最後の、楔
その日、東の神殿は、静寂に包まれていた。
僅かに見える、年若い神官や、学生達は、足音すら潜めて廊下を渡ってゆく。
大賢者フィーレ。
その生涯が、閉じようとしていた。
神殿の奥まった一室に、フィーレは横たわっていた。
周りには、彼を敬愛する神官や学生達が、ひっそりと控えている。
その時。
ノックの音がした。ごく自然な、音。しかし、死の床には不似合いな。
みなの目線が集中する中で、その扉は開いた。
初めは・・・ソレが何者か、誰にも解らなかった。
ソレは、咎め立てする視線を、平然と弾き返しながら、極自然な動作で、ベッドに歩み寄る。
蜂蜜色の髪と、空色の瞳を持つ、少年だった。
だが、しかし・・・磨き上げられた象牙のような白い顔に、映える唇には血を思わせる紅がさされて。瞼には、娼婦が好むような金粉がはかれ、幼ささえ感じさせる目元を妖しく彩っていた。
青白く、血管が浮き出そうなほどに透き通った肌を覆うのは、胸元とかろうじて局所を隠す短いズボンのみ。後は、首や四肢に巻かれた細いベルトと、それから絡みつく、細い銀の鎖が、少年の『衣服』であった。
そして、染め上げられた皮と同じ赤紫色の斑点が、露わになった柔らかい皮膚に散在している。幾分色素の沈着した黄緑がかったそれと新旧混在したその印は、明らかに情交の痕である。
場違いな、ソレを追い返そうとした若い神官は、ソレの後からついて入ってきた影に、思わず後ずさった。
少年の肩ほどもある、巨大な獣が、のっそりと戸口から現れる。
漆黒の艶やかな毛皮。金色に光る猫科の瞳。
そして、何より、禍々しいほどに鋭く長い牙が、人間界には存在しない獣の所属を誇示している。
その、凶暴かつ優美な獣を従えたソレに、ベッドの前にいた者達は、道をあけた。
しゃらん、と硬い音をたてて、ソレは、賢者の枕元に上半身を傾ける。
「こんにちは、フィーレ先生」
何気ない言葉でありながら・・・その声に含まれるのは、甘い響きであった。
爛熟しきった果実が、地面に落ち、発酵しかけているような、微かな腐敗臭さえ漂わせる甘い声。
「・・・リアム、か」
賢者は、ゆっくりと、目を開け、かつての愛弟子を見やった。
その名を聞いて、ざわめく周囲を制するように、賢者は語を継いだ。
「よう、来たのう・・・随分と、久しいようじゃが・・・元気にしておったか・・・」
「そうですね。お久しぶりです、先生」
柔らかな、微笑を浮かべて、少年は、続けた。
残酷なまでに優しい口調で。
「もう、人間は、死ぬ頃だということに、気付きませんで」
無礼な言葉に、色めき立った学生が、少年を追い出そうと動いた。
青年と少年の間に、するりと入った漆黒の獣が、威嚇するように牙を剥き出す。
「およし、ダークマター」
白い手が、使い魔の頭に添えられた。
すり、とそれに頭をすり寄せるが、細められた瞳は、剣呑な光を消すことなく、学生に向けられている。
学生は、力無く、その振り上げた手を下ろした。
目前に存在する者は、人間では無かった。
ソレに対して、人間は、あまりに無力であった。
「リアム・・・」
「はい、フィーレ先生」
「そなたは・・・今、幸せかね?」
賢者の問いに、驚いたように、空色の瞳が見開かれ、ついで、細められた。
「ええ・・・とても」
極上のクリームを嘗め終えた猫のような表情で、少年は答える。
「とても、幸せです。・・・・・先生は、幸せですか?」
「ワシかね?」
慈愛に満ちた目を、愛弟子と、周囲の若者に走らせて、老賢者は、穏やかに笑った。
「ワシは、幸せじゃよ・・・。よい、人生であった。・・・最後に、そなたにも、また会えたしのう・・・ジーア様のお導きであろうて・・・」
「・・・まだ、死にたくない、とは思いませんか?」
「はて、のう・・・ワシは、長く生きてきた・・・満足しておるよ」
「・・・そうですか」
ふいに、興味を無くしたかのように、無表情になって身を起こした少年を、老賢者は、優しく見つめた。
「もう、行くのか?」
「えぇ。・・・明るいところは、好きじゃないんです」
室内に差し込む、柔らかな日差しに目をやって、少年は、肩をすくめた。
「さよなら、フィーレ先生」
「・・・では、の。リアム」
満足そうに、目を閉じた老賢者を、少年は、一度も振り返らなかった。
神殿の外に出て、日差しを顔面に浴びたリアムは、忌々しそうに、目を細めた。
そして、鼻を鳴らして、空中に漂う主の匂いを追う。
駆け出すリアムの脚元に、まとわりつくようにして、漆黒の獣もそれを追う。
森の中は、幾分涼しく、そして、幾重もの葉に遮られた日差しは、多少リアムの目を和らげた。
見上げた先に、最愛の悪魔を見つけて、リアムは少し笑った。
「珍しいですね。・・・樹の上にいるなんて」
「・・・ふん」
面倒くさそうに答えるクレイドルは、一瞬だけ下に視線を落としてから、また、腕を組んで微睡みの続きに戻ろうとした。
するすると、少年と、獣が樹上に登る。
クレイドルの座る前に跨って、リアムは首を傾げた。
「帰らないんですか?」
「・・・まだ、な」
リアムは、『飛ぶ』ことが出来ない。ここへ来るのにも帰るにも、、クレイドルが必要だ。
主が、帰る様子が無いのを見て、リアムはますます不思議そうな顔をする。
クレイドルが、リルダーナの光を嫌っているのは、当然の事実だというのに。
クレイドルは、マントを外し、リアムの身体に巻き付けて、腕に抱き取った。大人しく、身を寄せる少年の唇を、嘗め取るように、口づける。
幾度も、角度を変えて貪られるそれに、リアムも柔らかな舌を出して、答える。
唇を離し、リアムの顎を伝い落ちる滴を拭って、クレイドルは満足そうに目を細めた。
リアムの唇を彩っていた紅が、すっかりはぎ取られている。
「・・・お前には、やはり、似合わない」
「・・・貴方にも、ね」
呆れた顔で、リアムは、まだらに染まったクレイドルの唇を指で拭い、ついでにぺろりと嘗め取った。
「・・・せっかく、綺麗に塗ってもらってたのに」
クレイドルの肩に顔を埋めて、リアムは怨ずるように囁く。
クレイドルは、腕の中で、静かに息づく彼の贄に目を落とした。
おかしな、生き物だ、と思う。
コレの思考を理解しようとすることは、とっくに諦めた。かつては、全てを理解しようと、躍起になったものだったが・・・今は、解らなくとも、それでいいのではないかと思うようになった。
例えば、今回のこの姿。
化粧など、シトラとの賭に負けて以来のことだし、この衣装を着けたのも、2度目に過ぎない。1度目は・・・かなり強要してのことであったし。
そもそも、クレイドルには、人間の『師弟』というものが理解できないし、リアムが賢者に抱く気持ちも、よくは解らない。
だから、リアムが何を考えて、師に再会するのに『この姿』を選んだのかは、知らない。
推測はする。本人に聞けば、多分、答えもするだろう。
だが、それが真実かどうかは解らない。
そういう、あやふやなままにしておいても、不愉快にならないというのは、驚くべきことだ。
自分の意識が、変化したことは認める。変えたのが、このひ弱い存在だということも、認める。
そして、それが、別段、不快でもないことも。
思いついて、腕の中の少年の、ぴっちりとしたズボンのポケットを探る。
かさり、と小さな紙包みが触れた。
「・・・使わなかったのか」
「必要、無いそうです」
無表情に答えて、リアムは、その薬包紙を拡げた。さらさらと、緑色の粉が落ち、風に巻かれて散っていくのを眺める。
若返りの薬。
一部の人間にとっては、国が買えるほどの値を付けても、欲しがるであろう禁断の薬。
クレイドルは、知っている。
賢者に死が近づいていると知って、この子供がどれだけ心を痛めたかを。
クレイドルか、シフィールにでも頼めば、すぐにでも出来る薬を、自分の力のみで作り出そうと、ほとんど不眠不休で術を施行したのを。(実際のところ、クレイドルがこっそり力を加えたり、差し替えたりもしたのだが)。
賢者は、それを知っているだろうか。
気付いていて欲しい、とクレイドルは思う。賢者は、それを見越して、それでもその薬を拒んだのであればいいと思う・・・リアムのために。
リアムが、更にクレイドルにすり寄ってきた。頭を撫でてやると、そうっと顔を上げて、訴えるように見つめてくる。
その瞳の中にあるのは、怯え、不安、そして苛立ち。
リアムの魔力は大したことがないが・・・その嗅覚だけは、アンヌンでも一、二を争う鋭さだ。
クレイドルにさえ、かぎ取れる死臭を、リアムは誰よりも鋭敏に感じ取っているのだろう。・・・愛する師が、死んでいくその匂いを。
大切な人が、徐々に弱って死んでいくのを、ただ、感じ取るだけ、というのは、辛いことだろう。自分の無力さを、思い知るだけだから。
逃げ出すことは、容易だ。このまま、連れて帰れば、その瞬間に立ち会わなくても良い。
だが、それをすれば、きっとリアムは、一生悔やむだろう。
多分、リアムは、ここにいたいとは言わない・・・彼が、リルダーナの光を嫌っているのを知っているから。
全ては、クレイドルの推測に過ぎない。それでも、彼は、ここにいることを選ぶ。それが、リアムの望みだと思うから。
だが、リアムは、アンヌンにまで逃げ帰ることは望んでなくとも・・・当面の逃避は望んでいるようだ。迫ってくる死臭に落ち着きを無くしている。
躊躇いがちに、口を開いて、何かを言いかけ、また、閉じる。ふいに、その瞳に凶暴なほどの光を宿したかと思うと、クレイドルから身を離し、うずくまるような姿勢になった。
クレイドルのベルトを外し、下半身を露わにさせ、挑むように見上げる。
「・・・いけませんか?」
「・・・好きにしろ」
許可を得て、リアムがそれに唇を寄せる。
リアム曰く、クレイドルの匂いは、リアムにとってグラウメリーの様なものなのだそうだ。もっとも・・・魅惑と言うよりは、麻薬のような作用らしい。匂いが薄れると気が狂いそうになる。どんなに遠くにいても、クレイドルの匂いだけは、識別して、追ってくる。
そして・・・上の口からも、下の口からも、クレイドルの精を注ぎ込まれているのが、最高に幸せな状態だ、と言う。
自分の躰の内から、クレイドルの匂いがしていれば、少しくらいなら、離れていても、寂しくはないのだ、と言う。
だから、死臭を打ち消すのに、クレイドルの匂いを選ぶのは、リアムにとっては自然なことなのだろう。
そうしていれば、何も考えなくてすむ、というように、リアムは無心にクレイドルの雄を育てている。クレイドルに奉仕するというより、飢えを満たすための貪欲さで。
そして、口一杯に拡がる、その匂いを味わうかのように、舌なめずりをした。
だが、陶酔の表情に変わったのは一瞬。また、焦燥感が眉を曇らせ、口を開けて、かがみ込もうとする。
苦笑して、クレイドルは、リアムの身体を引き寄せた。
幾度も口づけ、跡の色濃く残る肌に、新しい咬み痕を乗せると、ぴくんっとリアムの身体が反応する。
「ここ・・・で?」
困惑の表情で、呟いている。
今更、だと思う。
隣の枝でくつろいでいるサーベルタイガーと同じ姿勢で、男の下半身に顔を埋めていた人間の言う台詞ではない。
確かに、枝振りが良く、安定しているとは言え、樹上で事を行うのは、クレイドルにしても初めての体験だが。
ざらついた枝に擦れ、白く毳立つ柔らかな皮膚に舌を這わせると、瞬間はしみるような痛みに眉を顰め、すぐに陶然となる。留め金を外し、露わにした胸には、爛れたような赤い実が二つ、すでに硬く立ち上がっていた。無言で、それを軽く弾いてやると、
「だって・・・この服、硬くって・・・擦れたんですっ」
言い訳がましく、頬を染めた。確かに、そこは痛々しいほどに腫れ上がっている。舌先で押しつぶすように嘗めると、僅かに滲出した体液の味がした。
リアムは、小さく悲鳴に似た声を漏らして、仰け反りかけて・・・がくんっと枝を挟んだ脚が滑り、慌てて、クレイドルに手を伸ばした。胸を嬲り続けるクレイドルの頭を抱きかかえるようにして、縋りつく。
頭上から、断続的に喘ぎが降ってくる。細い両脚が、宙を掻いているのを、目の端で捕らえて、震えている腰を引き寄せ、密着させた。
それだけで達したかのように、鋭い鳴き声を上げて、リアムはクレイドルの両肩にしがみつく。
ズボンのベルトを緩めて、後ろに手を這わせると、そこはすでに綻んでいた。難なく指を飲み込んで、物足りなさそうにひくついている。指を増やすと・・・耳元で漏らす熱い吐息に、哀願の色が混ざった。
いつもより、格段に、高ぶるのが早い。
狂いたい、というのなら、それもいいだろう。
抱き上げた躰を裏返して、両膝裏を抱え、小児におしっこでもさせるような姿勢にする。そのまま、ゆっくりと、落とした。
途端に上がる、嬌声。半分まで飲み込んだ躰が、痛いほどに締め付けてくる。宥めるように、汗ばんだ首筋を軽く啄んでやる。
自分を支えるクレイドルの腕に爪を立てて、リアムは、小さく吐息をついた。そのまま、自分で、呼吸を合わせて、躰の中心を貫く雄蕊を導き入れる。全てを納めると、膝を戒めるように引っかかっていたズボンを、振り払うように下に落とした。
身を揺らしているのは、単調な律動なのに・・・リアムは、幾度目かの精を放った。悲鳴を上げて、気を遣っても・・・変わらずに続けられている突き上げに、また意識を取り戻し、熱い内壁を蠢かせて、奥へ飲み込もうと躰が反応する。
もはや、瞳は虚ろに宙を映し、悲鳴を上げ続けた声は、かすれているが・・・こじ開けるように、また喘ぎが喉を突く。
日が、暮れる。
夜の気配と共に・・・死臭も濃くなってくる。
クレイドルは、リアムの腰を掴み、更に奥へと突き上げた。
譫言のように、クレイドルの名と・・・別の名を呼び・・・リアムは、何かを打ち消すように、頭を力一杯振っている。
クレイドルが、リアムの最奥に精を放ち、それを受けたリアムが甲高い悲鳴を上げて、誰のためとも知れぬ涙を振り零し、瞬間の死を迎えるのと・・・東の神殿が、忌々しいフラヒスの光に包まれるのは、同時であった。
今度こそ、意識を失ったリアムを抱き取って、クレイドルは、それを見つめる。神殿中を包んだ光は、急速に1点へと集中していく。
数分後・・・、それは、迷うように宙に浮いた後、こちらへ向かってきた。
時折、躰を引きつるように震わせているリアムの耳に、息を吹き込む。
「リアム・・・お前に、客だ」
物憂げに、目をうっすらと開けたリアムの前に、光が降り、人型をとった。
「こんにちは、アドルさん」
小さく、挨拶をする。予想していなくはない、天使であった。神殿の長が亡くなるともなれば、それなりの地位の者が、迎えに来るだろうから。
するり、と滑り落ちるように、リアムの身体が宙を舞い・・・猫を思わせる柔らかさで、下生えに降り立った。
故意か、偶然か・・・華奢な体躯を覆ったマントが翻り、白い下肢が、一瞬煌めき、また、暗紫色のマントに隠れる。
僅かに目線をずらし、アドルは動揺した声を漏らす。
「あ・・・その・・・元気そうで、何よりだ。・・・いや、そういうことを言いたいのでは無くて・・・」
ごほん、と咳払いを一つ。
「・・・変わっていないのだな、お前は。・・・やはり、『魔』に墜ちてしまったのか・・・」
数十年を経て、容姿が変わらないことを指しての言葉であろうが、セリフと、痛ましいものを見るかのような視線に反応して、リアムは、軽やかな笑い声を零す。
「変わっていませんか?僕は?」
樹上で寝そべっていたサーベルタイガーが、リアムの横へ向かい、掌に、吸収された。
顔を顰めて、クレイドルも下へ降りる。リアムが、密かに臨戦態勢を取ったのを知っているから。天使と悪魔は、和解はしていないが、それでも以前ほどの緊張関係にあるわけではない。余計な刺激はするべきではない。
気付かず、アドルは冷や汗をかきながら、何かを言おうとしている。
気の毒な、男だ。
かつては、敵と思い定めた天使を、クレイドルは、憐憫の情さえ持って、眺める。
「その・・・リアム、お前は、リルダーナには、よく、来るのだろうか?・・・あまり、会った覚えはないが・・・」
「それは、デートのお誘いですか?アドルさん。・・・そういうことは、クレイドルがいない時に、言って欲しいな」
小首を傾げて、微笑む様子は、人間であった時と同様に、無邪気なまでに可愛らしい。
だが、その、空色の瞳には、微かに敵意が潜んでいる。
音も立てずに、アドルに近づき、ふわ、と両手を上げた。それにつれ、マントが捲れ・・・下半身が露わになる。
剥き出しの、白い下肢。後孔から、白濁した液体が、螺旋状に伝い落ちている。
抱きつくように近づいた、かつては・・・いや、今も愛している少年の身体を、アドルは、思わず突き飛ばした。
リアムは、全く抵抗しなかった。そのまま後方に吹き飛ばされ・・・クレイドルの腕に収まった。
アドルは、咄嗟の自分の行動に、狼狽えている。
クレイドルは、小さくため息をついた。
「・・・すまんな。躾が、なっていなくて」
まさか、謝罪の言葉が出るとは思ってもいなかったのだろう。アドルは、更に動揺している。むしろ、怒りでもぶつけられた方が、落ち着いただろうに。
「いや、・・・その・・・俺の方こそ、すまなかった。つい、いや、だから、その・・・とにかく!」
思い切ったように、アドルは、いきなり直立不動になる。
「賢者殿の魂は、必ず、俺がフラヒスに運び、天界に召し上げられるようにするから!・・・安心してくれ、と言いたかったのだ!」
クレイドルは、リアムの口を手で塞ぐ。何やら、不穏な気配がしたため。
唸って、その手を外そうと、じたばた暴れるリアムを抱き留めて、クレイドルは、もう一度、ため息をついた。
「さっさと、フラヒスに帰れ。大事な魂を、落とさないように、な」
またしても、予想外のクレイドルのセリフに、アドルの目が丸くなる。不思議な物でも見るかのように、クレイドルとその腕の中のリアムを交互に見やり・・・不愉快も露わに、くるりと、振り向いた。
「リアム・・・また、な」
言い残して、光となり、フラヒスに戻っていく天使に、やっと、手を振りほどいたリアムが、叫んだ。
「またな、じゃなくて、さようなら、ですよ、アドルさん!」
多分、聞こえていない距離だが。
ぷっと膨れて、リアムは、クレイドルの手に歯を立てる。
「・・・帰るぞ。ズボンを履いてこい」
「なんで、邪魔するんですか〜!色々、言ってやりたいことが、あったのに!」
呪いの文句を吐き散らしながら、リアムは落としたズボンを見つけだす。
「大した魔力も無いくせに、ケンカを売る癖は、どうにかしろ」
「クレイドルが、何とかしてくれるから、平気だもんっ!!」
実に、困った贄である。
まだ、何か言い募るのを、うるさそうに手を振ることで黙らせ、クレイドルは、少年の躰を抱き上げた。
「さて、と。さっさと、その脂粉臭いのを落とせ」
「臭いって・・・シトラさんが聞いたら、泣きますよ。シトラさんに頂いた、最っ高っ級の化粧品なんですから」
ぶーぶーと、文句をたれるリアムを、風呂場に追い込んで、クレイドルは、また、ため息をつく。
まったく、この贄は・・・自分の持ち物でありながら、自分の思い通りになったことなど、一度もない。
ぴんぴんと、元気に跳ね回り、クレイドルを、愛する静寂と闇の世界から引きずり出す。
たとえ、『魔』になってでも、変わらない、この人間らしさが、アンヌンの他の悪魔達をも惹きつける。
だが、しかし。
リアムは、変わらなさ過ぎた。
「永遠に、俺の物にしてやる」と、クレイドルは言った。
「僕は、有限の存在ですよ」と、リアムは言った。
その時は、人間は「永遠」というものを、理解できないだけだろうと思っていた。自分と共に、永い時を過ごせば、自然に解るようになるだろう、と。
リアムの方が、正しかったようだ。
人間は、「永遠」を理解出来ないのではなく・・・受け入れられないのだ。
たとえ、身体が『魔』となり、永遠を生きられるようになっても・・・精神は、生きていけない。
少しずつ、本当に、少しずつだが、確かに、狂ってきている、子供。
人間であった時を覚えている、あの賢者を失ったことで、リアムとリルダーナを結ぶ絆は、全て失われた。これから・・・ますます、歪みは加速するのだろう。リアムが失ったものは、愛する師だけでなく、彼の正気をつなぎ止める楔だ。
人間であることを選べば・・・「永遠」を受け入れられず、狂ってしまう。それは、精神の死。
魔であることを選べば・・・「人間としてのリアム」は消滅する。
ひ弱い存在でありながら、リアムは、それを黙って受け入れている。アンヌンにいることで、歪みが生じて来ていることは、本人が一番よく知っているのに。
それでも、リアムは、ここに・・・クレイドルの傍らにあることを選んだ。
「僕の、望みは、貴方と一緒にいることです。・・・そして、出来ることなら・・・」
そう言って、リアムは、照れくさそうに、笑った。
「・・・出来ることなら、貴方が、大事な物を見出す時に、側で同じ物を見ていたいんです。貴方の横で、貴方と同じ方を向いて」
力も何もない、ちっぽけな存在が、そんなことを望むのは、大それた事かも知れないけど、とリアムは言った。
それならば、と、クレイドルは思う。
リアムが、彼と共にあることを望むのなら・・・彼もまた、この子供の側にいようと。
狂ってしまって、彼の手を取った人間の少年とは、違ったものに変貌してしまったとしても。
どうせ、悪魔とて、永遠を生きられるのではないのだ。長いか、短いかの違いだけで、生き物は、産まれた瞬間から、死に向かって歩んでいることに、変わりはない。
だから、この、妙な子供と、最後まで、付き合ってやろう。
たとえ、それが・・・
破滅であっても。
あとがき
「あ〜、暗いものを書いたな〜」と思いつつ、読み返してみたら・・・ひょっとして意図とは逆に、ラブラブ?クレイドル様、リアムに甘すぎ?
実はこれ、「夜、来たる」の二人の行き着く先です。いや、あっちがあまりにも、進展が遅くて、キス一つしかしとらんので、つい、終わっちゃった人たちを書きたくなって(苦笑)。
ここから、先は、書きません。だって、「悪魔と、その手を取った人間の少年」の話じゃなくて、「悪魔と、その情人の魔」の話になるんだもん(笑)。それって、ほとんどオリジナルじゃん。いや、今でも十分、ゲームから離れてるけど。
ここまでかましといて、何ですが、うちのリアムはクレイドル様が想像する以上に図太いので、そう簡単にあっちの世界にイっちゃったりしません。「クレイドルのためなら、何でもする」の「何でも」部分が、人間離れしていくだけ(笑)
・・・そして、二人は、仲良く、暮らしました。・・・・ダメ?(笑)
最後に・・・フィーレ先生、ごめんなさい(でも、この時代の人間としては、破格に長生きしてますので、それで許して下さい)。アドルさん、ごめんなさい(今更)。でも、書いてて、楽しかったです。ごめんなさい。このアドルは、未だにリアムに懸想中です・・・報われんのぅ・・・。