188cm
葉佩は、ようやくHANTを終了させ、もぞもぞとベッドに潜り込んだ。
体を丸めて、初めて自分の体が冷え切っていたことを知る。
小さく胎児のような姿勢になりながら、体幹の熱が四肢に行き渡るのを待つ。
だが、目は冴えるばかりで、少しも眠気が襲ってこない。
諦めて、またベッドから出て、HANTを起動した。
何度読んでも同じ、単語の羅列を読み返す。
高身長
何度目かの溜息を吐き、葉佩はHANTを閉じた。
そうして、祈るような姿勢で両手を組んで頭を垂れる。
「かまち君、腕、長いですねー。広げると、何cmありますか?」
普通、人間は身長と両腕を広げた長さはほぼ同じだと言われている。
しかし、目の前の男は、見るからに腕が長かった。
「え…えと…」
取手は、吸っていた牛乳パックから口を離して、困ったように首を傾げた。
「測ったことは…無いから…」
それに、その腕は子供の頃から、からかわれる対象だったから。
ピアノを弾くようになって、また、バスケをするようになって、この長い腕と手が有利になることもあると分かってからは、何となく自分と折り合いが付くようにはなったけれど。
葉佩にからかう意志はなく、ただ聞いているだけと分かってはいても、長年のコンプレックスから、取手は大きな体を縮こまらせて申し訳なさそうに俯いた。
「測りましょう」
葉佩は、食べ終わったパンの袋を綺麗に畳んで、ビニール袋に入れた。そして、取手にも立ち上がるように促す。
「俺は、身長通り。163cmです」
取手の両手を広げさせて、葉佩は真正面に立った。指を触れ合わせるようにぴったりと体を寄せる。…まあ、残念ながら、指を合わせると、体の方は正面からはずれているのだが。
「ここまでで、163cm。それから…」
そこからは、手を広げて、親指と小指の間で何度か測っていく。
「んっと…合計、232cm。長いですねー」
感心したように葉佩は頷いた。
「へぇ…凄いね、この幅なんて知ってるんだね」
この、と言いながら、取手は手をパーの形に広げて見せた。
「はい。今はHANTがオートマッピングしてくれますが、昔は自分で地図作ってました。その時、自分の歩く幅や、手の幅とか知ってると便利です。隠し部屋とか発見するのに、精密な地図、重要です」
「そうか、凄いね」
ただただ感心している取手に、葉佩は目を逸らせて呟いた。
「凄くは、無いです」
自分の知識は、ただ生き残るのに必要だったから身につけたものだから。葉佩にとっては、取手の音楽に関する知識のような、必要に迫られたのではなく趣味で覚えたような知識の方が、よほど凄いと思えた。
クモ状指を伴う、長い四肢
「お姉さんも、腕が長かったですか?」
「え…?あ、うん…普通の人よりは、少し長かった…かな。僕ほどじゃないけど」
常染色体優性遺伝。
有病率は約1/5000人だが、家族内発生を高率に含む。
葉佩は唇を噛んだ。
眠れない。
『死』に怯えたことは、無い。
自分が死ぬと言うことは、『解放される』という意味だ。後には、何も残らない。
遺跡で危険が迫ったときも、『死』を恐れるより、まず周囲を探るべく頭がより一層冷静に冴え渡るのを感じるだけだった。
なのに、今。
こんなにも、『死』を考えただけで動悸が激しい。
もしも………『彼』が死んでしまったら。
そう考えるだけで、叫びだしたくなるほどに、胸が疼く。
水晶体の亜脱臼を伴うことがある。
今晩は眠れそうに無い。
葉佩は、少し悩んだ末に、カーディガンを羽織って、廊下に出た。
そぅっと足音を忍ばせて歩いていく。
もう日付は変わって随分経つ。明日も普通に学校があるため、寮は静まり返っていた。
階段を上がって行って、一つの部屋の前に行く。
その前に座り込んで、背中をドアにもたれさせた。じんわりと、背から冷たさが染み込んでいく。
周囲は、とても静か。「針が一本落ちても分かるような」、と日本語では言うのだっただろうか。
けれど、背後の部屋にいるはずの男の、息も心音も聞こえない。
それは当たり前だ。さすがに、そこまで聴力は発達してない。
だけど。
聞こえたら良いのに、と葉佩は腕に頭を埋めた。
彼の心音や呼吸音を聞いたら、安心出来るのに。
平均寿命:40歳。
かち、と小さな音がした。
もたれていたドアが、ゆっくりと動くのに気づいて、葉佩は重心を移動させた。
開いたドアの隙間から、戸惑ったような小さな声が聞こえた。
「…九龍くん?…どうかしたの?…今から、<墓>に?」
ふるふると頭を振って、葉佩は立ち上がった。
「眠れないから」
取手は首を傾げたが、ドアの隙間を大きくして手招きした。
彼が体を滑り込ませると、また、かちり、と音がした。
ドアが閉まる音と、鍵がかけられる音。
解離性大動脈瘤・僧坊弁閉鎖不全・大動脈弁閉鎖不全などの心疾患を合併することが多い。
取手が、そぅっと葉佩の体を抱き締めた。
「…冷えてるよ。ごめん、気づかなくて」
音がしないように部屋の前に来て、勝手に座り込んでたのに、かえって謝る男。
葉佩は頭を振って取手の温かな体に抱きついた。
「ごめんなさい、俺が勝手に来ました」
「…でも、もっと早く、気づけば良かった」
そうしたら、こんなに冷えることはなかったのに、と取手は悔しそうに葉佩の手を取って擦った。
「かまち君」
「何?」
「一緒に寝て、いい?」
え、と取手が困ったような声を上げたので、葉佩は慌てて体を離した。
「ごめんなさい、迷惑でした。眠るのに、俺、邪魔ですね」
「ち、違うよ、そうじゃなくて…いや、僕は眠れないだろうけど、そういう意味じゃなくて…」
取手はドアに向かいかけた葉佩の手を掴んで、軽く引いた。
そして、ベッドに入って、おいでおいで、と手招きする。
「ホントに、いいですか?」
「うん。僕の理性も、一晩くらいなら、何とか。…たぶん」
葉佩は首を傾げながらも、取手の隣に滑り込んだ。温かな体にしがみつき、胸に耳を寄せる。
平均寿命:40歳。
ただし、寿命は、心疾患の有無に大きく左右される。
「…かまち君。…ちょっと…心拍数、早い?」
どくどくと脈打つリズムを耳と肌で感じていた葉佩が、不安に怯えた声を上げた。
彼のリズムとは倍…とまでは行かないまでも、優に1.5倍はある心拍数。
だが、取手は苦笑して葉佩の髪を撫でた。
「そりゃ…僕だって、男だし」
「…俺も男ですけど…心拍数はこんなに多くないです」
「えーと…その…九龍くんは、僕とくっついてても…心拍数が上がったりしないんだ?」
葉佩は首を傾げた。そして、取手に抱きついてみる。
「…何だか、安心して、心拍数が落ち着くですけど?」
「……そ、そ、そうだね…そ、そこは…喜ぶべき…ところ、なんだろうね…」
取手は、はは、とひきつった笑いを漏らした。
そして、はぁっと溜息を吐く。
「まあ、でも」
気を取り直したように付け加える。
「君が、僕のところに来てくれて、嬉しいよ。眠れないからって、皆守くんのところに行ったりなんかしたら…悔しいから」
「何で、甲ちゃん?」
「え…だって、九龍くんは、皆守くんと仲が良いから」
「甲ちゃんと一緒になんて、寝られませんよ。…神経が、起きてしまいます」
え?と訝しそうに問い返す取手に、葉佩は付け加えた。
「それに、今日眠れなかったのは、かまち君のことを考えてたからです」
え?と、また取手は繰り返した。
だが、深く問い詰められなかったので、葉佩は取手の左胸にことりと頭を落とした。
合併する心疾患の種類によっては、突然死する可能性も高い。
とくとくとくとくとくとくとく。
綺麗な、音。
雑音の混じらない、リズミカルな音。
取手が生きている音。
しばらく聞いていると、ふっと眠りの世界に引きずり込まれそうになって、葉佩は胸から頭を降ろした。いくら小柄とは言え18歳男子、それなりにある頭の重量が取手の胸を圧迫するのは心苦しい。
代わりに抱き枕のように取手の腕にしがみついた。
「く、九龍くん…その…ぼ、僕の手が…あの…さ、さ、さ、触ってるんだけど…」
取手の手がごそごそと動いたので、葉佩は「くすぐったい」と一言漏らして、目を閉じた。
神様。
この人は、今から大勢の人を救います。
綺麗な音を奏でて、たくさんの人に光を与えます。
だから、神様。
この人を連れていかないで下さい。
俺の寿命なんてものがどれだけ残ってるのか知らないけど、それを全部この人の分にくっつけて貰っていいですから、この人だけは連れていかないで下さい。
さもないと。
さもないと。
世界中の、神様を祀る場所を、ことごとく破壊しちゃうよ?
えー、元々は、と言えば、かまちょんは身長188cmだが、指極(拡げた中指と中指の先までの距離)はそれより絶対長いよな、そう言えば、指極が身長より20cm長いのが、アレの診断基準の一つじゃなかったっけ…と考えてるうちに、段々お題から外れて…こんなことに…ぐふっ。
上に述べた特徴は、とあるほんまもんの症候群の特徴です。
私は、かまちょんはそれだと踏みましたが、まあ、症候群名を上げるのも何だな〜と思って、あえて書きません。
仮に、それを目的にぐぐった人がここに辿り着いたら、ものごっつい気まずいし(笑)。検索避けは貼ってるけどね。
なお、仮に自分のダーリン(笑)が、それだと疑ったら、こんなに悲劇の主人公みたいにひたる暇があったら、さっさと病院に叩き込んで心臓の検査をさせましょう。半年に一度も検査してりゃ、異常があれば早めに対処出来ますよ。