黄龍妖魔學園紀  (1+1)+1編





 緋勇+取手


 「あ…あの…な、何か飲みます…か?」
 「あれば飲むし、なければ無いでも良い」
 取手はこれ以上は無いほど緊張していた。
 紅茶の葉をすくうだけの動作を何度も失敗してはやり直している。
 ここは、取手の自室。
 そして、部屋には緋勇と取手。そう、二人きりなのである。
 「あ、あの…紅茶は…ミルクとレモンと…」
 「レモン」
 「お砂糖は…」
 「入れる。4g前後」
 カップに受け皿なんて洒落たものは持っていない。普通のマグカップに紅茶を入れて、スティックシュガー(3g)をどこに置くべきか悩んだ挙げ句、最初から溶かすことにし、ついでにレモンも搾ってしまう。これでやや萎びたレモンだということがばれることもない。
 そうして出来上がった紅茶を運ぶと、手が震えて水面が波打っていた。
 「あの…ど、どうぞ…」
 「ん」
 緋勇は取手の顔も見ずに受け取って、口にはせずに持ったまま、また取手のコレクションを眺めていた。
 緋勇が端から眺めて最後まで見てまた最初に戻っている視線に、取手は絶望すら感じて陰鬱な溜息を押し留める。
 「あの…」
 「ん?あぁ…剣の舞があれば、と思ったんだが…穏やかな曲ばかりだな」
 「す、すみません…」
 「…謝る必要は無い。お前の好みの問題なんだから」
 何が楽しいのかくすくすと笑って、緋勇はコンポの前を離れてベッドに腰掛けた。
 そこでようやくカップの紅茶をゆっくりと啜る。
 「しかし、お前は几帳面だな。いちいち曲名の他に演奏者だの日付だの…細かいことだ」
 「すみません…」
 「誉めてるつもりなんだがな」
 男の癖に神経が細いと言われているようで項垂れた取手に、緋勇はもう一度笑った。幸い、嘲笑じみたところはない。あくまで穏やかなのが救いだ。
 カップをサイドテーブルに置き、取手を指でちょいちょいと呼ぶ。
 おずおずと歩いていくと腕を引かれて、無理矢理隣に腰掛けさせられた。
 がちがちに緊張して、両拳を握って膝の上に置いていると、緋勇がその手を包むように触れてきた。その手はするすると這い登って、取手の頭にまで辿り着く。
 「ひ、ひ、ひ、緋勇さん?」
 無言でぐいっと引かれ、抵抗せずにいると、頭が緋勇の膝の上に落ちた。
 完璧に固まった取手を気にする様子もなく、緋勇は取手の髪をくしゃくしゃと撫でている。
 取手の頭上からは、紅茶を啜る音が聞こえてきた。また取り上げたらしい。
 左手でカップを持ち、右手では取手の頭を撫でている。
 一体これは何事だ!?と取手が目を見開いたまま硬直していると、緋勇の溜息が聞こえた。
 「うーん、やっぱりアネミアとは感触が違うな」
 アネミア?
 「俺の猫なんだがな。ここに来たせいでしばらく構ってやってない。あれがいないとどうも落ち着かん」
 緋勇の指が取手の顎をくすぐった。
 「連れて来るかなー。しかし、居場所がばれるのもなぁ…」
 ぶつぶつ言いながら、指は変わらず髪や顔を弄っている。
 取手は、頬の熱さがズボン越しにでも緋勇に伝わるのではないか、と心配になるほど顔を紅潮させていた。
 これは猫代わりにされているだけだ、と自分に言い聞かせても、憧れの人に膝枕されて、指で愛撫されているのである。緊張せずにいられようか。
 「ふむ、撫でてやっても、緊張は解けないか。アネミアならすぐに気を抜いて懐くんだが」
 いや、だから、逆効果。
 「お前はどうも俺に構え過ぎだ。噛みつくつもりは無いぞ?」
 いっそ噛みついてもらいたい。唇に。
 そう考えてから、初めて会った時のことを思い出して、取手は更に顔を赤くした。
 緋勇が声もなく笑っているのが筋肉の震えから感じられる。
 「か〜わいいなぁ。そっちの趣味は無いが、食いたくなるぞ?」
 頬を撫でていた指が、するりと滑って唇を這う。そのくすぐったいようなむず痒いような感触に、体が震えた。
 自分は欲情しているのだろうか、と熱に浮かされたような頭でぼんやりと思う。
 年上の男に。
 そりゃ一見同い年だし、小柄で細身だし、整った顔をしているのだけれど。
 「おい、取手。俺にキスしてみるか?」
 笑いを含んだ声が降ってくる。
 本気では無い。明らかにからかい目的の言葉だが、取手はゆっくりと身を起こした。
 立ち上がると、ベッドに腰掛けた緋勇のつむじが見える。
 緋勇がふと上を向き、
 「ほら」
 と、目を閉じた。
 取手は震える手で緋勇の顔を挟んだ。そうして、目を閉じて、ゆっくりゆっくりと近づいていく。
 よく漫画にあるような、初めてのキスで歯がぶつかってしまう、なんて真似だけは絶対に避けたかった。
 だからとても鈍い動作で近づいたが、緋勇はただ黙って待っていてくれた。
 僅かに唇が温かいものに触れる。
 そうっと押しつけた、それだけで頭の中が沸騰した気分になった。
 慌てて顔を離して暴れ回る心臓を押さえていると、緋勇がうっすらと目を開いた。
 「それで?お前は満足か?」
 分からない。
 ただ、心臓が壊れるんじゃないかという勢いで血を送り出しているのは分かる。
 「舌を出して、絡めて、吸って…相手を奪い尽くしたい気分になったか?」
 取手は真っ赤になった頭で必死に言葉を理解しようとする。
 だが、その言葉はピンと来なかった。
 触れられた、それだけで満足した。
 とても穏やかな、触れるだけのキスだけで、心臓が破裂しそうだ。
 緋勇はくすくすと笑って、立ち上がった。
 時計を確認して呟く。
 「そろそろ帰っても良いか」
 そもそもここへ来たのは、葉佩に追い出されたからだ。危険な爆薬の調合をするから誰にも邪魔されたくない、と言って。
 一時間、と言われていたので、頃合いだろう。
 真っ赤な顔で突っ立っていた取手は、腕を引かれて素直にベッドに腰掛けた。
 上から緋勇が額にキスをした。
 「人を好きになる、というのは、そんなに綺麗な感情じゃあ無い。雄の本能は、相手を征服し支配したいと望む。…お前は、まだ、それを知らない。だが、きっと」
 目を細めて緋勇は笑った。
 楽しんでいるような、悼んでいるような複雑な光が、その漆黒の瞳の奥に宿っていた。
 「きっと、お前も気づく時が来る。…複雑な気分だな。そんな激しい想いは知らないまま生きていく方が幸せなのかも知れんが…お前たちがどうなるか見届けたい気もするし、そのまま綺麗な心と体で卒業して欲しい気もするな」
 緋勇は苦笑の形に唇を歪めた。
 そういう表情を見ると、あぁやはりこの人は自分とは異なり…『大人』なのだと、取手は胸に凝りを抱えた気分になった。
 「お休み、坊や。良い夢を」
 今度は鼻の頭にちょんとキスして、緋勇は体を離した。
 取手は、それをただ見送る。
 捕らえて、引きずり戻すなんてことは、思いつきもしなかった。
 ただ、自分がキスしたのは唇にであったのに、緋勇に与えられた額や鼻へのキスの方が心地よく感じるのだろう、とぼんやりと考えていた。




 葉佩+取手


 「はっちゃん、何か飲む?」
 「おっかまいなくぅ〜!一応、部屋でコーラ飲んで来たもん」
 「…コーラ?寒くないかい?」
 「部屋は暖かいからさー」
 取手のベッドにころんと転がって、葉佩は音楽雑誌をぺらぺらめくった。どう見ても『読んでいる』様子では無い。
 思った通り、すぐに『眺める』のに飽きたのか、今度はベッドの下を覗き始めた。
 部屋に来てから、一瞬たりともじっとしていない葉佩に、取手はくすくすと笑う。本当にハツカネズミのようだ。実際ハツカネズミを飼ったことは無いけれど。
 その自分の思考で思い出して、取手はふと言った。葉佩からすれば、随分突然の話題だろうけど。
 「そういえば、緋勇さんは猫を飼ってるんだって。この間部屋に来たとき、そう言ってたよ」
 「へー、猫か〜。本人も猫っぽいもんなー」
 にゃあ、と鳴きながら、葉佩は伸びをした。ベッドの横の姿見を見て、首を傾げる。
 「うーん、どこが違うのかなぁ。緋勇さんが伸びをするのって、猫に似てない?優雅ってーかさ〜」
 うにゃあっともう一度両手を伸ばす。だが、どう見てもラジオ体操のようなしゃきしゃきした動きは、猫科のしなやかさとは異なっていた。
 「はっちゃんはさ、その…猫って言うより…」
 「あ、犬っぽい?俺は、犬派なんだよねー。猫は飼ったこと無いや」
 取手がハツカネズミとは言い出せないうちに、葉佩は目を輝かせて取手を見た。
 葉佩の隣に座ると、葉佩が、両手で顔を挟んでじーっと覗き込んだ。
 「は、はっちゃん?」
 「かっちゃん、ちょっと似てるかもー。あぁあ、大好きだったんだよなー、俺のムスタング」
 「…ムスタング?」
 「白くてでっかくって、特に手足のでっけぇ犬でさぁ、まあ、雑種なんだけど。何となーくかっちゃんに似てるような気がする。ちょっと悲しそうな目とか」
 真正面から目を覗き込まれて、取手はちょっと狼狽えた。そんな風にまじまじと目を見つめられたのは初めてだ。魂の奥まで暴き立てられそうなほど真っ直ぐな瞳に落ち着かない気分になるが、葉佩はただ自分に正直に行動しているに過ぎない。取手の秘密を覗くとか、そんなつもりは全く無いに違いない。
 取手は、後ろめたいこともないのに何故こんなに落ち着かないのだろう、と頭の隅で疑問に思いつつも、思いついたことを口にした。
 「ひ…緋勇さんには、猫代わりにされたよ」
 葉佩の黒いきらきらした目に、何かの影が差した。だが、すぐに、それは怒ったような光に取って代わる。
 「猫代わりって?なに?何されたの?」
 「え…あ、その…膝の上で、頭を撫でられた…んだけど…」
 それ以降のことを言うのは止めておこう。だが、思い出しただけでも赤くなった取手に、葉佩は、うーと唇を尖らせた。
 「緋勇さんてば…かっちゃんが緋勇さんのことを好きなのを知っていながら、そーゆーことすんだもんな〜」
 何でからかうような真似をするんだろう、とぶつぶつ呟いている葉佩に、取手は緋勇の名誉のために言い張った。
 「でも、あの夜の緋勇さんは、優しかったよ?何か、とても…うん、優しかった」
 言葉には出来ないが、葉佩や皆守といった他の面々と一緒にいる時とは違って、あまり強烈な<氣>を発していないというか。あぁ、野良猫を脅かさないように遠くから餌付けするような気持ちだったのかも知れない。
 「…そっか。かっちゃんが嫌な思いをしなかったんなら、それで良いけどさ」
 白い綺麗な歯を見せて葉佩は笑った。
 「それにしても猫代わりか〜」
 「じゃあ、はっちゃんも、僕を犬代わりにする?」
 どこか羨ましそうな響きに聞こえたので、そう提案すると、葉佩の目が真ん丸になった。本当に小動物めいてるなぁ、と眺めていると、葉佩はにへらっと笑って、取手の背中に回って抱きついてきた。
 「はっちゃん?」
 「あ〜、こんな感じだったかも〜。ムスタングはさ、俺が小さいときに兄ちゃんが拾ってきた犬だから。俺なんか背中に乗ったり、腹を枕代わりにして寝たりしてたもんさ〜」
 懐かしそうに言うのを聞いて、取手は背中に手を回して葉佩を背負い、ベッドから降りた。
 「うわわわわわ!」
 「大丈夫?」
 そのまま四つ這いで歩いてみると、葉佩がぎゅーっとしがみついてきた。
 「お、重くない?」
 「はっちゃん、軽いから」
 しばらくごそごそ歩いたが、何せ狭い部屋である。ドアまで行って戻ってくるのはすぐだった。
 ベッドの横まで戻ってくると、葉佩がこてっと力を抜いて背中に体を預けるのを感じた。
 「はっちゃん?」
 「…ごめん、泣きそう」
 「え…」
 慌てて立ち上がり、ベッドの上に葉佩を降ろすと、言葉通り目を真っ赤にした葉佩がぐすんと鼻を啜り上げた。
 「悪い、かっちゃん。びっくりさせて。せっかく四つ這いにまでなって、やってくれたのにな」
 目を擦る葉佩にティッシュを差し出すと、豪快に鼻をかんだ。
 「ムスタング、大好きだったのに、死んじゃったんだよな〜。あ、寿命だけどね」
 明るく言っているようだが、声の震えは隠せていなかった。
 ごしごし目を擦るのを止めさせると、潤んだ瞳で見上げられ、取手は心臓がどきんと一つ飛び跳ねたのを感じた。
 赤くなった目尻、涙に曇った黒い瞳、頼りなく震える睫毛。
 いつも元気な葉佩が見せる悄然とした姿に、心の中の何かが動いて、思わず腕を伸ばして抱き締めていた。
 抵抗もなく収まった体が、震えながら取手の胸に縋り付いた。
 どきん、とまた一つ心臓が鳴った。
 何か言わなくては、と何度か唾液を飲み込む。
 泣いている葉佩を宥めようと背中をさすると、シャツを通して細い骨格が感じられて、今更ながら相手が華奢であることに気づく。
 自分の腕の中にすっぽり収まって震えている華奢な『友人』。
 ごくり、ともう一度、唾液を飲み込んだ。
 「あ…あの、ね…」
 自分の声も、どこか上擦っていた。
 だが、それ以上何か言う前に、葉佩がそっと胸を押した。
 「いやー、ごめんね、かっちゃん。その時にもさんざん泣いたはずなのに、思い出すとまだ泣けちゃうんだよな〜」
 あはは、とわざとらしく笑いながら、葉佩は目を拭った。
 離れていく体温を名残惜しく思いながら、取手は押されるままに体を離した。
 「あ…えっと…な、何か…飲む?」
 「うん…あ、そうだ。緋勇さんが誉めてたよ?レモンが出てくるとは思わなかったって。よく、えーと…せ、生鮮食品なんか常備してるなーって」
 まだ声は無理をしているような明るさがあったが、取手はそれには触れずにぎくしゃくと簡易キッチンに向かった。
 「うん…冬になると、時々喉が痛くなるから…そう言うときにはホットレモンを飲むことにしてるんだ。蜂蜜とレモンとお湯とで簡単だし」
 「じゃ、それ希望〜」
 「うん、分かった」
 冷蔵庫から新しいレモンを取り出す。本当は使いかけもあるのだが、せっかくなら新しいものをあげたかった。
 自分の分も作って持っていくと、湯気の中で幸せそうに笑って、葉佩は口を付けた。
 「あったかーい!何か懐かしい感じ〜!」
 「そ、そう?うん、まあ、よくある味…かも」
 ふーふーと息を吹きかけて、取手も自分のカップを啜る。
 「そう言えば、緋勇さんは猫舌なのかな?この間、なかなか飲まなかったけど」
 しばらく葉佩は動きを止めた。うーん、と唸ってから頷く。
 「うん、そうかも。部屋でも冷たいものばかり飲んでるし」
 「もう寒いだろうにね」
 「そうだね〜。でも、あの人、寒いとか暑いとか感じてるのかどうかもよく分かんないや」
 「でも、猫舌なんだ」
 何だか身近に感じて、くすくすと笑うと、葉佩も微かに笑った。
 だが、その笑みは、いつもの葉佩には似つかわしくない、どこか寂しそうな色を滲ませていた。




 緋勇+葉佩


 「ただいま〜」
 「あぁ、お帰り」
 部屋に入る時に挨拶をするのは習慣だ。それに返事をしてくれる人がいるのにも、もう慣れた。その人が、目も上げずに紙に目を落としているのにも、だ。
 医学生の卒業試験というやつは、高校生における二学期いっぱいに渡って行われるらしい。緋勇は毎日、今日は産婦人科だ、だの、明後日は耳鼻科だ、だのと過去問らしきコピーに目を通している。
 「それで?取手とのお話は楽しかったか?」
 やはり目は紙束に向けたまま、緋勇は気の無い声を葉佩にかけた。
 葉佩はパジャマに着替えながら、思い出すように視線を遠くに彷徨わせた。
 「そういえば、緋勇さん、かっちゃんを猫代わりにしたんですって?」
 緋勇はちらりと目を上げた。
 探るような目に少し後じさりながらも、葉佩はぷぅっと頬を膨らませて見せる。
 「膝枕なんて、好きな相手にされたら動揺するでしょっ!あんまりかっちゃんをからかわないで下さいよ」
 「膝枕くらい、何てこと無いだろう」
 すぐに目を逸らした緋勇に、葉佩は首を傾げた。
 何か、誤魔化されている気がする。ひょっとして、もっと際どいことをしたのだろうか。
 「かっちゃんは、いい人だから、泣くとこ見たくないんですからねっ!笑ってて欲しいのに、緋勇さんはすぐかっちゃんを虐めるから」
 釘を刺すと、緋勇が紙に顔を埋めてくくくと笑った。
 ごそごそとベッドに潜り込んで、葉佩はぶすっとした顔だけを布団から出した。
 「聞いてます?緋勇さんてば」
 「そういえば、最初の問いに答えていないな。楽しかったか?取手と話すのは」
 誤魔化されてる気がしたが、たぶん答えないとこれ以上何も言ってくれないのだろう。
 だから、渋々と答えた。
 「そりゃ…楽しかったですよ?俺、かっちゃん好きだもん」
 部屋の明かりが落とされる。机の上の電気スタンドだけが煌々と灯っている。
 振り返った緋勇の顔は、その光の中心にあって見えないが、目だけは電気スタンド以上に強い光を放っていた。
 「本当に?本当に楽しかったか?葉佩九龍」
 イヤでも緋勇の目に吸い寄せられる。
 その漆黒の光に飲み込まれそうだ。
 まるで催眠術にかかったかのように、耳から聞こえる言葉に、脳が考えることなく答えを返す。
 「楽しかった…けど、悲しかった…」
 「何故?」
 「だって…かっちゃん、緋勇さんの話ばっかり…」
 ぐすん、と自分が鼻を鳴らす音で、葉佩は我に返った。
 自分は何を言っているのだろう。まるで子供が仲の良い友達を他の友達に取られて泣いているみたいでは無いか。
 「い、今の無し!今の無しですから!」
 あわあわと手を振る葉佩に、緋勇は笑った。いつものような尊大な笑みではなく、優しく包み込むような温かさに、葉佩の涙腺が緩む。
 「ち、違うんですからねっ!べ、別に俺、その…か、かっちゃんは良い人だから、幸せになって欲しいと思うし、本当に好きなら緋勇さんとくっついても良いなぁと思うわけで、ただ緋勇さんの方はからかってるだけだろうから反対してるだけで、俺は、ただ…」
 言ってるうちに何が何だか分からなくなって、葉佩は枕に顔を埋めた。
 妬いてる、なんて、そんな感情あるわけが無い。
 だって、友達の幸せを望むなら、その人が望むことを叶えてあげたくなるのが普通では無いか。
 「思春期ってやつは、恥ずかしいものだな…俺の時も端から見ると恥ずかしかったのだろうか…」
 すっかり布団に潜ってしまった葉佩を見ながら、緋勇が少しばかり遠い目で呟いた。
 最初は、どう見ても惹かれ合っているらしい二人をつついてくっつけてやろうと思っていたのだが、だんだんこの自覚無しな奴らを見ているうちに、そっとしておいた方が良いのではなかろうか、という気分になってきた。
 同性に擬似的恋愛感情を持つのは心理学的にも正常な過程である。
 無理にそれを『本物』にはせずに、仄かなちょっぴり友情以上な心のまま、綺麗な想い出にさせた方が二人のためなのだろうか、とも思う。
 ただ。
 緋勇は眉を顰めた。
 もしも、仮に、この二人だけなら、このまま友情以上恋愛未満な関係のまま過ごしていきそうな気もするが…何たって、本人たちに全く自覚が無い…そこにもう一人加わると、話は別だ。
 緋勇には他人の<氣>が見える。それ故、あの男の正体も『見えて』いる。まあ、敢えて口を挟みもしていないが。
 そしてその男が、葉佩に惹かれているのにも気づいている。しかも、どうやら取手とは違って、己の感情を理解しているらしい。
 あれだけ葉佩と近しい位置にいるのだ。あの男も、葉佩の取手に対する感情、及び取手の葉佩に対する感情を薄々勘付いていることだろう。
 もしも。
 もしも、だが、彼らが自覚する前に、自分がさらってやろうと考えたなら。
 男同士でも『恋愛』は成立するのだと気づいたなら、二人はどうなるだろう。
 緋勇は、ゆっくりと頭を振った。
 仮定の話で自分が頭を悩ます必要は無い。
 『青春』は、その時代の真っ直中にある人間の特権だ。自分のようなとっくにその時代を過ぎた者が介入すべきでは無い。
 ようやく、二人の感情には傍観者として接することを決意して、緋勇はこれ以上つつくのは止めることにした。
 悩み出して、年長者の助力を要するなら、口を出してやっても良い。それまでは、そっとしておこう。
 全ては、大地の王では無く、天の神の思し召しのままに。







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