リハビリテーションプログラム


 「まぁったくよぉ。ようやく出てきやがった」
 「それで、それで?リアムは、どうしてんだ?変わっちまった?」
 「ふふ・・・お前にしては、随分と御執心じゃないかえ?」
 
 定例大悪魔御前会議(シフィールが寝てるときには、ただ4人集まってだべって帰るだけの会議)に、久々に参加したクレイドルは、早速3人に取り囲まれた。
 いつもなら、面倒くさいため、数分、義務的に参加して、他の3人がお茶を飲むのを後目に、早々に引き上げるのだが、今回ばかりはそうもいかない。
 それに、クレイドル自身も意識してはいなかったが、実のところ、天使悪魔を問わず気に入られていた少年を自分が獲得したという事実は、なかなかに自尊心をくすぐるものであり、その話題に関して聞かれることは、決して悪い気分では無かったのである。

 しかし、一見は、面倒くさそうに、クレイドルはじろりと3人を見た。
 3人とも、好奇心に満ち溢れて、目を光らせている。
 退屈なアンヌン暮らしから、せっかく逃れて面白いイベントを楽しんでいたのに、それを強制中断させてしまったクレイドルとしては、彼らの好奇心を満たしてやる義務(・・よりは努力する方が望ましい)があった。

 「ふん・・・そんなに気になるなら、実際来て、見てみればどうだ?」

 結果、とてもクレイドルの口から出たとは思えないようなセリフが飛び出すのであった。


 3人を従えて、クレイドルは自分の塔に戻った。
 術で閉じていた扉を開き、中へ一歩踏み入れると。
  
 「あ、おかえいなひゃい・・くえいどゆぅ」

 高い吹き抜けの玄関に続く広間に、螺旋状の階段があり、その半ばほどにうずくまった少年が、クレイドルを認めて、嬉しそうな声を上げた。
 そして、立ち上がろうとして・・・バランスを崩すのを、クレイドルが素早く階段を駆け上がり、それをすくい上げた。
 「・・・勝手に部屋を出るな、と言っただろう!」
 「ごえんなひゃあい・・えんひゅう、ひてはのー」
 にこにことリアムはクレイドルの腕の中で、悪びれずに笑った。
 そうして、ようやく目線をクレイドルの肩越しにやって、3人を認めた。
 「ほんにひはー」
 舌足らずな言葉に度肝を抜かれていた・・というか、ちょっぴり「か、可愛いっ!」などと赤面していた3人が、はっと我に返る。
 全裸にシャツを羽織っただけのリアムの身体に、マントを巻き付けるようにして、クレイドルはその身体を抱え上げた。
 ゆっくりと階下に降りてきたクレイドルの周囲に集まり、3人の大悪魔はリアムを覗き込んだ。
 「よぉ、リアム。調子はどうだい?」
 「え〜、リアム、全然変わってないじゃん」
 「ふふ・・舌っ足らずなのも可愛いけどねぇ。見かけは変わんないんだねぇ」
 蜂蜜色の髪に空色の瞳。
 微笑む少年の姿は、人間であったときと、全く変わらなかった。
 何か言おうとしたのか、口を開きかけたリアムを制するように、クレイドルは抱き上げたまますたすたと歩いていく。
 「いつまでも、そんなところで話をしていたいのか?」
 ふん、と鼻を鳴らして、クレイドルは使い魔にお茶の準備を言いつけた。
 客人にお茶を出すなんて、これまでのクレイドルには考えられない反応である。
 変わってしまったのは、人間の少年ではなく、大悪魔の方であったらしい。
 3人は、こっそりと目配せをし合いつつ、クレイドルの後を追うのだった。

 いつから使われていないのか分からないような茶器に、顔を顰めつつ、シトラがまず口を開く。
 「それで?坊やはどういう状態なんだい?」
 クレイドルの膝の上でだらしなく手足を投げ出しているリアムが、のろのろとそちらに目を向ける。
 「見ての通りだ」
 クレイドルは、素っ気なく言い捨て、リアムの身体を抱き直した。
 「全然、変わってねぇのかよ?」
 ばりばりと茶菓子を齧るナデューに、リアムは、ぽそっと答えた。
 「見えゆ」
 「あぁん?」
 「くあーても、見えゆんえしゅ」
 「・・・・何言ってんのか、さっぱりわかんねぇ」
 「暗くても、見える、と言っている。・・ただの人間は、この程度の灯りでは、何も見えない筈だがな」
 周囲は、辛うじて燭台が灯され、うっすらと明るい。
 これですら、客人用に灯されたのだ。普段クレイドルは、闇の中で住まうことを好むから。
 リアムが、多少は変化した、ということは分かった。
 だが、何より聞きたいのは。
 「それで、それで?何で、そんなへーんな喋り方なんだよ?」
 興味津々に目を輝かせるロキに、リアムは、あーうーと話しかけて、困ったようにクレイドルを見上げた。
 「・・・まだ、この身体に馴染んでいないんだろう。最初は全く身体が動かなかったのが、ここまで動けるようになったのだがな」
 何でもないように言っているが、クレイドルがリアムを支える様子は、丁寧で細やかである。
 投げ出された四肢に負担がかからぬようにうまく座らせ、リアムの言いたいことを代弁する。
 長年連れ添った夫婦もかくや、という有様であった。
 そのへんには目を瞑り(なんだかんだ言って、リアムに皆惹かれているのである)、その内容に心を向けて、大悪魔たちは納得した。
 自分たちも、『堕ちた』ときには覚えのある事象である。
 身体が軋み、筋肉や骨が悲鳴を上げて、じわじわと変わっていく感覚。
 天使や悪魔が痛みに強い、ということを差し引いても、あまり再度体験したいことではない。
 「ようやく理解したか」
 愚か者め、と続きそうな口調で言って、クレイドルはリアムを腕に立ち上がった。
 「くえいどゆ?」
 「お前は、もう休め」
 うーうー呻って抗議するリアムを、さっさと部屋に運んでいく。
 ベッドに柔らかく落として、ほんの少し、前髪と額を弄んで、クレイドルは、また客間に戻った。

 「・・・大丈夫なのかよ」
 ふてくされたような口調でありながら、どうやら本心から心配しているらしいナデューに、ちらりと目をやる。
 「さあな」
 「え〜!?リアム、なんか、やばいの?」
 「馬鹿だね、覚えてないのかい?変化の途中で、耐えきれずに死んだ奴だっていたろう?」
 「俺、知らねーもん」
 クレイドルは、足を組んで、ふぅっと息を吐いた。
 「少しずつは、動けるようになってはいるが・・・あれは言わないが、かなり痛みは強いようだな」
 ほんの少し身じろぎするだけでも、筋肉が緊張して汗ばみ、脈が速くなるから。
 触れているとリアムが苦痛を感じているのは、よく分かる。
 「『変化』は、まあ・・・私らにとっても、苦痛だったからねぇ。人間にゃ辛いだろうね」
 当時のことを思い出したのか、イヤそうな顔で、シトラはぱたぱたと羽扇を使った。
 「でもさ。でもさ。だんだん、良くなってんだろ?なら、大丈夫じゃん。リアム、痛いの得意だっつってたし」
 「いつ、そんなこと聞いたんだよ」
 「え〜?リアムがクレイドルと仲良いって言うからさ、『痛いの平気か?』って聞いたら、『平気』って笑ってたもん」
 どーいう意味だ、とクレイドルは幾分顔を顰めたが、何も言わなかった。
 少しの間、沈黙が落ちて。
 「ま、クレイドルにゃクレイドルの考えがあるんだろうからな。どうせ、何言ったって聞く奴じゃねぇだろ」
 場違いなほど明るい声で、ナデューは肩を竦めた。
 つられて、笑い声を立てながら、シトラがちらりとクレイドルを横目で見る。
 「そうだねぇ。クレイドルにしちゃあ、なかなか坊やを可愛がってるようだしねぇ」
 「・・・ふん」
 否定もせずに、クレイドルは無表情のままだった。

 
 3人が辞去した後、寝室に戻ると、リアムは静かな寝息を立てていた。
 その身体を撫でてやりたいが、皮膚も随分と過敏になってしまい、触れるだけでぴりぴりとした痛みが走るらしいので、それも叶わない。
 峠を越せば、永遠に共に生きられるのだろうが、リアムが苦痛に耐えている様子をみると、密かな悔恨に囚われる。
 いっそ、痛いと泣き喚かれたほうがマシかも知れない。
 こんな風に、痛みを隠して、微笑む様子をただ見ているしかないのなら。

 リアムは、一日の大半を寝て過ごしていた。
 起きている少しの間に、自分でゆっくりと身体を動かしている。
 痛いのならば、じっとしていればよいのだろうが、動かないと衰えて動かなくなりそう、と痛みを押して少しずつ動いている。
 クレイドルが見ていないときには、苦痛に顔を歪ませ、汗びっしょりになりながら。
 やめろ、と言うことは容易いが、この少年が聞き入れるとは思えない。
 意外と頑固なのだ。ま、そうでもなければ、悪魔を愛して、こんなところまで来ていないだろうが。
 だから、ただ、あせるな、としか言わない。
 きっと、自分たちには、永遠の時間があるのだから、そんなにあせることは無いのだ、と。


 さて、数日後。
 まず、塔を訪ねてきたのは、ナデューだった。
 「よぉ、リアム。元気か?」
 「あい」
 やはり抱きかかえられたままでリアムは、短く答える。
 それを覗き込むように、ナデューはにやりと笑った。
 「いーいこと思いついたんだけどよ。思うに、身体がぎしぎしするのは、潤滑油が足りねーんだよ」
 そんな、機械人間じゃないんだから、とリアムは思ったが、喋るのは億劫なので、そのまま聞いていた。
 「だからな?最初と同じく、クレイドルに『闇』を注ぎこんでもらやぁいいんだよ」
 ・・・それって。
 僅かに、リアムの頬が染まる。
 あれ以来、クレイドルにはそういう意図で触れられたことはない。
 その時の痛みと快楽、それに『闇』に染まる凍えるような恐怖を思い出して、リアムはそっと息を吐いた。
 「もちろん?俺がやったっていいけどよ?」
 戯れに、顎をすくい上げられ、キスするような姿勢に、クレイドルがナデューの手を強く払った。
 「・・これは、俺のものだ」
 「くくっ、そう言うと思ったぜ」
 今度こそ、頬を赤くして、リアムはそぅっとクレイドルの胸に顔を埋めた。
 自分が、彼のものだと再確認するのは、とても幸せな気分になるから。
 鼻腔一杯に、愛しい男の香りを嗅いで、リアムは安心したように微笑んだ。
 「おーおー、幸せそうな面しやがって。・・ま、考えてみろよ。じゃあな」
 ナデューの代わりに、白蛇がリアムの鼻の頭にキスをして、ナデューはさっさと飛んで帰った。
 それを見送り、クレイドルは、ふん、と鼻を鳴らす。
 擦り寄せられる蜂蜜色の頭を柔らかく撫でながら、独り言のように呟いた。
 「・・あれで、どうやら本気でお前のことを心配しているらしい」
 続く「愛されているな」という言葉は、喉元で押し込んだ。
 しかし、それが聞こえていたかのように、リアムは笑ってクレイドルを見上げた。
 「おくがあいひてうおは、くえいどゆだけでひゅかあ」
 舌足らずな言葉に、至極真面目な顔。
 くくっと笑って、クレイドルは自分の魔を抱き締めた。

 さて、今度は、その午後になって。
 「調子はどうだえ?」
 シトラが、綺麗なガラス瓶を携えてやってきた。
 「こりゃあね、私が調合したアロマオイルなんだけどね。リラックス効果を産むようにしたからさ。これでしっかり肌をお磨き」
 「あいあとーごじゃあまー」
 にっこり笑って、それを押し抱く。蓋を開けようとするのに、うまく力が入らないで、うんうん呻っていると、クレイドルがそれを取り上げた。
 「・・・・・・」
 無言で蓋を取り、リアムに戻す。リアムは、瓶に鼻を近づけて香りを聞いた。
 「んー・・めーあのはながべーひゅでひゅか・・しょれと・・・」
 考え込むのに、シトラはぱたぱたと手を振ってみせた。
 「あー、およしよ。また、元気になったら内容を教えてあげるからさ」
 そうして、帰り際、それはそれは妖艶に笑った。
 「・・ま、クレイドルにマッサージ代わりに擦り込んでもらうといいさね。それじゃ、私はこれで」
 その光景を想像して、またリアムは赤くなった。
 この身体になって以来、クレイドルに全部世話されているとはいえ、全身を撫でさすられるのは、また別の意味があるようで。
 魔になるということは、つまりそういうことは経験済みだと、皆にばれているのは、それはそれでなかなかに恥ずかしい、とリアムは今更気づくのだった。
 
 そうして、最後に。
 「やっほー、リアム!元気してるかー!」
 転げるようにロキがやってきて、リアムに抱きつきかけて、クレイドルの視線に押されて後ずさった。
 「俺、何もしてねーよー!」
 「・・・何の用だ」
 「あ、それそれ!俺さ、考えてさ、リアムは人間だから、人間に聞いてみようと思って、森の賢者とやらに聞きに行ったんだよ!」
 「え!?ひーえしぇんしぇーに!?」
 驚いたリアムを、悪戯が成功した悪ガキの顔で眺め。
 「へっへー、驚いた?俺だって、リアムのこと好きだから、人間のとこにだって行くさー!」
 「あ、あいあと・・・」
 嬉しいような、フィーレ先生に迷惑をかけてないのか心配なような。
 複雑な面もちで、リアムは笑ってみせた。
 「それでさ。人間は、身体中が痛いときには、温泉に浸かると良いんだってさ!アンヌンには温泉一杯あるだろ?リアム、ゆっくり入ればいーじゃん!」
 確かにリルダーナには、火山近くにしか温泉が無くて、一部の人間しか楽しめないのだけれど。
 アンヌンには地下中に温泉脈が張り巡らされ、このクレイドルの塔にも引かれている。
 温かなお湯に入る習慣は無いけれど、それは気持ちよさそうかも、と少し楽しみになる。
 そんなリアムの様子を見て、ロキは嬉しそうに笑った。
 「リアム、喜んでくれた!?へっへー」
 が、目線を少し上げると、凍り付くように冷ややかなクレイドルの目があったり。
 「あ・・・じゃ、じゃあ、そういうことだから!元気になったら、また遊ぼうぜ!」
 すちゃっ、と手を挙げて、ロキは速攻で立ち去った。
 フィーレ先生の話をもっと聞きたかったのになーとリアムがぼやく暇も無く。
 ロキがいなくなって、クレイドルは、また鼻をふんと鳴らした。
 どうやら、リアムがモテモテなのが気に入らなかったらしい。
 それを承知の上で、と言うか、そういう人間だからこそ、自分が堕としたことが誇らしい筈なのだけれど。
 
 「ねぇ、くえいどゆ。どえか、やってみゆ?」
 そおっとベッドに下ろされて、リアムは四肢をべたっと投げ出した。
 クレイドルの顔に、二人きりの時のみ見られる、柔らかな笑みが浮かぶ。
 「・・では、まず、順番通りに、潤滑油から始めるか?」
 言って、リアムの顔の両脇に手を突き、上から覆い被さるように顔を寄せた。
 リアムの喉から、鈴が転がるような笑いが漏れる。
 「しょれは、めーでひゅー」
 だが、抵抗もせずに目を閉じるのに、クレイドルは触れるだけのキスを落とした。
 不満そうに見上げるリアムに苦笑して、さっさと身体の上から退く。
 「まずは、温泉から始めるとしよう」
 
 クレイドルの塔の地下。
 温泉が引かれて、なかなか立派な浴室があるのだが、普段はクレイドルは冷水での湯浴み(水浴み?)を好むため、ほとんど使用されていない。
 それを、使い魔に命じて掃除させ、それからそいつらを追い払って、クレイドルはリアムを抱いて降りていった。
 手ずからリアムの衣服を取り去り、さっさと自分も脱いでしまう。
 微かに頬を染めて視線を漂わせるリアムに気づかないように、裸のまま、また抱き上げた。
 「・・しっかり掴まっていろ」
 力のない腕が、まとわりつく。
 落とさないように細心の注意を払いながら、クレイドルは、湯に身を沈めていった。
 徐々に、リアムの筋肉から緊張が解けていくのが、触れ合った皮膚から感じ取れた。
 少しずつ、リアムは自分の手を握ったり開いたりを繰り返す。
 にこりと笑って、クレイドルを見上げた。
 「ひょーでひゅね。ゆのなからと、あくなよーなきがひまひゅ」
 「・・・そうか」
 この身体に触れ。
 動かす手伝いをして。
 もしくは、邪な意図を持って、撫でさする。
 それを望み、だが、リアムの顔が苦痛に歪む様を見たくないというのも、また望み。
 相反した感情に縛られて、クレイドルは、ただ、リアムの身体を柔らかく揺すっただけだった。
 ゆうらりゆうらりと揺り籠のように。
 自分で自分の手を持ち、動かしていたリアムが、とろとろと穏やかな眠りに落ちていく。
 そうして、ついに、クレイドルの肩口に顔を埋め、すやすやと寝息を立て始めた。
 起こさぬように、そこからまだ10分ほど待ってから、クレイドルはリアムを腕に、自分の寝室へと飛んだ。
 柔らかなタオルで滴を拭き取り、そっとベッドに横たえる。
 サイドテーブルから、シトラが寄越した香油を手に取り、蓋を開けた。
 途端広がる花の香りに、リアムの瞼がぴくぴくと動く。
 それを宥めるように、髪を梳いてやると、また静かになった。
 香油を手に垂らし、少しずつ皮膚に擦り込んでいく。
 最初は、触れるだけ、徐々に力を込めて皮膚の下で強張る筋肉を揉みほぐすように。
 「きもひいいでひゅ・・・」
 ぼんやりとした声が上がり、また、クレイドルの手に身を任せた。
 そうして、全身に刷り込んだときには、リアムは完全に寝入っていて。
 そっと毛布を掛けてやり、クレイドルはその場を離れた。

 いつも通りに本を読んでも、頭になかなか入らない。
 この世界に二人きりであったなら、いつまでも待っていても不安は無いだろうに。
 他の奴らがリアムに興味があって、元気なリアムを望むからこそ、僅かな進展が苛立たせてしまう。
 自分こそが、リアムに相応しい男である筈なのに、それを証明したくて、つい、リアムが早く動けるようになるのを望んでしまう。
 くだらないことだと、分かっていても・・・この考えを捨てきれない。
 苛立ちは、リアムの方が感じているだろうに。
 それを宥めるのが、自分の役割のはずなのに。
 ・・そもそも、そのような役割に甘んじることこそ、自分には似つかわしく無いはずなのだが。

 
 翌日。
 寝室に向かっていると、壁にもたれ掛かりながら、一歩ずつ苦労しているのが見え見えでリアムがこちらに向かっているのに出会った。
 「・・大人しくしていろと・・」
 「えんひゅーでひゅ」
 本当に頑固な子供だ。
 いくら言っても、自分で身体を動かすのを止めようとしない。
 溜息を隠しもせずに吐いてやると、リアムが悪びれもせずに、にっと笑った。
 片手だけを壁に突いて、ふらふらとバランスを取りながら立っている。
 「きょーも、おんしぇん、はいゆ?」
 「入りたいのか?」
 こくっと頷いた拍子に傾いた身体を支えて、クレイドルはもう一度溜息を吐いた。
 「まったく・・・仕方のない子供だな、お前は・・」
 「らって、はーく、うおけゆようにないたいの!」
 そうしてしがみつく身体からは、いつもと違う花の香り。
 本当は、リアムの香り・・メーラの葉を主体とした香り・・が好きなのだけれど。
 まあ、温泉に入って、しっかり匂いを落としてやろう、と思った。
 ま、どうせ、またすぐに擦り込むのだろうけど。

 裸で触れ合う感触は悪くない。
 温かな子供の皮膚は、今までなら『気持ち悪い』ものだったろうけど、何故か温度も湿度も快く感じる。
 マッサージがてら、香油を擦り落としていくと、その間にも自分で身体を動かして、じんわりと汗が滲み出て、いつものリアムの香りに替わっていく。
 しばらく、その香りを楽しんでいたクレイドルは、リアムがやけに静かなのに気づくのが遅れた。
 ふと気づいたときには、押し黙っていたリアムに、眠ったのかと顔を覗き込むと、意外とはっきりとした目で見返してきた。
 この瞳には、見覚えがある。
 何かを決意し、それを引く気は無いときの光だ。
 さて、一体、何をするつもりなのか。
 「くえいどゆ」
 静かな声が、浴室に吸い込まれていった。
 「ぼくは、こわえものじゃないでしゅ。じょーうにできてましゅ」
 何を言い出すのかと、黙って続きを待つ。
 「だかあ・・・たかあものみたいに、ひてもああなくって、かまいましぇん」
 宝物?・・そんな風に扱った覚えはないが・・まあ、乱雑に扱った覚えもないが。
 「それで?」
 腕の中の身体を、ぎゅっと抱き締めると、少しの間、躊躇った後。
 「・・・くだしゃい。・・・潤滑油」
 そうっと、怒られるのを待っている子供のように、クレイドルを見上げた。
 痛くはないのか、と口にしかけて、自分には似合わないような気がして止める。
 沈黙が続いて、不安そうにリアムが身じろいだ。
 色々と、かけるべき言葉はあるのだろうけれど。
 クレイドルは、ただ、呟いた。
 「・・お前は・・本当に、しょうがない子供だ・・・」
 諦めに似た響きに、腕の中の子供は、婉然と微笑んだ。

 先ほどとは違い、明確な意図を持って、肌に指を滑らせる。
 ぴりぴりとした痛みが走っているらしく、時折、ふっと顰められる眉は、嗜虐をそそる艶やかさを醸し出していた。
 温かな湯の中で、温かな身体がクレイドルに絡みつく。
 静かに、静かに高められていく中で、リアムは、囁いた。
 「ほんとうは、しゅこひ、こあいでしゅ・・」
 初めてにして、まだただ一度の体験は、死んでしまうのではないかという恐怖を伴ったから。 
 「ほんとうに、さうかったかあ・・・」
 指先から凍り付いていって、全身が動けなくなる感覚。
 また、あんな風になってしまったら、と思うと、身が竦む。
 しかし、リアムは、己の主にしがみついた。
 「だかあ、あたためて、くえいどゆ」
 クレイドルは、無言で、その口を塞いだ。
 
 湯で温められ、解されたそこは、感覚が鈍って、広げられる苦痛は無い。
 ただ、奇妙な圧迫感と、体内に埋め込まれた質量をまざまざと感じ取れるだけだ。
 それでも思わず詰めていた息を、ふっと吐いた。
 クレイドルの視線に、微笑みを返して、リアムは腕を巻き付けた。
 緩やかに、繰り返される挿送がもたらすものは、苦痛ではなく、奇妙な安堵感。
 まだ、その行為から快楽を拾えるほどに慣れてはいないけれど、苦痛を感じないことにリアムは泣きたくなるほどの幸せを覚えた。
 身内を満たす雄芯が、圧迫感を増し、猛る。
 押し出されるように声を漏らしながら、リアムはそれでも微笑んでいた。
 
 数瞬の虚脱の後に、内部一杯に存在したものを引きずり出されて、幾分空虚な寂しさに見舞われる。
 だが、それだけだった。
 以前感じたような、凍り付くような感覚も、闇に浸食される恐怖も、訪れはしなかった。
 それどころか、ぴりぴりと痛み、そのくせ鈍い感覚だった身体に、血が満ち渡るような温かさが流れる。
 「クレイドル」
 はっきりと、そう言って、リアムは笑った。
 「効いたみたいですよ?潤滑油」
 愛しい男は、そうか、とだけ答えたが、耳がかすかに染まっているのを、リアムは見逃さなかった。


 その日を境に、リアムは急速に回復していった。
 次に、3人の大悪魔が訪ねてきたときには、リアムは綺麗に磨かれた茶器で、自らお茶を入れてもてなした。
 「それで?どれを試してみたんだい?」
 問いには、くすくすと笑って見せて。
 「全部、ですよね?ねぇ、クレイドル?」
 そうして、3人の大悪魔は、頬の染まるクレイドルという、珍しいものを見る羽目に陥ったのだった。





あとがき
・・・絶不調!
思うに、最初、完全な3人称というか、中立目線で書こうとしたのが間違いだったかも。
ま、久々だったしのぅ・・。
しかし、対シフィール戦(笑)までは、意地でも書くのだ。
たとえ、誰も読んでなくても!(笑・・泣?)



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