「ほら、とけちゃうよ。早くお食べ」
「あ…。ありがとう」
本来のつくりは輝くばかりの美形にもかかわらず、長い前髪ですこぶる魅力的な双眸を隠し、常に背景に溶け込んでひっそりとしている目の前の青年に、壬生紅葉はにっこりと微笑んでウェイトレスが持ってきたばかりのジェラートの皿を押す。ジェラートは勿論ロイヤルミルクティー、既にリサーチ済みの彼の好物だ。
はにかんでスプーンを取り落とし、もたもたとしている彼は緋勇龍麻。泣く子も黙る「黄龍の器」であるにも関わらず、あまり周囲に顧みられることがない不思議なヒーローである。揃いも揃って個性が強烈な真神四人組に引き摺られ、彼らの影でひっそりこっそりおっとりとしている彼の佇まいは、仕置きを生業とし、闇に隠れて生きる壬生にとって正に理想そのものであった。
じっと送る視線に気付くとかえされる、少し困ったような儚げな微笑み。自らの主張は一切せず(というか、挟む余地がない)、流されるまま任せるその身に背負ったあまりにも重い運命。しかし彼は何も口にせず、健気にすべてを受け止める……。
ああっ、切ない。(壬生紅葉、魂の叫び)
そんな龍麻の健気さに誰も気付かないなんて、世の中一体どうなっているんだ。柳生のみならず、こんな腐った世なら滅ぼしてしまえと思ってしまう。
皆判っているのか。戦いのあと、彼が自分の手を見つめてどんなに哀しげな溜息を吐くか。時にはその瞳から、涙すら落とすことがあるのだ。
あの雫がどんなに痛々しいか、一体皆は考えたことがあるのか?
ああ、龍麻、龍麻。君のことは僕が守る。
どんなことがあったって、必ず君を守ってみせるよ。
僕は君の「対龍」、君の半身なのだから……。
妄想モードでにやつく口元をコーヒーカップで隠しつつ、「それで、今日はどうしたの?」とさり気なく訊ねる。
本日は、人に自分から声をかけることが少ない龍麻がわざわざ校門で待っていてくれたという記念すべき日である。もっとも、壬生は龍麻の小動物のような警戒心をとくために、かなりの努力を日々費やしているのだが。
「あの…あの…。壬生、手先が器用だから、頼みたいことがあって…。迷惑かなと思ったんだけど、前に何でも頼って良いって言ってくれたから、あ、甘えて良いかなって思って…」
「勿論(←噛むようにゆっくりと発音)だよ。そんなにあらたまらなくても、僕は君の頼みなら何でもきくよ」
「……そんな……」
照れた龍麻が恥ずかしそうに微笑んだ。心臓と共にどこかがきゅんとしてしまい、慌ててさり気なく無駄に長い足を組む。
「それで、頼みって?」
「あの…えと…。にんぎょ……」
「人魚?」
「人形を……作って欲しいんだ……」
「ああ、人形」
何だそんなことかと納得半分、がっかり半分の壬生。
どうせなら「付き合ってください」とかそんな台詞が聞きたいのだが、などと恐ろしく自分勝手なことを思い描いた。
「どんな人形が良いのかい?男の子?女の子?それとも動物とか」
きわめて甘ったるく男の子だの女の子だのとやや首を傾げて言う壬生に、龍麻は頬を真っ赤に染めて俯き、制服のズボンの膝あたりをぎゅっと両手で握りしめた。その仕草があまりに愛らしく、壬生はそれだけで幸せゲージを一段階上げる。
「……あ、あの、男、の子っていうか……。ちっさいので、良いんだ……」
「小さかろうと巨大だろうと、一晩で作れるさ。大丈夫」
人形縫うのに貫徹する気なのであろうか。さながら「夜なべの悪魔」とでも呼ぶべき二つ名が似合う男、壬生紅葉。
「あ…ありがとう…」
龍麻がまだ顔は赤らめたまま、嬉しそうに目を上げてにっこりと笑った。ああ、この笑顔のためなら、僕は自由の女神の等身大人形だろうと作ってみせる、と壬生は決心する。
「あの…、男でね…」
「うん」
「帽子、かぶってて…」
「うんうん」
あ、可愛いタイプのやつかな、と壬生は想像する。
それならいっそ龍麻に似せて、彼にあげるものとは別に僕用のをもうひとつ作ろう。
「白い服を、着てて…。帽子も、白で…。靴も、白いけど、中のシャツは、青いんだ」
「うんうんうん」
白い服か。可愛いかもね。中のシャツが青いから、すっきりと夏っぽくすれば良いかな。それとも、もう直ぐクリスマスだし、雪をイメージしてふわふわの服を着せるというのも良い。
それで龍麻の髪の毛を一本こっそりともらって、僕用の方の人形に縫いこんでおこう。僕に似せた人形をひとつ作って…龍麻が白なら、僕は黒かな。中にはやっぱりパンヤにくるんで僕の髪を入れて、赤い糸で二つの人形を縫い合わせよう。想像するだけで身震いするね、ふふふ。
壬生のそら恐ろしげな想像を全く知らない龍麻は、真っ赤な頬のほてりに耐えながら、懸命に「人形」の特徴を言った。
「背中にね、赤い『華』って、縫い取りがあって…。あ、『はな』って、華麗の華、むつかしいほうの、『はな』で…」
「うんうんうんう……ん?」
……華?背中に、縫い取り……?赤い文字で……?
「でね、顎に、ちょっと、傷が、あるんだ……」
ちょっと待て。
それって、もしや。
「……龍麻?」
「えっ?え、な、何……?」
激しく動揺する龍麻。必死で特徴を述べることだけで頭がいっぱいで、突然遮られたことで混乱したらしい。
「さっきから聞いていると、その人形って、……たとえば、そうだね、村雨さんみたいな感じなのかな?」
「ふぁっ!」
妙に可愛らしい声をあげ、龍麻がこれ以上ないほどのピュアかつビビッドな色使いで赤面し硬直する。
一方の壬生は「たとえば、そうだね」の所で意味ありげな「ため」を使い、愛らしい小動物を追い込んだが、返ってきた反応で自分も一気に追い込まれてしまった。
もしかしてもしかしてもしかして(以下エンドレス)と渦巻き出した疑念で重くなる胃をさすり、今の声はとても色っぽかったよ龍麻…まるで食べてしまいたいくらいさ……と、眼前でふるふる震える美しき獣を見つめた。
「あの…あの…そうじゃなくて……。あの……」
魅惑的な瞳にじわりと涙が滲んできた。その顔は犯罪だよ龍麻、と、全身の筋肉を総動員して下半身に流れようとする血液を押し止め、
「だいじょうぶ、判ったよ。直ぐに作るからね、僕に任せて」
と精一杯の強がりを満面の笑顔で壬生は言ったのだった。
「村雨さーん」
皇神の校門で突然呼ばれ、村雨祇孔は振り向いた。村雨をみとめ、うっすらとどこか底意地の悪そうな笑みを浮かべて軽く手を上げた壬生が、相変わらず派手な上着だが、この人の夏服は一体どういうものなのだろう、やはり白いTシャツに「華」なのか?などと腹の底で考えているとは全く気付かない。
「何か用か」
「いえ。ちょっと良いですか」
突如使い捨てカメラを取り出した壬生、良いも何も村雨が答える間もなくパシャパシャと音を立ててシャッターを切った。
「……何してんだ?」
「いえ、それがですね」
前に回り背後に回りとあらゆる角度から写真を撮り終えた壬生が内ポケットに仕舞うカメラを訝しく見た村雨は、パッケージが女子高生に人気の子猫ちゃん柄仕様だと気付いて急にむず痒い気分になった。
「龍麻が、村雨さんの人形が欲しいって言うんで、作ってあげることになったんです」
「あん?」
思い切り眉を寄せて固まった村雨の顔を見、作戦成功と壬生はほくそえむ。なかばあがりかけた勝利宣言に気をゆるめてはならじと、間髪入れず駄目押しの第二撃をはなった。
「真神学園三年C組緋勇龍麻ですよ。まさかお忘れですか?彼、村雨さんのぬいぐるみを抱えて毎日寝たいそうなんです。他でもない黄龍の器のお願いですからね、もちろん引き受けて、参考の写真をこうして撮りに来たわけです」
さあどうですか村雨さん、と壬生は歓喜に震える己が背中を止めることが出来なかった。
同性に友情以上の好意を持たれたところで、普通の男なら困惑し迷惑だと思うのが関の山だろう。ならば敢えて龍麻の村雨に対する恋心を本人にばらしてしまい、村雨が龍麻を避けるように仕向ければ、ショックを受けた龍麻は自分を頼ってくることは目に見えている。そこですかさず彼を慰め全身全霊をかけて受け止めてやれば、もう龍麻は自分のものだ。
きっと龍麻はこちらを悶絶死させんばかりの可愛い顔で泣くに違いない。抱きしめた腕の中で肩を震わせ、堪えきれない嗚咽を零す背を優しくさすってやると、鼻の頭を赤くした彼は瞳を潤ませて僕を見上げるだろう。優しく微笑む僕は『大丈夫だよ龍麻。僕だけは君の味方だから…』と甘く囁いて、あの可憐な唇をそっと……。
「そいつは……」
幸せかつ身勝手極まりない妄想にどっぷりと浸かりかけた壬生を、ふと村雨の呟きが遮った。
判ってますよ村雨さん。そいつは困るとおっしゃるのでしょう?
そうでしょうそうでしょうそうに決まってますと現実に戻って視線を上げた壬生の微笑が凍りついた。
照れていたのだ。
「そいつは……光栄だな」
壬生は知らなかった。
千代田皇神学院高校三年参組村雨祇孔、華も恥らう十八歳。
斜に構える不敵な笑みも大人びた冷めた態度も、彼の本質ではなかった。
照れ屋で不器用でついでに無駄にガタイの良いこの青年は、臆病で優しくてやはり不器用な緋勇龍麻に、初めて会ったその時から共感し、好意を抱いていたのである。
惚れた相手が幸せならばそれで良いと思いつつも、貧乏籤をひいてしまうこの切なさ。あの掃き溜めのような歌舞伎町裏路地で、喚く真神四人組を宥め、おっとりとこちらへ向けた目を細めた龍麻の笑みを見た瞬間、村雨は周囲がふわりと照らされたような錯覚にとらわれた。
こいつは、俺と同類だ。
しかも俺なんかよりもっと桁違いの割に合わない思いをして、それでもこんなにいじらしく微笑んでいる奴なのだ。
惚れた。
惚れたぜ、ちくしょう。
この健気な微笑みを守ってやりてえ。
この村雨祇孔、あんたのためなら命も懸けるぜ。
そう、決心しちゃっていたのである。
「…先生に伝えてくれねえか。暇なら、たまには飯でも食いに行かねえかってさ」
心持ち頬を染め、制帽のつばを指先でちょいとつまんで照れくさそうに決めた村雨の横顔を、人生最大の大仕事で見事玉砕した不運な仕事人は、ただ立ち竦んで呆然と眺めるしかなかった。
ジーダの謝辞
棚からぼた餅的に頂いてしまったブツ。
最初読んだときは、「かーわーうーい〜〜!」と身悶えましたさ。
それぞれに微妙に勘違ってる3人が素敵です。
あ、うち来て小動さまのとこ行って無い方はいらっしゃらないと思いますが、
念のため、注釈。
『恋心』という龍麻→村雨さんなしっとりしたSSシリーズがあるですよ。
そのアナザーバージョンが、これです。