組織の人間は驚くほどよく『見えて』いる。俺と同じ視界の人間ばかりだと思うのだ。4歳で死んだ父以外では初めて出逢う『同じ視界』の人間に、俺は随分とワクワクしているのだが…。
 「そんなの分かんないだろ?同じ秘法眼でもさ、普通の人間が1見えるところをそいつらは5見えるとして、お前だけ実は6見えてるってこともあるかもしれない。完全に同じ『眼』だってのを確信するまで、うまいこと探っとけ。保険はかけるに越したことないさ」
 九龍兄ちゃんは俺と話している時は、ただの従兄弟に甘い年の近い兄ちゃんモードなのだが、時々こうして用心深いところを見せる。たぶん俺に聞かせてくれている以上に、トレジャーハンターというものは厳しい世界なんだろう。
 「それは…俺の『感情が見える』ってとことか?」
 「そりゃあ一番隠しておくとこだな。幽霊が見えるってなのより、よっぽどやべぇ」
 俺は昔から色んなものが見えるが、一番他の人と違っているらしいのは、他人の感情が見える、というところだった。もちろん、エスパーだとかテレパシーなんて大層なものではない。
 けれど、俺が喋って相手が反応する。その時の相手の言葉の色が見えるのだ。あ、これは受けた、とか、これは笑ってるけど傷ついたらしい、とか。
 本によると、ある程度誰でも持っている能力なんだと思う。だって、よく『私には、彼が笑ってはいるけれど、今にも泣き出しそうであることが分かった』なんて文章があるし。
 けれど、色で理解しているという表現は見たことがないので、どうもやはり俺のは特別らしい。たぶん。俺にはこの視界しかないから、普通がどんなのだか分からないのだけれど。
 「うん…分かった。カマかけてみてからにする」
 「おうよ、そうしとけ」
 ちなみに、カマをかけるのは俺の得意とする分野だ。だって、俺には相手の反応が『本気で分かってない』のか『しらばっくれている』のかがはっきり見えるんだし。
 と、そこまで保護者らしい物言いをしていた兄ちゃんが、ちょっと言い辛そうな話し方になった。
 「…それでさ、ちょっと聞きたいんだけど…うん、いや、これまたあんま人に言えることじゃなかったんで、千馗にすら言って無かったんだけどさ」
 「え、何?」
 「お前…他人が反応したときに、音は聞こえないか?ぴろろろん、みたいなの。自分がレベルアップしたときとか」
 「へ?」
 俺は思わず受話器を耳から離してまじまじと見た。いや、もちろん、そこからは何の色も見えないのだけれど。
 「いや、レベルアップって兄ちゃん…それはゲーム脳よ?」
 「…このド畜生があああ!裏切り者おおおお!」
 「い、いや、くー兄ちゃん、今のは冗談…あっ!」
 切られた。
 あー、まずい、本気だったのか…。俺はてっきり、俺の色に対抗しての冗談か何かだと…。やっぱ電話は読めないのが辛い。
 そっかー兄ちゃんも人には言えない特殊能力が…まずいな、せっかく打ち明けてくれたのに、信じてくれないって辛いよなぁ…うわあ、ホントに悪いことしちゃったよ…。

 謝ろうとしていた俺だったが。

 「く、くー兄ちゃん、くー兄ちゃん!俺にも聞こえた!樹海で聞こえた!何かびろびろびんっていうの!」
 そう、樹海で封札師試験を受けた俺は、初めて音を聞いたのだ。
 「ごめん、ホントにレベルアップ音とか聞いちゃったよ、リアルで!」
 「おっ、そうか!やっぱ親戚筋なだけはある!」
 あれだけ悪いことをしたのに、九龍兄ちゃんは、けらけらと笑って許してくれた。
 それにしても信じられない。レベルアップしたのが音で分かるわ、自分が喋った途端に他人のオーラの色は変わるわ色んな音は聞こえるわ…どれだけ俺、他人と違う世界に生きてるんだろう。九龍兄ちゃんに聞いてなかったら、俺、パニクったかもしれない。
 「そうか…お前にも聞こえたか…うん、忠告しとくぞ、千馗」
 「なに?くー兄ちゃん」
 兄ちゃんの真剣な声に、俺は姿勢を正した。経験から言って、九龍兄ちゃんがこんな声の時には本気で聞いておく価値がある。
 「お前は、2学期から転校するんだよな?」
 「うん…鴉之杜學園ってとこに。俺もまだ見たことないけど。全部上が手続きしてくれたから」
 「…あのな、千馗。お前は、いつも通り全員に愛を振りまくんだろうが…いや、責めてないぞ?俺も任務でやりまくった。何つっても、相手の反応が聞こえる分、ついつい良い顔しちまうんだよなー」
 「……いや、俺、そんな任務的に振りまいてるわけじゃ…」
 「うん、お前が故意だろうが天然だろうが、どっちでもいい。とにかく。…クリスマスには気をつけろ」
 「はい?」
 「クリスマスにだけは、愛を振りまくのはやめとけ。せめて2人…ばれない自信があっても3人までにしとけ」
 正直、俺には九龍兄ちゃんが何を言っているのか理解できなかった。クリスマスに愛?ばれない自信?3人までって何?
 「えーと…」
 「……3人?……へぇ、そう……君、僕以外にも2人には愛を囁いたんだね……」
 何か、地を這うような声が、電話越しにうっすら聞こえた。誰の声だろう。九龍兄ちゃんの声じゃない。それに、ちょっと遠いし…九龍兄ちゃん、他の人と一緒にいたのか。あ、一緒に潜ってるバディさんかな。
 …いや、よく考えると、九龍兄ちゃんが、今一緒にいるバディさん(僕という一人称と声からして男)に、クリスマスに愛を振りまいて、今まさに嫉妬されている最中、ということでは。…修羅場?っていうか、相手…男?九龍兄ちゃん、恋人がいるってのはちらっと聞いたけど、あんまり詳しく話してくれなかったから…それで話してくれなかったのかなぁ。俺、偏見無いつもりだけど。
 「別に、愛を囁いては無いっての。ちょっと愛想振りまいただけだろ。何よりそんな悠長な事態じゃ無かったろうが」
 九龍兄ちゃんの声もちょっと遠ざかった。多分、振り向いて相手と喋ってるんだと思う。
 俺が聞いていても何か冷たいというかつけつけとした物言いだったので、ホントに恋人と話してるのかな、と心配になったが、すぐに九龍兄ちゃんの声は大きくなった。
 「うん、まあ、お前と俺とは違うから。お前がそこで運命の恋人と出会うかどうかも分からないし…ま、何かあったら相談してくれ。俺はなかなかそっちには戻れないが、新宿にはまだダチも残ってるから、力を貸すことは出来ると思う」
 「ありがと、くー兄ちゃん。でも、俺、なるべく一人で頑張ってみるよ。いずれ独り立ちして自分の世話は自分でしなきゃならないんだし」 
 「俺としては寂しいけどな。ま、お前も一人前の男だ。やるだけやれ。でも、どうしようもなくなったら、俺がいるってのを忘れなきゃそれでいいさ」
 「…うん、ホントありがとう、くー兄ちゃん」
 しみじみ、九龍兄ちゃんは頼り甲斐のある良い兄ちゃんだ。こんな人が従兄弟で良かった。
 …何か、衣擦れの音が聞こえてくるけど、これは気にしちゃ駄目なんだろうな、うん。
 「また、いろいろ落ち着いたらメールするよ。俺、まだどこに住むのか、何をやるのかもはっきりしてないし」 
 「…お、おう。…こら、ばかまち!10秒待て!…あ、いや、こっちの話だ。とにかく…地球の裏側から応援してる。頑張れよ」
 「くー兄ちゃんもね。それじゃ」
 いつもだったら名残惜しくて電話をぐずぐず引き延ばしたりもするのだが、今日はおそらくそれどころではなさそうなので、さっさと切った。
 九龍兄ちゃんに男の恋人、かぁ…。何というか…ちょっぴりショックだ。いや、恋人が男だってのがショックなんじゃない。ただ、ホントに恋人の存在を感じられたのが今が初だっていうだけだ。もちろん、俺は九龍兄ちゃんに恋心の類は一切抱いていないが、それでも俺を甘やかしてくれる存在に、他にも構わなければならない人がいる、というのが…何となく寂しいだけだ。単に、俺が甘えたなだけか、うん。
 「本気で…親離れの時期なんだなぁ、俺って」
 封札師ってのがどれだけ稼げる職業なのか知らないけど、仮にも国家機関の端くれらしいし、お給料くらい出るだろう。まずは、九龍兄ちゃんから自立する第一歩として、自分で稼いで生活するってのを始めてみよう。
 そうして、俺は部屋を見回した。
 九龍兄ちゃんから資金を貰って住んでる六畳一間の部屋には、荷物を詰めた段ボールが雑然と並んでいる。
 住所が決まったら、これを送って。
 今までの友達と別れるのは寂しいけど、また新しく友達が出来るのは悪くない。こっちの友達とも、俺がその気になれば会えるんだし。
 まあ、自分の性格から言って、わざわざ過去に戻って会う、なんてことはしないとは思うのだけれど。俺は愛は振りまくが、その相手はそこにいさえすればいいのであって、正直、誰でもいいのだから。
 愛を振りまいたら、愛が返ってくる。
 綺麗な色が、自分だけのものになる。
 それはすぐに消えてしまうから、俺はいつでもどこでも愛を振りまいて、その綺麗な色を補充しなくてはならない。
 今度の学校でも、俺に綺麗な色を見せてくれる人が多くいればいいんだけれど。

 できれば…俺が何も言わなくても、愛を向けてくれる人がいれば、もっと良い。
 まあ、そんなの、いるはずないけどね。



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