愛の拘束具
基本的に、恋愛、というものは、べったりと馴れ合うものではない。お互い確固たる精神を持つ成人が2人、永遠の愛を囁き交わしたり、相手を自分の従属物のように縛り付けるのは無粋なことだ。
……と、考えていた村雨祇孔21歳。
己の恋愛論は、本当に心底惚れた相手がいなかったが故の理想論であったと思い知らされる今日この頃。
村雨の恋人は男である。そして、ひどくつれない。時折、この人は実は俺に惚れてるんでも何でもないんじゃないか、なんて疑ってしまうほど、彼の態度は淡泊だった。
もちろん、やることはやっている。気が乗れば朝までお付き合い頂けるほどには盛り上がる。それなりに可愛らしく泣いてしがみついてもくれるのだが、どうもこう…ねっとりとした欲情が無いというか、通い合うきめ細かな情愛が無いというか、あっさりさっぱり『コクは無いがキレはある』ってな感じである。
そんな『お付き合い』を続けていると、柄にもなく『恋人たる証が欲しい』なんてことを考えたりするのだ。かつて自分が付き合っていた女が、揃いの何かを贈ってきたり愛の証を求めたりしたら「うざい」の一言で切って捨てていた村雨は、自分のことを振り返って、とてもそんなことは言い出せないままにだらだらと毎日が過ぎていっているのだが。
これは、誠意もなく女と遊んだツケってやつかもしれない、と年齢の割に遊び崩れた村雨は真剣に反省した。
しかし、反省したところで事態は進展しなかった。
本当に欲しいものは、愛されているという確証。しかし、愛の言葉だのペアリングだのといったものを期待するのはあまりにもおこがましい。しかも、それらは自分にとって『うざかった物ワースト1、2』である。
となれば、せめて茶碗だの湯飲みだのをペアにするとことから始めてみるか、とちょっぴり腰の引けたことを考える村雨だった。
その彼にとって。
「なぁ、もうじきお前の誕生日だったな?何か欲しい物はあるか?」
恋人のセリフは、天使が吹き鳴らすラッパの音にも似ていた。
まあ、実際問題として、先ほどから天国の扉はちらちらと見えているのだが。
「先生…嬉しいんだが、できればそう言うセリフは、こういうことをしてねぇ時に言って欲しかったぜ…」
そう、現在場所、ベッドの上。
2回戦目の真っ直中、愛しい人を腰に乗せて、天に向けて突き上げていた最中である。言われた内容は嬉しいが、あんまり色艶を感じさせない冷静な言い方をされると、ただいまの努力がふと虚しくなる。
「いや、今カレンダーが目に入ったから」
けろりとして目で壁を示す恋人に、そんな男心を理解しろと言う方が無茶なのだろうか。しかし、相手も男の端くれ…いや、実力としては男の中の男。ちょっとは気づいてくれても罰は当たらないだろう。
しかし、この人はこーゆー人なのだ。
こーゆー人だと承知の上で惚れている自分の方が分が悪い。
心で泣きながらも、村雨は腰の動きを止めることなく、緩やかに回しながら突き上げた。そうすると、軽く瞼を閉じ、何かを耐えるように僅かに眉を顰めて、「ん…」なんて声を漏らすところが見られて、最高に可愛いのだ。
「そうだねぇ…」
言いながら、身を起こす。慌ててしがみつく腕を背中に回してやり、代わりに足を抱え直した。支えるものを無くした体が、重力と村雨の動きだけに従順になる。
肩口に埋められた顔から鼻にかかったような声がひっきりなしに漏れる。
これだけ快楽を追っていれば、まっとうにこっちのセリフは通じないだろうと踏んで、村雨は本音をこっそりと呟くことにした。
「本音を言うと、あんたを俺に縛り付けておきてぇんだよなぁ」
ふと身じろぎする体を押さえつけて。
「あんたがあんたで、俺のもんじゃねぇと分かっちゃいるが、それでもあんたと俺を繋ぐもんが欲しいと思うようになっちまってな。ちっぽけな輪っか一つで、あんたが俺のもんだって証明出来りゃあなぁ。それに越したこたねぇんだが…」
言いながら自分で苦笑する。ペアリング、なんてものを男同士でするなんてのは寒いことこの上ない。しかも、愛し合う恋人同士が贈り合うならともかく、大してその気の無い者がお義理でくれても空しさだけが募る。
腕の中で身悶える愛しい恋人を揺すりながら、村雨は耳元に囁いた。
「ま、何にしたって、あんたがくれるってんなら、俺ぁ何でも嬉しいぜ?」
本当は目を合わせて言いたかったが、あんまりにも冷静な目で見られると陶酔が醒めそうであったため、そのまま抱きかかえた頭を肩口に押しつけたまま村雨は最後の鞭撻に励んだ。
そんな会話を経ての7/7。
簡単ながらもいつもよりは豪勢な食事と、小さなケーキなんてものが用意されたテーブルで、村雨は幸せに酔いしれていた。
少なくとも、恋人が自分の誕生日を覚えていてくれて、祝ってくれようという気があるのだ。もの凄い進歩ではないか。まさしく、「これは小さな一歩だが、人類にとっては偉大なる一歩だ」ってやつだ。
…ささやか過ぎて、ちょっぴり自分がいじらしい。
穏やかに日常の会話を交わしながら食事を終えて、食器を洗い機に放り込む。
そうしてわくわくと待っていると、龍麻が紙袋を手にしてきた。
大きさとしては微妙。
真っ黒な紙袋には何の文字も入っておらず、中身はよく分からない。だが、角張った皺からすると中身は箱と思われるのだが、指輪にしては大きい。
いや、いきなり指輪まで期待したんじゃねぇ、何をくれても俺は嬉しい、と己に言い聞かせて、村雨は手渡されたそれをありがたく受け取った。
「ん」
…出来れば、もうちょっと可愛らしい言葉を付けて欲しかったが。
「ありがとよ。開けてもいいかい?」
「開けんでどうする」
呆れたような冷たい物言いに挫けそうになりつつも、袋のテープを剥がし、中から箱を取り出した。これもまたシンプルな白い箱で中身の見当が付かない。重量は…指輪クラスではない。マグカップか何かか…と思いつつ箱を開ければ。
そこには、確かに輪っかがあった。
かつ、村雨と龍麻とを繋ぐ物であった。
「そういうプレイがしたい、と言うなら、そう言えば付き合ってやるのに。誕生日だしな」
淡々と告げる龍麻に、「違ぇよ、先生…」と心の中でだばだばと涙を流す。
村雨が手にしているのは…手錠であった。この重量からすると、プラスチックの玩具ではない。まさか本物ではないと思うが…いや、如月だの壬生だのついでに桜井だのと本物を手に入れることが出来そうな仲間が思い浮かび、念のため鍵を探した。もし本物の硬度を持っていて、かつ鍵が無いのでは洒落にならない。
箱の蓋の内側に張り付けられた小さな鍵を発見して、とりあえず一息吐く。
「…ちょっと意表を突かれたぜ、俺は。さすがは先生だ」
嫌みでもなく、そう言う。
あの最中に囁いた希望を聞き取ってこれを選ぶと言うのが、実に龍麻らしい。びっくり箱は相変わらずだ。これだからこの人とは離れられない、と強く思う。
「…で?」
正座して、かくん、と首を傾ける様子がいつになく可愛くて、村雨は思わず上擦った声を出した。
「で…で、って?」
「いや、風呂に入った方が良いか?それとも、服着たままやりたいか?」
なんだか、ものすご〜く大胆な選択肢を突きつけられた気がする。最初の関係はまあともかく、嫌われるのを恐れて、割と真っ当な営みしかしてない村雨である。服着たまま拘束プレイなんてそんな幸せなことは、一切していない。
村雨は、龍麻の前に正座した。
「着衣のままで、オネガイシマス」
とりあえず、プレゼントは有効活用した村雨だった。
翌朝。
目を覚ますと、傍らに温もりは無かった。無意識に腕がぽんぽんと布団を探すが、ベッドの中にいる気配はない。
はっきり覚醒した頭で辺りを窺うと、何やら香ばしい匂いが流れている。
珍しく朝食を用意してくれているらしい。
のそのそと起き上がり、クローゼットからシャツを取り出して羽織る。下も身につけて寝室を出ると、ちょうどテーブルに朝食が並んだところだった。
「おはよう、先生」
「おはよう」
軽く頷いて、龍麻は村雨の前にバターを寄越した。やや焦げ気味のバターロールの皿にバターを乗せて、それから手を合わす。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
挨拶だけは妙に律儀な二人だった。
これも誕生日サービスに入ってるんだろうか、と朝からお手軽に喜びつつ、村雨はスクランブルエッグを一口すくって口に入れた。
がち。
その感触に、思わず顎を浮かせながら、村雨は舌で口の中を探った。
卵の殻にしてはいやに硬い異物だった。卵部分を喉に流し込みながら、残る異物を確認する。
硬くて…丸い?輪っか?
妙な顔をしているだろう村雨の様子を見ても、龍麻は平然と自分の食事を続けている。予測済みの事態なのか、それとも興味がないのか。…後者なら悲しい。
綺麗に舐め取ったそれを、べろん、と口から出してみる。
指先で摘んだそれは……白銀に輝くリング。
「え〜〜〜〜…先生、こりゃあ〜……」
料理の中に指輪が入っているというのは、普通は料理人の指から落ちた物と考える。しかし、龍麻が指輪をしているところは見たことがない。
ということは、つまり。
いや、しかし期待すると裏切られたときに悲しすぎる。
説明を求める目つきで恋人を見れば、自分の卵から目も上げずに淡々とのたまった。
「何だ、やっぱり運の良い男だな」
「…はい?」
「気づかずに飲み込めば、それで終わりだったんだが」
何が、終わり、なのか。プレゼントが終わりなのか、それともこの関係が終わるのか。恐くて聞けなかったが、改めて村雨は自分の運に感謝した。
「ま、さすがに手錠だけじゃ予算が余ったんで、おまけだ」
おまけ、という単語は聞かなかったことにして、村雨は自分の誕生日プレゼントに予算を組んでくれていたことを喜んだ。
が。
よくよく先ほどからの態度を思い返してみれば。
この『眼力』を誇る龍麻が、全く目を合わせようとしていない。
まさか、とは思うが。
本当に、ま〜さ〜か〜、とは思うが。
「…照れてんのかい?先生」
返事は無かった。
しばらく、食器が触れ合う音だけが室内に響いた。
ようやく目を上げた龍麻が呆れたように言う。
「何を、突っ伏している」
両手に指輪を包むように組んで、額をテーブルに付けていた村雨は、にやつく口元を必死で引き締めながら顔を上げた。
「いやぁ、幸せってもんを噛み締めてたんでねぇ」
言いながら、指輪を左の薬指に入れてみた。驚くほどぴたりと収まる。指輪のサイズなんぞ教えた覚えもなければ測られた覚えもないというのに。…まあ、上の口だの下の口だので感覚的に測られてると言う可能性はあるが。
これは、確かに自分のために、自分の薬指のために贈られたものだ。
薬指に収まった指輪は、よく見れば細かい装飾が彫り込まれている。それでいて一見ごくシンプルで男がつけていても違和感がない。
プラチナ素材と言い、結構値が張るものではないか、とまじまじと指輪を見つめた。
龍麻が、ふん、鼻を鳴らして食器を手に立ち上がった。
「たかが装飾品の一つで、そんなに喜ぶな」
キッチンの流し台に運んでいくのを追い、背後から抱き締める。
「そうは言ってもな。俺ぁマジであんたとペアリングが欲しいと…」
言いかけて、ふと口を噤む。
ペアリング。
たかが装飾品。
龍麻の左手を取って、目の高さに持ち上げる。その指には、当然のように指輪など影も形もなかった。
となると。
よーするに、これは確かに『ただの装飾品』であって、『二人の愛の証v』なんてものではない、ということだ。
「重い」
思わずぐったりと脱力して龍麻の背中にしがみつくと、体重をかけられた龍麻が文句を言った。
しかし、天国から地獄へ叩き落とされた気分の村雨としては、どーにも力が入らず龍麻の背中にしがみつく形で深い溜息を吐くしかなかった。
「せーんせー〜〜〜」
そのあまりの情けない声に、龍麻も深い溜息を吐いた。
これだけ体重を肩にかけられているにも関わらず、一挙動で村雨の腕を持ち上げ自分の体を反転させ向かい合わせになる。
「そもそも、ペアリング、とは何か?」
「へ?」
何か?と改めて聞かれても。ペアになってるリングのことだろう。
そんな疑問が顔に出たのだろう。龍麻はもう一度これ見よがしに溜息を吐いた。
「その『ペアリング』は、片方がもう片方に押しつけるものか?」
「まさか。押しつけるなんて、んな相手の意志を無視した時点で、そりゃペアリングじゃねぇだろ。やっぱ、恋人同士が贈り合ってこそ…」
そこで、ようやく村雨は自分の言っていることに気づいた。
改めて自分の指に目を落とす。
それから、これ以上無いほどにやけた顔で龍麻に抱きついた。
「せーんせ♪」
「そのだらしない顔は止めろ」
「俺の意志を無視してる、なんてそんなこたねぇからな?いやぁ、先生がそんな控えめなこと考えてた、なんて思いもしなかったぜ」
勢いで口づけると、恋人としてそれはどうか、と言うくらい嫌そうな顔で龍麻はそれを受けた。
「愛してるぜ?先生」
「んなことは、一目瞭然だが」
可愛くない返事をする恋人は、僅かに笑って村雨の指輪に唇を落とした。
目を上げてにっこり微笑む顔は、とてもステキな笑顔ではあったのだが、何故か背筋に悪寒を感じて村雨は一歩下がった。
「ま、ペアリングにしたけりゃ、俺の誕生日にこれと揃いのを贈るんだな」
他人事のように言い放った龍麻をもう一度抱き締めて、村雨は必ずやこれをペアリングにしてみせる!と心に固く誓ったのだった。
後に。
そのペアリングのデザインが、すでに亡くなった無名の宝石デザイナーの手によるものであり、スケッチ等もすでに失われ片割れのデザインが如何なるものであるのか分からないことを村雨は知るのだった。
反魂の挙げ句に自分の体を貸し与えてデザインを新たに描かせるという力技によって手に入れたペアの片割れを、取り憑かれたせいで真っ黒に落ち窪んだ壮絶な顔で贈った村雨が、報われるのか否かは、また別のお話。