風と水と 8
葉佩は昼休みの合図に教室を飛び出した。
A組に行こうとして、廊下で佇んでいる人影を見つけて、目を輝かせる。
「取手!」
「はっちゃん」
取手も、葉佩を認めて、にこっと微笑んだ。
さすがに両者駆け寄って抱擁、なんてことはしないが、二人とも見るからに「会えて嬉しいです」と全身で表現しているため、後から出てきた八千穂まで笑顔になった。
うんうん良かったね、と二人が並んで立ち去るところを見送ると、その横を怠そうに皆守が通り過ぎていった。
あ、置いてかれたんだ、とちょっぴり気の毒になった八千穂は、
「やっほー、皆守くんっ。一緒にお昼御飯食べる?」
と誘ってみたが、
「ほっとけ」
の一言で切って捨てられた。
うーん、素直じゃないな、と思いつつ腕を組んでいると、トトと墨木が通りがかったので、今度こそ昼御飯を一緒にする仲間を見つけて声をかけた。
「墨木くん、トトくん!ご飯一緒に食べよ!」
墨木とトトは、一瞬困ったように顔を見合わせた。
「自分たちは、これからレーションを摂った後、訓練の予定なのでありますっ!副隊長殿は、汚れる場所に行かれるのは如何なものかとっ!」
横でトトもうんうんと頷いている。
どうやら廃屋で食べるつもりらしい。
「おもしろそうっ!あたしも行くっ!あ、先に行ってて、パン買ってくるから!」
そうして、八千穂はぱたぱたと走っていった。
ちなみに、「副隊長殿」というのは、どうやら墨木→八千穂の好感度が上がったための呼称のようだったが、八千穂はあえて突っ込まなかった。
元々八千穂には友達が多い。
だが、こんな風に違うクラスの男子とまで一緒に遊ぶ機会はこれまで無かった。
やっぱり、これは葉佩がこの学園に風を巻き起こしたせいなのだと思う。
澱んだ空気を追い払い、何もかもをごちゃまぜにしていく気ままな突風。
皆守あたりは、変化というものを嫌っているようだったが、八千穂は毎日楽しくてしょうがなかった。
「あっ月魅〜!?月魅も一緒に行く!?…そこにいる真理野くんもさ!」
「…どこに行かれるか、くらい、言えませんか?」
「せ、拙者、決して、隠れていたわけでは…!」
屋上で一緒にパンを食べていた取手と葉佩は、同時に顔を上げた。
同じように首を傾げて、お互いを見る。
「聞こえた?」
「…うん…銃の…音だったように思うけど…」
「うーん、ハンドガンの発射音だったような…でも、それにしては軽いような…」
取手は更に耳を澄ませた。
首をもたげて集中している姿は、サバンナの直中で周囲を伺っている草食動物みたいだな、と葉佩は思った。
「…女の子の悲鳴…と言うより…楽しそうな声が…」
「楽しそう?…じゃ、いっか」
さくっと頭を切り替えて、葉佩は食べ終えたパンの袋を紙袋に突っ込んだ。
日は射しているとは言え、12月。
風に震えて取手にすり寄ると、取手は慌てたように残りのパンを口に押し込んだ。
「…もう…入るかい?…寒いんだろう?」
もごもごと喋るのに、葉佩はうんと頷いた。
立ち上がってパン屑を払っていると、合唱が聞こえてきたので葉佩は動きを止めた。
最近は、新しい曲の練習に入ったのか各パート別の途切れ途切れの歌しか聞こえていなかったのが、今日はようやく合唱になったようだ。
「はっちゃん」
取手の促しに、うん、と答える。
そうして 小川のせせらぎは 風がいるから
ソプラノの悲鳴のような甲高い声が、屋上のドアを閉めた途端に途切れた。
「どうする?教室に戻るかい?」
葉佩はちらりと時計を見た。
中途半端な時間。何かをするには短く、帰るにはもったいない。
んー、と考えてから、葉佩は取手を見上げて笑った。
「よし、プリクラ撮りに行こう!」
「…プリクラ?…え…足りなくなった…とか?」
プリクラは貰ったら返すのが暗黙の了解だが、葉佩は顔写真を残すのはなぁ、と言って最初は全く撮っていなかった。
が、規則を調べたら、別に自己責任ならOKということだったので、初プリクラに挑戦し、バディたちに配ったりもしたのだが。
もちろん、取手も貰っている。
サングラスを掛けて、玩具の銃を構えているため目も口も隠れている怪しいプリクラを。
葉佩としては、自分の顔写真を持っているがために、バディたちまでロゼッタ関係者などと思われてしまっては危険なんじゃ、と、なるべく身バレしないよう努力してみたのだ。
もちろん、バディたちには大変不評だったが。
「いや、取手と一緒に写そうと思って。…もちろん、これも危険かなーと思わないでも無いから…取手がイヤなら止めておくけど」
「え…大丈夫だよ…誰にも、見せないから」
階段をすたすた降りながら見上げると、取手の顔は少し紅潮していた。
「絶対…誰にも、見せない」
いや、必要となったら、きっと取手の意志とは無関係に見られるんだけどな、と葉佩は思ったが、そこまで自分が重要人物とは思えないので、まあいっか、と言わないでおく。
本当は、取手の身を思えば、少しでも危険なことは避けたいところだが、一緒のプリクラを撮る、という誘惑には勝てなかった。
「うちの連中とさ、電話した時、友達が出来たって言ったら、是非顔を見せろって言われたんだよね。だから、撮っておこうと思って」
売店にあるプリクラの列を眺める。
いつもながら、たくさんあり過ぎてどれを選んだらいいのか分からない。
悩んでいると、取手がすたすたと一つに向かっていったので少し驚く。
珍しくはっきりした意志表示だなぁ、と思いつつ付いていって、ふと見上げると、どうやらカップル用なのかピンクのハートが飛び交っていた。
おーい、取手さーん?
ちょっと悩んだが、カップル用の方が2人入るのにちょうど良いのかな?と納得して取手と一緒にそのボックスに入った。
「うーん…ちょっと少女趣味?」
やっぱりピンクな操作部位をざっと読んでいると、取手がさっさとお金を出していた。
素早いな、やっぱりここにいるのは恥ずかしいのか、と思いつつ、葉佩は目の前の鏡を見た。
「…身長差が、悲しいな…」
普通に座ると、頭一つ違うので一緒のフレームに入るのが難しい。
少し腰を浮かせた方がいいのか、といろいろ試していると、ちゃりん、という音がして、それから取手の腕が腰に巻き付いた。
何だ?と思う間もなく、ぐいっと引っ張られて、取手の片足に座る姿勢になっていた。
「うぉおい!?」
「…黙って」
電子音がする。
もう動作中かいっと慌てて正面を向くと、ぴかっと光った。
眩んだ目をぱちくりしていると、取手の腕が緩んだので大腿から降りる。
そうして出来上がったプリクラは、予想通りびっくりして目を丸くしている間抜けな顔だったので、葉佩は溜息を吐いた。
それから取手の顔を確認すると、何だか妙に緊迫感のある鋭い目つきで写っていた。
これ、何の先入観もなく見たらどういう場面に見えるんだろう、と苦笑いする。
小柄な男が目を丸くして後ろの男にもたれて、肩を抱かれている。
うーん、こけそうになったのを支えられた間抜けな場面ってところだろうか、とぶつぶつ呟いていると、取手が「出ようか」と呟いたので、他の生徒が待っていることに気づいた。
慌てて二人で出ていくと、周囲の女生徒がくすくす笑いながら見ていたので、やっぱり間抜けだったんだろうなぁ、と肩を落とす。
取手は気にしていないようで、そのピンク色のハートのフレームという恥ずかしいプリクラのシートを丁寧に手帳に挟んでポケットにしまった。
「あ、お金!割り勘割り勘!」
「…いいよ。僕が、無理矢理これを選んだんだし」
「いや、別に希望も無かったし…」
「良いんだ。僕のための、記念だから」
「へ?取手のためってわけじゃ…」
言いながら、改めてプリクラを眺める。
「…記念になるのか?この間抜け面…」
「可愛いよ?」
「…嬉しくねぇし」
溜息を吐きながら、自分も生徒手帳にそれを挟んだ。
歩きながら、ぶつぶつとこぼす。
「そりゃさ、俺だって、うちの連中に見せるためなんだから、取手さえ格好良く写ってればそれでいいけどさぁ…自分ばっか格好良く写っててずりぃ」
「僕は、はっちゃんさえ可愛く写れば、それでいいかな…」
「これが、可愛い顔なのか、これが!」
「うん、はっちゃんらしくて」
にこにこ答える取手に悪意は無いのだろう。
しかし、葉佩としては認めがたくて壁に手を突きぶつぶつと文句を垂れる。
「…俺は、もっと格好良いんだい…」
「僕としては、自分の顔は切り取って、はっちゃんだけにしても良いくらいだけど…」
自分の顔は切り取る。
ピンクのハートの左半分を削除。
「…何かそれ、別れた恋人みたいでやだなー」
取手が吹き出した。
葉佩の隣で壁に手を突き、もう片方の手で口を押さえて喉から妙な喘ぎ声を出している。
「そこまで笑うかぁ!?」
「い、いや…はっちゃんて…本当に…」
「何だよぉ!」
「な、何でもないよ…うん、何でもない」
目尻に涙まで浮かべている取手の背中に覆い被さるようにのしかかって後頭部をぽかぽか殴ると、背筋を伸ばしたのでしょうがなく葉佩も自立した。
「…行こうか」
目尻を拭って取手が歩き始めたので、葉佩も並ぶ。
「もー、今度は他の奴らと撮ろうと思ってたのにー…何か撮る気無くしたなー」
「…ツーショットは、僕が初めて?」
「そ。まず取手。で、取手だけ特別だと危ないかなって思って、他の奴らとも撮りまくろうと思ってたのにさー」
「…危険、なんか、無いのに」
「わっかんないぞー?今まさに、商売敵が潜入してるかもしんないし」
笑いながら並んで歩いて行く二人の背後では、やっぱり女生徒たちがくすくす笑ったりこそこそ言い合ったりしていたが、それが何故かは葉佩の知る由も無かった。
葉佩は魂の井戸まで来て、一息吐いた。
ごそごそと井戸を探ってクエスト品を取り出し、箱に詰めて宛名を書き、亀急便と念じながらまた井戸に突っ込む。
そして振り返ってバディに向かってにこやかに微笑んだ。
「本日の任務終了〜。お疲れさまでした〜!」
「まあ…もうおしまいですのぉ?」
「もっと激しくても良いのに」
「あはは、麗しき女性方の睡眠時間を削るわけにもいかないし〜。特にね、双樹とは初めてだから、ちょっと様子見って言うか」
壁にもたれた双樹はつまらなそうに腕を組んでいる。葉佩の個人的意見としては、遺跡内であのピンヒールは咄嗟の時危険なんじゃないかと思うのだが、本人が良いのなら強制するほどのことでもないだろう。
もう一人のバディであるリカも、不服そうに愛らしくラッピングされた箱を弄んでいる。
「俺だけの意見じゃ無いのよ?取手も、女の子たちと一緒に行くなら、早めに帰ってこいって心配してたし」
葉佩は、この二人と一緒に行く、と言ったときの取手の反応を思い出した。
いつもの俯き加減な顔を驚いたように上げて、何か言いかけるように口を押さえ、それから青白い顔をうっすら紅潮させて、訴えるような声で言ったのだ。
「何で…その二人なんだい?あの区画なら…椎名さんは分かるけど、僕も一緒に連れていってくれても…」
双樹が管理していた機械っぽい区画の敵は、爆弾と音波攻撃が有効なのだ。
取手と椎名の二人はとても役に立ってくれる。
「いやー、せっかく双樹も仲間になったことだしね?どうせなら女の子二人で、さっくりクエストだけ消化しちゃおうかと」
ランキング狙いでもタイムアタックでも新しい区画に挑戦でもないんだ、と言ってやれば、取手はおろおろしていたが、一段と背中を丸めて葉佩の顔を下から覗き込んだ。
「あ…あの…はっちゃんは…あの二人のこと…どう思って…」
「どうって…あ、や、もう大丈夫!弱点は発見したから、もうあの胸を見ても、刃渡り何cm必要かなぁ、とか背中からの方が近いかなぁ、とか余計なことは考えないから!」
取手がジト目で見上げているので、葉佩は更に言い募った。
「ホントだよ?俺、一度倒した相手には、そんなに緊張しないから。少々気を抜いてても、弱点を考えたり、つい戦闘力を削いだりしたりとかいう失礼なことはしないよぉ」
「…そういう意味じゃ…無いんだけど…」
陰鬱に言われて葉佩は首を傾げた。
じゃあ、どう思うって何だろう。
二人をどう思う…お似合いですね、とか…。
「えっ!?ひょっとして、あの二人って出来てんの!?咲重お姉さまぁとか言ってんのは、マジレズ!?」
「……知らないよ……」
呆れたように呟いて、取手は体を起こした。
んー、と葉佩は更に考えた。
やっぱり微妙に一般人とずれてるのか、時々取手の言いたいことがさっぱり分からない。
「…あ、ひょっとして」
「たぶん、違うと思うよ…」
「聞く前に否定するなぁっ!」
「じゃあ、言ってごらんよ…」
「取手、ひょっとして、あの二人に気があるのかって」
「…ほら、やっぱり、違う」
「ぬぅ」
腕を組んで悩んでいると、取手がぽんぽんと頭を叩いた。
「君は…彼女たちを異性としては意識していないみたいだけれど…やっぱり、彼女たちは女の子だから。…あんまり、夜遅くまで、付き合わせない方が、いいよ…」
「うん、分かってる。正直、俺としても、怪我させちゃいけないからさぁ、女の子はいつもより余計な気を遣うのよ。早めに送り届けますよん」
以上、回想終わり。
葉佩は心配そうに見送っていた取手を思い出して、しみじみと良い奴だよなぁ、と思った。
「やっぱり、お姉さんを愛してたから、フェミニストなのかなぁ。…な、取手って、すっごく優しいよな?」
椎名と双樹が顔を見合わせた。
椎名は困ったようにプレゼント箱を見つめ、双樹はうんざりしたように髪を掻き上げた。
あれ?反応がおかしいぞ、と葉佩は首を傾げた。
「そういや、ちょっと聞いてみたかったんだけどさ。取手ってA組の女の子たちには、どう思われてんの?」
「どうって…」
双樹が腕を組んだので、豊かな胸が一段と盛り上がった。あれは足下の視界が悪いんじゃ無かろうか、と思いながら、説明する。
「いやほら、取手って、執行委員だったときはちょっと近寄りがたい雰囲気だったじゃん?でも、今は違うだろ?笑うと可愛いし、優しくて頼り甲斐があるし、運動神経は抜群だし音楽的素養はピカイチだし…」
指を折っていると、ふと双樹のご機嫌が斜めになっている気配がしたが、何故そうなるのかは分からず、とりあえずそのまま言いたいこと言うことにする。
「だからさ、女の子にももてるんじゃないかと思って。どうかな、そんな話題になったりする?」
「あのね、葉佩。普通、そういうこと、聞く?」
あれ、怒られた。
んー、と首を傾げて、聞いてみる。
「えーと…何も、その女の子の名前を聞きたい、とか言ってるんじゃなくて、ですねぇ。俺としては、心配で…」
「そんな心配しなくても、取手は…」
「咲重お姉さまぁ」
椎名が双樹の腕をくいくいっと引っ張った。
「九さまはぁ、とっても鈍くてらっしゃるんですぅ」
「に、鈍いって…俺の反射神経、ちょっとしたもんよ!?」
「九さまはぁ、取手くんを、お友達だと思ってらっしゃるんですぅ」
「無視ですか!?無視なんですか!?…っていうか、お友達じゃなかったの?え?…周りから見ると…俺って取手に嫌われてる…のかな?」
ちゃんと毎日会いに来てくれて、一緒に過ごしてるんだから、取手も友達だと思ってくれてると思っていたのに、椎名の言い方だと、葉佩が<友達>だと思っているのはおかしい、という様に聞こえる。
しょんぼりしていると、双樹は眉を寄せて考えているようだったが、人差し指を葉佩に突きつけた。
綺麗に塗られた真っ赤な爪を、探索向きじゃないなぁ、けど割れないように自分が気を遣うのはさすがに無理だよなぁと思いながら眺めていると、双樹が何かを堪えているような低い声で聞いてきた。
「ちょっと、葉佩。じゃあ、貴方、何を聞きたいの?取手が女の子にもてるかどうかを心配してるんじゃなくって?」
「いや、その通りだけど?」
双樹が振り返り、見つめられた椎名がゆっくりと言う。
「ですからぁ、九さまはぁ、取手くんが、女の子に人気だと、嬉しいんですよねぇ?」
「うん、そう!そうなの!」
我が意を得たり、と葉佩は手を打った。
「俺はさ、もうじきいなくなっちゃうじゃん?でさ、取手は今は俺とずっと一緒にいるけど、俺がいなくなったら、また独りぼっちになったら可哀想だなって思って。そこで、さ、取手を好きな女の子が告白とかしちゃってさ、仲良く残りの高校生活をエンジョイ出来たら、取手ももう完璧に立ち直りって感じで、俺としては安心して旅立てる…と…」
何となく。
双樹の気配が、どんどん冷ややかになっている気がした。
「…えーと…何かおかしいでしょうか…」
「葉佩」
「はい」
「貴方ねぇ。取手の気持ちを考えたことあるの!?」
「と、取手の気持ち!?え…えーと…」
うーんうーんと考える。
「だ、だって、取手も、俺がいなくなるのは知ってるよ?知ってるから、一緒にいられる間は、一緒にいようねって」
「…<お友達>として?」
「ち、違うのか?え?…あ、一番仲良いから…親友ってやつ?」
「…貴方って…<宝探し屋>なんてしてるのに、頭が固いのね。何だかがっかりだわ」
「えええっ!?」
奇妙な踊りのポーズで、葉佩は固まった。
頭が固い。
<宝探し屋>としては致命的だ。
柔軟な発想、常識に捕らわれない問題解決…むしろ、頭は柔らかい方だと思っていたのに。
「咲重お姉さまぁ。九さまは、やっぱり、頭が固いというのではなく、鈍いのだと思いますのぉ」
「だって、鈍過ぎじゃない?」
「ふ、二人とも、酷いわぁ…」
頭が固いのも鈍いのも困る。
かと言って、何を責められているのかもさっぱり分からない。
葉佩は両手を上げて降参した。
「はい、もうさっぱり分かりません…後でゆっくり考えるよ」
葉佩は、頭の切り替えが早い。
今、考えて分からないことは、後でゆっくり考える。
あまり一つのことをうだうだと引きずることは無い。…まあ、取手に避けられたときには、それしか考えられなくなって、自分でもどうかと思うくらいそれに捕らわれたが。
双樹が腰に手を当てて、ずいっと迫ってきた。
「いいこと?葉佩。一つだけ教えてあげるわ」
「はい」
「取手は、女の子にもててなんかないわよ?全く問題外ね」
「ええええっ!?な、なんでっ!?あんなに良い奴なのにっ!女の子って見る目なーい!」
「あら、葉佩が女だったら、取手を好きになる?」
「そりゃもちろん!絶対押し掛けてって告白しちゃうよ?あんなに優しくって、しかも頼り甲斐がある奴ってちょっといないよ?一途だし、恋人としても旦那としても、絶対お奨めなのに!」
外見、中身、将来性。どれをとってもこんな優良物件は無い!と言い切れる。
もちろん、そういう条件でもって好きになるってものでもないし、条件が良いからという理由でもてるのはちょっとイヤだが。
おかしいな、と葉佩は腕を組んだ。
取手の素晴らしさが分からないなんて、この学園の女子は何を考えているんだ、と思う。
「あ、いや、待てよ?ひょっとして、取手の良さを知ろうにも、いっつも俺と一緒だから、話すら出来ないのか?」
自分は取手といる時間が長いから、取手が言葉としてはあまり口に出さなくても細やかに気を遣って大事にしてくれることを知っているし、普段ののっそりとした動作からは想像できないほど戦闘時には素早く動いて、しかも判断力も極上なのを知っているが、普通の学生生活を送っているだけでは、そういう良さは分からないかもしれない。
付き合えば付き合うほど良さが見えてくる、すっごく深い奴なんだけどなぁ、と考える。
だったら、もっと他のクラスメイトとも話をするようになれば、ちゃんと良い奴だって分かってくれるだろう。
だがしかし。
他の奴と話をするっていうことは、葉佩と過ごす時間は減る、ということで。
「…うーん………ま、いっか。俺がいなくなったら、クラスメイトと交流する時間も出来るよな」
今、自分の時間を削る気は無いけれど。
「分からないわよ?」
双樹が意地悪そうに真っ赤な唇を吊り上げた。
「貴方がいなくなっても、取手に話しかける勇気のある女の子は、あまりいないんじゃないかしら」
「え?取手って、そんなに取っつきにくそう?」
「貴方、本当に噂を知らないの?」
椎名が「咲重お姉さまぁ」と腕を引っ張っているのを無視して、双樹は髪を掻き上げながら言った。
「取手と、貴方は付き合ってる。みんな、そう思ってるから、取手に告白しようなんて子はいないわよ」
「………はい?」
葉佩は自室に帰ってから、うーん、とHANTを見つめた。
少々消灯時刻を過ぎているので、メールするのは気が引けるが…でも、しないと心配かけるだろうし。
取手が眠るときには着信音を消していることを祈って素早くメールを打つ。
「今、帰りました。
ちょっと魂の井戸で井戸端会議(うわ、本当に井戸端だ)してたので遅くなったけど、
クエストはさっさと終わらせて、怪我も全然無いので安心して下さい」
送信してから装備を外し、丁寧にしまいこむ。
さーて、シャワーでも浴びてくるかな、と思ったところで着信音が鳴った。
「無事なようで安心したよ。
女の子たちと話が盛り上がったようで何よりだったね。
こんなに遅くまで、何の話をしていたんだい?」
…何だか、微妙に棘があるような気が。
少し考えてから、メールを打つ。
「俺と取手についての、女の子の噂とか。
話が長くなりそうだから、明日の昼休みにでも話したいです。
それじゃあ、おやすみなさい。良い夢を」
こんな夜更けに、メールでやり取りする内容でも無い。
電話でも良いが、やっぱり顔を合わせて話をしたい。
葉佩的にはこれで終了、と思って、こっそりと寮の浴場にシャワーを浴びに行った。
さっぱりして帰ってきたら、自室の前で佇んでいる影を見つけて驚く。
「うわっ!寒いのに、何してんだっ!」
小さく叫んで、慌てて部屋の鍵を開け取手の背中を押す。
そんなに時間は経っていないはずだが、触れてみた取手の手は冷たくなっていたので、ベッドに座らせておいてから何か温かいもの、と探す。
「えーと…こんな夜更けにコーヒーは駄目だし…緑茶も結構カフェイン多いって言うしなぁ…」
「お構いなく。それより、話がしたい」
「そう?」
エアコンの温度を上げておいて、葉佩はイスをベッド近くまで持ってきて座った。
だが、取手が首を振って手招きする。
「はっちゃん、そんな薄着でいちゃ、風邪を引くよ」
シャワーを浴びて、すぐに寝るつもりだったので、パジャマ一枚な葉佩は、カーディガンを羽織ってから、遠慮なくベッドに上がって足を布団に突っ込んだ。
取手がごそごそと動き、どうやらあぐらをかいたようだった。
「で、話って?」
取手はどう言おうか、という顔で少しの間葉佩を見つめていたが、ゆっくりと口を開いた。
「その…僕と、はっちゃんの噂…って?」
葉佩は目をぱちくりとさせた。
そんなに気になったのか。
夜更けにメールするのは、やっぱり止めておけば良かった、と反省しつつ、正直に言う。
「何かね、俺と取手が付き合ってるっていう噂があるんだって。…ごめんなー、俺と一緒にいるせいで、そんな噂が立っちゃって」
取手は、一瞬赤くなって、それから白くなって、また赤くなった。
「…あ…その…」
布団を握りしめた手が白い。
「は…はっちゃんは…その噂を聞いて、その…どう、思ったんだい?」
「また取手に迷惑かけるなーって思った」
即答して、葉佩は肩を落とした。
「そんな噂が立っちゃったら、取手に彼女が出来なくなっちゃうじゃん。…何で、そんな噂が立つかなぁ…いつも一緒にいるだけなのに」
取手の唇が、苦笑するように歪んだ。
「僕のことは…いいよ。君は…迷惑じゃ、ないのかい?」
「へ?俺?いや、別に。だって、俺は出ていく人間だろ?だから、ここでどういう噂が立っても全然平気。でも、取手は卒業するまでいるんだから、変な噂が立ったら困るだろ?」
「困らないよ」
取手にしては、切り捨てるような鋭さを秘めた答えだったので、葉佩はびっくりして取手の顔を見た。
取手も真剣な目で葉佩を見つめ返す。
「僕は、構わない」
「…そ、そうですか…」
人の噂も七十五日って言うし…いや、結構長いな。卒業式まで引きずりそうだ。
取手にとって、男と付き合っているなんて噂はメリットが欠片も無いと思うのだが、本人が構わないと言い切るのなら何か理由があるのだろう。
ひょっとしたら、女の子から告白されるのが苦手なのかも知れないし。
んー、と考えてから、葉佩は、にかっと笑った。
「じゃ、いっか。良かったー、迷惑だって言われたら、もうちょっと離れなきゃなんないかと思ったし」
「…もし、今、離れたら…単に、痴話喧嘩をしていると思われるだけだろうね…」
「そ、そうなの?女の子の思考回路ってさっぱり分からないなぁ」
男同士で仲良くしてたら付き合ってる、という反応が分からない。
逆なら…あぁ、咲重お姉さまぁ、が仲良しじゃなくレズに見えるのと同じようなもんか、とちょっと納得してみる。
「それより…本当に、はっちゃんは…いいのかい?僕なんかと…付き合ってるっていう噂…」
躊躇いがちな声だが、何となくこちらを窺っているような気配に、葉佩はきょとんとして取手を見つめた。
取手と、付き合っている。
んー、と首を傾げた。
「どう考えても、別に何のデメリットも無いし」
「…それこそ…他の子と付き合えないし…」
「いや、そんなつもり無いからノー問題」
「君の…人格が疑われるとか…」
「何で?趣味の良さを誉められるなら分かるけど、人格疑うって何さ。俺が取手を手込めにしたってんなら、人格疑われてもしょうがないけど」
「…て…てごめ…」
取手の顔が暗くなった。
「想像しないように」
「う…うん…」
「どうせ、俺の体格からして、俺が女の子役って思われてんだろうし。俺だって、双樹と椎名が付き合ってるって言われたら、双樹がタチだって思うもんなぁ」
「…本当に、いいの?つまり、その…僕が…君をその…抱いてると、思われても…」
「逆より、マシだろ」
脊髄反射的に返してから、葉佩は取手の頬が赤くなっているのに気づいた。
どうやら「抱いてる」という単語だけで照れているらしい。
すっごく奥ゆかしいよなぁ、と思う。
「取手の方こそ、人格疑われたら困りそうだけどなぁ。可愛い女の子を選り取りみどりなのに、よりにもよって俺が相手じゃな〜」
「僕は、君がいい」
きっぱり言い切られて、葉佩は一瞬頭が真っ白になった。
いや、君がいいって何だ、女の子の方がいいに決まってるじゃん。
うあ、危うく告白されてんのかと思うところだったわ。
「そっか、じゃあ別に否定して回ることは無いか」
「うん…放っておけばいいと思う」
「そっかぁ」
これで一つ懸案事項が片づいた、と葉佩は心の棚(処理済みの札付き)にその噂の件を放り込んだ。
そして、時計を見て、うわ、と声を上げる。
「取手、送っていこうか?寒いぞ?」
「女の子じゃないんだから…一人で帰るよ」
苦笑して、取手がベッドから降りる。
葉佩も降りて、扉まで送っていくと、ドアが開いた途端冷たい空気が流れ込んできた。
「さっむー。暖かくして寝ろよ〜。おやすみ、取手」
「うん、おやすみ、はっちゃん」
取手の手が、葉佩の頬を包むように触れた。
温かい感触に、自分の頬はそんなに冷えていただろうか、と思う。
だが、それ以上取手は何も言わずに、ドアを閉めた。
温度の下がった室内に、少し震えて、葉佩はベッドに素早く戻って飛び込んだ。
温かな布団に、泊まって行けば?と誘えば良かった、とちらりと思いつつ、部屋の電気を落としたのだった。