黄龍妖魔學園紀 自爆編
「なぁ、九ちゃん。付き合ってくれねぇか?」
「うん、いーよ〜」
その会話は、至極あっさりと交わされた。
言うまでもないことだが、『親友』に『何か』を『付き合って』くれと言われて断る葉佩ではない。『友人』の頼みとあらば、たいていの確率で内容を聞くこともなく承諾するだろうと言う皆守の読みは当たっていた。
皆守甲太郎は切羽詰まっていた。
同性の親友であり監視目標であるところの葉佩九龍にべた惚れしてしまったは良いが、どうも相手は同じく同性である『保健室仲間』に仄かな恋心を抱いているようなのである。
だが、しかし。
肝心の本人が、その感情に気づいてないときたもんだ。
そこに勝機があるはず…と言うか、そこにしか無い。
皆守の計画は、こうだ。
まず、大前提として、葉佩は取手への恋心に気づいていない。何故なら、同性であるが故に「そんなものが存在するはずがない」という強固な常識に囚われているからだ。
そこで、皆守がさらりと『お付き合い』を申し込む。言葉の選択次第で、それはあっさり了承されるだろう。
了承されたらこっちのものだ。
言質を取って、なし崩しに本物の『お付き合い』に持ち込む。
でもって、既成事実を作ってしまえば、本当に付き合うより他無くなるだろう。
もしも、本当に葉佩が『恋人』になったなら。
昔馴染みを裏切って、葉佩の味方になってやっても良い。
多少心は痛むが、昔馴染みもどうやら葉佩を気に入っているとなれば、相手は立派な恋敵だ。遠慮なく裏切らせて貰おう。
とまあ、そんな感じで。
皆守は、表面はとてもさりげなく、内心ではありったけの根性を総動員して、片想いの相手に『お付き合い』を申し込んだのである。
それから半日ばかり過ぎた頃。
葉佩がふと思い出したように皆守に聞いてきた。
「そーいや、甲ちゃんさ〜、どっか付き合ってとか言ってなかったっけ?」
場所は校庭、時刻は下校時刻ぎりぎり、ただいま周囲には他の人影無し。
皆守は己の運に感謝した。
「あぁ、付き合ってくれって言ったら、九ちゃんはOKしてくれたよな」
「うん。それで?いつどこに付き合ったらいいん?」
無邪気ににこにこ笑う様子を見て、心が痛まないでも無かったが、手段を選んでいられる立場ではない。
皆守は、さりげなく葉佩の肩を抱いて、歩き出した。
「九ちゃん…鈍いにもほどがあるぜ」
「へ?うわ、甲ちゃんひでぇっ!俺は勘と直感で遺跡を巡るニュータイプトレジャーハンターなのにっ!」
「危ねぇだろうがっ!」
とりあえず葉佩の尻を蹴っておいて、皆守はごほんと咳払いした。
「いや、だから。俺は『付き合ってくれ』と言ったんだがな」
「うん?俺は『良いよ』っつったよ?」
きょとんとして見上げる様子に、皆守は少しばかり目を逸らした。夕焼けの中、コウモリがぱたぱたと飛んでいくのが見えた。
「あぁ…お前に最初に会った日も、コウモリが飛んでいたっけなぁ…」
「そ〜だね〜。あれが吸血コウモリで、あーちゃんがその元締めって言う設定ならかっこいいなぁって思ったんだけどね〜」
微妙にロマンティックからかけ離れた会話を交わしつつ、皆守は、ふと立ち止まって、真面目な顔で葉佩を見つめた。
「九ちゃん。いや、九龍」
「はいな」
「俺と…付き合ってくれ」
「うん。だから、OKてばさ」
いくら雰囲気を真剣なものに変えてみたところで、葉佩には通じていなかった。
そこで、皆守は思い切ってはっきり表現することにした。
「俺は、恋人として付き合ってくれって言ってるつもりなんだがな」
「だからOKって………ほえ?」
「おぉっ!OKか!OKなんだなっ!?ありがとうよ、九龍!嬉しいぜっ!」
「あ…あれ?恋人…恋人って…へ?まさか、俺と…甲ちゃんが…?」
「本当にありがとうな…OKしてくれるとは思わなかったが、いやぁ、恥を忍んで思い切って言った甲斐があるってもんだ」
葉佩はひたすら「はぁ!?」という顔をしているのは分かっていたが、皆守は既成事実として認識させるべくひたすら言い募った。
おまけに、罪悪感をくすぐるのも忘れない。
そして、未だ不思議そうに考え込んでいる葉佩を力一杯抱きしめたのだった。
「ええええええっっ!?お、お付き合いすることになったぁっ!?」
知り合ってから初めて、という大声を聞いて、葉佩は吃驚して取手の顔を見た。
取手は、信じられない、と言った顔で皆守と葉佩の顔を見比べている。
そりゃ普通は驚くよな、男同士で恋人なんて…俺だって驚いたし、と思いながら葉佩は頷いた。
「うん…何かよく分かんないけど、そーゆーことになっちゃって」
「ま、そういうことだ。男同士ってことで、驚かれるかも知れねぇが、お前には言っておかなきゃならないと思ってな」
また皆守が葉佩の肩をぐいっと抱いた。
強く煙るラベンダーの匂いにけほけほ咳き込みつつ、葉佩は「甲ちゃんて意外とスキンシップが好きだなぁ」と思っていた。
「皆守くん…」
「何だ」
ぴしぴしと静電気が走った気がして、葉佩はきょとんと二人を見上げた。
皆守を睨んでいた取手が、ふと目線を落とした。
葉佩をじっと見つめて問いかける。
「はっちゃん…本当に、良いのかい?」
「うん…」
まあ、正直なところ、突然すぎてさっぱり訳が分かっていないのだが、まあいずれ落ち着くだろう、と葉佩は思った。元々、あまり複雑な思考には慣れていない。自分の回線では重すぎる時には、放置しておくに限る。そのうち何とかなるだろう。
「よく分かんないけど、甲ちゃんならまあいっかって」
皆守なら自分に悪いようにはしないだろう、と、そこだけは自信を持って言えるので、葉佩はてへっと笑った。
その言葉を聞いて、皆守の手がふるふると震えた。
あれ、何か怒らせたかな〜と思っていると、がばっと抱きつかれて葉佩はきゅうと鳴いた。
「ありがとうよ、九龍!大事にするからなっ!」
「はぁ…ふつつか者ですが、どうぞよろしく〜」
皆守が喜んでいるみたいだから、まあいっか、と葉佩は納得して、皆守の背中にそっと手を回した。
よしよし、とさすっていると、取手の陰鬱な声が地を這ってきたので慌てて振り向いた。
「そうか…はっちゃんは、皆守くんを選んだんだね…」
選ぶも何も、他に対象はいなかったけどな〜と思いながらも、葉佩は頷いた。
「そう…お幸せに…とは、言わないよ。とても言えそうに無いから」
やっぱり男同士の恋人なんてものに祝福できないよな、普通は、と理性では思いながらも、取手の厳しい視線に、この日初めて、葉佩は不安を感じた。
他の皆にもこんな目で見られるのだろうか。それが分かっていたから、皆守はこれまでずっと内緒にしていて、自分がOKしたことをこんなに喜んでいるのだろうか。
それだけの勇気を振り絞って告白するなんて、甲ちゃんは凄いなぁ、と感心して、葉佩はそれを乗り越えてまで皆守が自分に告白したことをくすぐったく感じた。
正直言って、皆守が「恋愛感情」で自分を見ていた、とはこれまで全く気づいていなかったが、皆守の方は必死にそれを隠していたんだなぁ、と思うと申し訳ないような気分になる。
その分、これから自分もちゃんと皆守のことを『恋愛感情』でみなきゃな、と考えていると、取手がふと視線を外し、再び皆守を睨んだ。
「…はっちゃんを泣かしたら、僕が許さないから」
「ふん、お前の分までたっぷり可愛がってやるさ」
あぁ、かっちゃんは俺の保護者みたいなものだから、『花嫁の父』状態なのか、と葉佩は納得した。
今は怒ってるみたいだが、皆守と仲良くしていればそのうちまた楽しく遊んでくれるだろう。
「ま、そういうことだから…九龍は貰っていくぜ」
「俺は物じゃないやい」
「あぁ、そうだな。大事な俺の『恋人』だ」
皆守の視線がとても優しかったので、葉佩は少しばかり恥ずかしい気がした。
本当のところは、皆守とはどつき漫才しているのが一番楽しいのにな〜と思いながら、葉佩は手を引かれて、皆守の部屋へと連れて行かれた。
皆守の部屋に来るのは初めてではない。
お互い似たような部屋の造りで、大した家具があるわけでもなし、いつも通りベッドに腰掛けると、皆守が正面に立って覗き込んできた。
「なに?甲ちゃん」
「ん…あぁ、いや…随分うまくいったんで、自分でも驚いてるところだ」
その言い方だと、何か企みが成功したみたいな感じなのだが。やっぱりからかわれただけとか、罰ゲームだったとかなのだろうか。
皆守に頬を撫でられて、くすぐったさに首を竦める。
「なぁ、九ちゃ…九龍。俺は、結構嫉妬深い方なんでな。俺の恋人になったからには、他の男を見て欲しくないんだが…」
「ちょっと待って、甲ちゃん。何で、そこで『男』なんだよ〜。普通『女』って言わない?俺って根っから男好きに見える?ってあぁ、こーゆー言い方したら甲ちゃんが男好きって言ってるみたいであれだけどさ〜」
ぶぅっと頬を膨らませて抗議すると、皆守は一瞬だけ苦笑したが、すぐに真剣な目になった。
「不安なんだよ。お前は女よりも男にもてるからな」
「…がーん…」
口でも効果音を付けつつ、葉佩は胸を押さえてぱたりと倒れて見せた。
こともあろうに、『男にもてる』などと言われて良い気がするわけもない。
そりゃ俺は小柄だしガキだし、女の子たちには『頼りになる男』じゃなく『マスコット』みたいに親しまれているのは本人も分かってはいるが。
それでもな〜、と思っていると、ぎしりとベッドが軋んだ音に「?」と目を上げる。
ベッドに転がった葉佩に、皆守がのしかかっていた。
別に、それ自体がどうこういうつもりはない。二人で話してたりじゃれ合ったりしていたら、そんな姿勢になることだってある。
ただ。
何だか皆守の目が。
これまで見たこともないような光を浮かべていて、葉佩は少しだけ緊張した。
「九龍…俺は、本気でお前のことが好きなんだ」
「へ?あぁ、はい。そのようで…」
本当はここで「俺も」と答えるべきなのだろうが、まだそこまで意識は追いついていない。嘘はつけないので、葉佩は微妙に誤魔化しっぽい笑顔を浮かべて見せた。
「なぁ、俺のことを嫌いじゃないだろ?」
「うん、甲ちゃんのことは、好きだよ?」
嫌いか?と聞かれたら『好き』なのは間違いないので即答したが、たぶん『好き』の質に大幅なずれがあるだろうことは葉佩も皆守も承知していた。
皆守は僅かに躊躇った様子を見せたが、すぐに目に強い光を浮かべて、葉佩を押し倒す体に力を込めた。
「お前は俺の恋人になってくれるんだろう?」
「えーと…まあ、成り行きだけど、そう言っちゃったからには答えないと男が廃る!みたいな〜」
てへっと笑った葉佩だったが、皆守の体が一段と押しつけられたため、不安そうな色を浮かべた。
未だここに及んで、一体何事が進行しているのか、全く分かっていなかったのである。
「だったら…俺を受け入れてくれ」
「はい?」
あんまり抽象的に言われても分からないんだけどな〜、と見上げた葉佩に、皆守の顔が視界一杯に広がった。
何やって…と聞く暇もなく、顎が捕らえられ、唇に生暖かな感触があった。
この粘膜の感触と微妙な弾力は、どう考えても皮膚ではない。
葉佩九龍、キスは初めてでは無い。
ちなみに、男にキスされるのも初めてではない。
だが、こんな風に全身が押し倒された状態で受けるのは初めてであった。
咄嗟にきっちり噤んだ唇に、濡れた感触が這った。どうやら舐められているらしい。
うわ、くすぐった!と葉佩は顔を振って避けようとしたが、掴まれた顎は意外と強い力で固定されていて、あまり大きく動けない。
んーんー呻いていると、腹のあたりに冷たい空気が触れてぎょっとした。
僅かな風はすぐに皮膚の感触に変わる。
目だけを動かして見ると、皆守の手が制服とシャツをズボンから引っぱり出して、直接潜り込んでくるところだった。
「ちょ、ちょっと待って、甲ちゃ…」
驚いて制止の声を上げようとすると、待ってましたとばかりに舌が滑り込んできた。
口の中を這うぐにゃりとした感触と、冷たい手が腹から胸へと滑ってくる感触に、葉佩は背中を震わせた。
そして、ようやく、自分が性的行為の対象として見られていることに気づいたのだった。
だが、それでもいまいち信じられなくて、皆守に確かめようと思ったが、口は塞がれていてどうにも喋れそうになかったので、直接確かめることにした。
男なら、本気なら肉体的に変化しているはずである。
じたばたしながら、葉佩は手を伸ばしてみた。
ぺとり。
確かめたそこの熱さと硬さに驚いた葉佩だったが、皆守も同様に驚いていた。
「おい、九ちゃ…」
思わず口を離した皆守だったが、すぐににやりと笑って、葉佩の手に腰を押しつけるようにした。
「何だ、お前も乗り気になってくれたのか」
葉佩は必死で頭を回転させていた。
考えるのは苦手〜とか言ってる場合では無いような気がしたので、これまでの人生でも最も真剣に脳味噌をフル回転させた。
その結果。
この状況は、どう考えても、自分が皆守に抱かれる、ということを意味しているのに気が付いたのだった。
一応、男同士でも性行為が成立して、その場合如何なる方法で繋がるのかくらいの知識はある。
それに皆守と自分を当てはめてみて、葉佩はほとんどパニック状態に陥った。
皆守のあれが!自分のそこに!入れられる!?
うわああああああんっっ!!
葉佩は触れていた箇所を全力で押しのけた。
さすがに男性共通の急所を押されれば咄嗟に皆守も腰を引く。
その間に身を捻って皆守の拘束から逃れて、葉佩はちらりとドアに目を走らせた。
「おっと」
すぐさまドアと葉佩の間に割り込み手を伸ばした皆守を見て、葉佩はくるりと背を向けた。
そして、ばたばたと奥へ向かい一動作で窓の鍵を開けてサッシを思い切り開いた。
「お、おいっ!ここは三階…」
そんな皆守の言葉を背に、躊躇うことなく宙に身を踊らせる。
くるりくるりと猫のように回転して着地した葉佩は、痛む足を引きずりながら走り出した。
どこへ、というのは本人にも分かっていなかった。
とにかくそこから逃げ出すこと。
墓は駄目だ。皆守もだいたい中を把握しているし、こっちも武器は携帯していない。
幸い制服なので鍵の類はポケットに入っている。
葉佩は夜の校舎に向かって走っていった。
背後から足音が来ないか気にしながら校舎の鍵を開けて中に飛び込む。
ひょこひょこと足を引きながら階段を登っていった葉佩は、音楽室の鍵を開けて入って、中からしっかり鍵を閉めた。
更に教卓の下に潜り込んで身を縮め、ようやく息を吐く。
それと同時にぼろぼろと涙がこぼれてきて、慌ててティッシュの箱を抱えた。
全然、分かっていなかった。
皆守が言う『付き合う』の中身も『好き』の意味も。
自分は男なのだから、性的な対象になり得るはずがないと思いこんでいた。
葉佩は、口の中を這った舌の感触と、触れられた肌を思い出して、自分の体を抱き締めるように丸まった。
怖かった。
『友人』だと思っていたのに、相手は『雄』だったのだ。
あぁ、だから皆守は最初から言っていたのに。『恋人』として付き合いたい、と。
その意味が分からなかった自分が悪いのだ。
あまりに鈍かったせいで、自分も怖い思いをしたし、皆守にもイヤな思いをさせただろう。
とにかく、いったん皆守には諦めて貰って、それからゆっくり考えなくては。
そのとき。
音楽室の鍵がかちゃりと鳴った。
びくっと体を跳ねさせて、葉佩は自分の口を手で覆い、呼吸すら聞こえないように体を堅くする。
扉が開いて、また閉じられ、鍵がかけられる音がした。
足音が、躊躇ったように一歩二歩踏み込まれ、それから立ち止まる。
「はっちゃん…僕だよ。はっちゃん、ここにいるのかい?」
聞こえてきた取手の心配そうな声に、葉佩はふーっと大きな息を吐いた。
敏感な取手の耳にはその音が聞こえたのだろう。足音は確信を持って教卓に向かってくる。
「はっちゃん?」
覗き込んできた取手に、葉佩は歪んだ微笑で手を振って見せた。
取手に手を引かれて教卓の下から這い出た葉佩は、そのまま取手の胸にしがみついていた。
何度も背中を撫でられて、ようやく体の震えが止まる。
葉佩が落ち着くまで何も言わずに抱き締めてくれていた取手に、葉佩は小さく「ありがと」と呟いた。
子供のように怯えていた自分が恥ずかしくなって、身を離そうとしたが、強引ではないが力強くまた抱きしめられたので、大人しく腕の中に収まった。
「はっちゃん…聞いて良い?」
「…え?」
低く言われた言葉の意味を捕らえ損ねて問い返すと、取手が少し悩んだ様子を見せて、それからぼそぼそと続けた。
「何が…あったのか、聞いて良い?」
「あ…えと…」
考えてみれば、今の自分の姿はちょっとばかりあれだ。シャツがズボンから引き出され、広げられているままの格好だ。その時には気づかなかったが、ベルトも外されてぶらぶらと前で揺れていた。
案外甲ちゃんは手が早いな、とぼんやり考えた葉佩は、急に先ほどの感覚を思い出してふるりと身を震わせた。
「俺が…その…悪いんだ。全然…分かってなかったから」
取手のシャツを掴んで胸に縋り付く。
「恋人っていっても、男同士だから…手を繋いで歩くとか、一緒にご飯食べたりとか一緒に寝たりとかなら、これまでと全然変わらないから、まあいっか〜とか思っちゃってて〜」
なるべく冗談のように明るく言ってみたが、取手は重苦しい溜息を一つ吐いただけだった。
「だから…まさか…まさか、自分がその…だ…だ…抱かれる方…とか…考えてなくて…」
「されちゃったの?」
取手にしては乱暴な端的な問い方に、葉佩はぱぁっと顔を赤くした。
「逃げて来ちゃった…甲ちゃんには、悪いことしたな…」
でも、どうすれば良いのだろうか。
謝って…それから?
ちゃんと理解した上で、皆守と……?
全然、想像がつかないのだが。
「うん、君が、悪い」
取手の怒ったような声に、葉佩は身を竦ませた。
心のどこかで、取手なら慰めてくれると思っていた。葉佩の味方をして、皆守との仲をうまく取り持ってくれるんじゃないか、と期待していた。
けれど、取手は葉佩の頭を胸に押しつけたまま、低く言った。
「それは、はっちゃんが、悪い。何もかも、君が、悪いんだ」
「…そ、そうだよ…ね…う、うん、俺が…」
「君は、何も分かっていない。全然、気づいていない」
突然、激昂したように叫んで、体を引き離された。
乱暴な所作に呆然としている間に、床に押しつけられた。
上から覗き込む取手の表情は、逆光で見えない。
「皆守くんの気持ちも…僕の気持ちも。ねぇ、知ってる?僕も、君を好きなんだよ?僕も、君を抱きたいんだ」
「え…」
見上げても、取手の表情は見えないが…何故か、目の光は分かる気がした。
皆守と同様、欲を秘めた『雄』の目。
ぞくり、と背中に何かが這い上がった。
上から取手の顔が近づいてくるのはひどく緩慢に感じたが、葉佩は身動き一つ出来なかった。
唇を、塞がれる。
皆守のものよりもややかさついた冷たい唇。それが噛み付くように深く追い求めてきて、葉佩は息苦しさに口を開いた。
途端、ぬるりと舌が入ってくる。
舌先が触れ合った途端、びくりと体が跳ねた。
背中が総毛立つ感触と共に、顔中に熱が集まる。
「ん…ふ…ぁ…」
僅かな隙間から息を吸いながら、唇を貪られるままに、葉佩は真っ白な頭で取手に縋り付くように腕を回していた。
震える指でシャツをくしゃりと掴むと、取手が唇を離して目を覗き込んできた。
ぼんやりと見上げると、取手がふと眉を寄せた。
「皆守くんにも、そんな顔したの?」
「……?」
今、自分はどんな顔をしているのだろう。少なくとも、赤くなっているのは確かだろうが。
「続きをしてって強請ってるような、顔」
「…へ?」
理解するのが全く追いついていない。
ただ感じるのは、背中の下の床の硬さ、冷たさ。
己の体の上にのしかかっている『男』の体。
ぼんやりとした頭で、ふと自分が取手の体を挟むように足を広げているのに気づいて、慌てて閉じようとしたがそれは叶わなかった。
それどころか余計に、足が無防備に広げられているのだと己にも取手にも気づかせる結果になっただけだった。
取手が目を合わせたまま、ゆっくりと手を下に伸ばした。
それが伸びていく先を知っている気がして、葉佩はまた足を閉じようと無駄な抵抗をした。
だが、身を捻ることも叶わず、取手の大きな手がそこを包むように触れた。
「やっ…」
思わず目を閉じると、手のひらが確かめるようにゆっくりとそこを撫でたため、思わずまた目を開けて、やめて、と目で訴える。
「反応してるんだ…気持ちよかった?」
責めるような言い方に、葉佩は目尻に涙を滲ませた。
そんなはずはない。
男に抱かれるなんて、断じて受け入れがたいはずなのだ。
だから、感じてるはずなんて無い…のだが。
顔だけでなく、取手に触れられた場所からも熱が広がる気がする。
体中がじりじりと炙られているようだ。
こんな反応、知らない。
皆守にキスされて肌に触れられた時には、怖かっただけだった。
今だって、怖いはず。向けられた『欲』に変わりは無いし、それが引き起こす結果にも変わりは無いはずなのだから。
なのに、今。
自分は、怯えてはいないんだ、と突然、葉佩は気づいた。
そりゃ、全く怖くないことは無いけれど、それ以上に熱に浮かされたような気がするだけ。
おかしいな、と、ぼんやりと近づいてくる顔を見上げながら、葉佩は頭の片隅で疑問に思う。
どう考えても、一般的に、この状況はおかしい。
『友人』だと思っていた『男』に押し倒されて、キスされて、それで気持ちがよいってどういうことだろう。
自分は実は男好きだったのだろうか?
いや、そんなはずはない。
だったら、皆守に押し倒されても同じ反応だったはず。
とすれば。
皆守との違いは。
「ねぇ、かっちゃん…」
口づけの合間に、葉佩は小さく囁いた。
「何?」
「気絶しても、良い?」
「…今、気絶なんかしたら、僕は何をするか分からないよ?」
葉佩は笑った。
取手は冗談を言っている様子では無かったし、実際、この状況で意識を失うと言うことは、体を好き勝手されても文句は言えないということのような気はしたが。
「でもね、かっちゃんは、そんなことしないよ。だって、かっちゃんは優しいから」
「…狡いね、君は」
あぁ、そうだ。狡いのだ。
まだ、自分が出した結論を認めたくなくて、オーバーショートした脳を切り離そうとしているのだ。
くすり、と葉佩は笑った。
ばくばくと心臓は鳴り響いて、脳にも血液は凄い勢いで送られているのだろうけど。
緊張のあまり真っ白になった指で取手のシャツを掴み、葉佩はゆっくりと目を閉じて、心地よい闇に意識を委ねたのだった。