10年後




 取手はパソコンを起動させて、メールの着信を振り分けた。その中に、八千穂明日香からのメールを見つけて、少し驚く。
 天香学園を卒業して、早10年。
 最初の1,2年は年賀状のやり取りをしたが、取手が引っ越したこともあり、何となく疎遠になっていたのだ。
 どうしたんだろう、と中を確認すると、皆守からメールアドレスを知った、とあった。
 そして、7月末に、かつてのバディたちのみの同窓会をしようと思うのだがどうだろうか、という内容が続いていた。
 取手は目を細めて、しばらく考えた。
 たぶん、スケジュールとしては何とかなるだろう。
 なるべく出席したいと思う、正式に日時が決定したら知らせて欲しい、と返信し、他のメールをチェックする。
 用事を済ませて、取手は目を閉じかつて自分が高校生だった時のことを思い出した。
 「…懐かしいな…」
 くすくすと笑い、電子手帳に予定を書き込んだ。

 7月初め。
 八千穂は夕食の準備中に鳴った電話に、もう、と言いながら火を止めた。
 「はーい、八千穂です。どちらさまでしょうか」
 「…取手です。…忙しい時間にすみません」
 「え!?取手くん!?…どうしたの?ひょっとして、同窓会、駄目になった!?」
 取手が忙しいのは分野違いの八千穂でも知っている。世界中を飛び回っているという噂だから、急に無理になっても仕方がない。
 電話の相手は、少し躊躇ったように黙ってから、声を潜めて言ったので、八千穂は受話器に耳を押し当てた。
 「…そうじゃなくて…その…この同窓会って、はっちゃんには内緒の企画だった?…ごめん、僕、言っちゃったんだけど…」
 「え…えええええ!?」
 思わず叫んだ八千穂に、取手の悄げた声が謝る。
 「ごめんね…」
 「そ、そうじゃないの!取手くん、九ちゃんと連絡取ってるんだ!」
 「うん…時々、会ってるけど…」
 怪訝そうに言われて、八千穂はあちゃあと額を押さえた。
 「そういえば、そうだったねー。取手くんと、九ちゃんと、仲良かったもんねぇ…ごっめーん!実は、九ちゃんの連絡先が分からなくて、それで九ちゃん抜きでバディだけでも同窓会って思ってて」
 葉佩と一番仲がよいのは皆守だと思っていて、その皆守でも連絡不能だと言うし、どうやら同業者になったらしい夕薙も個人的な連絡法は分からない、ロゼッタに伝言を残しておくくらいだと言うので、それに賭けようと思っていたのに。
 まあ、考えてみれば、面倒くさがりの皆守よりも、真面目な取手の方が長くやり取りがある可能性があるのかも知れない。
 そう納得して、八千穂は見えないにも関わらず、電話に向かって拝むように片手を上げた。
 「それじゃあさ、九ちゃんにも言っておいてくれる?」
 「…えっと…八千穂さんから言った方がいいんじゃないかな…せっかくだし…」
 「あ、うん!」
 連絡先を教えてくれるのかと思っていたら、「ちょっと待ってね」というセリフと共に、からからと戸が開く音がした。
 部屋を歩いていって…水の音が近づいてくる。
 「はっちゃん!電話!」
 「えー?電話?誰から?」
 水の音が止まって、懐かしい葉佩の声が聞こえてくる。
 やっぱり暢気そうな声に、涙が出そうな気分になりつつも、何で水の音なんだろう、シャワーを浴びていたのかな、と思う。
 「八千穂さんから」
 「八千穂?…えっと…」
 「八千穂明日香さん。3−Cの…」
 「あぁ、あの八千穂!なっつかしー!」
 かすかに聞こえてくる会話に、自分がすでに過去に人間になっているのだと気づいて、八千穂は少しばかりショックを受けた。
 自分にとって、あの学園で過ごした日々は何物にも代え難く、特別な輝きを持っていて、まるで昨日のことのように色鮮やかだったが、葉佩にとってはよくある任務の一つに過ぎないのだと改めて気づく。
 「八千穂さん。お久しぶりー」
 「え…」
 10年前と同じく「八千穂」と呼び捨てられると思っていた八千穂は言葉に詰まった。
 「あ…お、お久しぶりだね、その…葉佩くんは、元気にしてた?」
 「八千穂さんも元気?取手から聞いたよー。同窓会するんだって?良いなぁ、俺も呼んでくれれば良かったのに」
 「あ、その、ごめん!本当は誘おうと思ってたのに、連絡先が分からなくて!九ちゃんのバディの同窓会なんだからさ、九ちゃんが来てくれるのが一番なんだけど!」
 「…九ちゃんかぁ…なっつかしー」
 しみじみと言われる声は、電話を通しているというだけではなく、やはり10年前とはどこか違っていた。
 「ご、ごめんね、つい…」
 「ううん、構わないよー。えーと、それじゃあ、俺も出席ってことで。もし、駄目そうなら、取手に言っておくねー」
 「…あ、うん。た、楽しみにしてるから!」
 「うん、俺も楽しみー。じゃあねー」
 暢気な声で挨拶する葉佩は、10年前と同じく、やっぱりほのぼのとした空気をまとう人なのだろうと思う。
 けれど、やっぱり声は28歳らしい落ち着きを持っていたし、きっと容姿も変わっているのだろう。
 想い出の中のみんなは、いつまでも高校生の姿で。
 同窓会をしたら、きっと記憶通りの友達と会えるような気がしていたが、10年という歳月は、誰の上にも平等に流れているのだ。
 ひょっとしたら、まるっきり容姿が変わっていたり、性格が変わっていたりすることもあるのかもしれない。
 かすかに感じた不安を、八千穂は自分の頬を叩いて追い出した。
 少なくとも、葉佩も取手も、高校生だった頃と同じくほのぼのとした気配を感じるのだ。
 きっと、他のみんなも、基本的には変わっていないだろう。


 7/23。
 天香学園敷地内の阿門邸にて、同窓会は開催された。
 10年前とほとんど変わらない執事が皆を出迎える。
 「…おっそろしいほど変わってねぇな…」
 「ははは、私も年を取りました。ですが、まだまだ他の者に任せるわけには参りませんので…」
 ラベンダー色のシャツにターメリック色のジャケットという愉快な配色の皆守は、大広間に入っていった。
 「やっほー!皆守くーん!ひさしぶりー!」
 肩を出したドレス姿の八千穂が手を振るのでそっちに向かい、アロマパイプを手に呆れたように言う。
 「…お前、28歳でその服はねぇだろ…うぼあっ!」
 「素直に誉める!」
 えぐり込むように打つべし!と腹部にジャブを打ち込まれて体を二つに折りながら、皆守は涙目で周囲を見回した。
 「九ちゃんは、来るのか?」
 「うーん、来るって言ってたんだけど…」
 同じくきょろきょろと見回していた八千穂が、入り口を見て、あ、と声を上げた。
 ひどく背の高い青年が、八千穂を見つけて足早に歩いてくる。
 「…こんばんは。お久しぶり。八千穂さんも、皆守くんも、変わって無くて安心したよ」
 「お前…また背ぇ伸びたのか?」
 「え…ううん、変わってないはずだけど…?」
 「取手くん、かっこいい〜」
 しみじみと言う八千穂に、取手は赤くなって意味もなくネクタイをいじった。
 「あ…その…イタリアでオーダーメイドしたんだ…僕の場合、オーダーメイドじゃないと合わなくて…」
 「ううん、何て言うか、服が高そうって言うんじゃなくて…風格が滲み出てるって言うのかな〜。皆守くんとは大違い!」
 「…お前な…」
 取手は、相変わらずの八千穂と皆守を見てくすくす笑いながら、胸ポケットから携帯を取り出した。
 メールを確認して、八千穂に言う。
 「はっちゃんは、間に合わないかもって言ってる。頑張るけど10分か20分くらい遅刻するかもって」
 「あ、そうなんだ…でも、来てくれるだけ、凄いよね!」
 八千穂はそう言って、広間の時計を確認した。
 「どうしよっか。先に乾杯しちゃう?」
 「10分なら待っても良いだろうがな…」
 どうやら司会らしい二人が正面に移動しながら話し合っていると、体格の変わらない肥後が悲鳴のように声をかけた。
 「おなかが空いたでしゅよ〜!」
 「たいぞーちゃん、久しぶり〜!…あ、そこのテーブルのそれ、美味しそう!全部食べちゃわないでね」
 「追加はたっぷりありましゅよ。この僕が監修したんでしゅから!」
 フードコメンテーターが自信を持って胸を叩いた。通りがかった舞草が身をよじった。
 「あぁん、ウェイトレスの血が騒ぎます〜!私もお手伝いしようかしら」
 「駄目だよ〜、今日はお客さんなんだから」
 「でもぉ〜…うずうずするぅ!」
 薄黄色のスーツを着た舞草は、一見年齢相応に落ち着いているように見えたが、中身は昔と変わっていないようで、八千穂は思わずほっとして笑った。
 扉を見て、時計を見て、それから皆守の顔を確認したが、面倒臭そうに突っ立っているだけで場を持たせようと言う気配はいっさい無かったので、何かしようか、と考える。
 そのとき扉が開く音がしたので慌てて振り向いたが、阿門と双樹が入ってきただけだった。
 ぱたぱたと走っていき、挨拶する。
 「こんばんは!今日は、この部屋貸してくれて、ありがとう!」
 「…別に、かまわん」
 「阿門さまも懐かしがっておいでだし、たまにはこういうことも良いんじゃないかしら?」
 相変わらず大きな胸を阿門に押しつけるように腕を絡めているが、阿門の方は気にした様子が無かった。
 この二人はどうするんだろう、と思いつつも、八千穂はとりあえず挨拶は済ませた、と正面に向かう。
 広間自体はそれなりに大きいが、全員で20人ほどの集団である。マイクを使うほどでもないか、と八千穂は大きな声を張り上げた。
 「みなさーん!開始時刻は過ぎてますが、我らが九ちゃんが少し遅れると言うので、ちょっと待ちたいと思いま〜す!それまで、えーと…取手くんにお話を聞きたいと思いまーす!」
 ウーロン茶を口にしていた取手がげほっとむせた。
 「え…ええっ!?」
 「だって、九ちゃん、ずっと音信不通だったのに、取手くんだけ連絡してたみたいなんだもん。話せる範囲でいいからさ、九ちゃんがどんな活躍してたか、とか、どんな風に会ってたのか、とか、何か無い?」
 「…困ったな…」
 取手は苦笑しながらも八千穂の方に歩いてきた。
 昔なら、顔を真っ赤にしながら、絶対拒否しそうだったのに、世界的ピアニストともなると人に話す場面も多いのだろう。それほど困惑しているようでもなかった。
 「…えっと…そんなに、特別なことは、してないんだ…」
 取手の声は、いつもよりも聞き取りやすくはっきりと発音されていた。
 「はっちゃんは、だいたい3ヶ月から半年くらいの周期で、世界中の遺跡を回っていて…僕は、拠点は日本なんだけど、それなりにあちこち出かけていて…連絡は、はっちゃんからだったり、僕からだったり、いろいろかな。はっちゃんは、任務の合間に時間が出来たら僕に連絡して、都合が合えば、遊びに来るし…僕も国と国との移動の時に、ちょうどはっちゃんのいる国の付近だったら、そっちに向かって、ちょっと一緒に潜ったりとか…」
 「潜ってんのかよ!ピアニストが!」
 皆守がアロマパイプを持った手で突っ込んだ。
 取手は、何を言われているのか分からない、といったようなきょとんとした顔で皆守を見返した。
 「…何か…おかしいかな…」
 「いや、お前、遺跡に潜るっつったら手ぇ怪我するかもしれねぇのに、ピアニストのやるこっちゃねぇだろ」
 「まぁ…そうなんだけど…高校時代だってやってたことだし、それに、一段と吸収能力が高まってね…少しの怪我くらい、すぐに治せるものだから、つい…」
 取手は大きな手のひらを広げ、金色に光るホルスの目を浮かべて見せた。
 それから、少しだけ申し訳なさそうに首を傾げ、八千穂を見た。
 「…ごめんね、そんなに何度もはっちゃんと会ってるんじゃなくて…本当に、都合が合った時だけって言う感じで…1年に1〜2回、合わせて1週間くらいで…」
 「ううん!それでも凄いよ!あたしなんて、卒業してから一回も会ってないし!」
 「まあ、俺もだな。だいたいお前、俺と会ったのも数えるくらいのもんじゃねぇか」
 高校時代にいくら仲が良くても、卒業してしまえば滅多に会わなくなる。
 意識して会う機会を作らなければ、メールのやり取りや電話で終わってしまったり、それすら疎遠になっていき。
 同じ日本にいてさえ、10年も経てば会うこともなくなるのに、お互いが世界中を飛び回っているにも関わらず、そんなによく会っている取手と葉佩は凄い、と八千穂は感心した。
 だが、取手はそれが特別とは思っていないようで、高校時代と同じくおっとりと微笑んだ。
 「うーん…お互い日本にいないからこそ、会っちゃうのかも。いつでも会えるって思うのと、今を逃せばいつ会えるか分からないっていうのでは、やっぱり少ない機会を何とかして捕まえなきゃ!って思うよね」
 やっぱり、この二人は仲が良かったんだなぁ、と八千穂は改めて思った。そうまでしても会いたい、なんていうのは、よほど相手を好きでなければ出来やしない。
 「あの…取手さん。葉佩さんは、その…まだ独身なんでしょうか?」
 七瀬が躊躇いがちにそう聞いたため、隣に立っていた真里野が妙な声を立てた。
 「あっ、き、聞いてみたかっただけです!その、ちょっと気になって…」
 慌てたように手を振ってから、七瀬が安心させるように隣を見上げて微笑んだので、真里野は赤くなって目を逸らした。
 「…あ〜、月魅と真里野くんって、ひょっとして〜」
 「い、い、い、いや、まだ、未熟者ゆえ、好いたおなごの一人も養えぬ身で…!」
 「…と言うことらしいです」
 七瀬が、はぁっと溜息を吐くところを見ると、それなりに好意を受け入れてはいるらしい。
 ほのぼのとそれを見守っている八千穂とは違い、七瀬の問いの答えの方が気になっているのか、双樹が取手にずいっと迫った。
 「それで?答えはどうなの?」
 「…え…あ…はっちゃんが、結婚?…えっと…全然、そんな話は…」
 やはりにこにこと七瀬たちを見ていた取手が慌てて答えて…不意に首を伸ばした。
 ドアを通して遠くを見る視線になってから、ふわりと微笑む。
 思わず見とれてしまうほどに柔らかで幸せそうな顔で、取手ははっきりと言った。
 「はっちゃんが、来たよ」
 「えぇっ!?」
 思わず全員が振り向いて、足音でも聞こえないか、と耳を澄ませる。
 だが、重厚な扉に阻まれて声すら聞こえてこない。
 「お前…相変わらず、耳が良いな」
 「だって、はっちゃんの声だし」
 さらりと言って、取手はまた微笑んだ。
 「…いや、お前、それって…」
 ぶつぶつ言いながら、皆守は頭をぐしゃぐしゃと掻き回し、それから諦めたように溜息を吐いた。
 そうこうしている間に、扉が開く。
 「みんな、お久しぶりー」
 暢気な声で、ひょこっと頭が覗く。
 皆が歓声を上げ、どっと駆け寄るのを、取手はその場から動かずに眺めてにこにことしていた。

 バディたちが代わる代わるに葉佩の側に寄り、話しかける。
 葉佩は昔と同じくみんな平等に扱い、笑顔のままで聞かれたことに答えていた。
 取手は、みんなは10年ぶりの再会なのだし、自分はまた会えるし、とあえて邪魔はせずに他の人たちと話をしたり料理を食べたりしていたのだが。
 八千穂がするっと寄ってきて、取手を覗き込んだ。
 「ねぇ、取手くん。九ちゃんと話をしなくていいの?」
 「え…僕は、また、話が出来るし…後で、僕の家に泊まるし…」
 取手は、ごく普通の会話をしたつもりだったのだが、八千穂が驚いたように声を上げたので、自分の方が驚いて思わずグラスを取り落としかけた。
 「な、何か、おかしいかな…?」
 「八千穂さん?」
 やはり大声に驚いたのか、葉佩がとととっと駆け寄ってきた。
 「お帰り、はっちゃん」
 「うん、ただいま」
 それだけ取手と挨拶してから、葉佩は八千穂に向かって物を問う視線を投げかけた。
 「え…あ、ご、ごっめーん!何だか、すっごくあっさりと、僕の家に泊まる〜なんて言われちゃったもんだから、ちょっと、びっくりしちゃって!」
 ぱたぱたと手を振る八千穂を見て、きょとんとした顔で葉佩と取手は顔を見合わせた。
 「おかしいかな…」
 「おかしくないよねぇ」
 んー、と二人で首を傾げている姿は、10年前と全く変わらない。
 「…あ、都内の一軒家じゃないよ?そんなに稼いではないから…」
 何だかずれたことを言い訳している取手に、八千穂は首を振った。
 改めて、二人が並んでいるところを見つめる。
 身長は全く違うが、二人ともおっとりとしていて同じ雰囲気を漂わせている。早い話が、二人が並んでいることに、違和感が欠片も無い。
 「うーん、やっぱり、九ちゃんと取手くんって…恋人だったのか〜」
 腕を組んでしみじみ呟くと、二人揃って目を丸くして、同じ口調で「え?」と怪訝そうな声を上げた。
 「…こ、恋人?」
 「恋人って…俺と、取手が?」
 「あれ?違うの?一緒の家に帰るって言うし、前にほら、電話したときもシャワーの音がしてたし」
 「…あの時は…確か…」
 「あ、風呂掃除してたんだよね。やっぱり、泊まるからには家事手伝いくらいしなきゃって」
 「なーんだ」
 八千穂は、へへっと鼻を擦った。
 「あんまり二人がお似合いだからさ。てっきり、付き合ってるのかなーって」
 「…お前は、何を言ってるんだ」
 いつの間にか近寄って来ていた皆守が、溜息を吐きながら八千穂の頭をこつんと叩いた。
 「昔から、仲は良かっただろうが…まあ、男同士だしな。無い、無い」
 「えー?あたしはそういうの、偏見無いよ?」
 「お前のは、ただの野次馬だ」
 仲良く喧嘩し始めた八千穂と皆守を見て、二人顔を見合わせてほんわかと笑う。
 「…変わってないね…」
 「変わってないよねぇ」
 あははは、と笑ってから、また葉佩はするりと取手の横から抜け出して、他のバディたちのところに向かっていった。
 そうして、皆が色々な取り合わせで話を弾ませて。
 もうすっかり夜も更けてからその奇妙な同窓会はお開きとなった。
 帰るという女の子たちを門でタクシーに乗り込むまで送っていった後、屋敷に泊まる連中の二次会に付き合ったため、取手と葉佩が屋敷を出たのは明け方の4時のことだった。
 こうなったら泊まっていきなさい、という千貫の勧めを断り、のんびりと徒歩で出ていく。
 「…どうしよう…いっそ、どこかホテルに泊まる?」
 「んー…もう朝だし…電車が動くまで、どこかで時間潰そうか」
 荷物を手に、二人並んで歩いて行っていると、取手が何か考え込んでいるようなので、葉佩は首を捻って顔を見上げた。
 「どうかした?」
 「…うん…八千穂さんが言ったことなんだけど」
 「いっぱい、言ってたから、どれか分からないよ」
 「あ、僕らが恋人に見えるっていう」
 「あぁ、あれねぇ。ちょっとびっくりしたかなぁ」
 「…あ、びっくりしたんだ」
 「うん、あんまりびっくりしなかった自分に、びっくりした」
 「…僕も、そうかも」
 普通なら、男同士で、友達だと思っている相手と<恋人>だなんて思われていたと知ったら、驚きそうなものなのに、何故だかすんなりと「あぁ、そう見えるのか」と納得した。
 そして、そんな風に、受け入れられた自分にびっくりしたのだ。
 「僕らは、恋人に見えるんだね…」
 「見えるんだねぇ」
 葉佩も、心底感心したように相づちを打った。
 それからまた数分歩いてから。
 「…七瀬さんがね、はっちゃんはまだ独身かって聞いてね。…改めて、僕らはもうそんな年齢なんだなぁって思ったよ」
 「七瀬さんと真里野は、結婚してないよねぇ?」
 「うん、まだみたいだね…でも、する気はあるんじゃないかな…」
 「結婚したら、何か送ろうっと。教えてね」
 「うん」
 にこっとして頷いてから、取手は少し首を傾げた。
 「はっちゃんは…結婚とか、考えたことある?」
 「ううん、全然。言われるまで、そんな年齢だなんて思いもしなかったし」
 「うん、僕も」
 「取手は?見合いの話とか、来てるんじゃない?」
 「来てることは来てるけど…まだ早いって断ってたから…」
 徐々に白く明けてくる空を眺めながら、取手はもう一度自分の感覚を整理した。
 やはり、何度考えても結論は同じだったので、うん、と頷いてから口に出す。
 「僕、はっちゃん以外の人と一緒に暮らすなんて、想像もつかないな」
 結婚する、ということは、自分のテリトリーに他者が入り込む、ということだ。それも、途切れることなく延々と。
 とてもじゃないが、そんなのは耐えられない。
 葉佩が一緒の空間に存在することは、イヤなどころか、むしろ楽しいと思うのだが。
 しばらく間をおいて、葉佩も驚いたように声を上げた。
 「…うん、俺も想像付かないかも。結婚したら、仕事の合間に会いに行くのが、その人になるんだよねぇ。そうしたら、取手と会う時間が減っちゃうよねぇ。…うーん、そのくらいなら、結婚せずに、取手に会いに行った方がいいなぁ」
 大真面目に二人は頷いて、同時にお互いの方を向いて立ち止まった。
 「どうしよう。いっそ、はっちゃんと結婚した方がいいのかな」
 「そうだよねぇ。取手と結婚したら、問題解決だよねぇ」
 朝の爽やかな空気の中、うーん、と考え込む二人の横を、新聞配達のバイクが通り過ぎていった。
 バイクのエンジン音が遠ざかってから、また二人並んで歩き出す。
 「でも、結婚するなら、まずはお付き合いからかな」
 「うん、恋人からだよねぇ」
 「はっちゃん、僕の恋人になってくれる?」
 「取手も、俺の恋人になってくれる?」
 「じゃあ、問題解決だね」
 「うん、一つは解決したね」
 顔を赤らめもせず、まるで当たり前のことを話しているかのように、二人は淡々と確認し合う。
 二人にとって、相手と一緒にいることが自然なように、今の関係を<恋人>というものにするのも、やはり自然なように思えたからだ。
 というか、今までそうでは無かった方が不思議なほど。
 「でも、恋人って、今までと何が違うんだろう」
 「時間があったら、なるべく一緒にいるんだよねぇ。…あんまり変わらないよねぇ」
 取手は首を傾げてから、少し身を屈めた。
 「はっちゃん。キスしようか」
 「あ、そうか。そうだねぇ」
 葉佩ものんびり頷いて、上を向いてひょこっと爪先立った。
 ほんの2,3秒、唇を触れ合わせた<恋人たち>は、真面目な顔でまた前を向いて歩き始めた。
 「うーん、あんまり、変わらないねぇ」
 「そうだね…何だか、するのが当たり前って言うか…」
 普通、恋人になったばかりの人間が、初めてキスをかわすのなら、もっとドキドキするものなのではなかろうか。
 それが、まるで、一緒にいるのが当然だと思うのと同じように、キスするのが当然なような気にしかならなかった。
 「おかしいなぁ」
 「おかしいねぇ」
 葉佩は荷物を右手に持ち替えて、左手で取手の手を握ってみた。当然のように握り返された手は温かく、やはり特に胸がときめくわけでもなかった。
 「取手はさぁ」
 「うん」
 「エッチするなら、俺を抱くのと、抱かれるのと、どっちがいい?」
 「うーん…今まで考えたこと無かったから…どっちでもいいよ?はっちゃんは、どっちがいい?」
 「俺も、考えたこと無かったから、どっちでもいいかなぁ」
 取手とベッドくっつくことを想像して、葉佩は少し笑った。
 「変なの。男同士なのに、何か、別に変じゃないや」
 「そうだね…僕、したことないから、いまいち分かってないかもしれないけど…」
 それでも、裸の自分が裸の葉佩を抱き締めている姿を想像して、取手も少し笑った。
 「でも、やっぱり…楽しそうだ」
 「俺も、よく分からないけど、一緒に色々試そうねぇ」
 「そうだね。とりあえず、僕の家に着いたら…」
 「着いたら、する?」
 「うーん、でも、まずはちゃんと寝て、ご飯を食べなきゃね」
 「うん、大丈夫だよ、休暇はあと3日あるから」
 「そっか、いっぱい試せるね」
 葉佩は、取手を見上げて、笑った。
 取手も、葉佩を見下ろして、笑った。
 
 おっとりした二人は、<恋人>になってもやっぱりおっとりしたまま、二人で手を繋いで、朝の街を歩いていったのだった。






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