黄龍妖魔學園紀  解決編





 色々と思い悩むことに責められ、ほとんど明け方まで眠れずそれからようやくうつらうつらと浅い眠りを漂った皆守は、早朝、ドアが乱暴に叩かれる音で目を覚ました。
 このまま無視してもう一度眠りの園に逃避したいのは山々であったが、どんだかどんだか叩くリズムと大きさに覚えがある。
 重い体を引きずって、皆守はドアを開けた。
 当然のように小柄な体がするりと入ってくる。
 「うーっっす!おっはよー、甲ちゃん!」
 馬鹿明るい声が寝不足の頭に響く。
 だが、蹴ることも忘れて皆守は呆然と葉佩を見つめた。
 何で、昨日の今日でこんなに普通にやって来るんだ。
 葉佩は皆守を見上げ、んー、と首を傾げた。
 「甲ちゃん、顔が悪〜い」
 「顔色だろ!」
 とりあえず突っ込んでおいて、皆守は呆然としたままのたのたとベッドに戻って、ぽすりと座った。
 その前に付いてきて、葉佩はすとんと床に正座した。
 「あのね、甲ちゃん。ごめんなさい。別れて下さい」
 ぺこりと正座したまま頭を下げた葉佩に、皆守は唇を歪めた。
 分かっていたことのような気もするし…『あれは無し』ではなく、お付き合いは認めた上で、別れろという葉佩のアホさ加減が愛おしいとも思う。
 黙って見つめている皆守に、葉佩が顔を上げて困ったように指を突き合わせた。
 「あのさ、俺、全然分かってなくてさ、付き合うってゆーのは、ほら、一緒に飯食いに行くとか、映画に行くとか遊園地に行くとか、そーゆー中学生レベルのことしか思い浮かんでなくてさー。したら、いつもやってるのとあんま変わんないじゃん?だから、『恋人としてお付き合い』でも、まあいっか〜って思ってたんだけど、何か甲ちゃんレベル高くてさー」
 てへっといつもの照れ笑い。
 「やっぱ、俺って中身はガキなんだろねー。そんなん気づかなかったからOKしちゃって、甲ちゃんにも期待させちゃって、ごめんね?」
 ね?と小首を傾げて上目遣いで見上げる顔は、確信犯(誤用)だろう。絶対、己の魅力をわきまえた上でやってるに違いない、と皆守は目の前の『自称ガキ』を見つめた。
 だがそれでも嫌いにはなれない自分に溜息を吐いて、皆守は最後の抵抗を試みた。
 「あのな、九ちゃん。俺としては、ゆっくり九ちゃんに合わせたお付き合いから始めても良いんだがな」
 「でも、『恋人』としてっしょ?ごめん、俺、甲ちゃんのことは『友達』にしか見えないんだもん」
 理不尽なことでも言われたかのようにぷぅっと頬を膨らませた様子に、皆守は頭が痛い気がして額を押さえた。
 確かにこれは、自分を『友人』としてしか見ていない態度だ。
 第一、夕べは襲われかけた(というかきっちり襲われた)にも関わらず、同じ相手のベッドの前に無防備に座っているのも、完全に皆守を『男』としては認識していないのを主張しているようだ。
 「お友達からって言葉もあるだろ…」
 「結局お友達にしか行き着かないよ〜?」
 「それでも良いから、付き合ってくれ…って言ったら、どうする?」
 言い募る皆守に、葉佩は首を傾げて困ったように唸ってから、もう一度頭を下げた。

 「ごめん、だって、俺、かっちゃんが好きなんだもん」

 ずきりと痛んだこめかみを押さえて、皆守は静かに息を吐いた。
 「そうか…とうとう自覚しちまったのか…」
 「へ?え…知ってた…ってこと?」
 思わずがばっと頭を上げた葉佩に、皆守は辛うじて微笑を浮かべて見せた。
 「あぁ、そんなもん、お前ら以外、みんな知ってるさ」
 「え゛」
 奈々子直伝『ちょいと一踊り』ポーズで葉佩は固まった。
 どうやら本当に気づいてなかったらしい。
 見る間に葉佩の顔が真っ赤に染まる。
 脳天気でガキのくせにやたらと照れ屋で(そんなところも可愛いが)、それだけ他の連中には感情がモロばれだという自覚は無いのだろう。
 「嘘ぉ…」
 「気づいてたから、お前が自覚する前にさらってやろうと思ったんだが…やっぱり無理だったな」
 自嘲するように呟くと、葉佩は眉を八の字に下げて、ごめんね、と呟いた。
 そして、眉を顰めてしばらく唸っていたが、縋り付くような表情で見上げられて、皆守はうぐ、と喉を鳴らした。
 「あのさ…俺的には、甲ちゃんと友達でいたいんだけど…友達としてでも近くにいたらイヤな気がする?すぱーっと縁切った方が良いの?」
 惚れた相手であろうがなかろうが。
 基本的に皆守は世話焼きに出来ているのだ、実は。
 こんな風に、子犬が尻尾を垂れて心細そうにきゅんきゅん鳴いていて放っておけるだろうか。
 いや、ない。反語表現。
 「いや…出来る限り、友達として手助けしてやるから…」
 「ホント!?」
 葉佩の顔がぱーっと明るくなる。
 曇天の中日差しが差し込んだような笑顔に、あぁ、これで良かったのかもしれないな…と寂寞にも似た感情で受け入れた。
 「いやー、ありがと甲ちゃん、愛してる〜!」
 きゅーっと抱きついてきた葉佩の尻に、ぶんぶん振られる尻尾が見えた気がして、皆守は溜息を吐いた。
 何が悲しくて恋敵とくっつく世話をせねばならないのか。
 だが、たぶん、他の連中に相談でもされたら、自分のイライラは最高潮に達するに違いない。
 なら、せめて『友人』としてでも一番近くにいられる方が遙かにマシだろう。
 「それで…何か?取手となら、エッチしても良いのか?」
 何気なく問うと、葉佩は、ばっと離れてじたばたと手を振り回した。
 顔どころか耳も首も真っ赤である。
 「え、エッチだなんて、そんな…!いや、ほら、俺はその…自覚したのも夕べが初めてなくらいでさ…やーん、照れるじゃんか!」
 べしべし叩かれて皆守は顔を顰めて、立ち上がって机の上のアロマパイプを取り上げた。どうやらしばらくラベンダーの量を増やさなければならないようだ。
 「た、たださ…夕べかっちゃんにキスされた時にさ…何かぼーっとして、あ〜このまま流されちゃっても良いかな〜みたいな〜…って気分になったのは確かなんだけど…って、うっわ〜!何言ってんだ、俺〜!!」
 きゃあきゃあ叫んで葉佩は皆守のベッドに顔を埋める。
 切ない。
 非常〜っに切ない。
 早くも後悔し始めた皆守だった。


 そんな具合に、案外とうまく行った(葉佩の感覚では)皆守とのお話し合いを終え、葉佩は意気揚々と皆守の部屋を出た。
 友人の好意を断る、なんてのは葉佩にとって最も心が重いことだったので、皆守が苦笑しながらもあっさり引いてくれたので、一気に気が楽になったのである。
 「ありがと、甲ちゃん、頼りにしてるからねーっ!」
 どうやらさぼることに決めたらしい皆守を置いて、さあ朝食を取りに行こうとスキップしかねない調子で数歩あるいたところで。
 「…はっちゃん?」
 それはそれは地の底を這うような暗い声であった。
 背後からずずずずっと這い寄って背中によじ登った声に、ぞくっと背中を震わせて、葉佩は最大限の勇気を振り絞って振り向いた。
 そこには陰々滅々とした表情で、いつもよりも一段と目を落ち窪ませた取手が立っていた。
 「お…」
 おはよう、かっちゃん、と口にするはずだった。
 皆守に対してやったのと同じように、いつも通りに明るく声をかけるはずだった。
 だが、実際には声は全く出てこず、ただ口をぱくぱくさせた葉佩は、自分が緊張していることに気づいた。
 自覚してしまうともう駄目だ。
 考えないようにしようとしても、思えば思うほど、目が取手の口元に向けられる。

  あの唇に触れたのだ。

 薄くて冷たい唇に覆われて、舌先が触れた。
 夕べの感触が一気に蘇って、葉佩は顔を沸騰させた。
 おまけに足までがくがくと震えてくる。
 取手が一歩踏み出したのをきっかけに、葉佩は全速力でそこから逃げ出した。


 葉佩を見送っていた皆守は、一部始終をドアの隙間から見ていた。
 だいたい葉佩の思考回路は理解しているので、葉佩にしてみれば無理のない反応だとは言えよう。
 だが、取手にしてみれば、朝、皆守の部屋から葉佩が笑いながら出てきて、取手の顔を見るなり顔を赤らめて逃げていった、というのだけが見えるわけで。
 どう考えても、誤解しただろうな、と思いながらちらりと取手を見た。
 身長188cmの大柄な少年(?)は、呆然と葉佩が去っていったのを見送っている。
 ま、なるようになる。
 何も、自分が恋敵のフォローをしてやる必要は無い。
 葉佩が泣きついてきたら、精一杯慰めてやるだけのことだ。
 そう判断して、皆守はドアを閉め鍵をかけた。
 
 これで、葉佩は自分の『恋人』ではなく『親友』になった。
 『恋人』で無いなら、守ってやる必要は無い。
 けれど。
 あのどうしても憎めない葉佩を『敵』と出来るだろうか?
 皆守は重く溜息を吐いて、ベッドに潜り込んだ。
 考えて頭が痛いことは、眠って忘れるに限るのだ。







九龍妖魔学園紀に戻る