黄龍妖魔學園紀  告白編





 葉佩が挙動不審なのは、ある意味『いつもの出来事』とさえ言えるかもしれない。
 他人様の教室に忍び込んで、役立ちそうなものをこっそりゲットしていく姿は、もはや天香学園休み時間の風物詩とさえ言われている。
 だが、しかし。
 『友人』からひたすら逃げまどう姿、というのは非常に珍しいだろう。
 葉佩にとって『友人』とは、大切な宝物で、何より守るべき存在であったから。
 「はっちゃ…」
 「うわあああああああんっ!」
 ようやく葉佩の姿を捉えた取手が完全に声をかけ終わる前に、葉佩はその場から逃げ出した。
 残された取手は、がっくりと三割り増しに背中を丸めているが、もちろん葉佩にその姿は見えない。
 取手は引退したとはいえバスケ部のエースである。その気になれば、葉佩を追って捕まえることなぞ容易いかもしれない。
 だが、告白した相手にこれだけ避けられていれば、あえてとっ捕まえるほどの勇気は無い。
 それゆえ手を握って葉佩の後ろ姿を切ない目で見つめるのみなのだが、葉佩にはそんなことは分からない。
 ひたすら捕まらないように全速力でその場から離脱するのみだ。
 そうして取手にはきっと見つからないだろう、と図書室横の司書室に逃げ込んだ。
 ぜーぜーと息を荒げて座り込む葉佩に、七瀬が紅茶とポテチを差し出した。
 「よろしければ食べます?」
 「ありがと、つくちゃん」
 遠慮なくポテチを摘んで、葉佩は入り口に座り込んだまま、思い切り溜息を吐いた。
 「あ〜あ…いったい、俺、何やってんだろ…」
 独り言のような言葉に、七瀬が振り向いて本を開いた。
 「古人曰く。『男は恋をすると、第二次幼年期に入る』。…以前も申し上げましたね」
 「あ〜…そーいや、聞いたね〜。あん時は、てっきり剣ちゃんのことだと…」
 何気なく相づちを打ってから、葉佩はぼぼぼっと耳を真っ赤にした。
 「え…ひょっとして、つくちゃんにもばれてんの!?」
 「九龍さんが、取手さんに恋をしていることを、ですか?」
 さらりと言われて、葉佩は顔から火を噴いた。
 ひーっと顔を両膝の間に埋めて隠れる。
 「言〜わ〜な〜い〜で〜…」
 怨霊のように殷々と訴えたが、七瀬は首を傾げただけで同意はしなかった。
 葉佩としては、実に身の置き所が無い。
 本人が自覚したのはつい先日だというのに、何故周囲の人間は先に気づいているのだろうか。
 というか、誰も疑いもしてないということは、やっぱりこの感情は『恋』で間違い無いのか。ひょっとしたら万が一ただの勘違いということもあるだろうと思っていたのに。
 「…かっちゃんを見ると、ドキドキする」
 そっと呟いてみる。
 心拍数が上がる、というのは、実に多彩な原因から起こる状態だ。
 戦闘態勢でもなるし、緊張しただけでもなるし、もちろん運動したりの身体的なことでも脈拍は増加する。
 でも、戦闘態勢の時のドキドキとは、全く違う気がする。
 戦闘態勢の時には、脈拍増加も血圧上昇も、あ〜アドレナリン出てる〜って感じで心地よいのに、この胸のドキドキは、心臓が破裂してしまいそうな気がして怖い。
 それに口の中もカラカラに乾くし、声は出ないし…ってただの緊張状態かよ、俺!と一人で突っ込んでみて、葉佩はまた膝の間に顔を埋めた。
 「あの…九龍さん。よろしければ、この本お読みになりますか?」
 七瀬がそっと声をかけたので、葉佩はふと顔を上げて差し出された本を受け取った。
 「…同性愛の心理…」
 題名を読み上げて、撃沈する。
 あ〜、そうなんだよなぁ、俺はホモのつもりは無いけど、かっちゃんが好きってことは、『同性愛』なんだよなぁ…と今更しみじみ思う。
 七瀬は至極自然な顔で本を広げて解説し始めた。
 「同性愛、というのは、本来はごく普通にありふれたものでした。子を産み育てるという子孫繁栄には役立たないため、近世では迫害されていますが、同性に惹かれる心理、というものは程度の差こそあれほぼ全員が持っているとされています。殊に、思春期には異性に惹かれるが、同時に異性を畏れる心理も働くため、その結果として同性に惹かれることが多々あり…」
 淡々と大真面目に解説されても、現状の役には立たない。
 葉佩としては、別に取手に惹かれたこと自体を悔いるつもりは無いし、自分なりに納得しているつもりだ。
 ただ問題は。
 顔を見ることすら恥ずかしくて、つい逃げてしまうこの状態を何とかしなければならない、ということだ。
 まだ解説をしている七瀬に悪いと思いつつ、葉佩は手を振ってそれ以上は止めて、と意志表示した。
 ぱたりと本を閉じた七瀬は、気を悪くした様子もなく、眼鏡をくいっとかけ直した。
 「では、何をお望みですか?九龍さん。私の知識で役立つことであれば、如何なることでもお答えしたいと思いますが…恋の成就の呪文から、心理学的手法まで、この子たち(本)に分からないことはありません」
 改めて聞かれると、困る。
 恋愛成就のおまじないもいらないし…というか両想いなのは確実だ、少なくともあっちから告白してきたんだし…、葉佩さえ頷けば、晴れて恋人までレッツゴーだ。
 だが、それが出来ないのは…ひたすら照れくさいからだ。
 何故照れくさいのか、と言われても困る。理屈では無い。
 これじゃ『恋する乙女』だよ、俺、と考えて、葉佩は頭を抱えた。
 葉佩九龍18歳童貞。小柄だしガキだが、『男らしさ』にまだ夢を持っているのである。
 もっとこう、乙女ではなく『男らしく』恋する方法は無いものか。
 がうがう唸りながらポテチを口に放り込んでもしもし咀嚼していると、七瀬がふと思い出した、というように呟いた。
 「そういえば…取手さんも開き直る前は、九龍さんと同じような状態でしたね」
 「…へ?」
 口の周りにポテチのかすを一杯付けて、葉佩はきょとんと七瀬を見つめた。
 「つい数日前まで、取手さんも九龍さんから逃げていたでしょう?顔も合わせずに走っていく姿を、私も見ました」
 そういえば、と葉佩は思い出した。
 いきなり避けられ始めたので、思い悩んで七瀬にも相談したのだ。
 その時には、何だか的を得ない格言ばかり聞かされたような気がしていたが、今から考えれば、七瀬は気づいていたのか。
 取手が、葉佩に恋をしている、と。
 あぁ、そうか、あの時のかっちゃんは今の俺と同じような心境だったのか、と改めて納得した。何だかその後の展開が急すぎて、取手に何があったのか問いただしもしていなかった。まあ、悩みが解決したんならいっか、と深く追求しなかったツケが、今まさに回ってきている気もするが。
 かっちゃんは、どうやって開き直ったんだろう、と葉佩は思った。
 何かのきっかけがあって、あれだけ急に態度が変わったんだろうけど。
 顔を見るのも恥ずかしい、というのは、早く克服しないとな〜、と頬を手で押さえてみてから、葉佩ははたと気づいた。
 「ひょっとして…かっちゃんも、今、泣きそうな気分になってるのかな」
 今まで仲が良かったはずの相手に、急に避けられて。
 しかも、葉佩の場合は全く原因が思い当たらないのでやきもきしたが、取手の場合は、葉佩に避けられる要素に思い当たる節があるだろう。
 それはそれで、余計に悲しいのではなかろうか。
 葉佩に嫌われた、と思いこんでいるかも知れない。
 がばっと立ち上がって、葉佩は七瀬にポテチの袋を返した。
 「ありがと、つくちゃん!ちょっと俺、頑張ってみる!」
 「九龍さん、お口の周りが…」
 「んじゃっ!」
 しゅたっと手を挙げて、葉佩は司書室から出ていった。
 取手が行きそうなところを頭の中でピックアップする。
 第一候補:音楽室、第二候補:保健室、第三候補:3−A、第四候補:屋上、第五候補:マミーズ…とりあえず最初から当たるか、と音楽室に駆けていく。
 近づくにつれ、ピアノの音が聞こえてくる。
 淡々ともの悲しい響きで弾かれるそれは、取手が音楽室にいる証拠だ。
 ばたばたと足音を立てて葉佩は廊下を走って、音楽室のドアを思い切り開けた。
 「かっちゃん!」
 びっくりしたような顔で手を止めた取手を見て、葉佩は戸口から思い切り叫んだ。
 「はっちゃん?」
 「あ、あのね!俺、かっちゃんのことが好きだから!好きだけど、顔を合わせたら、何かめっちゃ恥ずかしいから逃げてただけだから!そ、それだけ!」
 真っ赤な顔で言うだけ言って、また全速力で駆け出した葉佩を、取手は呆気に取られた顔でしばし見送った。
 その顔が、じわりと緩んでいく。
 「待って、はっちゃん!」
 珍しく声を張り上げて、葉佩に声をかけたが、廊下の角を曲がっていった葉佩の速度は緩むことは無かった。
 取手の目に真剣な色が浮かぶ。
 本気モードで大きな歩幅で走り出す。


 音楽室には、ちょっと取手のピアノを見ていた音楽教師と、昼休みに練習に来ていた合唱部員、吹奏楽部員が、驚愕の面もちで取り残されていた。
 というわけで。
 葉佩の告白が、その日の夕方には全校生徒に知れ渡っていたことは、言うまでもない。








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