web拍手響編





 演劇部にはクリスマス公演があるんです。一年で二番目に大きな舞台なんです。一番目は一般のお客様にも見ていただく文化祭で、クリスマス公演は学園内だけの発表なんですけど…。
 でも、皆、気合いを入れて練習してたんです。
 その日は、僕は大道具の方に回ってました。いつもなら美術部の方が手伝って下さるんですけど、今年は何だか学園案内を刷新するとかで、そっちの方に行かれてて…。
 そしたら、その時、お兄ちゃんが体育館に来たんです。
 夷澤くんも一緒でしたけど。
 「おい、響。九龍さんがお前に用があるんだってさ」
 「あ、いや、用事って言うか…うん」
 にこにこしてるお兄ちゃんは、夷澤くんより背が小さくて可愛いです。夷澤くんも、相手は先輩なのに、「俺が守る!」みたいに周りにガンを飛ばすんですよね。そんなことしないでも、演劇部の皆はお兄ちゃんを虐めたりしないのに…。
 お兄ちゃんは僕が描いてる立て看板を覗き込んで、感心したように僕に話しかけました。
 「凄いですね。クリスマス公演って、大舞台なんですね」
 「はいっ!皆、頑張ってるんですよ!」
 僕は嬉しくなって、如何に皆が頑張ってるか話しちゃいました。だって、お兄ちゃんはにこにこして頷いてくれるんだもの。僕の話をそんな風に聞いてくれる人なんかこれまで誰もいなかったし…。
 「あっちの板には、何を描くんですか?」
 「えっと、そこは暖炉とか…あの、居間です」
 「へぇ…ちょっと、やってみて良いですか?面白そう」
 「え…あ、はい!どうぞ!」
 お兄ちゃんが嬉しそうに予備の絵の具を取ると、夷澤くんは露骨にイヤそうな顔をしたんですけど、出て行ったりはしませんでした。
 僕は自分の絵の方に集中してたんですけど、しばらくして夷澤くんが叫んだのでそっちを見ました。
 「ち、ちょっと、九龍さん!それはさすがにまずいんじゃないっすか!?」
 「いーの、いーの。前衛芸術〜?」
 「クリスマス公演は生徒会のメンツもかかってんすからねっ!」
 「楽しいよ〜、トーヤもやる〜?」
 「やりませんっ!」
 …絵の具をぐちゃぐちゃ手で混ぜてびーっと指で引っ張って…バケツの水を上から流したり…見てると心臓に悪いので、僕は見ないことにしました。あれはまだ手つかずだったから、また新しい紙を貼って描けば良いだけだし、それならお兄ちゃんが楽しんでればそれで良いかなって。
 「トーヤ〜、そっち持って〜」
 「ホントにこんなもん掛けるんっすか!?信じられねぇっ!」
 ちらりと見ると、お兄ちゃんが舞台の奥にそれを立てていました。
 それから、夷澤くんの手を握ったので、夷澤くんはぎゃーって叫びました。
 「あ、あんたっ!そんな絵の具だらけの手で触らないで下さいよっ!」
 「まーまー。トーヤ、ほら、こっち来て!」
 お兄ちゃんは夷澤くんの手を引っ張って舞台から降りて、観客席の辺りに行きました。
 「……嘘ぉ……マジっすか……」
 夷澤くんの呆然とした声が聞こえました。他の部員の感嘆の声も聞こえます。
 僕も手を止めて、見たんです。そしたら、何と!
 近くで見たらあんなにぐちゃぐちゃの幼稚園児の遊びにしか見えなかったものが、ちょっと離れて見たら、陰影の濃い如何にも陰鬱な居間に見えるんですよ!
 暖炉の火はホントに弾けてるみたいだし、上に掛かった絵もレンブラントの自画像って感じで!
 「凄いです、お兄ちゃん!」
 「あはは、騙し絵って得意なんですよね〜」
 だ、騙し絵…なのかな?
 「紙の張りぼてを本物の岩に見せかけたりとかね、出来ると便利なんで」
 えっへん、とお兄ちゃんは胸を張りました。
 「凄いです!僕も覚えたいなぁ…」
 お兄ちゃんの本物っぽい背景と比べると、如何にも「描いた背景です」みたいな僕の書き割りを見て、溜息を吐いてると、お兄ちゃんは僕の頭を撫で撫でしてくれました。
 「これは、あくまでフェイクだから、そういうのは覚えなくていいと思いますよ。出来るなら、本物だけ見るような人生送って貰いたいですし」
 そう言って笑ったお兄ちゃんの顔は、ちょっと寂しそうでした。
 それから、お兄ちゃんは残りの書き割りを全部描いてくれました。
 夜遅くになって、「楽しかったよー」って言いながら去っていくお兄ちゃんに手を振っていたら、夷澤くんに殴られました。
 「馬鹿響!九龍さんはお前に用があるっつったろうが!」
 そうでした!お兄ちゃんはわざわざ僕に会いに来てくれたのに、僕がずっと書き割り描いてるから、手伝ってくれたんです。
 でも、寮の食堂で会って、用事を聞いても、お兄ちゃんは笑って
 「いいですよ、忙しそうだから。クリスマス公演、頑張って下さいね。楽しみにしてます」
 って言うばかりで、結局何の用だったのか言ってくれませんでした。
 夷澤くんはぶつぶつ言いながら殴るし。
 うーん、お兄ちゃんは僕に何の用だったのかなぁ…気になる…。
 …あ、話はこれでおしまいなんです!きっと、他の人の話を聞いたら、何の用だったか分かると思いますので…僕はこれで、失礼します…!



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