バレンタインの逆襲




 『それ』は、思考していた。
 己という個は、何のために存在するのか、と。
 『それ』には、確かに生存本能というものはあった。
 だが、『それ』の周囲にいる『もの』たちには、生存本能以外の『存在する目的』があるように思えた。
 何かを摂取すること。
 つがいが交合して、子孫を残すこと。
 『それ』は、体内に取り込んだ『もの』から、それらが『存在する目的』を知ろうとしたが、読みとれるのは、恐怖とか生存への渇望といった強い負の意識のみで、『それ』が求めるものは得られなかった。
 『それ』は、深く深く思考する。
 暗闇の中で、ひたすらに思考する。
 そうして、『それ』の造物主が込めた想いを思い出す。
 そう、確かに『それ』は、『何か』のために存在したはずだった。
 造物主が『何か』のために強く強く念じながら『それ』を造り上げたはずだった。
 だが、『それ』は、自らが消滅することが不快で『何か』から逃げ出したのだ。
 『それ』は、暗闇の中、ゆっくりと身体を動かした。
 『それ』が、今、感じているのは、生存の目的を見失った寂寞と虚無感であった。
 それでは、と『それ』は思った。
 このまま、ただ漠然と存在するよりも、造物主が望んだことを成し遂げることにこそ、存在する意義があるというものではなかろうか?
 もしも、それゆえに・・己は滅するとしても。

 

 「龍麻、これは、練習作と思って、あまり『愛』を込めずにやってごらん?」
 「やってるつもりなんだけどなぁ・・」
 壬生の優しい声に、龍麻はがっくりと肩を落とした。
 目の前に並んでいるのは、黒かったり茶色かったり・・何故か紫だったりする塊である。
 しかも、時折、勝手に動いたり、奇声を発したりしているあたり、台所には似合わない風景であった。
 壬生は根気強く、龍麻に手ほどきしたが、この有様である。
 ちなみに材料費は龍麻持ちなので、心おきなく失敗出来る。
 だがしかし。
 何故、同じように材料を混ぜ合わせ、かき回すという過程で、ネタが蠢き出すのか。
 何故、オーブンに入れ、焼き始めると悲鳴が聞こえるのか。
 龍麻が「先祖がどっからか外法ってやつを覚えたんだ」と言うのも、あながち嘘ではないかもしれない、と壬生は思った。
 それはともかくとして。
 『チョコケーキ』と言うには、あまりにもかけ離れた『それ』を、どうしたものやら。
 ふぅっと壬生は溜息を吐いた。
 呆れられた、と龍麻がうるうると見上げる。
 「くれは〜〜」
 普段と違って、ひたすら助けを求めて下手に出ている龍麻に、壬生は寛大な笑みを浮かべた。
 「大丈夫、まだ時間はあるからね。頑張ろうね、龍麻」
 あぎあぎとチョコケーキ失敗作を囓りながら、龍麻はこくりと頷いた。
 

 村雨は、カレンダーを見ながら、憂鬱そうにこめかみを揉んだ。
 2/14がやってくる。
 別に、バレンタインそれ自体は良い。
 昨年だって、結果的には大変美味しい思いをしたのだ。
 だが、可愛い恋人の機嫌は、またしても下がる一方だし、壬生の家に入り浸っているし・・いっそ早く2/14が来て欲しい気もしてくる。
 「後、3日の辛抱だ」
 村雨は己に言い聞かせた。
 たとえ、『へにょにょ』で『もけけ』な代物を突き出されるにしても、己の運があれば大したことにはならないはずだ。・・・多分。
 村雨は、またカレンダーを見た。
 何度見たって、Xデーまで後3日かかるのに代わりは無いのだが。

 
 『それ』は、ゆっくりゆっくりと這いずっていた。
 もはや造られたときの面影はない。
 周囲の生き物に囓られ、逆に、身を守るために生き物を取り込み・・・そうして汚泥と暗闇の中で、これまで存在し続けて来た。
 移動するには向かない形態となってしまっていたが、それでも『それ』は確実に進んでいた。
 造物主が望んだことを成し遂げるために。


 「そうだ、龍麻。ついでに真神の皆にも焼いてみたらどうだい?」
 「え〜?何でだよ」
 「そりゃ、色々とお世話になりましたっていう感謝の気持ちで、さ。どうせ練習作なんだし、気分転換に作ってみたらどうだい?」
 「んと〜・・紅葉がそう言うなら、やってみる」
 龍麻は気が乗らない様子で、かちゃかちゃとボールを泡たて始めた。
 ほっと息を漏らしつつ、壬生は手早く『失敗作』をビニール袋に詰め込んだ。
 勿論、完膚無きまでに粉々にするのは忘れない。
 そうして、龍麻が面倒くさそうにこねて、やる気がなさそうに焼き上げたチョコケーキは、見るからに見事な代物であった。
 端っこをちょっと味見して、壬生は苦笑いする。
 「美味しいよ、これ。デコレートして、持って行くと良い」
 「あいつらなんかに、やること無いのに〜・・あぁ、材料代がもったいないったら」
 「じゃ、これを村雨さんのにするかい?」
 怨めしそうに龍麻は壬生を半目で見た。
 「違うもん。これ、『愛』込めてないもん」
 (その方が、村雨さんの身のためだと思うんだけどね・・・)
 内心突っ込みつつ、壬生はやっぱり優しく笑った。
 「そうだね。それじゃ、また村雨さんのを作ろうか?」
 「うん〜そうする〜」
 何度も失敗して疲れ果て、すっかり普段の覇気が消え失せ、まるっきり子供状態の龍麻であった。

 
 村雨は、コンビニの袋を下げて夜道を歩いていた。
 中身は酒類とつまみである。
 がさごそぼってんぼってんと袋がたてる音だけが静かな住宅街に響く。
 ふと、眉を寄せて、村雨は構えた。
 『何か』に見られている。
 殺意は感じないが・・・だが、己を『何か』の意志が包んでいることは感じ取れた。
 直接的な視線ではない。
 だが、呪いの類でもなさそうだ。
 村雨は、しばらく辺りの氣を探っていたが、『何か』が近づく様子もないため、諦めてまた歩き出した。
 

 見ツケタ・・・。
 

 龍麻は、上機嫌でラッピングを施していた。
 壬生は台所のイスに座り込み、ぐったりと背もたれに頭を埋めている。
 「えへへ〜紅葉、サンキュなっ!」
 「・・・いや・・・龍麻のためなら・・・僕は、いつだって・・・」
 青ざめた顔でそこまで言えるのは大したものだ。
 金色のリボンを結びながら、龍麻はにこにこと壬生を見た。
 「な〜。村雨、喜んでくれるかな?」
 しばしの間があった。
 「そうだね・・・驚いてくれると思うよ・・・」
 微妙な表現であった。
 だが、龍麻はそりゃもう満面の笑みを浮かべた。
 「だよな!上出来だよな、これ!」
 「そうだね・・・」
 壬生の目は、どこか虚ろである。
 「かなり、上級の外法なんだろうね・・・」
 呟きは、龍麻の鼻歌に掻き消されて、本人の耳にしか届かなかった。


 ついに、この日が来た。
 村雨は、戸棚の中の胃腸薬を確認し、ついでに各種ステータス異常防御装備も確認した。
 いつでも帰って来やがれ、龍麻。
 恋人を迎えるというより、宿敵を迎えるようなテンションで村雨は念じた。
 それから間もなく、玄関の扉が軋みを上げた。
 「たっだいま〜!」
 上機嫌な声に、村雨の片頬がつった。
 「よぉ、お帰り」
 出迎えてみると、予想通り、可愛くラッピングされた箱を持っている。
 「自信作!」
 目を輝かせて箱を持ち上げる様子に、ははは、と喉で笑い、村雨はリビングに向かった。
 箱を開ける前にコーヒーでも煎れよう、とキッチンへ立ちかけて。
 玄関から、妙な気配を感じて、動作を止めた。
 龍麻も感じたのだろう、目が、すい、と戦闘態勢に入る。
 札を手に、ゆっくりと扉からの射線外に身を潜めると、逆側に龍麻が音もなく立った。
 氣を高める二人の前で、廊下からリビングへの扉が、僅かに開いた。
 
 ずるり。

 二人の視線が下がる。
 
 そうして。
 『それ』は、二人と相対した。

 茶色とも灰色ともつかないどす黒い不定形生物。
 どこぞの式か使い魔か、だとしても低級な妖物のようだが・・と攻撃態勢に入った村雨の脳に、『それ』の思考が侵入した。
 いや、思考、というほどまとまったものでは無い。
 ただの感情の奔流、とでも表現するべきものであった。
 「こいつ・・・」
 龍麻が、戸惑った声を上げる。
 村雨は、声もなく『それ』を凝視していた。
 
 『それ』は、造物主を前に、歓喜していた。
 そう、『それ』は、この目の前の生物に食してもらうために存在したのだ。
 造物主は、ただひたすらそう念じて『それ』を造り上げたのだから。
 『それ』は、自分の存在が終了することに、奇妙な安堵を覚えていた。
 
 サア、食エ。

 そう、『それ』は、念じた。
 そして、目標の生物の口へと、身体を伸ばす。



 「おい・・・まさか・・・これ、アンタが去年作った『チョコケーキ』か?」
 セリフは疑問形だが、確信した口調で村雨は龍麻に目をやった。
 「・・・そうだと思う・・・」
 てへっ、なんて言いそうな顔で、龍麻も村雨の方を見た。
 口元に迫った『それ』を掴んで、村雨は実にイヤそうに顔を顰める。
 「ごめんねー、村雨ぇ・・・」
 龍麻にも、『それ』の意志は感じ取れた。
 だが、どー考えても、『それ』の思うように村雨に食わせるなんてことは出来そうもなく。
 せめて、自分が処分することが、せめてもの罪滅ぼしだろうな、と、龍麻は村雨の手から『それ』を取り上げた。
 ぐしゅ、と潰れる感触と、したたる液体に、やはり顔を顰める。
 
 『それ』は、混乱していた。
 ようやく己の存在価値が生じようとしているのに、造物主が達成を阻止しようとしているのだ。
 では、己の存在は何だったのか。
 『それ』は何のために存在したのか。
 深い深い絶望が、『それ』の意識を覆った。


 「それ・・・」
 村雨が、おもむろに口を開いた。
 「そんなに、俺に食って欲しかったんだな」
 じたばたする『それ』を押さえながら、龍麻はちらりと村雨を見て、目元を赤く染めた。
 そっぽを向いて、ぶっきらぼうに
 「いや、なんて言うかさー、やっぱ、村雨のために作ったってゆーか・・・」
 「よっぽど、『愛情』込めて作ったんだねぇ」
 顎を撫でつつ、村雨は言う。
 からかってるのか、と憮然とした表情で龍麻はそちらを見たが、村雨が意外と真剣な顔をしているのに気づき、少し首を傾げた。
 数秒後。
 村雨は、これ以上は無い、というくらいに憂鬱そうに溜息を吐いた。
 「それ、寄越せ」
 ほえ?と首を傾げつつ、龍麻は『それ』を差し出しかけ・・・村雨の意図に気づいて、慌てて手を引っ込めた。
 「ま、待て!何を考えてる!」
 「しょうがねぇだろ。『それ』は、俺に食って貰いたがってんだろうが」
 「死ぬから駄目!絶対、駄目!!あの時でさえ、死ぬんじゃないかと思ったんだから〜!こんなの、食ったら絶対死ぬってば〜!」
 「俺の運がありゃあ、大丈夫だって」
 「その根拠レスな自信はやめろ〜〜!!」
 「俺だって、できりゃ食いたくねぇけどな。・・しかし、よりにもよって、アンタの念がたっぷり詰まった代物だ。きっちり成仏させねぇと、強大な怨念残しそうなんだよ」
 「俺が、何とかするってば〜!」
 龍麻は『それ』を身体の後ろに隠して後ずさるが、村雨の意見も理解した。
 自分に、『それ』の肉体(?)を消滅させることは可能だが、確かに残った怨念の類を消滅させることは難しいのである。
 その念が実体化しているならともかく、本当に『思念』だけだとなると、それは村雨の領分だ。
 理解はした。
 理解はしたが・・・納得できるかというと、そういうもんでもなく。
 あうあう、と泣き出しそうな顔をしている龍麻に、村雨は作戦を変更した。
 「なぁ、龍麻。『それ』は、アンタが俺のために作ってくれた『チョコレートケーキ』だろ?」
 「そ、そりゃ、、元はと言えば、そうだけど・・・」
 「せっかく、アンタが俺のために作ってくれたんだ。食わせてくれよ」
 じりっじりっと村雨は迫る。
 だって、そんな〜・・と龍麻が混乱しているのを見計らって、がばぁっと押し倒した。
 そして、倒れた龍麻の手ごと、『それ』を口にする。
 なるべく龍麻の顔だけ見て、『それ』の食感とか味覚嗅覚の類は頭から追いやって。
 

 『それ』は、至福に包まれていた。
 存在を終了することが不快で逃げ出したはずだが、存在目的を遂行することの、なんと心地よいことか。
 
 そして。

 『それ』は、満足感に浸りながら、意識を失った。


 『それ』が、ただの『もの』になったことは、龍麻にも分かった。
 安堵の息を漏らして、龍麻は乗っかっている村雨の身体を押しやった。
 重い体が、どさりと床に崩れる。
 「村雨?」
 揺すぶっても目覚めない村雨に、龍麻は絶叫した。
 「村雨ってば〜〜!」


 で。
 桜ヶ丘病院にて。
 「チフスにペストにリケッチア、赤痢アメーバ、その他色々。感染症の博覧会だね。下水道のどぶネズミを生で丸ごと食っても、こうはならないんじゃないかね」
 どこか楽しそうに、岩山はカルテをめくった。
 げっそり痩せ細った村雨の手を握り締めて、龍麻はえぐえぐと鼻を鳴らした。
 「だから、食うなってゆったのに〜」
 「食ったのかい?どぶネズミを」
 「チョコケーキ〜・・」
 「・・・そりゃ・・・すごいチョコケーキもあったもんだね・・・」
 さすがに呆れたように岩山は龍麻を見、そしてどすどすと地響きを立てて病室から出ていった。
 「ごめんね〜、村雨、ごめんね〜」
 ひたすら繰り返す龍麻に、どうにか掠れた声をかける。
 「心配、すんなって・・・生きてる、だろ・・?」
 「ごめんね〜・・治ったら、何でもするから・・・早く治れよ〜・・・」
 「そりゃ・・・楽しみだ・・・」
 土色の顔で、村雨はどうにか笑って見せた。
 
 病室の扉がノックされた。
 「村雨さん、生きてるようで何よりです」
 いきなり病人には失礼なセリフとともに、壬生が現れる。
 村雨の手を握りしめたままの龍麻に苦笑しつつ、枕元に50cm大の人形を置いた。
 「これ、お見舞いです。どうぞ御無柳をお慰め下さい」
 「・・・そりゃ、どうも・・・」
 どう見ても龍麻そのものの人形に、ぼけるべきなのか突っ込むべきなのか、一瞬悩んだ村雨だが、考える体力気力ともになく、素直に礼を言っておくことにした。
 「だいたい、事情は龍麻から聞きましたけども」
 壬生は、ズボンのポケットに両手を突っ込んで立ったまま、ふと笑った。
 「今のところ、昨年のチョコケーキは成仏し、村雨さんは生きている。めでたいところで、何なんですが」
 「・・もったいぶらずに、言いやがれ・・・」
 「怪獣映画風に言いましょうか?」
 そう前置きして、壬生は淡々と棒読み口調で。
 「これで、『それ』が消滅したとは限らない。第2第3の『それ』が現れるかも知れないのだ」
 村雨は無精髭ぼうぼうの口元を歪めた。
 「ふん・・・あんなもんが、そうそう・・・」
 言いかけて、ぴたりと口をつぐみ、自分の手を握りしめている龍麻を見上げる。
 恋人は、可愛らしく首を傾げて、上目遣いで村雨を見つめ、誤魔化すように笑った。
 「・・・今年のも、逃げちゃったvv」
 
 ぐらり。

 村雨の意識が、ブラックアウトした。


 『それ』は、思考していた。
 己という個は、何のために存在するのか、と。

 『それ』は、深く深く思考する。
 暗闇の中で、ひたすらに思考する。



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