黄龍妖魔學園紀  お泊まり編





 取手鎌治は、他人の感情に敏感である。
 自分が巻き込まれていない限りは、他人の感情、特に苛つきとか嫉妬とか不愉快とかの負の感情ならよく見える。
 そこで、普通なら。
 相手が負の感情でもって己を見ている場合は、面倒なことにならないよう、さっさと引き下がるのを習い性としていたというのに。
 「てことでさ、夕べは甲ちゃんとこに泊まったん」
 きししと白い歯を見せて笑う葉佩と、その隣でカレーを食べている皆守を前にして、取手は自分の皿からオムレツをすくいながら、何故自分はここにいるのだろう、と自問していた。
 一見、単にマミーズで三人一緒に昼食を取っているというだけの風景だ。
 だが、何というか、皆守から不愉快オーラがばしばしに出ている気がする。
 それも己に向かって、だけ。
 葉佩は全く気にしていない…というか分かっていないようで、さっきから目を輝かせて取手と話をしている。
 そもそもここに誘ったのも葉佩であった。
 A組の前まで来て、取手を昼食に誘うのは、すでに葉佩の日課のようになっている。
 無論、取手も一人で食べるよりは楽しいので、素直に付いてきているのだが。
 「緋勇さんもさ、たまには一人でいたいだろうと思うわけさー。だからせっかく俺が気を回したのに、余計なこと心配しなくていい!とか言って、何か不機嫌だったんだよなー。何でだろ。お互いでかくはないけど、やっぱベッドには一人で寝た方が良く眠れんじゃん?別に怒られる筋合いねーと思わねー?」
 ぶぅ、と唇を尖らせて、葉佩はかちゃかちゃとハンバーグを切って口に放り込んだ。
 「そうだね…それじゃ、いつもはっちゃんは寝づらいの?」
 皆守を気にしつつ相づちを打てば、葉佩は一瞬きょとんとしてから、慌てたように手を振った。ハンバーグの肉汁が付いたフォークを振り回されて、皆守がわざとらしく体を縮めた。
 「おぉう!悪い、甲ちゃん!いや、俺はまあ訓練してるもん!いつでもどこでもばっちし睡眠!」
 「まったくだな。人が眠れねぇとか思ってるのに、がーがーがーがーと速攻で寝付きやがって」
 「え!?俺ってばいびきかいてる!?」
 いやぁん!と頬を押さえた葉佩を見て、皆守は笑いながら葉佩の鼻を摘んだ。
 「こうやって鼻を摘んでも全く気にせず寝てやがったな」
 「うっそぉん!うわー、俺ってば弛みきってるじゃん!やっぱさ、トレジャーハンターたるもの、ちょっとした気配でもぱっと目覚めるってのが理想じゃん!?」
 「ま、お前にゃ無理だな」
 「うっきー!甲ちゃん、ひでぇっ!」
 顔を真っ赤にしてぶーぶーいう葉佩をぐりぐり虐めている皆守の目は、こっちが身を置き所がないほど優しい。
 そりゃもう、言葉にしたら『可愛くてたまりません』ってところだ。
 ドライを自認し、他人のやることには興味の無かった皆守が、そんな風な目で誰かを見ているところなんて初めて見た。
 仲が良いなぁ、とにこにこ見ていると、ちらりと皆守が取手を見た。
 その目は。
 葉佩に対するものとは全く正反対で。
 警戒と憎悪と…何となく嘲笑じみた光もあって。
 皆守に何か悪いことでもしただろうか、と取手は考え込んだ。
 取手の表情に気づいたのか、葉佩が、んー、と首を傾げながらテーブルに乗り出すようにして顔を覗き込んできた。
 「かっちゃん、どうかした?」
 「え?…あ、い、いや、何でも無いんだ。えっと…それで、はっちゃんは、皆守くんところに行って、ただ寝ただけだったの?」
 追求されないように新しい話題を提出すると、葉佩はぱくっとそれに食いついた。
 何か自慢でもしている子供のような表情で、葉佩は手をちょいちょいと振った。誘われるままに首を伸ばした取手の耳に、囁きかけるように葉佩はこそりと言った。
 「ちゃんとね、話はしたんだよ。エッチな話とか。甲ちゃんってば、意外とむっつりスケベでさー」
 自分で自分の言葉に吹き出した葉佩の首根っこを捕まえて、皆守は葉佩を自分の隣に引きずり戻し、拳を頭にぐりぐりとめり込ませた。
 「いやん、甲ちゃん、痛いです〜!」
 「余計な話はするなっ!」
 「余計じゃないもーん!甲ちゃんがむっつりなのは、本当…いでででで!ギブア〜ップ!!」
 じゃれ合っている二人を見ながら、取手は冷えてきたオムレツをまたぱくりと口に入れた。
 二人は、仲が良い。
 それは良いことなのだけれど。
 目の前にいる自分が無視されたような気がして、寂しくもある。そんなのは、子供の嫉妬に似ていて、誉められたことでは無いのだが。
 そのとき、皆守がちらりと視線を寄越した。
 声にするなら「ふふん」とでも言うような感じの。
 何だろう、あの勝ち誇ったような感情は。
 そもそも皆守に勝負を挑まれる筋合いは無いはずなのだが。
 ぱくり、と口に入れたオムレツから、急激に味が無くなる。
 こんなに居心地が悪いのに、何故自分はまだこの場に留まっているのだろう。
 皆守にヘッドロックをかけられたまま、葉佩は首を傾げて取手を見た。
 「なー、かっちゃん、元気無い?」
 「そうだな。顔色がいつもより悪い気がするぜ。保健室に行ったらどうだ?」
 露骨に邪魔者扱いされているし。
 取手は居たたまれない気がするのを追い払うように、首を振った。
 「別に…頭が痛いのでも無いし、特に調子は悪くないけど」
 「そう?だと良いんだけどさー」
 納得していない顔ながらも、葉佩はそれ以上何も言わなかった。お喋りなのだが、引き際は潔い。
 「何だかね、オムレツ、美味しいんだけど、何かが足りない気がして…はっちゃんが作ってくれたオムレツの味を思い出してたんだよ」
 話を逸らそうとしたのだが、皆守の目が据わった気がする。
 だが、葉佩は気づかず、少し頬を赤くしてにへらっと笑った。
 「そう?普通に卵と塩が基本だけどさ。えへへ、かっちゃんのお口にあったのなら調理人としてこれに勝る喜びはございませんっ!」
 「お前はいつから調理人になったんだ!」
 「えー、いつだって俺はマルチ性能360°対応型新機種だぜぃ!」
 「意味不明だろ!」
 また、じゃれ合い始めた二人を前に、オムレツを食べる。一段と冷えてきていて、卵の生臭さが鼻についた。
 「あのね、二人も早く食べないと、冷えちゃうよ」
 「おーっ!そうだ、そうだ!熱いうちに食べるのが調理人に対する礼儀っ!」
 葉佩が皆守の腕から逃れてきちんと座り直す。食べかけだが、もう一度両手を合わせて「いただきます」と唱える。
 案外礼儀正しいところもあるのだ。たぶん、家族に躾られているのだろう。
 あむあむと咀嚼している葉佩が、「一口頂戴」と取手のオムレツを切っていった。
 口に入れて、首を傾げる。
 「うーん、絶対こっちのが旨いと思うけどなー。俺のは所詮素人の手慰みだしー」
 「でも、はっちゃんが作ってくれる方が美味しいよ」
 「そう?わはは、頑張っちゃうぞー、そんなこと言われると!」
 ふんふんと上機嫌で鼻歌を歌いながら食べる葉佩の隣からは、おどろ雲を背負った皆守が、何とも言えない目つきで睨んできていた。
 一体、何が気に入らないのだろうか。
 オムレツをすくう手が止まる。
 もう食べる気にならなくて、ただ無意味に掻き回していると、葉佩が自分のハンバーグを一口切って差し出してきた。
 「ほい、かっちゃん一口どぞー」
 「ありがとう」
 遠慮なくフォークの先の欠片を口に入れると、葉佩がにぃっと笑った。
 「やっぱ単品ものって飽きるよな!最初から半分こにでもしたら良かったかなー」
 「ハンバーグオムレツか…それも良いかもね」
 「そうそう!プリンオムレツとか〜杏仁オムレツとか〜」
 「…それはちょっとイヤかも…」
 「そう?甲ちゃんは食ったね!プリンカレーに杏仁カレー!」
 「お前が黙って食わせたんだろうがっ!」
 「いやー、自分で食べる勇気が無くってさー」
 葉佩と話をしているときの皆守は、暖かな目でとても柔らかな空気をまとうのに。
 でもって、異様に敵意を発散されるのは葉佩と取手が話をしているとき、ということは。
  あぁ、皆守くんは、はっちゃんが好きなのか。
 ようやく、そこまで認識できた取手だった。
 取手も、葉佩が皆守と話をしていると、己が仲間外れになったようで寂しい気持ちになる。皆守も同様なのだろう。
 子供のような嫉妬だと自責の念を抱いていたが、どうやら皆守も仲間らしいと気づいて、取手は心が軽くなった気がした。
 その明るくなった心のままに、取手は葉佩に話しかけていた。
 「ねぇ、はっちゃん。今度は僕のところに泊まりに来てくれるかい?」
 …皆守の髪が、メドゥーサのように逆立ったのが見えた気がした。
 「…取手…」
 「うわお!良いの!?かっちゃんはさ、ピアノもバスケもやってるし、俺の夜遊びにも付き合わせてるし、疲れてるんだろうなーって思って遠慮したのにさ!」
 恫喝するような低い声は、葉佩の素っ頓狂なほど明るい声に掻き消された。
 皆守は、クラスが一緒な分、葉佩といられる時間は取手よりも多いのだから、これくらい許して欲しい。
 なるべく皆守の方には目を向けずに、取手は葉佩だけを見つめて頷いた。
 「うん…是非。僕も、もっと君と話がしたいし…」
 「そ、そう!?うわい!んじゃ、今週末とかあたりに行くから!」
 極々普通にお泊まりを楽しみにしているらしい葉佩の様子を見て、取手も嬉しくなってにこにこと笑う。
 暗雲を背負った皆守とはえらい違いだ。
 その皆守は、余裕を見せてラベンダーのアロマをくわえた。
 だが、ライターを持つ手が微妙に震えている。
 「ま、まあ、たまには良いかもな。だが、俺んところで良いんだぜ?九ちゃん。取手はすぐ頭痛を起こしたりするからな」
 「あ、そうか…睡眠不足は頭痛の大敵だよねー」
 うーん、と唸り始めた葉佩の頭をぽんぽん叩いて、皆守はちらりと取手を見た。
 またしても「フフン♪」て感じだ。
 いつもなら、そこで素直に身を引く取手だが、何故か口が勝手に動いていた。
 「平気だよ。最近は以前ほど呼ばれていないし、ちゃんと寝ているから。皆守くんこそ、10時間寝ないと調子が悪くなるんだから、あまり邪魔しちゃ駄目なんじゃないのかい?」
 「あ!それもある!甲ちゃん、今日の午前中いっぱい保健室でおねんねだったもんな!」
 はう、と頭を抱えた葉佩に、皆守はアロマを振りつつ、横目で取手を睨んだ。だが、取手はそれからそっと視線を外した。
 「俺だって、たまには…そういや、俺も最近呼ばれて無いんだがな。一体誰と潜ってんだ?」
 皆守の矛先が取手から葉佩に変わる。
 まあ葉佩は全く気づいていないようで、きょとんとした顔で皆守を見直しただけだったが。
 「へ?そうだっけ?んとー」
 生徒手帳のメモを見て、葉佩はもごもご呟いた。
 「あ、ホントだー。最近は甲ちゃんもかっちゃんも呼んでないかー。また今度よろしくねっ!」
 「喜んで」
 「あぁ、その方が安心だ。…で、誰と潜ってるんだって?」
 しつこい。
 どうやら取手のみならず、葉佩と親しくする人間全てが嫉妬の対象らしい。
 大変だなぁ、と取手は皆守に同情した。
 だが葉佩は素直にメモを読み上げた。
 「えっとー、剣ちゃんのときもあるしー、タイゾーちゃんのときもあるしー石博士とかー…あ、この間はさ、やっちーが怒ったんだよ。最近全然連れて行ってくれないっ!って。やっちーに殴られんの怖いからさー、行ったわけ」
 「ほー、誰とだ?」
 「うん、悩んだんだよ、俺も。つくちゃんとなら女の子同士で良いかもしんないーとは思ったんだけど、そうすると俺が仲間外れで寂しいじゃん?てことで、相互理解を深めて貰おうと、すどりんをば…」
 葉佩はその時のことを思い出したのか、フォークを口にくわえて頬杖を突いた。フォークの先がぴこぴこ上下する。
 「そしたらさー、最初は喧嘩みたいだったのに、何かファンデーションがどうとか紫外線対策がどうとかいう話になってさー。俺の背後で化粧論争が始まったわけ。そんな会話しながら倒すのってさ、何か、めっちゃ化人さんに悪いような気がしたぜぃ」
 「た、たぶん、化人の方は、気にしてないと思うな…」
 「そうかなー」
 一応フォローしてみたが、葉佩は納得していない様子で腕を組んだ。
 難しい顔で言い出そうか言うまいか悩んでいたが、ついにえいっと生徒手帳から数枚の写真を取りだした。
 「でね?魂の井戸の部屋でさ、どっちの化粧法がバッチグーか、って話になってさ、俺の顔が使われたわけよ」
 手に取った皆守が、ぶーっと水を吹いた。
 取手も残された写真を見て、絶句する。
 泣きそうな顔をした葉佩が写っている。
 そりゃもう見事に化粧されて。
 「で、どう思うよ?ナチュラルメイクと印象派とどっちがマシっぽい?」
 やけくそなのか、葉佩は二枚を並べて彼らに聞いた。
 片方は、普段の葉佩とあまり変わらないが、多少目元がくっきりしていたり唇が赤かったり頬がほんのり桜色だったりする。
 片方は、びしばしに睫毛が長く、縁取りもくっきり紺色で目元ぱっちり、で、真紅の唇が綺麗なハート型を描いていた。
 確かに、パッと見に印象が残るのはくっきり化粧であろうが、何せ元が葉佩である。
 二人に遊ばれて可哀想に…という意見しか出てこない。
 「あのね…普段のはっちゃんが一番良いと思うよ…」
 「そうだよなー!?俺もそう思う!何が悲しくて化粧せにゃならんのかーっ!」
 うっきー!と手を振り回した葉佩に、皆守はもう一度写真を手に取った。
 「俺としては、だ。この少し写っている服装に興味があるんだが…」
 え、と取手も残された方を見つめた。確かに学生服でもアサルトベストでもない襟元だ。見覚えがありすぎて違和感が無かったが、これは。
 「あ、あははは、あははははは」
 ぎこちなく笑いながら葉佩が目を泳がせた。
 「…で?」
 「ち、ちょっとさー、ついでだから、ガーターベルトの使い方を教えてくれって言ったらさー」
 人差し指を突き合わせて、葉佩はてへっと笑った。
 「ちょっとやっちーとすどりんがノリノリになっちゃってー、やっちーの予備の制服をば…」
 そう、襟元は女子の制服であった。
 化粧した葉佩に女子の制服。ついでにガーターベルト。
 取手は想像しようとして、挫折した。
 「駄目だな…全く想像出来ないよ。はっちゃんなら、可愛いんじゃないかとは思うんだけど」
 「それ嫌味!?ねぇ、それって俺が男らしく無いってか!?」
 えーん!とわざとらしく泣きながら、葉佩は更に生徒手帳から写真を抜いて寄越した。
 「…おい」
 皆守があきれ返った声で葉佩の頭をぽこんと叩いた。
 「だってー!どうせなら楽しくやっちゃうか〜!みたいな気分になっちゃって〜!」
 そこには楽しそうにポーズを取った葉佩が写っていた。
 ガーターベルトから釣り下げられているのは、ストッキングではなくただの太股まで長いソックスのようであったが。
 「一応聞いておきたいんだけど…下着は女性ものじゃないよね?」
 「さすがに、それは!短パンなんだけどね、でもすどりん巧いっしょー、全然そんな風に見えねぇよ」
 確かに際どいアングルでありながら、翻ったスカートから覗くのはガーターベルトを着けた細い大腿だけで中身は見えていなかった。
 「やっぱさー、男の体格でスカートは似合わんわー」
 うんうん頷いて、葉佩は写真を情けない顔で見た。
 案外似合っていて可愛い、という感想は黙っておくことにした。
 「いや、それでさ?何かやけくそでそのまま戦いに行ったんだわ。したらさー、カミムスビに「我を愚弄する気か〜」みたいに怒られちゃって。あぁん、ごめんよ、カミムスビ〜!俺、あそこんちの夫婦、結構好きなのに〜!」
 葉佩は頭を抱えて叫んだ。
 どうも、自分が遊ばれたところよりも、化人に失礼なことをした、という部分の方が気になっているらしい。
 葉佩らしいと言えば葉佩らしい気もするが。
 取手はテーブルの上の写真を一枚一枚眺めていった。
 ほとんどセーラー服美少女戦士のノリで、ポーズを取っている葉佩。
 天真爛漫に笑っている顔のアップとか、カメラ目線でポーズを極めている様子とか、本人が楽しんでいるだけに、何だか可愛らしい。
 これで渋々泣き出しそうだったりしたら、可哀想なだけの写真だったかもしれないが。
 ちなみに、時々写っているバラをくわえたタキシードおかまの姿は完全に無視することにした。
 葉佩の頭に揺れる大きな青いリボンは一体どちらのものなんだろう、と考えていると。
 手の中からするりと写真が消えた。
 葉佩が取ったのか?と目で追うと。
 テーブルの横には、青筋当社比1.5倍の生徒会長様が無言で立っていた。
 写真を一通り確認し、苦虫を噛み潰した顔で、一言告げる。
 「著しく公序良俗を乱す。没収」
 いそいそとコートのポケットに写真をしまう様子を見て、皆守がぼそりと突っ込む。
 「おい、こるぁ」
 「えぇ〜!?そりゃまあ、すどりんのデジカメにデータ残ってるから、なんぼでも焼いて貰えるけどさ〜…つーか、俺も特にはいらんけど。でも、公序良俗を乱すってのは何よ。俺の姿は歩くだけで猥褻物陳列罪だとでも!?」
 「このような男心をくすぐる破廉恥な格好をしておいて何を言う」
 「は、破廉恥は無いだろ、破廉恥は!だいたい、どこの男心をくすぐるっちゅうねん!」
 思わず関西弁で突っ込んだ葉佩に、皆守と阿門、両者が天井あたりに視線を漂わせた。
 どうやら『その辺』の男心らしい。
 取手は己のことは棚に上げておいて、変わった趣味だなぁ、と会長と保健室仲間を見直した…もとい認識を改めた。
 「第一、公序良俗〜ったって、俺がそのカッコしたの遺跡だもん!化人の皆さんの公序なんて乱して無いやい!」
 ぷんぷん!と擬音付きで葉佩が手を振り回していると、皆守が頭を抱えた。
 阿門も更に苦い顔になった。
 「…墓荒らしは生徒会の法に反している、と、自覚した上での発言か?」
 「ほえ?」
 首を傾げた葉佩が、1分後に、「おぉう!」と両手を叩いた。
 「そうだった、そうだった!内緒にしなきゃならないんだった!てことで、あーちゃん、内緒にしててね♪奈々子ちゃーん!ミルク一杯〜!」
 「はーい!」
 生徒会長に内緒も何も無いよね、と思いつつも、阿門の反応を待っていた取手だったが、阿門が突っ立っているので傍観したまま水を一口飲んだ。
 舞草がミルクを持ってくると、葉佩は阿門の袖を引っ張って自分が座っていた場所に座らせる。
 自分は中腰で阿門の手にグラスを持たせ、瓶のミルクを注ぎ入れた。
 「さ、会長、一杯!」
 「…口止め料のつもりか?」
 「いやん、あーちゃんてばそんなにはっきり!ささ、ぐいっと一杯!」
 社長さんとOLごっこらしいが、素直に勧められたままミルクを飲む阿門もどうだろう、と取手は思った。葉佩は大変良い人ではあるが、色々な怪しげなものも調合するトレジャーハンターで、なおかつ会長とは敵対しているはずなのだし。
 基本的に阿門は大事に育てられたおぼっちゃまだなぁ、と取手は納得した。
 ちなみに、更にその隣に座っている皆守は、頭を抱えたままぶつぶつと何か呟いている。
 色々と納得できないことがあるらしい。
 皆守くんは案外繊細だよなぁ、と、葉佩に関しては異様に広い心の棚を持っている取手は同情した。
 周囲の生徒の視線とひそひそ声も無視して、会長と葉佩の『社長とOLごっこ』は続いていた。
 「うわお!会長ってば良い飲みっぷり!」
 「…ふん」
 「てことで、あーちゃ〜ん。これから1週間、生徒会室のお掃除するからさ〜、どうぞこの件はご内密に〜」
 「分かった。今回に限っては、俺だけの胸にしまっておこう」
 「きゃあん!あーちゃんってば、話せる〜!」
 首っ玉にかじりついている葉佩に、阿門はご満悦気味だ。
 台詞にするなら「はっはっは、良きに計らえ」。
 色々と突っ込みどころの多い会話だったが、取手はとりあえず、葉佩の人懐こさに舌を巻いていた。
 あの会長がメロメロ(語句引用失敗例)ではないか。
 こんなに友達が多いと、さぞかし人生が楽しいことだろう。
 自分がその『葉佩の数多い友達』の一人に過ぎないことを感じて、ぎしり、と胸が軋みを上げた。
 それを誤魔化すように、ただ無意味にオムレツを掻き回していると、遠くから予鈴の音が聞こえた。
 「うぉっとぉ!昼休みが終わるぜぃっ!」
 慌てて立ち上がって、次は美術室〜と歌う葉佩に、阿門は鷹揚に頷いた。
 「遅刻せぬよう、早く行け。ここは、俺が持っておいてやる」
 それは、ますます口止め料の意味が無いんじゃないかなぁ、と取手は思ったが、どうせ口止めそのものに意味がないので黙っておいた。
 「サンキュー!あーちゃん!ほら、甲ちゃんもかっちゃんも急ぐ!」
 「あ〜、俺は自主休講」
 「またかいっ!選択授業も楽しいもんだぞっ!俺は大好きだねっ!芸術は〜爆発だ〜!」
 楽しそうに叫んだ葉佩に腕を掴まれ、取手は立ち上がった。
 引っ張られるままにマミーズを走って出ていった取手は、ふと振り返って、あの隣り合わせに腰掛けた阿門と皆守は、これからどういう会話をするのだろう、と思った。
 片や規律に厳しい生徒会長様。片や墓荒らしの片棒を担いでいる遅刻常習犯。
 共通項がまるで無い。あえて言うなら、葉佩関係くらい。
 しかも隣り合わせで前には誰もいないっていう座り方は、すっごく気詰まりじゃないかなぁ、と取手は思った。
 まあ、あまり取手には関係の無い話ではあったが。
 


 そして。
 週末、約束通りに葉佩を部屋に迎え入れた取手であったが。
 「え…触りっこ!?」
 葉佩から、皆守のところに泊まったときにはどんな話になったか、について聞いていた取手は、思わず大声を上げた。
 葉佩は、取手の驚きようにけらけら笑った。
 「そーなん!甲ちゃん、意外とむっつりだよねー」
 何でも。
 そもそもは、緋勇が葉佩も一人でいる時間が必要…つまり男の生理を抜く必要があるだろう、と外泊したのが事の発端で。
 それなら緋勇も一緒だろう、と葉佩が誰か他の人のところに泊まろうとしたんだ、という経過を話していたら。
 何だかそっち系の話になって、1ヶ月に何回抜くか、などの生々しい話となった挙げ句に、皆守がにやにやしながら「何なら触りっこして、お互いに今抜くか?」などと言ったのだと言う。
 それ自体は、まあ、あり得ない話ではないだろうと思う。
 だが、しかし。
 皆守が葉佩のことを『好き』なのだとしたら。
 それは相当際どい話では無かろうか。
 「で…で、したのかい?その…さ…触りっこ」
 「ほえ?しないよー!だって中学生じゃあるまいし〜!…恥ずかしいじゃん、やっぱ」
 やはり後ろめたさの欠片も無さそうな笑いを上げてから、葉佩は、ちょっと苦笑して付け加えた。
 それから、己の下半身を見下ろして、溜息を吐く。
 「あのさ、俺のって決してミニマムでは無いと思うわけ。体格比としては極普通サイズだと思うんだけどさ〜、でも、他人様に自慢できるほどのもんじゃないというか」
 あ〜あ、と憂鬱そうに頬杖を突く葉佩に、取手はおろおろしながら慰めてみた。
 「あ、あのさ…男は大きさじゃ無いって言うし…」
 「2cmあったらことは足りるってやつ!?機能的に用が足せても意味ねーと思わねー!?むしろ人の傷口抉ってると思うんさ、あの教科書的お答えってやつは!」
 ぶいぶいと怒りつつ、葉佩は抱きかかえた取手の枕をがしがしと噛んだ。
 その姿が妙に可愛かったので、少しばかり狼狽えつつ、取手は何を言うべきか考えた。
 だが、取手が口を開くよりも早く、葉佩の目が異様に輝いた。
 「…かっちゃんってさ、身長がでかい分、あれも大きそうだよね」
 「へ?い、いや、普通だと…思うけど…」
 「うーん、かっちゃんとお風呂入ったこと無いから、どんなんか見てないしなー」
 残念そうに下半身を見つめられて、取手はおろおろしながら口走った。
 「え、えと…興味があるなら…見る?」
 「………」
 「………」
 「それって…変なシチュエーションだと思う…」
 「うん、僕も…」
 高校3年生にもなって、何故、ナニの見せ合いなどせねばならないのか。
 我に返った二人は、顔を見合わせて吹き出した。
 笑いながらベッドに潜り込む。
 電気も消して、暗い中で取手は葉佩に謝った。
 「ごめんね、狭くて。緋勇さんとなら、もっと楽に寝られるのにね」
 「へ?あぁ、いや、こっちこそごめん。俺がいるせいで狭いよな」
 「僕は、平気だよ。暖かくて、良い気持ちだ」
 「俺も〜」
 ぎゅーっと抱きついてくる葉佩の背中を撫でて、取手はごそごそと良い位置を探った。
 寒くもなく不自然でもない姿勢を発見して落ち着いたと思ったら、葉佩の方がまだごそごそと身じろいでいる。
 「はっちゃん?」
 「あ、ごめん。何かさー、妙にそわそわして眠れないってーか。変だなー、甲ちゃんのベッドなんか、入ったとたんに爆睡だったのになー」
 やっぱラベンダーの影響かな、と呟いている葉佩に、取手は、この部屋は葉佩にとって落ち着かない何かがあるのだろうか、と少し落ち込んだ。
 シーツも洗い立てだし…あぁ、それでごわごわしてるのがまずいのだろうか、それともやっぱり取手の体が大きすぎてベッドが狭くて駄目なのだろうか、などと色々原因を考えている間に。
 葉佩が不思議そうに呟いた。
 「おっかしーな〜、すっごく落ち着いてる気がするのに、何か心拍数が上がってるんだよなー」
 ほら、と取手の手を自分の胸に当てる。
 確かに、パジャマを通して葉佩の胸の鼓動を感じる。
 どきどきと早いそれを手のひらで感じているうちに、取手も何だか頬が赤くなってきて、落ち着かない気分になってきた。
 取手の胸に頭をくっつけていた葉佩が、
 「あ、かっちゃんの心拍数も上がってきた」
 と呟いたので、ますます頭に血が上る。
 お互いのどきどきという脈拍を感じていると、葉佩がふと全身の力を抜いたのが皮膚を通して分かった。
 「ま、いっか。かっちゃんと一緒なら」
 「…え?」
 「どきどきも、一緒ならまあいいかなって」
 眠れない、というところの根本的な解決にはなっていないはずだが、葉佩は一人で納得したようで、ことりと頭を落とした。
 しばらくして、規則的な寝息がすーすーという音を聞きながらも、取手はまだ眠れずにいた。
 手はまだ葉佩の胸の上にある。
 薄い胸が規則正しく上下して、心臓が脈打つのも手を通して感じる。
 それから、開いたパジャマの胸の皮膚に、葉佩の温かな寝息がかかる。
 くすぐったいような感覚を無視して眠れば良いのに、意識しないでいようと思えば思うほど、気になって眠れない。
 腕の中の温かな体を意識しているうちに、ふと、皆守も同じように葉佩を抱きしめて眠ったのだろうか、と思いつく。
 寮のベッドは全部同じ大きさだ。男二人が落ちないように寝ようと思えば、ある程度くっついて寝るしか無い。
 取手はこれまで他の生徒と一緒に寝たことなど無いので分からないが、皆、一体どうやっているのだろうか。
 良い友人だと思っている自分でさえ、こうやって葉佩と寝ていると妙な気持ちになるのだ。どうやら特別に『好き』らしい皆守など、一緒に寝るのはある意味拷問では無かろうか。


 色々考えて眠り損ねた取手は。
 翌朝、葉佩が何でもないように
 「今度は、あーちゃんのところにお邪魔してみようかなー。きっとふかふかベッドだぞー!」
 と言うのに、切々と
 「お願いだから、止めておいてね…」
 と訴えたのだった。







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