パチンコ






 漆黒の鎧をまとったような<虫>が、ぎちぎちと牙を鳴らした。
 「仕方がない。お前たちを食い殺して、朝にでもここから出るとしよう」
 歪んだ声が、かろうじて人間の言葉を紡ぐ。
 だが、村雨の期待とは裏腹に、降りてきたりはしない。村雨だけならともかく、黒衣の2者が直接攻撃タイプであることが悪魔にも分かっているのだろう。
 虫の口から黒い何かが吐き出される。
 それを難なく避けた村雨は、足下の床にそれがへばりつき、見る間に硬化していくのを横目で確認した。どうやら獲物を逃げられないように粘液で自由を奪うつもりらしい。
 「本気で『昆虫』だな」
 呟く村雨に、いつの間にか息がかかるほど近くにいた緋勇が答えた。
 「虫なら属性は土行だね。…やだな、俺の属性も土行なんだ。あ、ちなみにレクイエムもね」
 混沌とした氣だと思ったのだが、どうやらきっちり属性持ちの攻撃らしい。
 「あんたも五遁なのか?」
 返事は期待せずに、村雨が言う。体の方はスピードを増した虫の粘液避けに忙しい。
 「いや、術士じゃないんだけどね。一応五行に分類されてるって言うか」
 「ララバイ、お喋りが過ぎるよ」
 「そう?」
 「そうだよ」
 拳武の2人の方も、極々普通に世間話でもしているような調子ながら、舞うようにひらひらと動いていた。
 業を煮やしたのか、壬生が壁を蹴りながら天井へ近づく。体が空中にあり、粘液を避けられない地点を見計らって、黒いものが襲いかかった。
 「以気為盾、阻(気を以て盾と為す、阻め)!」
 村雨の手の中の小さな札が組み上がり、壬生と粘液の間を阻んだ。逃れた壬生はようよう射程距離に収めた悪魔に、脚を振り下ろそうとした。
 「鎮魂歌を聴くが良い…」
 狙い違わず虫の頭部に靴がめり込む。いくら硬質な甲殻に守られているとはいえ、氣で貫かれればひとたまりもない。もしくは柔な繋ぎ目から千切れ飛ぶ…かと思われた。
 だが、壬生の足に潰した感触は無く、天井に靴裏が触れるのを感じた。
 確かにそこにあった虫の頭は、小さな虫の塊と化し、再びざわざわと集まろうとしていた。
 天井から舞い降りた壬生が、舌打ちをする。
 「巫炎」
 緋勇が天井へ向けた掌から、青い炎が一直線に放たれる。それは、一瞬虫の表面を焼いたが、すぐに消え失せ、内部まで損傷を与えられなかったのは見た目にも明白であった。
 「火は駄目っと」
 呟く緋勇に、村雨が札を取り出す。
 「土行とすりゃ…木克土だが、さて…猪鹿蝶・紫雷!」
 鮮やかな紫色の放電も、虫の表面を焼くに留まる。
 花札を手の中で踊らせながら、村雨はもう片方の手で顎を撫でた。
 「そもそも、あれが土行とは限らねぇんだよなぁ。西洋のもんは、どうも五行がはっきりしないでいけねぇ」
 甲高い軋むような笑い声を上げている悪魔を鋭い目つきで見つめる。
 敵はこちらが手をこまねいていると見て焦燥をや怒りを煽り立てようとして、わざとらしく嘲笑を浴びせてきているが、こちらもまだまだ諦める気は無い。
 「てーかさ。あれを俺の手の届く範囲まで降ろしてくれない?」
 ふてくされたように唇を尖らせて緋勇が村雨のコートを引いた。
 「あんた、天井でも平気で歩けるんじゃねぇのか?」
 「だって、あれ金行なんだもん。土行なら行けるんだけどさ」
 確かに周囲を覆うのは金属のシャッターだ。トンネルの天井はコンクリートだったから、土行に属していた。
 「ほぉ、そういう能力なのか」
 「そ。そういう能力」
 頷く緋勇と村雨の間に体を割り込ませ、壬生がちらりと村雨を睨んだ。
 「だから、喋りすぎだよ?」
 「そーかなー。こいつ、悪い奴じゃなさそうだしー」
 のほほんと答える緋勇にくくくと喉で笑い、村雨は懐に手を突っ込んだ。
 「しょうがねぇ、期待されちゃあ答えるのが男ってもんだよな」
 いざというときのために借り出している呪符を取り出す。覗き込んだ緋勇が怪訝そうな表情になった。
 「それってさ、直貼る奴じゃないの?」
 指摘通り、敵本体に貼り付けて身動き一つ取れなくするような術だ。当然、小さな虫にもなれないはず。
 問題は、複数の符を直接貼る必要があること。
 村雨や緋勇に天井まで歩ける能力はない。壬生なら壁を飛んで辿り着けるだろうが、交錯するのは一瞬。敵も馬鹿ではない、壬生を集中的に攻撃するのは明白で、いくら下からフォローしても危険なことに代わりはない。
 「ま、見てなって」
 不敵に笑い、村雨はポケットから小さな金属の玉を取り出した。
 「パチンコの玉?」
 答えず、符をそれに巻き付け、腰から抜いた毀れた弓の弦を引く。張られていた弦は途中で切れていたが、しなる弓と片方だけの弦で十分な張力が得られていた。
 「豪華って言うか、清浄なパチンコもあったもんだね」
 緋勇がぼそりと呟いた。
 その言葉通り、切れた弦を持ち弓をしならせる姿は、子供のパチンコを引く姿に似ていた。
 「一丁!」
 危険を感じたのかざわざわと天井を走り始めた虫の胴に、狙い違わずパチンコの玉が当たる。巻き付けられた符がひらりと解け、貼り付いた。
 途端に動きの鈍くなる虫に、次々とパチンコが当てられる。
 「二丁!三丁!四丁!五丁!」
 ついにぴくりとも身動き取れなくなった虫が、地響きを立てて落ちてきた。
 「意外と器用なんだね、村雨祇孔くん」
 「褒めてくれてありがとよ、緋勇龍麻くん」
 最後の「くん」にわざとらしい響きを込めて答えた村雨に、壬生の殺気がひたひたと迫った。だが、緋勇の明るく笑う声に動作が止まる。
 「あ、調べる暇くらいはかけてくれたんだ」
 「厳密には、調べたのは別の奴だがな」
 言いながら、村雨はまた弓をベルトに戻した。



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