「寒いな……」 冷たい北風が顔を撫でていき、緋勇龍麻は思わず首を竦めて一人ごちた。 その片手にはレポート用に借りた本が数冊、束になっている。 故郷の北海道の大学で獣医になる為に進学して5度目の冬を数えようとしていた。 「緋勇君!!」 図書館を出て、そのまま校門へ歩いていた龍麻の後方から突然大きな声が飛んできた。振り返れば、同じゼミの学生である女性が龍麻に向かって手を振っている。 龍麻が立ち止まると、彼女は大急ぎと言った感じで走り寄ってきた。その人懐こい感じは、高校時代の同級生である桜井小蒔を彷彿させる。 「どうしたの?」 走ってきた彼女に常に変わらぬ柔らかな口調で問い掛ける。 「ねえ、今帰る所でしょう?ちょっと話があるから一緒に帰っても良い?」 快活な口調で言ってきた女性に龍麻は一瞬、戸惑った。なぜなら、彼女はその明るい性格と愛嬌のある笑顔で男子学生にも人気があるのを知っていたからだ。 (なんか痛い視線を感じるんだけどな……) 遠くから、妙に敵意を感じる視線を感じたものの、彼女が少し俯いて、寂しげな様子になったのにも気付いてしまった。基本的には人が良い龍麻はそんな様子を見てしまえば、断れなかった。 「……いいよ」 安心させるように穏やかな笑みを見せ、龍麻は彼女と一緒に帰路につく事にした。 帰る途中、彼女は大事な話があるからと言って、龍麻を喫茶店に誘った。 昔、アトリエだったという木造のその店は静かな、だが心地よい空間であり、龍麻は素直にその雰囲気を気に入った。 「へえ。良い所だね…」 建物同様、木の椅子に腰掛け、そう言えば、彼女は自分が褒められたように嬉しげな笑みを浮かべる。 「うん。私もすごくこの雰囲気が好きなのよ。それにコーヒーも紅茶も本格的だしね」 「そうなんだ。俺はどっちかと言えば紅茶の方が好きだから嬉しいね」 「それなら良かった」 ウェイターにメニューを告げ、暫く、二人の話題は提出期限が迫っているレポートについてだったが、龍麻の前にダージリンの紅茶が、女性の前にはアイリッシュコーヒーが運ばれてきた後、和気藹々としていた空気が変化した。 彼女が緊張した面持ちで本題を切り出してきたからである。 「あのね…緋勇君?」 「何?」 紅茶を啜りながら、穏やかな雰囲気を崩さない龍麻に彼女は僅かに躊躇いを見せたが、その言葉を告げた。 「私、緋勇君の事好きなの」 突然の告白に面を喰らったかのように動きを止めた龍麻だったが、静かに首を横に振った。 「ごめん……」 カップを置き、真摯な態度で謝罪の言葉を口にした龍麻に彼女は、キュッと唇を噛んだ。 「どうして……かな?」 顔を上げ、龍麻を見つめながら問い掛けてきた。 「俺、付き合ってる人いるから…」 その言葉に彼女は驚いた様子で眼を見開いた。今まで龍麻は恋人の存在がいる事など口にした事がなかったからだ。いつも、その手の話題になると笑って誤魔化してしまう龍麻に、様々な憶測は飛んでいたが、実際の所は誰も知らなかった。また、本人は知らないが龍麻の人気は男女問わず大学内でも凄まじい物があり、誰かが抜け駆けしようにも出来ない状況であったのだ。 「そう……、なんだ。恋人いるなんて初めて聞いた…」 ショックを受けつつ、ポツリと洩らした言葉に龍麻が苦笑した。 「そうだね……、今、側にいないから、あまり話したくなかったから、ね」 「側にいない?」 訝しげな態度に、龍麻は戸惑ったが、口を開いた。 「……うん。今、NYにいるから」 「NYって、遠距離もいいところじゃない!!」 思わず、大声をあげた女性に龍麻は唇を指に押し当て、静かにと示す。彼女はハッと辺りを見回し、店内の視線がこちらに向いている事に気付き、謝罪の意を込めて軽く頭を下げた。そうしてから、龍麻の方を見る。 「でも、そんな遠い所で恋愛出来るの……?」 呟く言葉に龍麻は一瞬、痛みを覚えて眼を眇めた。 「……うん」 寂しげに頷く龍麻に彼女は希望が捨てられなかったらしい。 「だって、あまり逢えないんでしょう?」 「そう、だね……。年に1回逢えればいい方だね」 「それじゃ、寂しいでしょ?」 「でも、決めた事だから」 真っ直ぐ、彼女の顔をあげ、龍麻ははっきりと言った。いつになくしっかりとした言葉に彼女が何も言えなくなる。 不意に龍麻の視線が彼女の顔から逸れ、窓へと向いた。 その瞬間。 ふわりと龍麻が微笑んだ。 「!!」 その笑みに彼女は息を飲んで龍麻の顔を凝視した。 普段から柔らかな笑みを浮かべている龍麻であるが、その笑みは今まで、見たことがない程に綺麗な笑顔だったのだ。幸せそのもの笑みに、彼女は顔が赤くなるのを自覚した。 (…っ。な、何!?この笑顔!!!) 初めて見る龍麻の満開の笑みに頬が紅潮し、絶句してしまった。 そんな彼女に気付かず、龍麻は窓に視線を向けたまま、口を開いた。 「初雪だね…」 小さな龍麻の言葉に彼女も窓へと視線を向ける。 チラチラと白い結晶が空から落ちてくる。 「冬になるね」 雪を見つめたまま、龍麻は愛しそうに呟いた。 「緋勇君……?」 龍麻の声音に彼女は不思議そうに名を呼んだ。 「アイツが好きな季節なんだ………」 その言葉を聞いた瞬間、彼女は自分に入る隙さえもない事を悟った。 満開の笑顔も愛しそうに呟く声音も。 たった一人の人間の為の物だと、見せ付けられてしまったから。 (敵わないじゃない…) 相手にもならない悔しさもあるけれど、それよりも龍麻の相手を想う気持ちがあまりに真っ直ぐで強くて、素直に失恋した事を認めてしまった。 恋人が好きな季節だからと言って、雪を見ただけであんな笑顔を見せられて、まだチャンスがあるなんて思えるほど馬鹿じゃないのだ。 「あー、もう!そんな幸せそうな顔しないでよ!」 けして怒ったわけではないけれど、少しだけ口調を荒くして、笑って見せる。 「雪を見ただけでそんなに惚気られるとは思わなかったわ!」 その言葉にに龍麻が顔を赤くして動揺した。滅多に見られない龍麻の紅潮した顔を見て、少しだけ胸がスッとした。 (滅多に見れないもの見れたからいいよね) 自分でそう納得して、伝票を持って席を立つ。 「あ、俺が払うよ」 そう言って伝票を取ろうとする龍麻に笑って言った。 「いいのー。振られた相手にお金を払ってもらうの癪だから」 強がった訳ではなく、素直に思った事を言うと付け加える。 「私を振るくら良い彼女なんでしょ?今度逢わせてね。振られた腹いせなんかしないから」 フフっと笑うと、じゃあねと言って去っていく。 それを龍麻は複雑な心境で見送った。 (彼女、じゃないんだけどね……) 龍麻より10cm以上身長が高く、胸板も厚く、顎には傷があって、無精髭を生やしていて……。どこを、見ても男である恋人を思い出す。 誰よりも大切な想い人。 遠く離れた地で自らの生きる道を歩んでいるはずの。 それでも高校を卒業し、共に渡米して2年間は一緒に暮らしていた。 それで良いと思っていた。 けれど自分の道を確立していく彼を傍らで見ていて、自分も進みたい道に行きたいと願った。ただ彼の側にいるだけでは、自分が駄目になるような錯覚さえ覚えて、今の道を選んだ。 ──俺の側に居るのが嫌になったのか 鼓膜の内で彼の言葉が蘇る。5年前、日本で勉強をしたいといった時、最初の一言がそれだった。 ──そんなんじゃない!今もちゃんと愛してるよ!でも、俺は!! ──嫌なら嫌だって言えばいいだろ! ──違う!!俺は、お前みたく自分の足で立って生きていきたいんだよ! 愛していると言う事と、自分で生きたいという事は少なくとも比例しない事を知った。 半ば、強引に帰国した後。 彼からは一度も連絡は来なかった。 駄目になるかもしれないと不安に思ったけれど、何度も何度も手紙や電話をした。 ──愛してる。 龍麻の気持ちに変わりはなかった。離れて暮らしていても、否、離れているからか、想いは募る一方だった。 返答が返ってきたのはちょうど初雪が降ってきた頃だった。 龍麻は外を見遣った。 純白の淡い結晶。 彼が好きな季節の到来を告げる儚い華を見ながら龍麻は愛し気に微笑んだ。 |
謝辞 茜様のサイトで2500を踏んで、頂いた「25歳になったら」ですvv 龍麻さんてば、惚気てるっvv 25歳になった二人は、独立しつつ、遠距離恋愛・・ 大変大人な関係です。 素敵だ・・。 北海道は、初雪だそうです・・。 日本て、長いよな・・。 茜さま、ありがとう御座いましたっ。 次の「お医者さんゴッコ」もよろしくっ(笑) |