釣りをする人




 村雨は、薄暗い歩行者用トンネルで目を閉じていた。
 短いその通路の前後は、村雨の手下たちが固めている。彼らは全く<力>持ちでは無く、いわゆる街のごろつき、不良といった類であったが、村雨の力(<能力者>という意味ではなく)と、金離れの良さに惹かれている者たちであった。
 <陰氣>に包まれた街でも、そんな疑似主従関係は存在し得る。ただ、その尊敬が強固なものではない、というだけのことで。
 村雨としても、彼らを完全に信頼しているのではないが、慕ってくれば悪い気はしないため、多少の小遣いを与えて、簡単な仕事を依頼している。
 今日のように、術を掛けている間の人払い程度には使える。無論、本式な術者が攻めてくれば全く歯が立たないだろうし、村雨もそこまで期待はしていないが、通りすがりの一般人に集中を乱されるのを防ぐくらいのことは出来る。
 そうして、村雨は飛ばした複数の式を通して、『敵』が出てくるのを待っているのだった。
 今のところ、推定では『敵』は物欲を司る悪魔だ。
 であれば召喚者は欲しい物を我慢することは無いだろう。悪魔の力を借りて、物欲を満たしにかかるはず。
 式を飛ばしたのは、マンションの周囲、及び勤務先周囲のデパートや銀行といった店。直接的な『物』を売っている店と、『物』を買うための金が置いてある場所だ。『金銭欲』では無いはずだが、特定の店を襲い、『物』をその時だけ持ち出すよりも、大金を奪って『物』を買う方が、結果的にはより多くの『物』を手に入れられる。悪魔に取り憑かれた奴がどこまで理性が働いているかは一概には言えないが、念のため網を張っておくに越したことはない。
 ちなみに、御門製の式なら人間と見紛うばかりの高位のものが出来上がるが、村雨のような正式な陰陽師ではなくその真似事程度の術では、人型を取らせることは出来なかった。かといって、鳥のような生物を模すことも出来ない。…それは、術の違いというより多分に芸術性の問題であるが。
 そのため、村雨の打った式は、移動型は『紙飛行機』であり、その場に留まるときには不定形の白い物体であった。幸い、この世の中、壁に妙な物体が張り付いていたりするのも日常茶飯事であったため、特に目を引くことはない。見た目はともかく、式として視界を共有できればそれで十分なのだ。
 そうして何時間が経過しただろうか。
 耳からは、手下たちを上げる笑い声や会話が流れ込んでくる。一応、異常を確認するためにあえて遮断せずにおいてある聴覚は、何の変化も見せなかったのに、不意にその場の『氣』がざわついた気配がして、村雨は目を見開いた。
 「ばあっ!」
 突如視界を覆う何か、に、辛うじて声を上げることなく表情も変えずに済んだ。
 「あれ?驚かないんだ。つまんないの」
 くすくすと笑う声は、上から降ってくる。
 村雨は、もたれていた壁からゆっくりと背を離し、僅かに首の角度を変えた。
 「あんたは…ララバイ、の方かい?」
 「当たりだよ。お前の上にいた方」
 昨日と同じく黒づくめの服装。白い顔だけが浮かび上がって、チェシャ猫を思い起こさせた。
 それが、逆さまに村雨を覗き込んでいる。
 まるで、トンネルの天井が地面ででもあるかのように、<ララバイ>は両手をズボンのポケットに突っ込んだ姿勢でぶら下がっていた。
 「何か用かい?」
 敵意はなさそうだが、何を狙っての接触かも分からない。何より、これだけトンネルの中での会話が殷々と反響しているにも関わらず、手下たちがこの状況に気づいた気配も無い、ということは、目の前の人物によって結界が張られているということであったから、隙を見せるわけにはいかなかった。
 「ちょっと忠告しておこうかと思ってさ。レクイエムは、そんな必要は無いって言ったけどね」
 くすくすと笑う顔は、人形のように整っていて、どこか無邪気な感じもした。
 だが、会ってまだ短い間ではあったが、始終面白そうに笑っているところしか見ていない。何となく、この表情のまま敵を殺すのだろうな、と思わせた。
 「忠告?ありがたく頂いておこうか」
 両手を拡げて、敵意がないことを示した村雨に、<ララバイ>の目が幾分見開かれた。そして、すぐに細めたチェシャ猫の顔に変わる。
 「へぇ、随分素直じゃん、村雨祇孔くん」
 姓名を言い当てられて、村雨の体から僅かに殺気が漏れる。だが、すぐに息を抜いた。
 「なるほどな。それなりの情報網を持ってる組織に属してるってことか」
 自分の方は、相手の名を言い当てられないのが口惜しい。
 「秋月の中でも、お前、目立ってるもん。隠す気無いんだろ?」
 「まぁな」
 <能力者>であること、秋月に属していること…全てを隠して潜んでいる者もいるが、村雨は堂々と表舞台に立っていた。そういう者がいるからこそ、陰に回れる者もいるのだ。
 「それで?ご忠告の方はどうなったんだい?」
 「あぁ、そうそう」
 またくすくすと笑って、<ララバイ>は村雨の顔を両手で挟み、逆さまのまま目を覗き込んだ。
 「何かさ、思い違いしてんじゃないかと思って。罠を張る場所の選択が変だよ?」
 え、と村雨は素直に驚きを顔に表した。
 まだ御門から詳細なデータは送られてきていないが、少なくとも『貪欲』に属する悪魔であることは間違いない。であれば、『物』に関する場所に関係すると思ったのだが。
 「あのさ。縮んだ方の死体、解析してみた?」
 いくら手抜き捜査とはいえ、さすがに死体は現場に残っていなかった。それゆえ、警察から流れてきた写真のみが情報であったのだが。
 <ララバイ>は、うーん、と両腕を組んだ。ちょっと言い辛そうに人差し指を唇に当てる。
 「あれ、男だよ、成人の。つまり、召喚主は5歳の娘の方」
 「まさか!」
 咄嗟に否定の言葉が口をついたが、機嫌を損ねた様子もなく<ララバイ>は村雨の表情を見守っている。
 食べ散らかされたお菓子。
 赤いクレヨンで描かれた魔法陣。自分でも思ったじゃないか。「幼児の落書きのようだ」と。
 ふっくらした体型は、食欲旺盛な証拠。
 「もっと欲しい。もっと食べたい」
 幼児特有の、自制の聞かない純粋な欲望。
 確かに当てはまる。
 あえて言うなら、魔法陣を手に入れることが難しいが、それだって父親が好奇心でプリントアウトしたものを写せばそれで事足りる。
 「これはね、とっても強い者が呼び出せるものなんだ。もし上手く行けば、何でも望みを叶えられるんだよ」
 そんな風に説明していたとすれば?
 だが、それでも村雨は、押し殺した声で抵抗してみる。
 「いくら悪魔が囁いても、まず両親を殺すってぇのは変じゃねぇか?」
 「変だね。でも、それが今の世の中ってやつじゃないの?」
 簡単に言い切って、<ララバイ>は大げさに肩をすくめた。
 「ま、信じる信じないはお前の自由だけどさ。でも、どうせ罠を張るなら、ケーキ屋さんとかの方が良いかなって。甘い物好きだったみたいだし」
 ケーキ屋、スーパー、コンビニ…5歳の子供が欲しがるお菓子を置いてある店は多すぎる。全部を見張ると言うわけにはいかない。
 「しょうがねぇ、誘き出すか」
 独り言のように呟いた村雨を満足そうに見つめ、<ララバイ>は、とんっと一歩下がった。本当に、天井が地面ででもあるかのような調子で、重力に逆らっているとはとても思えない。20階から飛び降りたことといい、重力を操るタイプの術者なのか?と村雨は思った。
 「それじゃ、またねー。村雨祇孔くん」
 相手が動いた、という認識はなかったのに、随分と距離が開いていることに、村雨はようやく気づいた。
 すぐにでもトンネルの外に出ようとしているのを見て、慌てて声をかける。
 「ちょっと待て。あんたの名前は?」
 白い顔が、僅かに捻って向けられた。
 「自分で調べるくらいの愛が欲しいなー」
 本当にチェシャ猫であったかのように、その場にはくすくすという笑いだけが残されていた。
 「…調べてる最中だよ」
 誰も聞いていないのは承知の上だが、村雨はそう呟いた。
 そして、トンネル前後の手下を集める。
 「もういいんすかぁ?」
 「あぁ、ご苦労だった。手間ぁかけたな」
 駄賃代わりに懐から何枚かの札を取り出し、手渡す。
 「酒でも飲んでくれ」
 「いつもありがとうございまっす!」
 解散する手下たちを見送ってから、村雨は厳しい顔になった。
 「さぁて…秋月の力を使わせて貰うとするかねぇ」





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