3/10。 「先生、3/14は明けとけよ。一緒にメシでも食いに行こうぜ」 その一言は、実に何気なしに言われた。 龍麻は、わかった、と流しかけてから、首を捻る。 村雨と龍麻は、あまり、約束を交わしたことがない。 適当に、その日の気分によって、外食したり、出かけていったりする。 それをわざわざ日にち指定で、約束を取り付けるというのは、『何か』がある日だ。 3/14って、何だっけ・・・と考えて。 「うっわ、ホワイトデーか。すっかり忘れてた。お返し、買ってないや」 慌てて身を起こす龍麻に、村雨は、幸せを感じて優しく答えるも。 「先生、俺へのお返しなら、必要ねぇぜ?アンタがいればそれで・・」 「誰が、お前へのお返しで、悩むか」 すっぱり切って捨てられる。 龍麻は上着のポケットから手帳を取り出し、ぶつぶつと呟き始めた。 「俺、結構、女の子からも貰ってんだよ。うっわー、やっべぇ」 ひとしきり、覚え書きを数えた龍麻は、顔を上げて、村雨に聞いた。 「なぁ、何か決まりがあったよな?好きならクッキー、嫌いならマシュマロ、とか何とか。あれ、地域によって違ったりしてたよな〜。それで、痛い目にあったこともあるんだが・・こっちでは、どんな感じだ?」 「知らねぇよ」 言いざま投げつけられたクッションを投げ返しながら、龍麻は苦笑する。 「拗ねるなよ」 「拗ねてねぇだろ」 また投げられたクッションを受け取って、今度は村雨に歩み寄る。 胡乱そうに見上げる村雨の顔、上半分にクッションを押しつけ、唇には素早くキスを落とす。 「モテモテな龍麻様を、射止められて、幸せだねぇ、村雨クンは」 軽く唇を押し当てただけだったのに、村雨の手がしっかり頭に回されて。 結局、目の辺りにクッションを挟んだまま、しっかり深いキスをすることになる。 「でもさ」 ようやく、クッションは落として、お互いの目を見交わし合う、という『良い雰囲気』のところで、龍麻はまじめな声で元の話題に戻した。 「俺があげたチョコ、結局、紅葉が作ったヤツだしさ。お返しなんて、いらないんだけど」 「そう言うと思って、メシにしたんじぇねぇか。・・・いいだろ、メシくらい」 物品ではなく、その場限りで無くなる食べ物なら、そんなに気兼ねしないだろう、という村雨の言い分は判らなくもないが。 なにせ、村雨の金銭感覚は、龍麻のそれとかけ離れているのだ。 メシ、なんて単語からは到底、考えも付かないような豪勢なフルコースが出てくる可能性が高くて。 却って、困るんだよなー、と龍麻は嘆息する。 一体、自分は何をお返しすればいいのやら。 それこそ、『モノ』は、何でも持ってる村雨である。 かといって、村雨が言うところの『龍麻自身』も勘弁して貰いたい。 てーか、『ワタシがチョコレート』をバレンタインにやって、ホワイトデーに『ワタシがお返し』は、あまりに芸がない。 村雨が、かねてから希望していたもので、物品ではないもの。 心当たりは、色々とあるが。 いや、×××ネタとか、○○○○○を使うとか、△△とかは、ちょっと自分からは言いづらい。 となれば。 龍麻は、もう一度、嘆息した。 3/11。 時に、昼休み。教室にて。 窓の外を眺めつつ、なにやらぶつぶつ呟いている龍麻に、京一が声をかけた。 「ひーちゃん、何やってんだ?昼飯食おうぜ」 振り返った龍麻の顔は、やや疲弊が滲み出ている。 「あぁ、京一か。・・○○○○」 「・・・・・・・・はい?」 一般的には、昼日中に、集団の中で口にすべきでは無い単語が、龍麻の口から発せられた。 それも、割合、普通の音量で。 周囲の人間が、思わず振り返る。 が、龍麻の顔には、何の変化も無いところを見て、聞き違いだったか、とまた、各人のおしゃべりに戻った頃。 「だからな、××××。△△△。○○○○○」 今度こそ、教室の空気が凍った。 「ひひひひひひ、ひーちゃーん!!」 「何だ、うるさいぞ、京一」 「そそそんな言葉は、大きな声で言うもんじゃねぇだろ!?見ろ!醍醐なんか、固まってるぞ!!」 ちらり、と茹でダコな友人を見やって、龍麻は難しい顔で腕を組む。 「・・・何が、恥ずかしい?」 「何がって・・・恥ずかしいだろ、普通!」 「それが、わからん。仮にだ。実際、○○○○がここで行われたとする。それは、確かに、恥ずかしいかも知れない、と百歩譲って、認めてやろう。だが、実際には、ここには何も無いわけだ。なのに、何が恥ずかしいのだろう?」 龍麻は真剣である。 真剣ではあるが、何かが、ずれている。 いや、『ずれて』いるというか『はずれて』いるのかもしれない。 常識的には、恥ずかしい。 普通なら、恥ずかしい。 そう言うのは簡単だが。 相手に、その『常識』や『普通』が通じなければ、一体、どう説得すればいいのか!? 蓬莱寺京一の脳裏には、小学生の時に使った道徳の教科書が、浮かび上がった。 『約束を破っては、いけません』『お父さん、お母さんを大切にしよう』・・・ ・・・・・不発。 京一の頭では、龍麻を説得すべき言葉が、思い当たらなかった。 「えーと、じゃあ、ひーちゃん。それが、恥ずかしくないとして。なんで、突然、そんなこと言い出したんだよ」 どうにか、話題を変更したいという京一の願いは、極まっとうなものではあったが、変更されているのかどうかは、微妙なところであった。 「・・・・恥じ入る、というのは、恥ずかしいことだ」 難しい顔のまま龍麻は、真剣に言う。 「照れる、とか、恥ずかしいなどという感情を露わにするのは、自分の弱さをさらけ出すことだ。ゆえに、俺は、鍛錬の結果、並のことでは恥じ入らない剛胆な精神を培ってきたつもりだ」 どんな鍛錬だ。 剛胆な精神ってそういうのと違う。 そもそも、最初から何か間違ってるぜ、ひーちゃん。 京一の頭を、数々のセリフが舞う。 が、口にしないあたり、多少は学習能力があるということだろう。 「・・・それで?」 「そう、いわゆる『口にするのも恥ずかしい言葉』は、俺にとって、なんら恥じ入るべき原因にはなり得ない。・・・なのに!!!」 いきなり、龍麻は机をどん、と叩き、天井を振り仰いだ。 悲愴、とも言える表情でありながら、頬が赤く染まっている。 それが、『照れ』だということに京一は気付いて、戦慄した。 「なのに、何故・・・俺は、あんな単語が口に出来ない!?一般的には、恥ずかしくないと思わしき、あの単語だけが!!」 「えーと・・・」 くっと唇を噛み締め、目を閉じている龍麻に、京一は、おずおずと声をかけた。 「ひーちゃん・・一体、どんな単語だ?それ・・・」 あの、龍麻でさえ口にすることが出来ない単語とは一体!? 好奇心が沸き上がった京一を責めることが出来る者は、誰もいないだろう。 「そ、それは・・・・だああぁぁぁぁあ! 言えるくらいなら、苦労せんわ〜〜!!! 秘拳!黄〜龍〜!!」 照れ隠し黄龍が、教室内を吹き荒れた。 そう、誰も、京一を責めることは出来ない。 ・・・が。 後ほど、京一は、クラス中の人間の非難を浴びる事になる。 人生とは、かくも理不尽。 「だから、俺は、攻略法として、一般的に『恥ずかしい』とは何か、『恥ずかしい単語』は何故『恥ずかしい』のかを、考え・・・・おい、聞いてるか?京一」 「き、聞いてまふ・・・・」 床に転がっている京一の背を踏み踏みしながら、言い募る龍麻の背から、相変わらず疲れたような声がかけられた。 「緋勇・・・ちょっと生物準備室まで来い・・・」 「犬神か・・・獣○。後○位。バター・・・」 「貴様・・人の顔を見て、何を連想しておるか・・・」 「いや、失礼。・・緋勇龍麻、今すぐ出頭いたします」 マリア先生がいなくなってからは、犬神がこのクラスの担任も兼ねているのだ。 もう卒業間近だというのに、『あんなもん』の担任にまでなる羽目になって、その苦労は計り知れない、と近頃、同情票急上昇中の犬神である。 いや、それはともかく。 生物準備室で、龍麻は神妙に座っていた。 「教室内で、あまり不穏なことを叫ぶな・・」 一応教師らしく注意する犬神に、龍麻は真剣な顔で口を開いた。 「犬神・・先生。一応、無駄に長生きだけはしていると見込んで、聞きたいことがあるのだが」 それが、人にモノを尋ねるときの態度か。 「犬神・・先生には、口にするのも恥ずかしい単語、というのはあるか?」 いちいち、犬神・・の後に間が空くのは、心の中では呼び捨てしているせいだろう。 しかし、無礼千万ながらも、生徒が教師にモノを尋ねているのだ。 犬神は、渋々と答えた。 「まぁ・・・・無いこともないな」 「そうか・・・さぞかし、人間離れした単語なのだろうな・・・」 龍麻は、しみじみ言って、腕を組む。 「あ、いや、内容を聞きたいわけではないので、心配するな。というか、聞きたくない」 「貴様・・・人を何だと・・・」 殺気さえうっすらと纏う犬神に、龍麻は、素知らぬ振りで呼びかけた。 「犬・・神先生」 ・・・先程と、『間』の位置が、微妙に違う。 「俺は、とある単語を、口にしたい。・・だが、何故かその単語が、恥ずかしくて言えんのだ」 「・・・・・・・・・・・」 どうもそうは思えなかったものの、どうやら、本気で相談を持ちかけていたらしい。 犬神は、ふぅっと溜息をついた。 説教するのは簡単だが、むしろ、これは、さっさと追い払った方が、精神安定上よろしい。 そう判断して、おもむろに、口を開く。 あぁ、タバコが吸いたい、と痛切に思いながら。 「・・・それは、どうしても、言わねばならんのか」 「いや・・・べ、別に、言わねば東京が壊滅するとか、そういう類の単語ではないのだが・・・まあ、できれば・・・」 龍麻にしては珍しく、視線が泳いでいる。おまけに、頬に朱が差して、指先がありもしない膝のけばを毟っている。 一体、どんな単語が、この緋勇龍麻をしてここまで恥ずかしがらせるのか。 好奇心が無くもないが、それを言ったら蓬莱寺の二の舞だ、と犬神は、別方向へ転じた。 「・・同音異義語か、似た言葉を唱えてみる、というのはどうだ?」 「え?」 「仮に『緋勇』という単語だったとする。それを『緋勇』と言う代わりに『比喩』とか『雌雄』などと言ってみるというのはどうだ?同音異義語があるなら・・・そうだな、仮に『葵』とすれば、代わりに『青い』と言ってみるんだ。要は、自分を如何に騙すか、だな」 「な、なるほど・・・」 納得したのか、龍麻は、ぶつぶつと呟き始めた。 犬神は、コーヒーを一口飲んだ。 「・・・もういいだろう。行け。教室で、騒ぎは起こすなよ」 「わかった。礼を言う」 一礼して、意気揚々と立ち去る龍麻を見送って、犬神は、タバコの箱をごそごそと探し出した。 (さて・・・あれで、旨くいくものだろうか・・・) 3/12。 英語の時間。 突如、奇声を発して、教室から飛び出す緋勇龍麻の姿があった。 そして、階段を駆け下り、職員室に飛び込む。 「い、犬神・・・先生!」 「・・・・何だ、緋勇・・・・」 「な、なんだか・・・あ、あ、あ、あれの同音異義語だと思うと・・・今まで、平気だった単語まで、恥ずかしくなってきたぞ!!どうしてくれる!!」 真っ赤になった龍麻に、がくがくと揺すぶられて、犬神は、一瞬意識が飛びかけた。 「くそう・・・どうすればいいんだ!?後、3日しかないのに!!」 「・・・締め切りがあったのか?」 「3/14までだ!」 そうか、と犬神は、明るい展望を見た気がした。 とにかく、それまで乗り切れば、この『困ったちゃん』は落ち着くらしい。 「緋勇。その単語は、何文字だ?」 「え?さ、三文字・・・」 思い浮かべるだけで、ぽっと頬を染める龍麻に背筋を冷やしながらも、犬神は教師らしいアドバイスをした。 「では、今日は、頭文字だけ、明日は2文字、3/14には三文字とも、という風に、段階を追ってみてはどうだ?」 「そ、そうか・・・やってみる」 ふうっと、龍麻は大きく深呼吸をした。 「・・・・し・・・・うわあああああ!秘拳・・・!」 「職員室で、奥義を放つのは止めろ〜〜!!練習するなら、外でやれ〜〜!!」 ついに、犬神は、牙を剥き出して、龍麻を放り出した。 これほどまでに、卒業の日が待ち遠しいことはない、としみじみ思った犬神だった。 さて。 こんな具合で、周囲に照れ隠し黄龍をぶっ放しつつ迎えた3/14日。 「・・・飲み過ぎだぜ、先生・・・」 タクシーから龍麻を引きずり出しつつ、村雨は呆れた声を出した。 「こりぇが、飲まずに、いられりゅかってのぉ・・・ひっく」 フルコースは、龍麻の予想通り、二人で10万円という代物であった。 出てきたワインを一口飲んで、おいしい、と言ったら、村雨は平然と、一本50万円、なんて恐ろしいことをほざいた。 いや、値段を聞いて、飲みまくった訳じゃなくて。 村雨にもたれかかるようにして、部屋まで戻った龍麻は、ソファにぐてっと座り込んだ。 これから、アレを口にするのかと思うと・・・これだけ酔ってても、まだ足りない気さえしてくる。 「ほら、先生、水」 村雨からグラスを奪い取って、うぅ、と唸る。 「むらしゃめぇ!ちょっとここに、ひっく!しゅわりなしゃい!!」 自分の足下の辺りを指さす。 村雨は、はいはいと言いつつ、そこにあぐらをかいた。 「なんだい?先生」 「むらしゃめぇ!俺は、おかえしは、用意してないの!」 「あぁ、いいぜ。それは、最初から・・・」 「黙って、聞けぇ!!」 「へいへい」 「へいへい、じゃあにゃ〜い!!」 龍麻は、がしっと、村雨の両肩に手を置き、目を合わせた。 そのまま、口はぱくぱく動くが、なかなか言葉が出ない。 酔いだけではなく、顔がどんどん朱に染まっていく。 「・・・・先生?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・し・・・・・・・」 どうにか、歯の合間から音が漏れ出る。 黙れ、の意味の『しっ』かと思って、村雨は黙って、次の行動を待った。 「・・・・・し・・・・・・・・・・・・・・し・・・・・・・・・・」 もはや、龍麻の顔は、耳まで真っ赤だ。 襟から覗く首筋までほんのりと染まっている。 「・・・?」 さすがに、村雨も、龍麻が何か言おうとしていることには気付いた。 (『愛してる』?じゃあねぇわな。この人は『愛してる』なら、ここまで恥ずかしがるこたぁ・・・『し』で始まって、恥ずかしいって・・・) 「アンタ、まさか・・・」 「黙ってろってばぁ!」 ひょっとして、思い当たることを尋ねようとしたが、速攻で口を塞がれる。 「・・・し・・・・・・・し・・・こ・・・・・・・・・」 一歩前進。 しかし、目まで瞑って、真っ赤な顔で震えながら言われると・・・なんだか、滅茶苦茶に卑猥な単語を言わせている気がしてくる。 襲いかかりたい気持ちを、ぐっと堪えて、村雨は次を待った。 「し・・・・・し・・・こ・・・・」 先程から、延々これの繰り返し。 いつまで待てば良いんだ、といい加減焦れた頃、龍麻が、ぱちりと目を開けた。 泣き出しそうな目で見られて、危うく村雨は、『もう良いから、イタダキマス』となりかけて、いや実際、腰を浮かせたが、龍麻の視線は自分を向いていないことに気付いて、それを追った。 龍麻が見ているのは、時計。 23時57分。 そう、もうじき、日付が替わる。 3/14ではなくなる。 もう一度、龍麻は、ぎゅっと目を閉じた。 そして、目を開いて。 潤んだ瞳で、村雨を見て。 「・・・しこぉ・・・」 ・・・・キた。 来る、と分かっていたものが来たのに、結構、キた。 いやもう、祇孔、とは発音が違うだろう、とか突っ込む気もない。 むしろ、その酔ったせいかちょっぴり鼻にかかって語尾を延ばした言い方は、俺ぁ『祇孔』の読みは『しこぉ』に改名してもイイってくらいには感動した。 「・・・龍麻」 「お、俺、一応、考えて、村雨が、前から希望してたから・・・だから・・・」 段々、語尾が小さくなってきて、恥じ入るように目を伏せて。 村雨の脳裏を、あぁ、もう畜生!今晩はノンストップ銀河超特急だぜ!!とか訳の分からないテロップが横切っていき。 結局、いたすことは毎晩変わりなく、いたすのであった。 翌朝。 「おはよう、龍麻♪」 これ以上は無い!というくらいに上機嫌な村雨に起こされ、龍麻は、のろのろと身を起こした。 「おはよう、・・・・・し・・・・・・・村雨」 「何だ、『祇孔』って呼んでくれないのかい?」 「もう、ホワイトデーじゃない」 素っ気なく言い捨てるのを、うっすら染まった目元が裏切っている。 「そうかい、そうかい」 あっさりと、だが楽しそうに引き下がった村雨を、龍麻は数瞬見つめ、まあいっか、と思い直す。 喜んでくれたのは、大変に嬉しいが、やっぱり、俺には向いてない、と呼び方を変える気は無くした龍麻だったが。 これ以降、さんざん達して気絶しかけで眠りに落ちるとき、その正気と昏睡の微妙な狭間においてのみ、『しこぉ』と甘えるように応えるようになったのが、村雨の密かな楽しみとなったのを知る由もないのだった。 |
あとがき ホワイトデー・・いえ、何かの記念モノでこのネタをやろうと思ってたんです。 龍麻さん、意識しすぎ(笑)。 それにしても。 高校3年生のこの時期に、もう授業は無いか(笑)。 いっそ、卒業してるだっけか〜・・・まあ、いいや。 それはそれ、これはこれってことで。 |