タバコの匂いと、俺と、アンタと



 新宿の雑踏を、これと言った目的もなく、ぶらりぶらりと漂うように歩いていた村雨は、背後から呼び止められて、振り返った。
 「あら〜。村雨君じゃない。奇遇ね」

 真神の制服にストレートの黒髪、一重瞼に眼鏡の少女。
 特に親しいというわけではないが、知らない仲でもない。

 「真神のブン屋の姐さんか。先生が世話になってる」
 「龍麻には、稼がせてもらってるわ」
 ふふっと笑う顔は、本人はそのつもりがないのだろうが、何か企んでいるとしか思えない表情だった。

 「この間の号外も、よく売れたわよ〜?龍麻って、下級生の女の子に人気があるから・・」
 「・・・へえ・・・」
 何でも無さそうに返事はするが、内心、湧き起こるのは、不快の念。
 龍麻がもてているという事実にか、それとも、自分の知らない龍麻の姿を知っている、目前の少女に対するものかは、村雨自身にも判別できなかったが。

 無意識に顔を隠すように、ちょい、と白い学帽の鍔を下げる様子を、アン子が注意深く見ていた。
 「・・・気になる?村雨君」
 その満開のにっこりは、商売用の顔だろう。
 相手の思惑通りになっているのは承知しつつ、村雨は、敢えて乗った。
 「姐さん、何が欲しいんだい?」
 アン子は、パタパタと手を振りながら呆れたように言う。
 「あら、はっきり言うのね〜。でも、話が早くて助かるわ。・・ふふ、龍麻と、そう言うとこ、似てるのね」
 そうなんだろうな、と村雨は苦笑する。
 龍麻は、ギブアンドテイクの機会には意外と大らかというか無造作な所を見せる。
 ましてや相手が女性なら、自分が損すると思われる選択でもするだろう。
 今の村雨の場合は、単に駆け引きを楽しむ気分では無い、というだけだが。

 アン子はぐるりと周囲を見回した。
 「そうね〜。ちょっとお腹が空いたかな?」
 「奢るぜ。何が良い?和食なら、ここから近い、良い料亭を知ってるが・・」
 「やあね〜、そこまで奢って貰うことは無いわよ。そこの喫茶店で良いわ」
 「了解」
 村雨が太っ腹すぎて、却って気が引けたのか、アン子は控えめなところを見せた。
 いや、まだ注文してないから、控えめなのかどうか判らないけど。

 
 幸いにも、アン子が選んだのは、村雨でも違和感がない普通の喫茶店だった。
 「本当は、奢りなら、たくさん頼みたいところなんだけどね。ダイエットが大変になるから・・」
 メニューと睨めっこをしつつ、アン子がパフェだのケーキセットだのを頼む。
 ウェイトレスにホットコーヒーとだけ、言った後、沈黙が続く。

 アン子が頬杖をついて、村雨を睨め上げた。
 「・・・急かさないの?」
 「カードを持ってるのは、姐さんだぜ?開きたいときに、開いてくんな」
 「さすがね〜」
 嘆息しつつ、急にぴくっと眉が動いた。
 悪戯っぽく口元を笑みの形に吊り上げつつ、アン子は殊更に柔らかく言う。
 「あたしが食べるだけ食べて、バイバイする可能性があるって、龍麻から聞いてない?」
 試すような物言いに、村雨は苦笑した。
 学帽を無意味に指先で回しつつ、
 「先生からは、姐さんは信用できるって聞いてるがな。情報面でも、商売面でも」
 「あら、嬉しい」
 言葉の割には、アン子の顔は、妙に悔しそうだ。
 どうやら、村雨をからかって遊びたかったらしい。

 「ま、いいわ。何が聞きたいの?村雨君」
 「何が・・・って、特に、何かってこたぁないんだが・・・。先生は、学校では、どんな感じなんだ?」
 「そうね〜、ま、あのまんまだけど・・・」
 言いかけた時に、ウェイトレスが来た。
 「いがぐりパフェ、キャラメルカプチーノ、ブルーベリーパイ、抹茶ケーキ、マンゴープリン、ホットコーヒー、以上でご注文の品はお揃いですか?」
 アン子の前に甘そうな品々が並ぶ。
 欲しくもないコーヒーをぐるぐると回しながら、
 「アイスは溶けるだろ。先に食っちまっていいぜ」
 「ホントに、太っ腹ね、村雨君て。京一に見習わせたいくらいだわ〜」
 聞いて、村雨は顔を顰める。

 それより、と、アン子が、長いスプーンで、村雨を指した。
 「あたしも聞きたかったのよ。龍麻は、何で、村雨君を選んだんだと思う?」
 
 そんなことは、自分の方が知りたい。
 龍麻曰く、可愛かったから、だが・・・その理由で納得できようはずもない。
 まず最初に、躰から始まってると言うのも、些かセクハラ気味だ。
 
 ここは、とぼけることにして。
 「そんなに、意外かい?」

 「まあね」
 アン子はすっぱりはっきり言い切った。
 「正直なところ、龍麻は、自分でも『女の子の方が良い』って言ってたし。仮に、男を選ぶんなら、霧島君か、如月君あたりだと思ってたわ」
 ぴくっと、村雨のこめかみが引きつった。
 「そりゃまた、どういうわけで?」
 平然と言ってのけているようで、声がやや上擦っている。

 ひょっとして、龍麻は、あいつらを好評価してた、とか・・・
 あいつらと特に仲が良かったとか・・・
 これが、蓬莱寺、とか言われたなら、まだ判る。
 同じ真神の人間だ。
 いつも行動を同じくしている分、仲良く見える。
 何故、霧島と、如月?

 「ほら、龍麻って、匂いにうるさいじゃない」
 当然、村雨も知っているとの前提で、アン子が言った。
 「夏なんて、凄かったわよ〜。『汗臭い!京一、寄るな!!』で、発剄。京一は、窓から飛んでいったわ・・・」
 3−Cは3階の筈だが。
 「『醍醐!ポマード付けすぎ!匂いはシャットダウンだ!』で、雪連掌。醍醐くんは、凍って、みんなを涼ませてくれたし」
 他に言い様はないのか。
 「さすがに、女の子相手には、技は繰り出さなかったけど、体育の後、女子が制汗スプレー使ってたら、次の授業が始まってから、『耐えられん!俺は屋上に行く!!』って、堂々とエスケープ」
 隣のクラスにまで、響き渡ったのか。
 「そして、極めつけは、アレよ。あの事件は、我が新聞部が、後世に伝えることにしたわ。
  題して『犬神先生、押し掛け女房される事件』。
  犬神先生に向かって、『授業の前にタバコを吸って来るとは何事か!!』って。犬神先生が、授業前に吸ってるんじゃないって言ったら、『白衣に染み付いてるのか?俺はな〜、タバコの匂いだけは、本っっ当っに、大っっっ嫌いなんだ!!』で、やっぱり授業をエスケープ。
  放課後、生物準備室に忍び込んで、犬神先生の白衣を盗み出して、鼻を摘みながら、レスリング部の洗濯機で5回くらい回した挙げ句に、消臭スプレーを1缶分振りかけたの」

 はは・・は・・・と反射的に愛想で笑ってみたが、どうにも虚ろな感じは否めない。
 そう、村雨は、龍麻がそこまで匂いに敏感だとは知らなかった。
 『村雨、タバコ臭い』と顔を背けられても、キスを避ける照れ隠しくらいにしか思っていなかった。
 (まじぃ・・俺の服も、思い切りタバコ臭さが染みついてるぜ・・
  ひょっとして、俺って、嫌われる要素、大?)

 村雨が心中であせっているのを知ってか知らずか、アン子は、生クリームを舐めながら、締めくくった。
 「だから、龍麻の仲間では、匂いが薄そうな霧島君か如月君かなって。霧島君は、爽やか好青年だし、如月君は、何か水っぽい感じだし」
 なんだ、その『水っぽい』って。
 「だから、龍麻が村雨君選んだって聞いて、びっくりしたのよね〜。村雨君って、男臭いっていうか、たばこ臭いっていうか、絶対、龍麻が嫌がるタイプなんだもの」

 そうか〜・・男臭いのも駄目なのか・・。
 整髪剤も、もっと匂いの少ないタイプに替えるか・・。
 そういえば、歯を磨いた直後にキスしたら、歯磨き粉臭いって嫌がられたっけか。
 制服は、一旦クリーニングに出して・・。

 頭の中で、やるべき事がぐるぐる回る。

 心なしか、顔色の薄れた村雨に、アン子はご馳走様でした、と両手を合わせる。
 いつの間にか、食べ終わっていたらしい。

 「それで?何が聞きたいんだっけ?もてもて龍麻くんの巻?」
 なんだかもう、これ以上聞きたくない様な気も、ちょっぴりしてきているのだが。
 無言で、どうぞ、と手を出す村雨に、アン子がにやりと笑う。
 「大丈夫よ、村雨君。龍麻は、もてもてで、みんなのアイドル状態だから、気を付けるのね、と言いたいところだけど・・。
  単に、本当の意味のアイドル(偶像)としてもててるだけだから。
  これが、京一とは、違うところなのよ。京一はもてるって言っても、女の子が二人きりになったら、ナニされるか判らないってとこがあって、遠巻きに騒がれてるって感じだけど、龍麻は龍麻で、安全株としてもててんの。二人っきりになっても、絶対手を出してこないって言うか・・。
  恋に恋する乙女達のアイドルだから、あの子達と付き合うって事は、まず無いわ」
 男としては不名誉なもて方かも。
 判らなくもないが。
 腕っ節はともかく、龍麻は、見かけは全く威圧感がない。
 その上、徹底的にフェミニスト。
 恋する相手としては格好だが、確かに、そういう『恋に恋する乙女達』は、本当に告白することもないだろう。

 「その子達は、号外、読んだのかい?」
 「よく、売れたわ〜」
 満足そうに、アン子は微笑む。
 「反応は、真っ二つに割れたわ。
  片や『いや〜!!緋勇さんが、そんな人だったなんて〜!不潔よ!!』。
  片や『障害のある恋を貫かれたんですね!緋勇さん・・私たちは、貴方に味方しますから!!』。
  ちなみに比率は、7対3よ」
 その比率が多いのか否かは、よく判らないが。
 
 しかし、と村雨は首を捻った。
 龍麻は、あの記事に噛んでいたようだが。
 その子達にも読まれるのを承知の上での行為だったのだろうか。

 「一部の子達は、龍麻に新聞片手に詰め寄ったの。
  緋勇さん!これって本当のことですか〜!!って。
  龍麻がどう反応したと思う?」
 「そうだねぇ」
 数瞬、考えるが、脳裏にその光景が、今まさに眼前の出来事であるかのように展開される。
 「ま、あの人のこった。あっさり認めたんだろ」
 「ご名答。龍麻って、時々、バカみたいに正直だから。質問にも逐一丁寧に答えてたわよ。
  『あのっお友達と一緒に住まれてるってだけですよねっ?』
  『え?いや、それが、肉体関係は無いんだろうって質問なら、答えはNOだけど』
  さすがに、途中で割って入ったわ。あの分だと、村雨君のサイズを聞かれても答えそうだったし」
 何のサイズだ、何の。
 「そりゃあ・・・世話になったな、姐さん」
 女に頭を下げるのも、男の度量の一つ、と弁えている村雨は、アン子に頭を下げた。
 端から見ていると、普通の女子高校生に、ヤクザ紛いの大男が頭を下げているのだ。
 さすがにあからさまではないが、店の内外からちらちらと視線を感じて、アン子が慌てて手を振った。
 「ちょっと・・やめてくれる?村雨君。・・・それより、ね」
 
 にっこり、と満面の笑みで。

 「続報を待ってるファンの皆様がいるのよ。もうちょっと、話、聞かせてもらえる?」



  


 
 がちゃ、と音を立てて鍵を開け、玄関で靴を脱いでいると、奥から、龍麻が顔を覗かせた。
 「お帰り」
 龍麻は、余程、手が放せないときを除けば、こうして、出迎えを欠かすことはない。
 そうやって、躾けられてきたらしいが・・・何とも言えずに、可愛い態度である。
 ありがとう、香川の養父母、と心の中で感謝すること、しきりであった。
 「ただいま、先生」
 この『ただいま』と言うのも、良いものだ・・としみじみ味わう。
 そして、何ということは無しに、近寄ってきた龍麻に唇を寄せかけて・・・ふと、顔を背けた。

 「?」
 きょとんとして、龍麻が見上げる。
 「あ、いや、その・・・」
 タバコ臭いだろ?と手で口を押さえながら。 
 「うん。それより・・・」
 頷いた龍麻の眉が、ぴくりと跳ね上がった。
 村雨の学ランを掴み、くんくんと鼻を鳴らす。
 「・・・アン子の匂いがする」
 
 おいおい、と村雨は呆れる。
 警察犬並の嗅覚だ。アン子は、さほど、きつい香水を付けていたわけでもないのに。
 浮気は絶対に出来ねぇな、と少しばかり背筋の寒い思いがよぎる。
 まあ、する気もないが。
 「あぁ、姐さんに街でばったり会ってね。ちっとばかり、話を聞かせて貰った」
 「何の?」
 眉を顰めたまま、龍麻はイヤそうに短く言った。
 その様子に、村雨は肩をすくめる。
 「大したことじゃねぇ。アンタが、タバコの匂いは嫌いだ、とか、な」
 「・・・知らなかったか?」
 「好きじゃねぇのは、知ってたが、それほどとは思ってなかったぜ」
 「何、聞いたんだか」 
 小さく舌打ちする。
 しかし、龍麻は、村雨から身を離そうとはしない。
 やんわりと押しやろうとすると、不機嫌そうに目が光った。
 「嫌い、なんだろ?さっき、吸ってきたから・・・」
 「平気だ」
 駄々っ子のように、村雨の学ランを握りしめて。
 「俺が嫌がるから、わざわざ外で吸ってきたんだろう?・・・それが、嬉しいから・・・いいんだっ!」
 村雨の、胸ぐらを掴んで引き下ろし、噛みつくように唇を合わせてきた。
 実際、帰ってくる直前に、一階のエントランスで吸ってきたのだ。
 まだ、タバコ臭さは濃密に残っているだろうに、龍麻は強引に割って入ってくる。
 普段は、絶対に自分からはしない龍麻が、何とか自分の意志を伝えようとしているのを感じると、途方もない幸福感が、身を浸す。

 とはいえ。
 しばらく、舌を絡めた後、村雨は、断固として龍麻の躰を離した。
 「嬉しいんだがねぇ。だが、俺としても、アンタが不快になるこたぁ、したくねぇんだ」

 うぅ、と龍麻が唸る。
 「俺は、確かに、タバコの匂いは嫌いだ。頭痛くなるし、吐き気する。
  だけど・・・お前の匂いだから、別に、イヤじゃない」
 怒ったように言い捨てる様に、村雨は、目を細める。
 「俺は、タバコは好きだ。何より、吹かしてると落ち着く。
  だが、アンタが嫌がるのを押してまで、吸うほどのもんじゃねぇ」

 睨み合っているように、火花を散らした視線が、どちらからとも無しに、笑いに変わる。
 「吸ってても良いよ、タバコ。好きなんだろ?」
 「吸わねぇよ、アンタの前では。嫌いなんだろ?」

 タバコを好きな村雨の意志を尊重したい龍麻と。
 タバコを嫌いな龍麻の意志を尊重したい村雨と。

 「平行線か」
 「平行線だねぇ」
 お互い、他人と暮らすのは、初めてだから。
 不器用でも、何とか生活を摺り合わせていくしか、しょうがない。

 「ま、うがいでもしてくるぜ。続きは、その後、たっぷりと、な」
 「馬鹿者」
 微かに頬を染めた龍麻を背に、洗面所に向かう。
 『ライ○ンタバコ歯磨き』も、今日までか、と思いながら。


 


 ところで。
 またしても、アングラで売りさばかれた『真神新聞号外〜M氏の語る緋勇龍麻との新婚生活』は、一部2000円と値上がっていたが、かなりの数が捌けた上に、他学区の女子学生からも問い合わせがあったと言う。
 村雨の『これで、龍麻にちょっかいかける女が減れば・・・』という目論見とは裏腹に、
 「頑張って下さい!緋勇さん!応援してます!!」
 「???はあ・・・?」
 妙なサポーター軍団が、龍麻の周囲を取り巻くことになったのだった。
 


あとがき

 前半、『龍麻さん以外の相手には、余裕で格好良い村雨さん』を目指して、見事玉砕しました(笑)。
 結局、龍麻さんに関することには、からっきし弱いことが、再確認されただけ。へたれな村雨さん推奨。(←開き直るし)


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