合い鍵2



 「明日の晩は、絶対、来るな」
 盛大に欠伸をしながら、龍麻は言った。
 かなり気怠そうな声である。
 それもそのはず、今晩も何回戦かやらかした後だからだ。
 まあ、それはともかく。
 当然、村雨はぴくっと片眉を上げ、妙に作ったような優しい声音で囁いた。
 「そりゃまた、どうしてだい?」
 普通の神経の持ち主なら、背筋を冷やしただろうが、生憎、龍麻にそんな持ち合わせはなかった。
 「お前に言う必要は無い」
 冷たく言い放って、ベッドに潜り込む。
 その傍らに身体を伸べながら、村雨は言い募った。
 「どこかに行く用でもあるのかい?それとも・・・誰かのところに泊まる・・とか?」
 「くどい」
 一言で切って捨てて、龍麻は目を閉じた。
 村雨は、いっそ白状するまで責め苛んでやろうか、と手を伸ばしたが、せっかく最近、悪くない間柄になったのだから、と思い留まる。
 それでも、疑問だけが頭の中を渦巻き、これは眠れそうにないな、と諦めたように溜息を吐いた。



 さて、翌日。
 村雨が如月骨董品店に向かって、さりげなく探りを入れてやろうとしていた頃。
 龍麻は、村雨のマンションに来ていた。
 貰っていた合い鍵でドアを開け、するりと中に入り込む。
 何度も来たことのある他人の家ゆえ、遠慮なく靴を脱ぎ、玄関の灯りを点した。
 「さて・・・と」
 無意味に呟きながら、まずはキッチンに向かう。
 「えーと・・・コーヒー・・コーヒー・・」
 飲むわけではない。龍麻はコーヒーは苦手なのだ。
 苦手なゆえに、村雨が望むコーヒーがよく分からず、忍び込んで銘柄を確認するつもりなのだ。
 「・・・俺は、別に、村雨に取り入ろうとしているのではない。単に、この完璧な俺が、知らないことがあるのが気に入らないだけだ」
 誰が聞いているのでもないのに、ぶつぶつと言い訳しつつキッチンをごそごそと。
 しかし、意外と村雨は整頓好きなのか、きっちり仕舞われていて見つからない。
 「しょうがないなぁ・・・」
 キッチンテーブルの前に座って、目を閉じ、集中する。
 <氣>の流れを感じ取り、巻き戻し・・・村雨が「ここ」で生活する様を「見る」。
 本当は存在しない男が目の前を横切り、シンクの上の棚を開けた。
 「・・・あ、そこか」
 「村雨」は、コーヒーミルを取り出し、それから振り返ってしゃがみ込み、扉の内からコーヒーの袋を取り出す。
 「そういえば、あそこだった気もするな」
 呟きながら、龍麻は幻影と同じように、棚を開けた。
 「えーと・・・」
 手帳を取り出し、コーヒーミルとコーヒーの銘柄をメモに取る。
 他にも何か・・と考えかけたとき。
 (龍麻)
 幻影の男が囁いた。
 ばさっと思わず手帳が床に落ちる。
 (コーヒーより、アンタの・・・が飲みたい)
 背後から、抱きすくめられ、耳元をくすぐる声。
 ゆっくりと、手が胸を這う感触が、まざまざと甦る。
 慌てて首を振って、そこから飛び跳ねるように離れ、イスに腰を落ち着けた。
 「・・・あんのエロオヤジ!」
 こぼす端から、また男の気配を感じ取る。
 (平気か?)
 テーブルに押し倒され、足を割り開かれ・・・自分でそこに押し倒したくせに、固い下を気遣って、腰を抱き寄せられる。
 くしゃくしゃになるテーブルクロス。
 上から押し込むように貫かれ、逃げることもできない。
 滲む視界に、天井のライトがぼけて、ぴんと伸びた足の爪先がゆらゆらと揺れる様も同じくぼやける。
 (龍麻・・・龍麻・・・)
 火傷しそうなほどに、熱い息。
 自分で感じているのだと思うと、ささやかな勝利感と、それを上回る欲情が、身体を駆け巡る。
 耳に、はっきりと、自分の上げる甘やかな苦鳴が聞こえた。
 
 「・・・・・馬鹿野郎・・・・・」
 テーブルに突っ伏して、真っ赤な顔で悪態を吐く。
 改めて考えるまでもなく、ここは村雨の生活する場であり、従って、どこよりも色濃く村雨の<氣>で満ち溢れていて。
 キッチンのテーブルの上、それから、座っているイス、あるいはシンクに向かって背後から・・・どこもかしこも、抱かれた覚えのある場所ばかり。
 自分が呼び起こした<氣>のせいとはいえ、あまりにも濃厚な気配に、たまらず逃げ出した。

 しかし、逃げようにも、リビングに行きソファの上に座れば、そこで押し倒されたことは数え切れないほどあるし、また、その下の毛足の長い絨毯に埋もれるように寝そべった覚えもあるし。
 リビングからドアを開けて逃げ込んだ先は寝室で、これもまた入るまでもなくベッドの上には睦み合う妖しい幻影が焼き付いたようにはっきりと残っているし。
 廊下に出て、他のドアを開けようにも、浴室はかなりの危険地帯。
 最後の砦のトイレ・・と言いたいところだが、先日そこでも遊ばれてしまった。
 いたした後、浴室で洗ってやるというのを丁重にお断りしたところ、トイレに運ばれて、便器に跨がされ、ウォッシュレットで内部を丁寧に(といえば聞こえは良いが、執拗に、とも表現できる)洗われ、結局自分だけいかされた上に、蓋を閉めた便器の上でやられる羽目になり・・。
 「思い出してる場合か!」
 龍麻は宙に向かって真っ赤な顔で叫んだ。
 いったん外に出ようと玄関で靴を履きかけて。
 (帰したくない)
 また、ざわりと背筋をくすぐる声。
 (帰るなよ、なぁ、龍麻)
 低く掠れたように囁かれる声は、微妙に懇願口調。
 普段自信満々な男に、そんな風に言われると、なんだか弱くて、つい抵抗の手が止まって。
 玄関先の廊下で。
 あるいは、玄関のドアに向かって。
 (大丈夫・・だって。聞こえやしねぇよ)
 さすがに扉一枚隔てた先は、人が通る外だと思うと、声を噛み殺さざるを得ないのに、不埒な男は、噛んでいた手を取り上げ、わざと龍麻が感じるところを突き上げる。
 新聞受けに腰掛けるように乗せられて、ドアに挟まれるように貫かれ。
 両足は空中を引っ掻き、仰け反った頭がドアに当たると、その音が外に響きそうで一瞬正気に戻る。
 それでも何とか声を殺そうと足掻けば、楽しそうに笑った男は、口づけて嬌声も悲鳴も吸い取った。
 
 玄関のドアノブに手をかけている数瞬に、一気にそれだけの記憶がリピートして、ぼんやりとした自分に「馬鹿野郎」と唱える。
 

 その頃の村雨。
 如月骨董品店には、いつものメンバーがいて、どうやら彼らと約束があるのでは無いらしい、と胸を撫で下ろしていた。
 しかし、ならば、何だって自分を来させまいとしたのか。
 単純に、身体がもたない、ということなら良いんだが・・と、考えつつ、適当に言い訳して如月宅を辞去した。
 怒られるのを覚悟で、龍麻のマンションに行ったなら。
 主の不在に、またしても疑惑がむくむくと沸き上がる。
 学生鞄も制服も無いところを見ると、学校から帰ってもいないらしい。
 さて、一体どこに行ったのやら。
 雨紋・・劉・・フェイントとして紫暮の道場・・思いつく順に電話をかけても、どれも返事は同じ。
 まさかとは思うが、一人で裏校舎に行ったんじゃ・・と急に不安になり、懐の札を確かめつつ、真神学園に向かう村雨だった。


 その頃の龍麻。
 「・・・尻が痛い・・・」
 玄関を背に、廊下に座っているのだが、さすがの高級マンションも、廊下のカーペットはそんなにふかふかではなく。
 ずっと座っていると、尻は痛いわ、だんだんに寒さが染みわたってくるわで、ろくなことがない。
 「くっそー・・何やってやがるんだ!俺がいないとなると、いきなり夜遊びしてんのか!?」
 帰ってこない主にぶつぶつ文句をこぼし。
 通りがかる他の部屋の住人に不審そうな目を向けられて、思わず愛嬌振りまくにっこり笑顔で会釈しながら、龍麻は腕時計を見やった。
 「・・・あの馬鹿、マジで夜遊びか!?」
 多分、この時間は、村雨にとってはまだまだ宵の口なんだろうけど、龍麻にとっては十分夜中であった。
 さりとてここまで待ったのだ。
 思いっきり恩を着せてやろう、と、また目を閉じた。


 そうしてようやく。
 村雨はぼろぼろになってマンションに帰ってきた。
 一人で潜れる限界まで挑戦してしまって、気力体力アイテム全てが枯渇状態。
 それでも見つけられなかった『恋人』に思いを馳せつつ、マンションのエレベータから足を踏み出して。
 自分の部屋の前にうずくまる影に気が付いた。
 「・・・龍麻!?」
 その声に、のろのろと面を上げた龍麻は、最高に不機嫌な声を漏らした。
 「遅い」
 「い、いや、だってよぉ・・・アンタ、まさか、ここにいるなんざ思っても・・・」
 条件反射のようにとりあえず言い訳しつつ、村雨は龍麻が立ち上がるのを手伝った。
 「う〜・・尻が痛い・・・」
 ぎしぎしと関節を軋ませつつ、どうにか立ち上がった龍麻がぱたぱたとコートの裾を払う。
 その間に玄関を開け、龍麻を導き入れた。
 「ちっと待て。エアコン点けるから・・・いや、先に風呂に入った方が温まるか?」
 慌てて部屋に飛び込み、リモコンを点けざま、風呂のスイッチも入れる。
 ポットの湯温を確認して、龍麻用紅茶を入れて、振り向いた。
 龍麻はコートも脱がずに、ぼーっと立っている。
 「どうした?先生」
 「なんか・・今になって、寒さが身に凍みてきた・・」
 暖かい室内に入って、余計に身体が冷えていることに気づいたらしい。
 「アンタ、合い鍵渡してるよな?」
 「持ってる・・一回は入った・・」
 紅茶の入ったカップを渡しながら、村雨は心底不思議そうに首をかしげた。
 「あん?じゃあまた何だってあんな寒いとこで待ってたんだい?」
 「・・・お前の驚く顔が見たかったから」
 それは、何故『そこ』なのかではなく、何故『待って』いたかの答えであったが。
 「連絡してくれりゃ、速攻で帰ってきたのによ」
 「・・だから、俺の家に来てすれ違うのを避けるために、来るなと言ってあっただろう」
 凍えた指先でカップを持って、ふーっと息を吹きかけて冷ます。
 こくん、と喉がなるのをじっと見つめていた村雨が、どこか上擦ったような声を上げた。
 「まさかとは思うが・・・アンタ、今日、泊まりに来てくれたのかい?」
 「・・・せっかくの合い鍵だから。いきなり来て待ってると、お前がさぞかし驚くだろうと思ったし」
 「別の意味で驚いたぜ、俺は」
 何で、部屋の中で待たずに外で待っていたのやら。
 だが、わざわざ予告(随分と遠回しだが)してくれた上に、泊まりに来てくれるなんて、なんと可愛らしいことをしてくれるのか。
 感激した心の命ずるままに、村雨は龍麻の手からカップを取り上げた。
 非難の目で見上げる龍麻の手を暖めるように握り、唇にはキスを落とす。
 「・・・幸い、風呂の湯もまだ入ってねぇことだし。手っ取り早く、俺が暖めてやるってのはどうだい?」
 「・・・・・・・・幸いって何だ」
 呆れたように呟きつつ、龍麻は目をしばたいた。
 潤んだような瞳と、赤くなった鼻の頭が、妙に可愛らしく、村雨は、駄目と言われても、俺はやる!と密かに決心して、顔中にキスを降らせながら、コートのボタンを外し始めた。
 肩からするりとコートが落ちる。
 ふるっと龍麻の身体が震えた。
 「・・・寒い」
 「だから、暖めてやるんだろ?」
 抱きしめた腕の内で、龍麻はかすかに笑った。
 それを見て、村雨は、龍麻の瞳が潤んでいたのは寒さのせいではなく、自分と同様に欲情していたのだと知る。
 「ベッド行くかい?」
 「・・ここでいい」
 絨毯の肌触りが気持ちいいから、と龍麻は囁くように答えた。
 ま、こんなふうにして、何枚も絨毯を駄目にしたのだが(それはまあ、二人分の何やら何やらが飛び散るので)、惜しむことなく高級な絨毯を買っておいて良かった、と村雨は思うのだった。


 そうしてまたしてもリビングの床に始まりベッドに終わった翌朝。
 朝食をベッドに運んで、村雨は龍麻の髪を撫でた。
 「マジで、嬉しかったぜ、龍麻」
 「・・・いつもと同じこと、しただろう」
 いや、そこが嬉しいんじゃなくて。いや、めっちゃ可愛くって、<ぴーっ>やら<ばきゅーん!>やらまでさせて頂いて、それはそれで嬉しかったのだけど。
 「アンタが泊まりに来てくれたのが、嬉しいっつってんだよ」
 「別に、泊まったのも、初めてじゃ無いと思うが?」
 「アンタが、泊まりに来てくれたってとこが、良いんだって」
 村雨は、握り拳まで作って力説する。
 これまで泊まったことがあるとはいえ、それは夜いたした後、何となく帰るのは面倒くさいって理由であって、わざわざ泊まることを前提に訪ねてきてくれたのは初めてなのだ。
 龍麻は枕に顔を埋めるようにしているため、表情は見えない。
 だが、機嫌の悪そうな声の割には、満更でもないのは、何となく伝わってきた。
 だから、村雨は屈んで耳元に口を寄せた。
 「これからも、どんどん泊まりに来てくれよ」
 そしたら、いきなりがばっと龍麻が起き上がった。
 「来ない!」
 「・・・あ?」
 「ぜーったい!もう、一人でこんなとこに来るものか!」
 よく見れば、うっすらと紅潮して叫ぶ龍麻の意図が分からず、村雨は首を捻った。
 
 問いたそうにしている村雨には気づいていたが、龍麻は枕を齧ってひとしきり呻った。
 絶対、絶対、口を割るものか!
 ここは村雨の<氣>に満ちていて、まるで、部屋中に犯されているみたい、だなんて。
 一人でいても、村雨の気配に抱かれているみたい、だなんて。

 しかも、しかも、それで、欲情してしまった、だなどと!!

  ぜ〜〜〜っったい!知られてなるものか〜!!


 知られるくらいなら、自分のマンションに村雨が住む方がマシだ!と、妙な決意をする龍麻だった。



あとがき
今頃、『合い鍵』の続き(笑)。
エロシーンダイジェストというか。
先着一名さまに、気に入った場所でのフルエロシーンをプレゼント!(嘘です)


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