その日、いつも通りマンションの外でせっせとタバコを吹かしてから、村雨は帰ってきた。
匂いがイヤだという龍麻のために、更にブルーベリーガムまで噛んで帰るという念の入れようである。
ちなみに、何故ブルーベリーガムかというと、龍麻が山ほど買って来て渡したからだ。まだ、『ブルーベリーは目にいいんだ作戦』は続行しているらしい。
本当は、こんな甘ったるいガムなんか噛みたくもないのだが、龍麻のためなら仕方がない。
と、そこまでして帰ってきたというのに。
「お帰り、村雨。今日から、禁煙を命ず」
迎えに玄関まで出てきた龍麻は、にっこりとそう言うのだった。
「・・・アンタ、俺がタバコ吸っててもいいっつったじゃねぇか」
「あのときは、あのとき。俺は知識を得て、レベルアップしたのだ」
誰が、そんな余計な知恵を付けたんだ・・と村雨は心の中でだけ嘆いた。
リビングで、龍麻はリモコンを操作して、ビデオを最初から再生した。
地味な音楽で出現したタイトル画面は、『日本医師学会〜世界禁煙デーに際して』。
「5/31が世界禁煙デーだったんだってさ。それで、如月がビデオに撮ってよこした」
きーさーらーぎー・・・。
「これを見ると、A.ビアズの悪魔の辞典に載ってる『タバコ:国家が国民に売りつける毒』というのがよく分かるぞ。こんな習慣性がつくものを国家が販売しているというのは、税収のための悪略だな」
あ〜、染まってる、染まってる。
今まで『タバコは身体に悪い』くらいの知識しかなかったものを、数字やグラフで説明されると、『タバコとは絶対悪である』というところまでいっちゃったらしい。
如月が、なにゆえそれを目論んだか。
単純明快、村雨は龍麻の前で吸うタバコ量が減った分、如月宅で吸う量が増えたからである。
直接村雨に『タバコを控えてくれ』と言わずに、龍麻を使って搦め手から来るところが、どうにもえげつない。
まあ、龍麻を洗脳したら、村雨に直接言うより成功する、と思われてるこのバカップルぶり(というか嬶天下?)にも問題があるのだが。
「というわけで、禁煙だ、村雨」
龍麻の笑顔は、大変ににこやかであった。
「・・本数減らすってことで、手を打たねぇか?」
無駄な足掻きを試みるも、
「いや、苦しむ期間が延びるだけなんだってさ。ニコチンの軽いタバコも、かえって最後まで深く吸おうとして、ニコチン以外の有害物質を吸い込むことになって良くないんだと」
にこにこと押し切られて、タバコの箱及びライターを取り上げられる羽目になった。
恨むぞ、如月。
ひっそりと復讐計画を思い浮かべつつ、村雨は、深く深く溜息を吐いた。
いらいらいらいらいらいらいらいら・・・・
腕を組んで、もう何個目になるかも分からないガムを口に放り込む。
「普段、『俺はニコチン中毒じゃねぇ。やめようと思えば、いつでもやめられる』と豪語していた割には、随分と苦しそうだな」
ちらっと村雨を見やって、しかし興味なさそうに、また雑誌に目を戻す。
ちなみに、すでに2日目の夜となっている。
1日目の夜は、まあ別段何も感じなかった。
2日目の朝も、まあまあ平穏。
しかし午後を過ぎたあたりから、何ともいえない内臓の不快感と苛立ちが、村雨を襲っていた。
ニコチン中毒者にとって、ニコチン切れはかなりの苦痛を伴う。
そのため、禁煙志望者にはニコチンパッチなるニコチン含有の貼り薬もあるのだが、いかんせん18歳では購入もままならない。
それゆえ、ひたすらタバコを我慢するのみとなっているのだった。
ともすればタバコをくわえたくなる口には、代わりにガムで紛らせて。
イライラするのは、どうにか龍麻の前で醜態を曝したくない、という理性だけで何とか抑え込み。
それでも、指先がとんとんとせわしなく不規則に鳴らされ、集中できずに視線が彷徨う様を見ると、村雨がどんな状態なのかは一目瞭然であったが。
「しかし、まあ、なかなか良くやっていることは認めてやろう」
普段は気にならない尊大な言い方が癪に障るあたり、よほど余裕を無くしているのだろう。
龍麻は寝転がっていたソファからゆっくりと身を起こし、村雨の傍らに腰を下ろした。
「ご褒美だ」
何事か、と顔を向けた途端に、キス。
数秒後に、唇を離した龍麻が、かすかに笑った。
「口寂しくなったら、キスしてやる。気が紛れるだろう?」
「・・そりゃそりゃ、サービスのいいことで」
本当は、口が何となく寂しいという理由でキスするなんざ、村雨祇孔の男が廃るってもんだが、『いらねぇ』とは言い切れないのが実に苦しい。
いい加減ガムにも飽きたところだ。ここは素直に協力して貰おう。
というか、龍麻はそれを楽しんでいるようだから、意地を張って拒否することは無い。
「ガムもな、多少はカロリーがあるんだから。そんなもん四六時中食ってたら、太るぞ」
参考までに、タバコをやめて太る理由。
1.口寂しいため何か食ってカロリーアップ。
2.傷んでいた味蕾が復活するために、食事がおいしく、つい食べ過ぎる。
3.胃腸の働きがよくなるため、消化吸収が良い。
まあ、『健康状態に戻るだけ』と言えば、それだけの話なのだが。
そのため、健康状態に身体が慣れたら、また体重も元に戻る(カロリー摂取と運動のバランスがよければ)。
てなあたりのことをビデオから吸収した龍麻は、村雨が一時的にでも太るのを阻止したいようだった。
別に村雨の健康状態を心配してのことではない。
単純に、村雨の体重が増えると、自分が重いからである。
いつ、どこで?とは聞かない方がよろしい。
「なら、あれか?運動すりゃいいんだな?」
手を龍麻の肌に滑らせながら、村雨はにやにやと笑った。
何を考えているのかは、大変にはっきり分かる行動だった。
ふと眉を顰めた龍麻だが、別段抵抗する気もないらしく、自分も村雨のシャツに手を伸ばした。
「ま、気分転換は重要だと言っていたし。付き合ってやるよ、ニコチン中毒患者」
そんな感じで、1週間。
そんな感じってことは、つまり、龍麻の献身的なご褒美というか、身体で釣ったというか、まあそういう感じで。
ともかく、村雨は目出度くニコチンからの離脱に成功した。
「いやあ、これで我が家がタバコ臭くなることもなく、脂が付いて黄色くなることもなくなるということだ。実にめでたい」
今回の仕掛人、如月翡翠はにこやかに茶をすすった。
恨めしそうにそれを見て、村雨は呻った。
「・・・まあな。結果的にゃ先生に不快感を与えることも無くなって良かったんだがな」
「そうとも、感謝したまえ」
はっはっはと高笑いする如月に、龍麻は首を傾げてみせる。
「でもなー、何となく、村雨からタバコ臭さが無くなると物足りないというか、刺激が無くなるというか・・キスの味一つとっても違うしな」
途端、如月のこめかみに青筋が立つ。
それを見て、村雨は、ぽん、と一つ手を打った。
「そこまで、俺の身体を心配してくれたとはねぇ。いや、本当に感謝するぜ、翡翠ちゃん」
ウィンクまでされて、如月の背筋を、ざわざわと毛を逆撫でるような不快感が這った。
「い、嫌がらせか、村雨!しかし、甘いな、この程度で・・・」
確かに、村雨の嫌がらせ程度では、ダメージを受ける亀ではない。
が。
柳眉を逆立てて、龍麻が如月と村雨の間に割って入り、村雨の膝の上に乗っかるとなると。
村雨の首っ玉に囓りつくようにしがみついて、威嚇するように如月を睨む。
『これは俺のだ〜!』と全身からオーラを出している。
今現在、龍麻の頭の中では、『如月=敵』と認識中。
「た、龍麻、僕はそんなつもりは毛頭・・・!」
慌てて言い訳しようとしても、龍麻は鼻の頭にしわを寄せて、上目遣いに睨み付けている。
いやまあ、それはそれで可愛くはあるのだが。
「・・・村雨さん。自爆気味の嫌がらせですね・・」
ひっそりと我関せず状態で事態を見守っていた壬生が、そう指摘した。
龍麻を使ってされた嫌がらせは、龍麻を使って返す。
それが一番効果的なあたり、どうも情けない紫龍組である。
まだ青ざめておろおろしている如月を後目に、村雨は腕の中の龍麻に聞いた。
「で、そう言えば、何だって禁煙させたかったんだい?やっぱ副流煙がどうとかで受動喫煙が身体に悪いからか?」
村雨の身体がどうとかじゃなく、自分の健康を損ねると知っての行動かと思ったが。
「70歳の時点で、タバコを吸ってない人間は80%くらい生きてるのに対し、喫煙者は50%しか生きてないらしい。そして、俺は、やたらと長生きしそうなのだ」
何たって、<氣>を統括する黄龍の器さまだから。
そして、龍麻は少しばかり目を逸らした。
「・・まあ70歳になっても、まだこんな不適切な関係にあるとは思ってはいないが、それにしても、俺を置いて死ぬのは許さない」
ちょっとばかり虚を突かれて、村雨は言葉を失った。
不適切云々は置いておくとして、確かに男同士の関係で『共に白髪となるまで』とは思ってはいなかった・・というか、将来のことなんて考えてもいなかったのだが。
どうやら龍麻は村雨が先に死ぬことを恐れているらしい。
村雨は、大きく息を吸って、吐いた。
「俺は運が良いんだぜ?大丈夫、ずっと生きてるさ。何だったら、アンタがヨイヨイになっても介護してやるよ。何せ、隅から隅まで知った身体・・・」
龍麻から顎に、如月から背中に、壬生から後頭部に打撃を受けて、村雨は沈黙した・・というか沈没した。
「何を言うか!言っておくが、僕もその頃生きているとも!貴様だけに龍麻の世話はさせん!」
その自信はどこから出てくるのだ。
「僕は・・まあ、職業柄、死んでる可能性が高いですが、『憎まれっ子世に憚る』と言いますからねぇ。意外と生きてそうですね」
薄命そうでいて、強かに生き残っていそうな気も、確かにする。
とどめに、龍麻が高らかに笑った。
「この俺が、ヨイヨイになぞなるか!まだ貴様の方がなりそうだわ!」
異常に自己回復能力の高い身体だから、きっとガンにもならずに健康なまま長寿を誇りそうだ。
「ま、お前の世話くらい、してやるけどな。知らない身体じゃないからな」
にやりと笑って、龍麻は村雨にキスをした。
永遠にこんな関係が続くとは思っていないけれど。
だけど、この人を置いて、早死にだけはしませんように。
信じてもいない神様(帝釈天様?)に祈って、村雨は、龍麻を抱き締めた。
これ以降、村雨がタバコを吸うことは無かった。
あとがき
うーん、何か、ノリが悪い・・やっぱ、ボケボケの時に打つもんじゃないな。
微妙に、説教くさいし(笑)。
お解りかと思いますが、私、非喫煙者で、タバコキライです。
頭痛くなるんだ、匂いだけで・・。
てことで、喫煙者の皆さん、タバコは体に悪いです。止めましょう。
本当に医師会による禁煙推奨番組はNHKで放送されましたが、
サッカー開幕日の23時から。
・・見てもらう気ないんかい!!
本当は、見せたくないんだろ、政府のために!!
良い番組くらいゴールデンタイムにかけろよ〜。
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