戦鬼の恋  (左腕)




 火邑は、右腕と左腕を調整し終え、嵐王の工房から出てきた。
 右腕の火筒の破壊力が上がった筈だし、このまま鬼岩窟にでも行って、腕の具合を見てみるか、と回復薬を携えて、村の裏手に向かってみれば。
 何やら聞こえてくるのは、二人が言い争うような声。
 言い争うと言っても、激昂しているような感じはなく、お互いに宥めるような調子で。
 さても誰ぞ、しかし聞き慣れた声のような、と足音を忍ばせつつ近寄ってみれば、鬼岩窟の入り口辺りで立っているのは、主と彼の想い人であった。・・この場合の『彼』には二つの解釈があるが、どちらも間違いではない。
 さては痴話喧嘩か、さりとは何とも運が無い・・と嘆きつつも、立ち去り難く佇んでいると、会話の切れ端が耳に届く。
 「・・一人では、危険だと言っておるのだ、龍斗」
 「大丈夫。大丈夫。御屋形さまは心配性だ」
 つまり。
 龍斗が一人で鬼岩窟へ潜りに来たところ、御屋形さまに見つかって、引き留められているらしい。
 小柄な身体に、申し訳程度に纏った薄い胴着だけという、村の小童同然の姿で、片方の手首を取られて困ったように身を捩っている。
 あのなりで、龍斗は強い。多分は、村の中で一番強い。
 実のところ、鬼岩窟へも一人でひょこひょこと潜っているので、彼自身は、厄介なのに見つかった、と内心舌打ちしていることだろう。
 かといって御屋形さまの気持ちも分からなくはない。
 いくら強いとは分かっていても(しかも自分よりも)、想い人が一人で危険な場所に行くと言っているのを安穏と見送る気にはならないだろう。
 「せめて、俺と一緒に行ける刻限までは待てぬか」
 「いい、いい。御屋形さまは、お忙しい」
 ぷるんぷるんと首を振って、どうして分かってくれないのかなぁ、と上目遣いに見上げる姿は、大変に男心を鷲掴みにする魅力があったが、それでやに下がって「そうか、それなら・・」という風にはならなかった。余計に、「あぁっ守ってやりたいっ!」が増すばかりであったから。
 「ならば、他に誰ぞ・・・」
 「だって、だって。みんな忙しい」
 ・・・・・・これは、ここにいるのは、まずいんではなかろうか。
 ようやく思い至って、そっと離れようとしたとき。
 足下で、小石が小さく、じゃり、と鳴った。
 ぱっと龍斗が首を巡らせる。
 引きもできず進みもできず、硬直している火邑の前に、とととっと駆け寄って。
 目敏く、腰の革袋に気づいて、にっこりと邪気なく笑った。
 「ほむら、ほむら。潜りに来たのか?」
 「い、いや、そのよ・・・」
 回復薬を持っていながら、しかも、ここまで来ながら「違う」とは言えず、さりとてここで「そうだぜ」と言おうものなら一緒に行くこと間違いなし・・いや、俺としてはそりゃ良いんだが、御屋形さまが・・・と、言い淀んだまま、目線をちらりと走らせると。
 いつも穏やかで、静かな自信を漲らせた、尊敬おくあたわざる主が。
 陰々滅々とした氣を背に、こちらをじっとりと睨めつけていた。
 その瞳に潜むのは、敵愾心、嫉妬、それに殺気。
 普段は器の大きい主に、あからさまに敵意を見せられて、畏まるよりも先に驚きが立つ。
 あの主にここまで惚れ込まれるとは、何とも罪深い少年であることか。
 しかし、その同じ少年に、やはり好意を持ってしまった自分がいるわけで。
 相手が御屋形さまでさえなければ迫ってもいたろうが、何せ心底尊敬した主の想い人となると・・・。
 冷や汗を垂らしながら硬直している火邑に、妙に平穏な声がかけられた。
 「火邑。龍斗を頼むぞ」
 龍斗への気遣いに満ち溢れた内容でありながら。
 裏の「もしも龍斗が怪我の一つもしようものなら、外法ってやつを見せてくれる」なんて声が、ひしひしと伝わってきて。
 火邑は、ただ、「お任せ下さい」と虚ろに呟くより他はなかった。
 そんな緊迫した男二人の様子は気にも留めずに、龍斗は、嬉しそうに鬼岩窟へ駆け込んだ。
 「・・・おい、待てよ、たーたん!」
 火邑も駆け込んだのは、あくまで龍斗を一人にしたくなかったからで。
 決して陰気を背負った御屋形さまから逃げるためではない。
 多分。


 そんなケチの付いた始まりではあったが、実際に鬼岩窟に入ったからには、そんなことを気に病んでいる場合ではなかった。
 何せ、龍斗はどんどん潜る。
 浅い階層の敵なんぞ、目にも入ってない様子で、ひたすら潜る。
 火邑も、じきに御屋形さまのことは頭から追い出して、戦いに没頭した。
 ちなみに、二人の合い言葉は『やられる前に、やれ』である。
 回復役のいない組み合わせであるから、特に状態異常系の攻撃を喰らうと厄介だ。
 そのため、相手が動き始めるより前に殲滅する。
 それが二人の戦い方である。
 しかし、そのために右腕の火筒や炎撃を多用する火邑に比べて、龍斗は接敵しての直接攻撃を好んでいた。
 『氣』の射程範囲内でありながら、わざわざ駆け寄って直接拳を叩き込む。
 効率の悪い戦い方だとは思う。
 だが、そんな時の龍斗は、ひどく楽しそうであったので。
 火邑は無言で自分の敵に集中した。
 右腕の射程をくぐり抜けて間近に迫った敵を、左腕でかっさばきながら、龍斗の気持ちも理解できる、出来れば、俺もそんな戦い方をしてぇ、と思いながら。


 溶岩と石ころで出来ているような鬼岩窟だが、時には清水の涌く場所もあった。
 その階層の敵を排除し終えて、二人は、どちらからともなしに、いったん休憩しよう、ということになって。
 足下に転がる異形の死体を避けて駆けてくる龍斗は、側まで来て、にこりと笑った。
 そのあどけない笑みに似つかわしくなく、頬に飛んだ血飛沫(しかも緑色)を見て。
 火邑は、ふと思った。

 ひょっとして、この少年は、平和な世には生きていけないのではないだろうか。

 見かけは、虫をも殺さぬような顔をして。
 ころころとよく笑い、仲間とはしゃいではいるけれど。
 殺戮と血飛沫の戦場にいてこそ『生きている』実感の沸く類の人間。
 彼もまた、戦場にしか生きられない男だが・・・だからこそ、目前の小柄な少年を見て、そう思った。
 だとすれば。
 民をまとめ、平和な世の中にしようと尽力する御屋形さまとは相容れぬ生き方ではないだろうか。
 無論、そこに至るまでの過程では、役に立つだろう。
 だが、一端平和が訪れたなら、今度は彼らが異形となるのだ。
 だとすれば。
 龍斗は、誰と共に生きているのが、幸せか。
 
 ダトスレバ。

 それが、自分の願望であることに気づいて、火邑は首を振った。
 少年が、御屋形さまよりも、自分の傍らにあるのが相応しい、と、そんな大それたことを考えるべきではない。
 この焼け付く右腕を見ろ。
 血塗れの左腕を見ろ。
 どこにも、愛しい人を抱く腕は無い。
 

 「ほむら、ほむら。何、難しい顔してる?戦い足りないか?」
 小鳥のようなさえずりで、龍斗が火邑の着物の袖を引いた。
 にぃっと笑って、清水を指さす。
 「喉、喉乾かない?ちょっと休憩して、それから、それから、また降りよう?」
 「・・・おう」
 火邑は、また首を振って、自分の考えを追い出した。
 考えるのは、得意ではない。
 ただ無心に腕を奮う方が、よほど自分に似つかわしい。
 龍斗は、清水の縁に膝を突き、両手にすくって水を飲んだ。
 「おいしい」
 こくこくと鳴る反らされた喉に、水が伝い落ちて何とも艶めかしく、それを追い払おうと、火邑は慌てて自分も膝を突き、直接飲もうとした。
 「ほむら、ほむら」
 呼ぶ声に頭を上げると、目の前に白い両手が差し出された。
 「はい」
 両手にすくわれた水を、ここから飲め、と。
 遠慮するのもおかしいが、しかし龍斗の手から飲むのも・・と逡巡する火邑に、更に手が突き出された。
 口元まで運ばれたそれに、観念して火邑は口を付ける。
 唇に触れる柔らかな感触。
 冷たい水は、なんだかほのかに甘い香りすらするようで、心地よく喉に滑り込んでいった。
 「おいしい?ねぇ、おいしい?」
 褒めて貰うのを待っている子供の表情で、龍斗は笑う。
 「あぁ、戦った後の水は、うめぇぜ」
 旨い理由をすげ替えて、火邑は憮然と答えた。
 どうも、この子供に良いように扱われている気がする。
 自分が惚れているのを見抜かれて、遊ばれているように思うのだが・・・気のせいだろうか。
 火邑の様子を斟酌せず、龍斗はまた水を口に運んだ。
 顎に伝い落ちた水を細い指先で拭い、ぺろりと舌先で舐め取る。
 そうして、赤い舌先を覗かせたまま、火邑をちらりと見上げるのだった。
 どうにもこの子供は自分の魅力をわきまえているようで、それに容易く引っかかった男の様子が楽しくてたまらないらしい。
 無言のまま柔らかそうな唇を凝視している火邑に満足したのか、龍斗は、すぅっと無邪気な表情に戻った。
 「ほむら、ほむら。左手、貸して」
 「お、おう」
 はっと我に返って、言葉の通りに左手を突き出すと、龍斗は濡らした布で刃を拭き始めた。
 「たーたん?どうせまた降りんだろ?」
 「違うの、違うの」
 きゅきゅっとあらかた吹き終わった龍斗が、懐から袋を取り出した。
 「あのね、あのね。泰山が、泰山がくれた」
 ばらりと袋の口をほどけば、こぼれ落ちるキノコやら栗やらの秋の味覚。
 「・・・あぁん?それで?」
 手を洗って食べましょうってか?と胡乱げにみやる火邑に、にっこりと笑って。
 龍斗はキノコを左腕の刃に突き刺し始めた。
 「・・・たーたん・・・」
 ついでに握り飯まで刃の合間に挟まれて。
 愛しい人が微笑んで言うことには。
 「ほむら、ほむら。ぷーっして、ぷーっ」
 ・・・口からの炎で、これを焼け、と。
 いくら拭いたとはいえ血塗れだった刃に刺して、食うんじゃねぇ、とか。
 そもそも他人の大事な得物にキノコ刺してんじゃねぇ、とか。
 特に握り飯は止めろ、飯粒が刃にこびり付くじゃねぇか、とか。
 嵐王にどう言い訳すりゃいいんだ、とか。
 いろいろと言いたいことを飲み込んで。
 黙って火邑は『ぷーっ』した。
 にこにこ笑っていわゆる三角座りをしている龍斗の、見えそうで見えない太股の付け根に気を取られつつも、いつの間にやら辺りには良い香りが漂ってくるのだった。
 「出来た?出来た?」
 目を輝かせて、龍斗は一本キノコを取る。
 あちち、と叫びながら、宙に何度か放り投げては受け取って。
 真珠色の歯を立てて小さく囓り取って、
 「美味しい」
 と、笑う。
 それなら自分も、と食べたいところだが、刃は真っ赤に熱していて、キノコを食おうとして線状の火傷の跡がつくのはマヌケだ、と躊躇っているうちに。
 龍斗が、割いたキノコを口に運んでくれた。
 「ほむら、ほむら。あーんして、あーん」
 大の男が『あーん』は無いだろう、とか、御屋形さまに見られたら変生させられるぜ、とか、またしても頭の中にはぐるぐるしたけれど。
 想い人に可愛く小首を傾げられて『あーん』なんて微笑まれたら、全てが吹っ飛んで。
 「・・あーん・・・」
 キノコやら握り飯やら、全部龍斗の手ずから食べさせてもらった火邑だった。

 結局左腕にくっついた飯粒は、火力を強めて炭化させてこそげ落とし。
 ぶんぶんと振るのを、龍斗は右の肩口当たりの着物を掴んでぶら下がるようにしがみつきながら眺めた。
 「便利な、左腕だねぇ」
 殺戮の道具でしかないはずの左腕を、龍斗はそう評した。
 しみじみ感心した口調からすれば、本気でそう思っているのだろうが・・・焼き串代わりにされて、喜んで良いのやら怒って良いのやら。
 「まったく・・・たーたんにゃ敵わねぇなぁ」
 苦笑して左腕の調子を確かめて開閉すると、耳元で、鈴が転がるような笑い声がこぼれた。
 そして、ようやく龍斗は着物を離して次の階へと歩き始め。
 2,3歩進んだところで、ふと振り返った。
 「早く、早く行こうよ。もっと、遊ぼう?」
 
 浮かぶ微笑のあどけなさ。

 異形のものとはいえ、命を奪うことを『遊ぶ』と称するこの少年は。
 やはりどこか狂っているのだ、と。
 殺戮に酔い、血に狂う。
 けれど、だからこそ、龍斗はキレイだ。
 そう感じてしまい、そしてそれに魅入られた自分もまた正気ではないのだろう。

 だが、願わくば。

 願わくば、この地獄のような熱気の中で。
 草木も生えぬ溶岩と、異形の死体の溢れるこの道行きを、永遠に二人で並んで行けたなら。

 それが俺にとっての『ぱらいそ』というやつだ、と。
 火邑は思うのだった。 



ジーダの言い訳
暗号20000を踏まれた綾月魁夜さまのリク『火邑主』です。
・・・何が言いたいのか、自分でもわからん(苦笑)。
火邑は御屋形さまとは張り合えないへたれなんです・・。
いやあ、あの時代、自分の君主の愛人(違う)に手ぇ出すって、
相当の勇気が要りますわな(死罪もの)。
しかも、尊敬している主ですからねぇ。
さっ、次は『真ん中の足』狙いだ(笑)


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