トランキライザー






 5歳のまるまるとした少女は、全力で叩いていた拳が痛くなったのか、悪態をつきながら振り返った。
 そうして、自分に力を貸していた悪魔はいなくなり、大人の男が3人、彼女を見つめているのに気づいた。
 「何で、邪魔するのよ!私は、外に出たいの!」
 子供特有の甲高い声で叫ぶ。自分の意志を曲げることを知らない幼児が、地団駄を踏んだ。
 「どうして、みんなして私の邪魔をするの!?」
 彼女にとっては理不尽極まりないことなのだろう。涙さえ滲ませて訴える姿は、一見憐憫をそそったが、よく見れば目に宿るのは敵意の炎であった。
 些か辟易して村雨は顎を撫でた。こんな『子供』の扱い方は分からない。一応首謀者ではあるが、5歳の子供をさてどうするか、と今更ながら村雨は頭を悩ませた。
 緋勇が一歩進んで、少女の前に立ち、どこか楽しそうな様子で首を傾げた。
 「君のお父さんやお母さんも、君の邪魔をしたの?」
 からかうような声に、少女はいったん喋るのを止めて、用心深そうに見上げた。しかし我慢が出来なかったのか、すぐに口を開く。
 「そうよ!いっつもいっつもひどいことばかり!私が食べたいときに食べさせてくれないの!私はお菓子が食べたいって言ってるのに、ご飯の前だからいけませんって取り上げるのよ!」
 まるで自分は継母に虐められる悲劇の主人公だ、とでも言うような調子であった。だが、彼女にとっては、それが真実なのだろう。我慢することや正しい食生活なんてものは、全く頭に入ってないのだ。
 「どうしようか、レクイエム」
 「どうしようか、ララバイ」
 黒衣の二人組が、村雨が最初に会ったときと同じようにステレオで発言した。
 首を傾げている姿は、ほとほと困っている、というように見えたが、目は全く笑っていない。少女を冷静、いや冷酷に見つめている。
 「矯正不可能じゃないかな、レクイエム」
 「矯正不可能だろうね、ララバイ」
 声の調子は変わらず、儀式呪文のようであったが、その中身にぎょっとして村雨は彼らと少女の間へと走り寄った。
 「ちょっと待て、まさか、お前ら…」
 少女はまだ、自分が如何に被害者かと叫び続けている。こんなのを庇う義理は無いが、目の前の奴らが暗殺者だということを不意に思い出して、村雨は緊張した。
 「殺しちゃおうか、レクイエム」
 「殺しちゃおうか、ララバイ」
 村雨の疑心を裏付けるセリフが、二人からあっさりとこぼれた。
 同時に二人が静かな動作で展開する。
 「ちょっと、待てって!こんなガキを殺すこたねぇだろうが!」
 掌に札を滑らせて、村雨は叫ぶ。自分が極端に彼らに劣っているとは思わないが、この距離で体術中心の二人を敵に回して無事でいられる自信も無い。
 背後の少女は、自分のことを言われていると初めて気づいたのか、一歩下がった。背後の金属シャッターに突き当たってガシャン!と音を立てる。
 「私を殺すって言ってるの!?」
 「そうだよ、お嬢ちゃん」
 「そうだよ、お嬢ちゃん」
 くすくすと笑い声がするにも関わらず、彼らの体から滲み出ているのが殺気だと小さな子供にでも分かったのか、金切り声を上げた。
 「どうしてよ!私は子供なのよ!?」
 「いいや、君は殺人者だよ」
 「いいや、君は召喚者だよ」
 それもまた、事実である。
 だが、相手はまだ5歳の子供だ。善悪の判断も出来ないような年齢だ。感情的には拳武の肩入れをしたいところだったが、村雨はそれを心の奥にしまい込んで牽制した。
 「何も殺すこたねぇだろ。今からそれなりのカウンセラーを付けて再教育すりゃ、更正できるかもしれねぇ」
 「俺は、そうは思わないけど」
 「僕は、そうは思わないけど」
 「だって、その子は召喚の仕方を知ってるし」
 「だって、その子は人を殺す能力を持ってるし」
 「野放しにするのは危険だ」
 「野放しにするのは危険だ」
 聞いていると途中でところどころ異なる単語が挟まれるため、聞いている村雨は混乱しそうだったが、どうにか話に付いていく。
 「んなもん、ある程度以上の年齢の奴は、誰でもナイフで人を殺せる能力はあるんだ。それを行使するかしねぇかは、そいつの心にかかってる。その心を成長させんのが、大人の役目ってやつじゃねぇか」
 背後の少女が滅多なことを言い出しませんように、と心の中で祈りつつ、村雨は理屈で説得しようとしてみた。
 だが、緋勇が身を折って吹き出す。
 「うわ〜!同い年のくせに、オヤジくさ〜〜〜!」
 「大人がどうこう言うのは、少なくとも成人してから言うべきセリフじゃないかな」
 二人のツッコミに村雨は顔をしかめた。
 ひとしきり顔を見合わせて笑っていた黒衣の二人が同時に村雨を見た。
 その真剣な空気に、村雨も表情を引き締める。
 「でも、やっぱりその子は無理だと思うけど」
 「その歳でそれだけ<陰>に偏っているということは、矯正を期待するのは難しいと思うけど」
 村雨とて、この子供が完全に「正常」に戻ることは無理ではないかと思う。自分の欲望のままに親まで殺して、それを反省もしていないのだから。
 だが、それでも希望を持つのが人間ではないかと思うのだ。
 彼らの「少女を放置していれば、次の犠牲者が出る」というのも理解は出来る。この恐るべき子供は、自分の欲望を邪魔する者は全て敵としか認識していない。
 「…教育は施す。どうしても駄目なら、俺が責任持って『処理』する。…それでいいんだろ?」
 村雨の言葉に、黒衣の男たちは目を見合わせた。
 そうして、くすくす笑いながら村雨に手を振る。
 「じゃ、俺たちは退いてあげる」
 「じゃ、僕たちは退いてあげる」
 「頑張ってね」
 「頑張るんだね」
 言いながら、ふわりと後ろに退いた。たったそれだけなのに、体が消え失せたかのように気配が薄くなる。
 天井のシャンデリアは変わらず周囲を照らしているのに、ふと気づいたときには、もう彼らの姿はどこにもなかった。


 「押しつけられたんですよ、それは」
 御門が溜息を吐きながら、そう言った。
 あぁ?と目だけで問うと、御門は扇子をぴしりと鳴らした。
 「おおかたあっちも子供を殺すというまでは思ってなかったのでしょう。けれど如何にも厄介な子供で、再教育の手間は膨大と予測される、それで秋月に押しつけた、というところでは?」
 改めて、村雨は腕を組んだ。相手が暗殺者という思いこみがあるため、殺すことを躊躇わないと判断したが、確かにもしあの二人が少女を殺すつもりならいくらでも殺せただろう。それをあの程度で退いたのは、本気で殺す気が無かったとも考えられる。あの場では、村雨の顔を立てたのだと思ったが。
 そして拳武にも教育機関はあるはずだ。ひょっとして、もし村雨が声高に殺すことを主張したなら、彼らの方が少女を連れ帰ったのかもしれない。
 ここでこうして考えていても確かめようのない推論だが。
 「…で、あの子供はどうしてる?」
 御門の顔は、ひどく陰鬱だった。それだけでも状態が好ましくないことが推測できる。
 「まあ、自分の目で見ることですね」
 結局、最後まで御門からそれ以上の情報を引き出すことは出来なかった。

 その後、村雨が秋月傘下の子供養育施設に足を運んで見たものは。
 「これ以上、薬剤を減量すると我々に敵対行動に出ますので」
 白衣の女性が淡々と説明する先には、ベッドの中で点滴を繋がれて眠り続ける少女。
 聞けば、精神安定剤が大量に投与されているためこのような状態らしい。
 「攻撃的な精神を抑制しようとすると、どうしてもこのようなレベルの精神状態にしか…」
 普通なら多少の精神安定剤で、落ち着いた生活を営めるものだが、この子供は『攻撃的で危険な』行動だけが『普通の』行動なのか、どうにもうまくいかないらしい。
 「なるべく徐々に薬を減量していきたいのですけどね」
 ヘッドホンからは穏やかな音楽を聞かせ、周囲は柔らかな光に満ちている。
 だが、ひょっとしたら。
 せっかく連れ帰ったこの子供は、一生薬で精神を抑制して眠り続けるのかもしれない。
 それに生きている意味などあるのだろうか。
 このまま体だけ成長していくことにどんな意味があるのだろうか。
 彼らの言う通り、この子供を矯正させることは不可能なのかもしれない。
 だが、それでも。
 この子供を殺してしまえ、とは村雨には言えなかった。
 何故なら、彼女もまた犠牲者であったから。


 数日後。
 新聞には、とあるタバコの会社と、その銘柄を認可した大臣が殺されたことが一面に載っていた。その現場に残されていた声明により、その会社のタバコの中に精神を解放させる薬剤が入っていること、より中毒性を増すことなどが世間に知られることとなり、結果としてそのタバコ会社は倒産することとなったのだった。



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