風と水と 12
葉佩はベッドに転がって、うーんうーんと悩んでいた。
毎日が慌ただしく過ぎ去って行って、取手のことを考える暇が無いので、理性は睡眠をとった方がいいと囁いているのだが、ついこの寝る前の時間帯に色々と考えているのだ。
取手が、葉佩を好きだ、というのは、まあ間違いないところなのだろうと思う。
今日だって、何だかんだ言っても、心配だからとの理由で、頭痛を押して遺跡に付いてきてくれたし。
葉佩だって、取手のことが大好きだ。
八千穂が、取手と一緒にいるときが一番安心した顔してる、と言ったとおりで、取手と一緒にいるととても心が安らいでしまう。
下手したら、家族といるよりも気を抜いているのではないだろうか。何と言っても、あの<家族>は気を抜いていると何をされるか分からないところがあるので。
取手は葉佩をとても大事にしてくれて、甘やかせてくれる。
いや、甘やかせてくれるから好きなのではないが。
自分が取手のことを好きなので、取手が自分を好きなのも、理解出来る。
が。
肉体的に興味がある、と言う部分が、どうにもこうにも理解できないのだ。
自分の体は、どう考えても男である。
いくらホルモン投与の関係で、幼い感じに落ち着いてしまっているとはいえ、脂肪の少ない、骨と筋肉が主体の抱き心地の悪い体だと思う。
それに欲情する、という意見は、心底理解の外だ。
だから、いくら取手が警告しても、どうにもこうにもからかわれているような気がするだけで、危機感は全く感じられない。
もしも、取手が迫ってきたらまた違うかも知れないが…せいぜい引き寄せられて頬にキスされたあの時くらいで、それ以上に性的なことは何も無い。
取手は、言葉では警告するが、本当に何かする気はないんじゃないか、と葉佩は思う。
実際に何かされない限り…避ける必要は無い、と思ってしまうのだ。
どうもそんな自分が歯痒いようで、取手の<警告>はどんどん露骨な言葉になっていっている気はするが…そこもよく分からない。
取手は、葉佩が好きだと言う。
好きならば、何故、離れて欲しいと思うのだろう。
自分なら、好きな相手とは一緒にいたいと思う。
もしも、相手に知られたらまずいことを考えているなら、それがばれないようにすると思う。
けれど、取手は、まるで葉佩に嫌われたいかのような言葉を使う。
別に乙女なつもりは無いので、「君と一つになりたいんだ」とかの婉曲な表現を使って欲しかったわけじゃないが…いきなり「僕のペニスを君のお尻に入れたいということだけど」は無いだろう、と思う。
まあ、そこまで言わないと葉佩が理解しないと思った、という可能性もあるが。
好きな相手に嫌われたい。
そういう気持ちは、さっぱり分からない。
もしも、葉佩が取手が予測したと思われる反応をしたなら、どうなっているのだろう。
どうやら、同性にそんな気持ちを持たれていると分かったら、嫌悪するというのが一般的らしいので…なら、取手を嫌悪の顔で見て、「もう俺につきまとうな」とか…イヤな想像だ。
やる方の自分もひどく暗い気持ちになっているのに、言われる方の取手はもっと傷つくだろうに…何故、そんなことを望むのだろう。
分からない。
本当に、分からない。
何故、<友達>としてずっといることより、そんな破滅を望むのだろう。
やっぱり取手はまだ、少しは闇に囚われていて、生きることに疲れているのだろうか。
取手はいろいろと諦めが早くて…もっと貪欲に生きて欲しいな、と思う。
心配で、置いていけない。
葉佩は、もうじきいなくなるのに、取手がいろいろと諦めるから…。
あぁ、ひょっとして、葉佩のことも、もう諦めているのだろうか。
もうじきいなくなる人間だから、さっさと関係を切りたいのだろうか。
…待っていては、くれないのだろうか。
葉佩は、どうしてもやっぱり出ていく人間だが…それは変えようが無いけれど、ちゃんと帰ってくるつもりだったのに。
取手は、待つのはイヤなのだろうか。
待っていてくれ、というのは酷い望みなのだろうか。
自分は…取手には耐えられないようなことを期待しているのだろうか。
うんうん唸りながら何度も寝返りしていると、携帯が鳴ったので飛び上がる。
柔らかなメロディは、取手に打って貰った曲だ。
慌てて取ると、取手の遠慮がちな声が聞こえてきた。
「…ごめん…寝ていたかな?」
「え?いや、寝てないよ。ベッドには入ってるけど。…何か、あった?」
「いや…その…大丈夫、なら、良いんだけど…」
取手は躊躇いがちにぼそぼそと喋るので、葉佩は携帯を耳に押し当てた。
まるで耳元で囁かれているような錯覚に陥りつつ、取手の声は、何でこんなに落ち着くんだろう、と思う。
「…今日は…その……色々、あったから」
確かに、色々あった。
遺跡に封じられているはずの神(?)がちょっかいを出してきたり、イタコと戦ったり…。
「あ、ひょっとして、俺が怖がってる、とか心配してくれた?」
「…うん。僕はその…今回は、行ってあげられないから」
確かに、実話系オカルトなんて目じゃないくらいの出来事だったけれど。
「あ〜…うん、大丈夫。何て言うか、さ、実際、目にすると、割と平気なんだよな。窓に何か見えるかも知れない〜ってのは怖いけど、実際見えたら、もう平気って言うか」
自分で言ってて、何だかよく分からない。
恋に恋する乙女って言葉があるが、オカルト想像にびびる小心者って感じか?
「でもさ、俺がすっごく怖いよ、取手助けて〜!って言ったら、どうするつもりだったんだ?来て、一緒に寝てくれた?」
「…そのまま、強姦しても、いいなら、ね」
「まーた、そんな心にも無いことを」
布団にこもって、くすくすと笑う。
他の音が何も聞こえなくて、まるで、二人きりで布団に潜って話しているかのような気がする。
「…どうして、君は…そんなに、無自覚なんだろう…。僕が、これだけ言ってるのに…」
溜息が耳元の産毛をそよがせた錯覚までする。
葉佩は心地よい微睡みに半ば引きずり込まれながら、そっと囁き返した。
「俺、さっきまで、取手のこと考えてたんだ。…いっぱい、いっぱい、取手のことを考えてたから、怖くなる暇なんて無かったし」
「…はっちゃんは、本当に…無防備だね。…それとも、故意に言ってるのかな…そんな、僕を喜ばせるようなこと」
「だって、ホントのことだし。…で、ね、思ったんだけど」
「何だい?」
「…俺、取手に、酷いことしてるのかな?俺は、一緒にいたいし、任務が終わってからも、時間があれば取手に会いに来たいんだけど…それって、取手にとって、迷惑なのかな」
「…もしも…」
取手の声は、一段と低くくぐもっていたので、葉佩は耳に意識を集中した。
「…もしも…君が……僕のものに…なってくれるのなら……」
ぞく、と首筋の毛が逆立った。
もちろん、恐怖だとか、嫌悪だとかではない。
まるで、耳に吐息を吹きかけられたかのようなくすぐったさに、葉佩は体を丸めた。
「取手ってさぁ」
「…うん」
「良い声してるよなぁ…耳に囁いたら、どんな女でもいちころって感じなんだけど」
「…あのね…」
「あ、そっか、悪い、いちころ狙いは、俺か。…うわお」
「…はっちゃん」
ぞくり、とまた背筋が震えた。
「その声、反則」
「はっちゃん」
切ないような、掠れた囁き声。
うわあ、と呟くと、取手の困ったような怒っているような声がした。
「そんな…喘ぎ声みたいなのを…聞かされると、困るんだけど」
「喘ぎ声って…いや、そんなつもり無いし」
「そんなつもりが無いのは、分かってるよ」
きっぱり言い切られると、天の邪鬼な言葉を吐きたくなる。
「…でも、結構、感じたのは、本当だけど。…取手の声って、ホント、エロいなぁ」
「はっちゃん」
「この天然たらしめ。…電話、ありがと。もう、寝なきゃ」
「うん…おやすみ」
「おやすみ」
「僕は…寝られそうにないけどね」
「え…何で?頭が痛いとか?」
「君の声が、色っぽかったから。抜いてから、寝ることにするよ」
「抜くって…あぁ…」
どうやら、今から取手は、自分をおかずにするらしい。
葉佩は、しみじみと言った。
「取手って…想像力豊かって言うか…やっぱ芸術家だよなぁ。どうやったら、俺なんかを色っぽく想像出来るんだ」
返事は、溜息だった。
重く気怠そうな吐息に、何だか責められているような気がして、葉佩は身を竦めた。
「えーと、すみません、誉めてるつもりです」
「…だから…もうちょっと、厭がって欲しいんだけど…」
「イヤじゃ無いから」
「…その発言も、問題だよ。…じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
つーつーという電子音が聞こえてくると、途端に寂しくなる。
電話で話しているだけでも、こんなに嬉しいのだから、もしこの学園から離れていても、話さえできれば良いんじゃないかと思う。
そりゃもちろん、会って話が出来る方がいいけど。
ぎゅっと抱きしめてくれると、もっといい。
「はっちゃん」
耳元で囁いてくれたら、きっと、すごくすごく気持ちよいと思うのだ。
結局、取手のことを考えているうちに、眠ってしまったらしく、葉佩はすっきりと目覚めた。
朝の光に包まれて、ぼーっと思う。
考えてみれば、この学園には下の墓から怨念がわさわさと湧いて…いや、わさわさというとゴキブリのようだが…とにかく怨念がうろうろしているわけで、そうしたら窓の外に女の顔の一つや二つ、浮かんでいても不思議は無い。
普段なら、そんなことを考えるだけで怖くなるはずなのだが、夕べはそんなことをちらりとすら考えなかった。
なるほど、怖くなったら、別のことを考えていればいいのか、良い対処法を知った、と葉佩は喜びながら朝の準備をした。
最近は取手が一緒にいてくれないので、朝食は自分の部屋で勝手に食べることにしてある。
取手も、よく眠れたなら良いんだけど、と味噌汁をすすりながら思った。
休み時間にA組を覗いたが、取手の席は空席だった。
窓からきょろきょろと眺めていると、椎名を見つけたのでちょいちょいと手招きする。
「あらぁ、九さまぁ。ごきげんよぅ」
「ごきげんよぅ。なぁ、取手は?」
「取手くんならぁ、調子が悪いと仰って、途中で保健室に行かれましたのぉ。とってもお顔の色が悪くてぇ…」
「うえ。ありがと、椎名」
「頑張って下さいましねぇ」
「うん、頑張るよ。…って、何をよ!」
一人で突っ込みつつ、葉佩は保健室へと駆けていこうとして…目の前に立ちふさがった大きな人影にたたらを踏む。
「…もう次のチャイムが鳴る頃だが」
「いやん、会長ってば、真面目なんだから〜」
「学生の本分は勉学だ。それが出来ぬのなら、別の方法で潜入するがいい、<転校生>」
「うわ、そんな今更」
たぶん、お互いが、もうじき終わりだと感じている。
それでもこうやってくだらないことを言い合えるってのは、まあ悪くない。
葉佩はにやりと笑って両手を挙げて見せた。
「はい、降参。昼休みまでは大人しくしてます」
「そうしておけ」
ばさりと翻したコートを見て、授業中はどうしてるんだろう、というかそもそも夏の体育はどんな服を着てやってるんだろう、とかしょうもないことを想像しつつ、葉佩はチャイムが鳴る寸前にC組に戻っていった。
そして、昼休み。
食事もせずに保健室にすっ飛んでいく。
息を整え、ドアをなるべく静かに引いた。
「ルイ先生、いますかー」
「…いるよ」
ルイリーの返事もとても静かだ。
やっぱり取手が寝ているんだろう、と葉佩は足音も忍ばせて中に入っていった。
「取手、寝てる?」
「あぁ」
ルイリーが指さしたベッドには、カーテンが掛かっていて中は見えない。
そーっとそーっと近づいて、こっそり下から潜り込んだ。
眠り姫は、確かに顔色がいつもよりも悪かった。
指先で顔にかかった髪を払いのけてやる。
とても静かに静かに眠っていて、心配になるほどに生気が薄い。
しばらく見つめてから、やはりそーっとカーテンを潜り抜ける。
『先生は、彼の生気をどう思う?』
『そうだな…最近は、随分とエネルギーが戻ってきているようだったが。今日は、寝不足だと言っていたがな』
『やっぱり、寝不足だったか…』
葉佩は、ルイリーの手招きに応じて、小さな丸イスに尻を乗せた。すぐにでも動けるくらい、とても浅く。
ルイリーは何も言わずに待っているので、葉佩は少しの間考えて、それから口を開いた。
『彼から聞いたかどうか、知らないけど。…彼は、俺と性交渉したいんだって』
『…私に言うな。立場上、学生間での性交渉は止めねばならんのでな』
『あ、真面目に先生するんだ』
『私を何だと思っている』
『保健医とは仮の姿、その実体は!…ってね。まあ、それはともかく。俺は理解できないんだけど、先生は、分かる?何故、性交渉なんてしたいのかな』
ルイリーは苦笑して煙管を机に置き、ブックエンドからカルテを取り出した。
『思春期の男子が、性交渉したいと思うのに理由が必要かね?』
『いや、そんな俺に失礼な。…性衝動については理解出来ますよ?で、何で俺なんだ、という…いや、違うな。俺が好きだから、俺なんだろう、というところまでは理解出来る。でも、何故、それが<必要>なのかが理解できない』
葉佩は外国人風に大きく手を広げて肩をすくめてみせた。
『俺は彼が好きだし、彼も俺が好き。それでいいじゃないか。<友達>として、一番大事。大切だと思ってる。…何で、それじゃいけないんだろう?肉体的な繋がりを、何故求めるんだろう?それに…それならそれで良いとしても、何故、わざわざ口に出して、俺に嫌われようとするんだろう?』
『嫌いになったのかね?』
『なってないよ。でも、彼は、俺に嫌われようとしている』
『ふむ…』
ルイリーは手元のカルテをちらりと見下ろした。
ボールペンで何か書き付けられているが、単なる落書きのようにも見える。
『まずは、性交渉の必要性について、だな。君は、何故人はそれを必要とすると思う?』
聞いてるのは俺だよ、と言いたいところをぐっと堪えて、葉佩は指を折った。
『第一に子孫繁栄。第二に快楽欲求。第三に…支配欲や征服欲?それから…精神的安定の欲求かな』
『模範的な回答だな』
『誉められてるのか、馬鹿にされてるのか』
『それで、君は、彼の欲はどれに分類されると思うかね?』
『俺に回答させるのが、カウンセリングの技法ってやつ?…そうだな、第一と第二は違うだろうけど』
葉佩は首を傾げ、ちらりとベッドに目をやった。
淡々とした広東語の会話が聞こえているだろうに、目を覚ます気配は無い。
よほど疲れさせてしまったのだろうか。
神鳳、大蛇、夕薙の三連戦を思い出してから、今考えるべきことに意識を戻す。
『さて…彼に支配欲や征服欲はあるんだろうか。似合うのは…精神的安定の方だろうな。肉体的に繋がることで、精神的にも繋がったように錯覚して、安心するという。…いや、俺はやったことが無いから、よく分からないけど』
『その回答では不満かね?』
『どうだろう。…彼はまだ、孤独なんだろうか。俺と繋がったら、安心するんだろうか。…分からない。俺は、彼を好きだと言ってるし、会いに来るとも言っている。それだけでは、まだ不安なんだろうか』
それに、そもそも、肉体的に繋がったからと言って、安心出来るというものではないだろう、と葉佩は思う。
仮にセックスをしたとしても、同じように葉佩は旅立って、同じように会いに来ると思うのだ。
葉佩は首を振って、自分の意見を否定した。
『それに、彼はそれを望み、同時にそれを拒否している。俺としたい、と言い、俺に逃げろ、と言う。分からない。彼の本当の望みは何なのか』
自分で言って、葉佩は取手が本当にどちらを望んでいるのかが分からないことに気づいた。
それは、矛盾した望みだ。
取手が、本当に望んでいるのは、どちらなのか。
そして…それが分からないから、自分も身動きがとれないのだ、ということも。
『その、どちらかである必要はあるのかね?』
『必要、とかじゃなくて、どちらかだろう?だって、それは真逆の望みなんだから』
ルイリーはかすかに苦笑いを唇に上らせた。
『君は単純明快だ。だが、誰もが君と同じように、明確に切り分けられるとは思わない方が良い』
『矛盾した望みが、どちらも本当だと?』
取手なら、あり得るかもしれない。
葉佩は考え込んだ。
『俺を抱きたい。でも、俺は逃げた方がいい。…さて。…何故、逃げた方がいいんだろう?百歩譲って、俺を抱きたいのが本当だとして。何故、彼はそれを望み、同時にそれを望まないんだろう?欲しいのなら、欲しい。それでいいんじゃないか?たとえば、それを望めば俺に嫌われるから、望みは秘めておく、と言うのなら理解は出来るけど、それをあからさまにして、更に俺には逃げろ、と言う、それは本当に理解できない』
『それは、本当に、彼らしいと思うよ』
『まあ、そんな気もするけれど。彼は本当に奥が深い。易々とは底を見せないところが、面白い、とは思うが。…でも、もっとはっきり言ってくれればなぁ』
葉佩は溜息を吐いて、またベッドをちらりと見た。
もしも、自分ならどうするだろう。
欲しいものがあったなら、迷うことは無いだろう。
欲しい、と言い、くれなければ、実力で奪うだけのこと。
それが<葉佩>の流儀で…染みついている行動原理だ。倫理的にどうか、というのは、棚に上げておくとして。
取手は、何故、欲しいものを諦めるのだろう。
戦う能力があるのに、奪い取る努力もしないで諦めるなんて、全く理解できない。
『彼は、諦めているのだろうか。欲しいものを、欲しいとも言わないで、諦めているんだろうか』
いや、欲しい、とは言ったかもしれないが。でもその口で、諦めていたような。
奪い取る努力を換算して、それに見合うだけの魅力が無ければ、自分だってやりもしないで放棄することはあるかもしれないが…そう考えると非常に失礼だ。主に、葉佩自身に。
ルイリーは、目の前でぶつぶつと独り言を言っては一人でむっとしている葉佩を眺めていたが、数秒考えた後、少しだけヒントを出すことにした。
『彼の見た夢を聞いたことがあるが』
『俺を閉じこめてセックスしたっていうやつ?』
『まあな。だが、興味深いのは、その心象風景だ』
『心象風景?』
『そう。そこでは、君は<風>で、彼は<沼>なのだそうだ』
『まーた、そんなことを…沼じゃなくて、綺麗な湖だって言ってるのに』
葉佩は、ちっと舌打ちしてから、考えるままに言葉を口に出す。
『俺は<風>。それは聞いたな。彼にとっては、俺が<自由>の象徴なんだろうか。自分は<沼>。流れない、留まる淀んだ水。…<風>を、<沼>に閉じこめてしまいたい。<自由>を自分のものにしたい。…あぁ、つまり、彼は、<自由>になりたいのか』
『だが、同時に、彼はそれを拒否している』
『彼は俺に逃げろ、と言う。つまり、<自由>は自分が囲い込まずに<自由>でいて欲しい。そういうことなんだろうか』
抽象的な問答に、葉佩は首を振った。
取手は、<自由>でありたいと望み、自分が<自由>であることを恐れている。
それは、非常にまとまって綺麗な解答であるように思えるが…綺麗すぎて、間違っているようにも感じる。
取手は、葉佩には考えられないほど深くて複雑な思考の持ち主なのだ。
『夢判断としては、そうだとしても。実際には、俺をどうこうしても彼が<自由>になれるわけじゃなし。…<自由>を閉じこめることにもならないし』
取手が何をしようと、葉佩は出ていくだろう。
けれど。
ひょっとしたら。
取手は、葉佩がどこにも行かないことを望んでいるんじゃないか、とはちらりと感じた。
したいのは、セックスじゃなくて、<繋ぎ止める>という行為なのかもしれない。
そんなことをしなくても。
そんなことをしなくても、自分はもう
頭をちらりとかすめた感情が言葉になる前に、葉佩は慌てて首を振った。
自分は、そう、<親友>として、取手と共にいるだけだ。
取手のことを一番大事に思うし、会いに来る、と思う。
それに。
取手が真に欲しているのが、<葉佩>じゃなくて、<自由>なのだとしたら…何となく、むかつく。
腹を立てて、それから、自分が腹を立てていること自体に驚いた。
『では、俺は、何を望んでいるんだろう?』
この学園に来たのは、依頼を達成するため。
だからもちろん、望みは<秘宝の入手>なのだが…だが、今、頭の中を占めているのは取手のことで。
『それは、君が考えるといい』
『そりゃそうだ』
また、いつものように、後で考えよう、ととりあえず未処理の棚に案件を放り投げた葉佩は、カーテンをくぐって取手の顔を見た。
先ほどと同じように深い眠りについているように見える顔に、そっと指を這わせる。
温かく、乾いた感触。
「取手は、優しい…優しすぎるんだ」
独り言のように呟いて、取手の前髪をこめかみへと撫でつける。
「夕べだって、頭が痛いのに俺と一緒に来たし…今だって、もし俺が、起きて付いてきてって言ったら付いてくると思う。俺なんかより、自分のことをもっと大事に考えて欲しいのに」
取手が、大事にしてくれているのは分かる。たぶん、それが好きっていうことなんだろう。
でも、だからといって、自分が苦しい時にまで葉佩を優先することは無いと思うのだ。
ちゃんと、自分の身を大事にして欲しい、と思う。
所詮、他人の体なのだから…いくら葉佩が治癒能力が高くてもどうしようも出来ないのだから。
しばらく葉佩は取手の顔を撫でていたが、眠りを妨げてでも話をしたくなった自分に気づいて、首を振った。
本当に、取手には負担をかけていると思う。
出来るだけ、眠らせておいた方がいいだろう。
それでも立ち去りがたくて逡巡していたが、思い切って出ていくことにする。
葉佩は指を離した。
それから数秒、取手の顔を見つめて。
腰を屈めて、そっと頬に口づけた。
もしも、俺が欲しいものに気づいたならば。
駄目と言われても、力尽くで奪い取るんだよ。
たぶん、それは、<一般人>のルールから外れているのだけれど。