日常茶飯事



 俺は朝が苦手だ。
 厚いカーテンからは朝の光は射し込まない。
 高級マンション故に、防音もばっちりで隣の住人の音など一切届かない。
 尤も、今この階には俺しか住んでいないが……
 それなのに、忌々しい携帯の着信音が俺の眠りを妨げる。
 無視できるものなら、そうしたい。
 だが、着信音はクマのプーさんだ。
 絶対に出ないと、後が怖い。
 俺はベッドサイドに置いた携帯に手を伸ばした。
「よう、龍麻!どうした?」
 これ以上ないくらいの自分の明るい声が頭に響く。
 何度も言うが、俺は朝が苦手だ。
 朝からハイになれるわけもない。
 当然、無理してる。
「祇孔、あのね、俺、色々考えたんだ」
 いつもの声のトーンとは違う。
 俺は龍麻の声に全神経を集中させた。
「やっぱり、言うよ。別れて欲しいんだ」
 脳天気な龍麻とは思えない程、緊迫した様子に、俺は息を飲んだ。
 外から掛けているのか、電話の向こうでは賑やかな人の声がする。
「祇孔……別れてくれるよね」
 ほんの少し雑音が入ったが、「別れて」と言う聞きたくない言葉は耳に届いた。
 バカすぎる程ハイな龍麻が思い詰めて、電話してきた。
 余程のことなのだろう。
 だが、俺が初めて本気で好きになった相手だ。
 少しくらい足掻きたい。
「……理由くらい聞かせろよ」
「嫌いなんだ。何もかもが、見るのも嫌なくらい嫌い」
 躊躇いもせずに龍麻は速攻返した。
 ショックに俺は言葉をなくす。
「……それ程とはな。……わかった」
 俺は何とかそれだけ言って、電話を切った。
 フッたことはあってもフられた事などない。
 あまりに突然すぎて、まだ信じられない感が残る。
 同時に溢れる龍麻への想い。
 大事にしてやったつもりだ。
 何がいけなかったのか?
 自問自答を繰り返してみてもその要因は掴めないままで……
 尤も、あいつの考えが理解できる人間はいないだろう。
 ぶっ飛んでるから……
 に、しても話がぶっ飛び過ぎじゃねぇか?
 昨日は俺に好きだって言ってキスしてきた。
 今日は今日で「別れたい」だと……
 

 家でふて寝してるのにも飽きた俺は、気晴らしに皇神へ足を向けた。
 たまには外面だけはお上品で内心腹黒い連中と付き合うのも悪くない。
 そう思い、久しぶりに学園生活を満喫した。
 もちろん、そんな事くらいで龍麻を忘れるなど無理なのだが……
 放課後、皇神を出ると龍麻の氣を感じた。
 簡単に切れねぇとはわかっていても、未練がましい自分に辟易する。
 歩を進めると、その氣は俺にまとわりつくように後を追う。
 心なしか、足音まで聞こえ……
 ハッとして振り向くと、そこには無邪気に笑う龍麻が立っていた。
「……龍麻」
 別れたはずの龍麻は、何事もなかったように俺に笑い掛ける。
「晴明が祇孔、学校にいるって教えてくれたから来たの」
 来たのって……何、考えてるんだ?
「何だよ。傷心の俺を笑いに来たのか?」
 少し口調を荒げ言ってやる。
「小心……祇孔って小心だったんだ」
「何となく、お前が考えてる字は違う気がするぞ」
 きょとんと可愛らしい顔をして、龍麻は俺の側に寄ってくる。
「祇孔、俺、お腹空いた」
 それはどういう意味だ?
 俺と別れたいと言ったその口で、俺に甘えてくるとは……
「祇孔ってばぁ」
 俺の腕を取って振り回す龍麻を、俺はつい睨んでしまった。
 一瞬、龍麻は顔を強ばらせ、次いで顔を紅くして怒った。
「何だよっ!そんな怖い顔しなくていいだろっ!」
 逆ギレか?だが、俺が理不尽な仕打ちに怒ったとして、龍麻が俺に怒る理由などないはずだ。
「あんた、俺がどんな気持ちかわかってねぇよ。これでも本気で好きなんだぜ」
 俺の言葉に、龍麻は何を思ったか涙を溢れさせた。
「やっぱり……別れてないんだ」
 眼が溶けちまうんじゃないかって程、龍麻はポロポロ涙を零す。
 泣かせた事に、俺は自分でも情けない程、胸を痛める。
 否、傷つけられたのは俺じゃねぇのか?
 だが……惚れた相手の涙には弱い。
「龍麻…なあ、もう一度話し会おうぜ」
 優しく髪を撫でると、龍麻は俺の腕を振り払った。
「祇孔のバカッ!絶対に別れてくれなきゃ許してやらない!」
 龍麻は興奮気味にそう言うと、バタバタと走り去ってしまった。
 後を追い掛けようとして、俺は立ち止まる。
 さっき、龍麻は何て言った?
 別れてくれなきゃ許さない……だと。
 どういう意味だ?
 それは、俺が誰かと別れろってことなのか?
 一体、誰と?
 ったく、あいつが何考えてるのかさっぱりだぜ。


 色々、考えてみたが、結局は龍麻が別れて欲しい相手が誰なのかわからず、時間だけが過ぎていった。
 それでも、ほっておくわけにはいかないと思った俺は、龍麻の好きな苺のケーキを沢山買って、龍麻の家へと向かった。
 インターフォンを鳴らして待つこと数分。
 何度も鳴らしたが、龍麻は出てこなかった。
 合い鍵で中に入ってみたが、本当に留守のようだった。
 仕方なく、俺は携帯を鳴らした。
「龍麻、俺だ。今、どこにいるんだ?」
 龍麻は電話に出たものの、怒っているのか黙ったままだ。
「お前の好きな苺のケーキ沢山買ってきてやったから、一緒に食べようぜ」
「苺好き!今、翡翠の家にいるの。迎えに来て」
 ケーキで機嫌を直したのか、龍麻はいつもの口調に戻っていた。
 俺は、慌てて如月の家に向かった。
 店の扉を開くと、音に反応した龍麻が店の奥から飛び出してきた。
「ケーキ!苺のケーキ!」
 俺が手に持つケーキの箱に真っ直ぐに注がれる愛らしい瞳。
「やあ、村雨、龍麻がケーキを待ってましたよ」
 ケーキをと強調する辺り、嫌味な野郎だ。
「俺の龍麻が世話になったようだな」
 如月に見せつけるように龍麻の肩を抱いた。
「寂しい思いさせて悪かったな。じゃあ、行こうぜ」
 チラッと如月に視線を移すと、ほんの少し眉間に皺を寄せていた。
 勝ち誇った笑みを漏らしながら、俺は店を後にした。
 龍麻はといえば、ケーキにしか興味がないようで……
 俺は龍麻を自分のマンションに連れていった。
「龍麻、何飲む?やっぱり紅茶か?」
 ケーキの皿を出し、カップを暖めていると龍麻の悲鳴が聞こえた。
 俺は慌てて龍麻の側に駆け寄る。
「おいっ!どうした?」
 龍麻は俺に振り向くと、また涙を一杯に溜めた瞳で俺を見つめた。
「祇孔のバカッ!別れてくれてないっ!」
「ちょっ、ちょっと何のことだ?」
 龍麻が泣きながら指指す方を見ると、そこには如月から押しつけられたイグアナが眠っていた。
「まっ、まさか……龍麻と別れろって言ってたのか?」
「やだっ!何で、こんなのに俺の名前つけるんだよぉ!もう、知らないっ!祇孔なんか嫌いっ!」
 龍麻は捲し立てるようにそう言って、足早にキッチンに向かう。
 追い掛ける俺のことを無視して、ケーキの箱を引っ掴むと、玄関に向かった。
「ちょっ、ちょっと待て」
 俺は強行手段に出た。
 龍麻の前に回って、動きを封じる。
「どいてよ。俺、帰るんだから」
「……悪かった。ちゃんと別れる。如月に返す。だから、機嫌直してくれ」
 自分の腰の低さを情けなく思いながらも、俺は龍麻を宥めるのに必死だった。
「本当に別れてくれる?」
「ああ、俺が一番大事なのはお前だ。お前が嫌がることするわけねぇだろ」
 髪に手を触れると、龍麻はされるままになっていた。
 優しく撫でてやると、少し笑顔を取り戻す。
「……でも、今日は帰る。まだいるもん。いなくなったら、遊びに来る」
「わかった。今すぐ返しに行く」
 俺の言葉に、龍麻は感激した様子で更に顔を明るくした。
「じゃ、待ってる」
「ああ、直ぐ戻る。先に食ってていいぞ」
 満面に笑みを讃え、龍麻は部屋に戻ってくれた。
 俺はほんの少し愛着の沸いたイグアナの龍麻を連れて、如月の家に向かった。
 しかし、イグアナが嫌いだったとは……
 そんな素振り見せなかったから、わからなかった。
 が、考えてみると龍麻の前でイグアナに優しく触れた気もする。
 ああ見えて、嫉妬深いから、イグアナに俺を取られるとでも思ったのか?
 考えると愛しい龍麻の可愛らしい嫉妬に、俺は全てを許せる気になる。
 ああ、完全にいかれてるよな。


 如月にイグアナを返し、晴れて俺は龍麻と仲直りをした。
 もっとも、一方的な喧嘩のような気もするが……
 だが、俺の腕の中で寝息を立てる龍麻を見ていると、全てを許せる気になる。
 そっとその頬にキスすると、うっすらと眼が開かれる。
「ん…んん…祇孔」
 眼を擦りながら、起き上がる龍麻の身体を引き寄せ、俺は目覚めのキスを堪能する。
「んっ…んふぅ…」
 唇を離すと、龍麻は愛らしい瞳をくりくりさせながら、俺に甘える。
「もう朝?」
「いや、昼だ」
 俺の言葉に少し驚いた顔を見せ、龍麻は直ぐにお腹を押さえた。
「早く何か食べないと死んじゃう」
 死にはしないだろうと思いつつ、俺は合わせて言ってやる。
「ああ、じゃ、直ぐに美味いもん作ってやるよ」
 満足そうに笑う龍麻を見ると、どこまでも甘やかしたくなる。
 別れ話が誤解で良かった。
 そんな風にも思えてしまう。
 振り回されたことは、既に頭の中から消え去っていた。
 鼻歌混じりに、龍麻の為の食事を用意してると、無粋な侵入者が現れた。
 ベルが鳴って答えると、警備員から宅配業者が来ているとの知らせがあった。
 思い当たる節はないものの、中身が気になり通してもらうことにした。
 程なくして、インターフォンが鳴り響く。
「祇孔、俺出ようか?」
 答える間もなく、龍麻は俺のシャツ一枚の悩殺ものの格好で玄関に向かっていた。
「ちょっ、ちょっと待て」
 止めるのが遅く、龍麻はその格好でドアを開く。
 宅配業者の男は一瞬、言葉を失い、紅い顔で龍麻の足を見ながら、箱を手渡した。
 俺は龍麻を隠すように前に出て、箱を受け取り玄関脇に置いてある印鑑を押した。
「ああ、ご苦労だったな」
 早々にドアを閉めると、龍麻は箱を取り上げた。
「何?夏みかんかな?それともグレープフルーツ?メロンだったりして」
 嬉しそうに箱を乱雑に開ける龍麻に苦笑しながらも、好きにさせた。
 が、中から出てきた物に俺も龍麻も言葉をなくす。
 
 そこには俺が返したはずのイグアナがいた。

 このイグアナはあなたを大層気に入ってるようで、僕からでは餌も食べてくれません。やはりあなたに飼っていただくのが一番かと……
 如月の手紙と共に送られてきたイグアナは、また俺を受難の日々へと逆戻りさせた。
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ジーダの謝辞
春日野夢さまから頂いた、誕生日プレゼントです!!
何故にイグアナ!?
しかも、日常茶飯事!?
如月、それは故意の嫌がらせか!?
謎が謎を呼びつつも、情けない村雨さんが大変に愛おしい・・。
可愛い物を、ありがとう御座いました〜〜vvv

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