風と水と 6





 取手が、おかしい。
 明らかに、避けられている。
 葉佩は、はぁっと溜息を吐いた。
 「おい、九ちゃん」
 「…はぁっ…俺、何か、しちゃったかなぁ…」
 「おい、九ちゃん!」
 「…イヤなところがあるなら、直すのに…はぁっ…」
 「いや、だから、九ちゃん。早くしろよ」
 んあ?と葉佩はのそりと顔を上げた。
 怠そうにゴールの前に立っている皆守と、その横で心配そうに見ている八千穂。
 「…あぁ、そうか…はい、シュートね、シュート」
 ぽすん、とおざなりに蹴ったボールは、ころころころと子供のお遊びのように転がっていったので、皆守は手すら使わず、面倒くさそうにそれを足で押さえた。
 「お前な、やる気あるのか?」
 「皆守は、案外とやる気満々なんだなぁ…不毛だってゆってたのにさぁ…はぁっ…」
 「あぁくそ、辛気くせぇな」
 「だぁってさぁ…」
 もう何百回目かも分からない溜息を吐く。
 最初の数日は、単に運が悪いのかと思っていた。
 取手は、会えば挨拶くらいするし、あからさまに嫌がられてはいないのだが、とにかく顔を合わせる機会が随分少なくなった。
 出会った最初の頃には、葉佩が無理矢理取手のところに押し掛けていたのだが、最近は何となく無言の申し合わせといったような感じで登下校も昼休みも放課後も一緒にいることが多くなっていたのに、それがまた逆戻りだ。
 いや、逆戻りどころか、最初の頃は、取手は避ける努力すらエネルギーが無かったのだ、と今になってみれば思う。
 今は、たぶん、故意に避けられている。
 ほんの少しの時間のずれで会えなかったり、さらっと他のところに行ってしまったり。
 あれだけ一緒にいたのに、いきなりこれだ。
 絶対、何か原因があるには違いないのだが、葉佩には分からなかった。
 降参して取手に聞こうにも、その機会すら無いときた。
 「…はぁっ…」
 しゃがみこんで、虚ろに足下の雑草をむしる。
 夕薙が近寄って来たようだったが、目も上げずに、ぼーっと雑草を探し続ける。
 そうしていると、何となく威圧感を感じたので目を上げると、生徒会長が通りがかっていたので、立ち上がった。
 向こうも葉佩を認めたのか、足を止めた。
 「…<転校生>か…」
 「こんにちはー。そっちの人達は、顔は知ってるけど、初めまして」
 「おや、意外と礼儀正しいのですね」
 「あら、真面目過ぎてつまらないわ」
 お付きの二人に評されて、葉佩はまたもう一回溜息を吐いてから、ぼそぼそと言う。
 「すみませんなー、今、思い切り滅入ってるから、あんまりサービス出来ませんで。今はこれで精一杯」
 拾った小枝と石を調合して鉛筆を作り出して手渡せば、赤い髪の美女が受け取りながらうふふと笑った。
 「あら、マジシャンだったの?」
 「いえいえ、謎のカンパン師とお呼び下さい」
 「…カンパン?」
 「一応聞いておきたいんだけどさぁ。…取手にちょっかい出してないよね?」
 「…何のことだ?」
 「だよねぇ。生徒会とは関係ないよねぇ…あぁもう、何でこんなに避けられてるんだろうっ!」
 仮想敵の目の前なのだが、また落ち込んで、葉佩はその場にしゃがみ込んだ。
 「…敵の前で、膝を折るとはな…」
 「もう、何とでも言ってやって。…はぁ…もしこれがそっちが仕掛けた罠とかならさぁ、すっごい効果的だって誉めてあげるよ、もう。なーんにもやる気起きないもんなー…」
 ついに地面に腰を下ろした葉佩は、青空を見上げて、また溜息を吐いた。
 「取手に会いた〜い!」
 ついでに駄々っ子のように足をばたばたさせると、生徒会長は頭痛でも感じているかのようにこめかみを揉んだが、やがて重々しく口を開いた。
 「貴様にも、夜会の招待状は届いただろうが…」
 「…来たけどさぁ…そんなの行く気分じゃないんだ〜…はあっ…」
 「取手は来るが」
 葉佩はがばっと立ち上がった。
 背伸びして阿門にずいっと顔を近づける。
 「えっホントに!?取手、そういうのに行くタイプじゃ無いのにっ!」
 「ピアノ伴奏を命じたからな」
 「ピアノ…あ、それは絶対来るな…うわ、ありがと!マジで、ありがと!」
 葉佩は阿門の手を取ろうとして…今回は予測されていたのか、ポケットに突っ込まれたので諦めてコートの胸あたりを掴んだ。
 「本当に、感謝します!そうだ、お礼に何か作ろうか!?オムレツとか、好き?あ、ミルクなら、ホワイトシチュー?アイスとかどう?」
 「…いらん」
 「よろしければ」
 阿門の否定に重なるように、神鳳の声が重なった。
 葉佩がそちらを見ると、双樹は眉を顰めて何か考え込んでいるような様子だったが、神鳳は笑うのを堪えているような顔でこちらを見ていた。
 「うん、何?」
 「9月以降、学校内の備品の消費が、非常に激しいのです。例年の10倍ともなると、予算に差し障りが出てきまして…」
 「備品の消費?…あぁ、黒板消しとかボールとかね」
 どうやら犯人はばれているらしいので、しらばっくれる暇は省いておく。
 葉佩は左手を胸に当て、右手を宣誓するようにかざした。
 「はい、もう二度と学校の備品には手を出しません。恩義は恩義として、葉佩の名に賭けて約束は絶対破りません」
 まあ、実際最近は金銭的に潤っているので、備品に手を出すのは必要と言うよりは単なる習慣に過ぎなかった。
 真面目な顔で誓ってから、葉佩は満面の笑みを浮かべて3人の顔を均等に見てから、手を振った。
 「ホントにありがとー!あんた達はいい人だー!んじゃ、また夜に!」
 うって変わって飛び跳ねるようにグラウンドに戻っていく葉佩を見送って、生徒会の3人はまた歩き出した。
 しばしおいてから、双樹が呟いた。
 「取手が、あの子を避けている…あんなに仲が良かったのに?」
 阿門は双樹をちらりと見たが、何も言わなかった。

 本当の意味での<墓荒らし>をした葉佩は、夜会の前に風呂に入ることにした。
 何やらうるさく注意を垂れる皆守をあしらいながら浴場に入ると、それなりに人がいた。
 泥で汚れた体を鼻歌を歌いながら洗っていると、隣に座った皆守が、呆れたように言った。
 「現金な奴だな。そんなに取手に会えるのが嬉しいのか?」
 「うん、そりゃもう!だって、何故か捕まえられなかったんだよ、最近。怒らせたんなら怒らせたで、原因聞きたいしさ」
 「…夜会で会っても、そんな話は出来ねぇと思うがな…」
 「とりあえず、アポ取り付けるだけでもいいの」
 手早く洗い終えて、浴槽に向かう。
 「あ、夕薙だ。そういえばさ、夕薙、墓守の爺ちゃんと話したことある?」
 「…いや?何故だ?」
 「いや、夕薙と主義主張が似ててさ。話が合いそうだなって」
 「そうか。…ところで、葉佩。君は、前を隠さないんだな。やはり外国暮らしが長いせいか?」
 あからさまに話を変えられた気はしたが、理由は分からなかったので、そのまま乗ることにする。
 「前って?あぁ、ちんちん?」
 「…下品っすね」
 イヤそうな顔になっている下級生は無視して、葉佩は自分のものを見下ろした。
 それから、周囲の人間を見回すと、各自腰にタオルを巻いているのに気づいた。
 「あれ?日本では、浴槽にタオル漬けちゃ駄目って聞いてたんだけど」
 「まあ、銭湯ではな。ここにはナイーブな思春期が揃っているので、隠すのは暗黙の了解って奴だ」
 しばらく葉佩は考えてから、自信無さそうに聞いてみる。
 「えーと…それって自分のサイズに自信がないから隠してるって意味?」
 「まあな」
 「変なの」
 「あんた、自信を持つようなサイズじゃ無いじゃないっすか」
 下級生の嫌味たらたらな声に、素直に頷く。
 「いや、別の意味で自信があるのよ。俺だってね、もっと昔は悩んだのよ、これでも。でも、この体格なら、このサイズでもしょうがないじゃんって開き直ってさぁ。一度開き直ると、平気なもんさぁ。…だから、皆守も、開き直った方が楽だぞぉ?」
 「…どういう意味だっ!」
 「言葉通り。うん、中途半端なサイズだと悩むよねぇ」
 「だ、誰が中途半端なサイズだっ!」
 「あんたでしょ、あんた」
 「てめ…!言えるサイズか!?あぁっ!?」
 「ははは、思春期だな」
 「お、夕薙、自信満々」
 葉佩はやはり隠しもせずに湯に浸かっていたが、ふと思い出す。
 「取手は…あれは自信持っても良いサイズだよねぇ。何で取手も隠すのかな」
 「恥ずかしいんだろ」
 「いや、だから、恥ずかしくないサイズじゃん」
 「それでも恥ずかしいのが、思春期、というものだ」
 よく分からないな、と葉佩は肩をすくめた。
 そして、自然と取手のことを思いだし、早く夜会に行こう、と立ち上がる。
 「んじゃ、お先に〜」
 「おい、もっと温まれよ」
 「皆守、おかん属性?」
 「誰が、おかんだ」
 「とにかく、俺は準備して夜会に行くんだから」
 「ま、せいぜい気を付けるんですね」
 やっぱり嫌みな後輩の言葉に送られて、葉佩は浴場を出ていった。

 いつもの学生服で会場に向かい、八千穂と合流する。
 「取手くん、見つかればいいね」
 「うーん、このくらいの仮面なら、すぐに分かるとは思うけど…」
 渡された目だけを隠すマスクを付けてきょろきょろと探す。
 何せ、相手はピアニスト、本格的に演奏が始まるまでに見つけないと、話も出来ない。
 とにかくピアノの近くに行っておこう、と奥に進むと、ピアノの脇に立っている影に気づいた。
 あのフォルムは絶対取手だ。
 「おーい、取手!」
 あ、仮面舞踏会でそれは無粋だったか、と思いつつも、手をぶんぶん振って合図する。
 マスクを付けた取手はちらりと顔を上げたようだったが、すぐに楽譜をピアノの譜台に乗せる作業に戻った。
 行き交う人をかわしながら辿り着くと、取手は目を向けないまま、くぐもった声で言った。
 「…こんばんは。…でも、僕は、演奏があるから…」
 「うん、それは生徒会長に聞いて知ってる。だから、今じゃなくていいからさ、終わってからでもいいし、明日の昼休みでもいいし、とにかく、話がしたい」
 取手は無言で楽譜を揃え直し、座ってイスの高さを調整した。
 それでもじっと待っていると、溜息のような声が聞こえた。
 「…確約は…出来ないけど…」
 「うん、それでも良いから。とにかく、後で…」
 「…分かった…後で…」
 厭がられている、という気配はひしひしと感じるが、とりあえず約束はしたんだ、と後ろ髪を引かれながらその場を離れる。
 隣に立つ八千穂が、気を遣って飲み物を取ってきた。
 「ね、元気だしなよ、九ちゃん」
 「…そうだね…はぁ…」
 壁にもたれて舐めるようにグラスを傾けていると、ふと陰が差した。
 ん?と見上げると、黒づくめの青年と、真っ赤なドレスの女性がいた。
 「ハロー。お招きありがとー」
 へろへろと力無く手を振ると、会長は一瞬間をおいてから重々しく言った。
 「貴様のテンションは、落差が激しいな」
 「そんなことを、威厳たっぷりに言わなくても」
 「取手には、会えたのか?」
 「おかげさまで。…でも、やっぱり、避けられてる気配ぷんぷん」
 また、溜息を吐くと、八千穂が頭を撫でてくれた。
 「ありがとー。…でも、まあ、夜会の後で話をする約束は出来たんだし、それだけでもよしとするかぁ」
 「…夜会の後で?」
 「何?後でもまだ何か、取手に用事ある?」
 「…いや」
 阿門は何やら思い当たることがあるらしいが、口は割ってくれなかった。
 教えてくれないのなら、まあいっか、と壁にもたれてピアノの方をぼんやりと見る。
 お互いのお喋りを妨げないような静かで優しい曲が流れている。
 取手のピアノは、最初聞いたときのような形だけ整ったものではなく、心が込められるようになってきているように思ったが…今は、何となく、また機械演奏されているような冷ややかさがあった。
 赤い髪の美女が、葉佩の目の前に立ったので、遠くに飛ばしていた視線を戻す。
 「ふぅん…まるで、恋い焦がれる乙女の目だわ」
 「あらま、それはまた少女漫画チックな表現ですこと。双樹、意外とそういうの好きな方?」
 「ふふ、ご想像にお任せするわ。…それよりも、どうかしら。一曲、踊って下さらない?」
 「や、失礼ですが、それはパス」
 考える間もなくさらっと拒否した葉佩に、双樹の眉が上がる。
 美貌と、何より豊かな胸で男子生徒を惹き付けている美女が、生徒会長を残してダンスに誘っているのに、それを断る男子など、いようはずもない。
 「あら…そんなに取手が気になるの?」
 「取手も気になるけど。それより、俺にも男としてのロマンってもんがありましてねぇ。ダンスを踊るからには、男性パート、男性パートを踊るからには、パートナーよりも背が高くいたいわけですよ。…おかげさまで、踊ったことないけどねー」
 自分の低身長を笑い事にして言えば、双樹の眉が更に寄った。
 「私は気にしないわよ?」
 「俺が気にしますがな。その立派な胸に顔を埋めるようにして踊るのも、ある種の男のロマンかもしんないけど。…まあでも、止めといた方が無難かな。今、集中力が散漫になってるから、踊るどころか…」
 「足でも踏まれるのかしら?」
 「いや、密着してたら関節を極めたり、喉を突いたりしそうで」
 さらっと当然のように言ってから、葉佩は、はぁっと大きく息を吐いた。
 少し身を屈めて、自分の爪先を眺めながら独り言のように呟く。
 「身に染みついてるのは、ダンスじゃなくて人殺しの技だもんなぁ。…確かに、人格破綻者だよね、俺って」
 阿門と双樹の陰になって見えない取手の方をぼんやりと見つめる。
 隣の八千穂が、そんなことないよっ!と明るく否定してくれるのに苦笑して、もう一回溜息を吐く。
 「取手はさ、俺が何にでもなれるって言ってくれたんだよ。今からでも遅くない、普通の学生にもなれるって言ってくれたんだよ。…でも、やっぱり、俺は…無理、だよな」
 せーのっと勢い付けて、背筋を伸ばす。ついでに両腕も頭上に上げて思い切り伸びをしてから、葉佩は阿門ににやりと笑って見せた。
 「いや、心配しなくても、俺は<普通の学生>になってこの学園に居座ったりしないさ。さっさと出ていきますって。…それが、任務終了してか、死体になってかはともかく」
 「…願わくば」
 阿門が重々しく言いかけたが、続きは女生徒の悲鳴にかき消された。
 仕掛けた黒幕だろう阿門に、じゃっと手を挙げて、葉佩はその声の方向へ走り出した。
 八千穂も当然のように続いている。
 阿門は、その後ろ姿を、両手をポケットに突っ込んで見つめた。
 「…<宝探し屋>、か…」
 「あの子なりに、悩みとかあるんですのね」
 「そうだろうな。…だが、我々には、関係の無いことだ」
 「…えぇ」
 

 付いてきた八千穂と、トトの攻撃を撃ち落としてくれた墨木の二人をバディにして<墓>に潜る。
 とても上の階と同じ遺跡の内部とは思えないような凍り付いた景色の中、葉佩は非常に無口だった。
 その分、八千穂と墨木は、
 「うわー!さっむーい!」
 「自分は雪合戦で負けたことは無いでありマス!」
 「へー、すっごいねー!そうだ、今度みんなでここに雪合戦に来ようよ!二手に別れて…あ、あの山が二つある部屋がいいな!」
 「それは、魅力的なミッションでありマス!」
 わざとらしく盛り上げていたが、葉佩は必要最低限の動きで敵を葬り、罠を解除していった。
 その手際の良さに墨木が感嘆の声を上げた。
 「さすがは隊長でありマス!それはやはり経験によって培われたものでありましょうカ!?」
 「…ま、そうなるね」
 葉佩は手に入れた<秘宝>を収納し、手を止めた。
 ゴーグルを目に降ろしたまま、傍目には分からないくらいに唇を歪めて、淡々と言う。
 「効率的、合理的…そういうのは、徹底的に叩き込まれてるから」
 「そうでありますカ!自分も、早くそうなりたいものでありマス!」
 「…でも、それは。とても、寂しいことだよ」
 葉佩は、墨木にひらひらと手を振った。
 「無駄のない動きに、無駄のない行動。目的を達成するには有利だけど、そこには何の…感動も無い。自分が、殺人機械になったような気になる。俺は、墨木には、そうなって欲しく無いなぁ」
 異装に包まれてはいるが、視線に怯える気弱な友人を見て、葉佩は悲しそうに笑った。
 「俺は、もう、諦めてるけどさ。でも、墨木は、まだ間に合うよ。こっち側に来ることは無い。普通の人間でいなよ。きっと、その方が、ずっといいよ」
 「そんなことないよっ!」
 八千穂が怒ったように叫んで、葉佩の肩を掴んだ。
 「九ちゃんは、そんな人じゃないもん!みんなを助けようとして、危ないことだって平気でしてるんだもん!九ちゃんは、優しい人だよ!」
 「俺は、任務でこの学園に派遣されてきただけだしぃ」
 おどけたように言って、葉佩はするりと八千穂の手から逃げ出した。
 まだ言い募る八千穂を制して、奥を指さす。
 「ま、とにかく、ここは寒いから。さっさとトトを倒して黒い砂吐かせちゃおう」
 鼻歌を歌いながら先を行く葉佩の後を付いていきながら、八千穂は墨木を見上げた。
 「隊長の様子が、おかしいのでありマス…」
 「だよね…取手くんが冷たいのが、そんなにショックだったのかなぁ」
 「自分には…よく分からないでありマス。取手殿も、何故あのような態度をとられるのカ…」
 「うん…」
 自分たちでは、葉佩を救うことは出来ない。
 そんな気がして、八千穂と墨木は肩を落とした。
 だが、やはり立ち直りが早いのは八千穂の方で、墨木の背中をばしばしと叩いた。
 「あ〜もう!あたしたちだけでも、しっかりしなきゃ!後で取手くんをとっちめてやればいいんだから!今は、トトくんを助けることだけ考えてようよ、ねっ!」
 「りょ、了解でありマスっ!八千穂殿の言われる通りでありマスっ!」

 
 そうして。
 和解したトトを、とりあえず魂の井戸の部屋に引っ張り込んで。
 「ムスリムでもOKなのは…あ、鹿の肉ならいっか」
 適当に具材を放り込んで、紅葉鍋をぐつぐつと煮込みながら、葉佩は各自にお椀とレンゲを渡した。
 「熱いから気を付けてなー。足りなかったら、まだ作れるから。あ、おにぎりも作っておこうか」
 ちゃっちゃかと明太子握りも皿に並べた頃には、鍋の湯気で狭い部屋がそれなりに暖かくなってくる。
 「寒いところではやっぱ鍋だねぇ。あ、墨木、どうやって食うんだ?」
 「自分は失礼して、壁を向くでありマス!申し訳ございません!」
 「や、面倒かけてすまないねぇ。八千穂、覗いちゃ駄目だぞ?」
 「覗かないよ〜。墨木くんが良いって言ったら、見せて貰うけど」
 「い…いつか…いつの日か、きっと、必ず…!」
 「うん、楽しみにしてるね!」
 「た、楽しみにされるほどの顔では無いのでありマスっ!」
 案外仲良くなっているらしい墨木と八千穂に目を細めて、葉佩は鍋をかき回した。
 「そろそろ良いかな…さ、みんな、各自適当に摘むように」
 「はーい」
 しばらくはふはふと食べる音だけがして。
 ぎこちなく箸を使っていたトトが、不思議そうに3人を見る。
 「アノ…イヤデハ無イノデスカ?ボクト一緒ノ鍋デ?」
 「意味不明」
 さっくり言って、葉佩は白菜とネギをトトの椀に追加した。
 「デモ、ボクハ、<外国人>デス」
 「俺ほど<異端>じゃ無いんじゃね?」
 もむもむと鹿肉と噛みながら言った言葉に八千穂は顔を曇らせてから、にっこり笑顔でトトの方に向いた。
 「大丈夫だよ!だって、友達だもん!一緒のお鍋をつつくって、仲が良くないと出来ないんだよ?」
 「友達…デスカ」
 「そうだよ!トトくんとも、もう友達!ね!」
 八千穂に背中を叩かれて、墨木は慌ててマスクを降ろしながら振り向いた。
 「はい!自分もよろしければ友と呼んで頂ければ幸いでありマス!」
 「ア…アリガトゴザマス…」
 トトは目を丸くしてから、そっと両手を合わせた。
 それから葉佩の顔を困ったように見たが、葉佩は目を鍋に向けたままエノキを摘んで墨木の椀に入れた。
 「キノコ食え、キノコ」
 「は、はぁ…あの、隊長も、トト殿と…」
 「あ〜、俺は現在、お友達自信喪失中なので、無理」
 きっぱり言い切った葉佩にトトが肩を落としたので、八千穂はトトの腕を引っ張った。
 寄ってきたトトの耳に顔を寄せて囁く。
 「ごめん、九ちゃん、取手くんに冷たくされて落ち込んでんの!トトくんが悪いんじゃないからね!きっと、トトくんとも友達になりたがってるよ!」
 「取手…アァ、アノヨク保健室ニ休ミ行ク…」
 「頭痛持ちなだけだよ。さぼってんじゃないからな。取手は真面目なんだから」
 不機嫌そうな声に、トトは慌てて謝った。
 「スミマセン、悪ク言ウツモリ、ナカタ…」
 「…別に」
 ぶすっとして言ってから、葉佩は溜息を吐いて頭を掻いた。
 「悪い。完全に八つ当たりだな」
 「…アノ…葉佩サント取手サン、ケンカ中デスカ?」
 「ケンカなら、まだいいよ。謝れるじゃん。…何を怒らせたのか、さっぱり見当も付かない。あれだけ一緒にいたのに、全然、分からない。俺が一番長く取手といたんだぞ?なのに、何で分かんないんだよ。俺が分からなきゃ、誰にも分からないじゃないか」
 危うく泣きそうになったので、葉佩は慌てて俯いた。
 膝を抱えて、腕の内側をぎゅうっと抓って意識を逸らす。
 「きっと、俺は<友達>向きじゃないんだよ。<友達>が、あんなに悩んでるのに、全く理解出来ないんだ。学習が足りないし…ひょっとしたら、元々、そういう才能が無いのかも」
 感情の推測とは、共感が出来なければ不可能だ。
 ひょっとしたら、自分には本来、その能力が備わってないのかも知れない。
 ちゃんと、取手が楽しそうとか悲しそうとかは分かっているつもりだったが、時々、その原因がさっぱり分からなかったし。
 あ〜もう泣きたい、と腕に顔を埋めると、八千穂の考え深そうな声が降ってきた。
 「うーん…そりゃ、あたしも取手くんが何で悩んでるのか〜なんて分かんないけどさ…でもね、九ちゃん。友達なら、全部分かるわけじゃないんだから。あたしだってよくあるもん。思いもかけないことですっごく怒らせちゃって、何で怒ってるのか、謝り倒して説明して貰うまで全然分からなかったこととか」
 「…そういうもの?だって<友達>だろ?」
 「友達だけどさ、でも、他人なんだから。全部が全部、分かる方がおかしいと思うよ?」
 本当か?と疑いながら葉佩は顔を上げた。
 八千穂の顔から墨木に視線を移すと、墨木は困ったように後頭部に手をやった。
 「はは…自分は虐められっ子で、友と語らう機会は少なかったものですから…八千穂殿ほど経験は無いのでありますが…しかし、八千穂殿の仰ったことは正しいと思うのでありマス」
 「ボクモ、ソウ思イマス。故郷ノ友達、イッパイ、ケンカシタ。ボク、友達ノ気持チ、分カラナイ。友達、僕ノ気持チ、分カラナイ。ダカラ、ケンカスル。デモ、イッパイケンカシテ、仲良クナル。<友達>ダカラ」
 「…会ってもくれなきゃ、ケンカも出来ないんだけどなぁ…」
 愚痴る気はないが、せっかくの約束は、ここに来たせいでご破算になってしまったし。
 あぁあ、と大きく溜息を吐いてから、葉佩は自分の頬をばしばしと叩いた。
 「よし、まずは、話し合いだな、やっぱり。何が何でも取手を捕まえ〜る!」
 拳を握って自分に気合いを入れた。
 「や、湿っぽくなって、悪い悪い。まあ、とりあえず食っちまおう」
 煮詰まりつつある鍋に箸を突っ込むと、他の3人もまた食べ始めた。
 おにぎりも鍋も平らげて、4人で地上に戻ったときには、もはや夜中と言うよりも明け方に近い時間帯になっていた。
 「明日が…いや、もう今日か。祝日で良かったなぁ」
 「そうだね、帰って寝よっと」
 「お疲れさま〜」
 八千穂と別れ、男子寮に歩いて行っていると、トトがふと立ち止まった。
 「葉佩サン」
 「はいな」
 「ボクト友達…ナテクレマスカ?」
 葉佩は振り返ってトトを見た。
 じっと見つめ返すトトに、しばらく首を傾げてから、今度は逆方向に首を傾げた。
 「えっとさ。分からない」
 「分カラナイ…」
 「俺に、<友達>が出来る能力があるのかどうか、分からない。だから、自信持って、どんとこい!とは言えない」
 苦笑いして、葉佩は天を仰いだ。
 まだまだ真っ暗で星が煌めいている空を見て、吐いた息は白かった。
 「まー、そんな状態でも、皆守やら八千穂やら…墨木たちとは、まだ<友達>なんだろうから、絶対駄目ってわけじゃないんだけど。そんなんでも良かったら、トトがね、良いと思うんなら、友達になってくれると嬉しいかな」
 「…ハイ!」
 トトは大きく頷いて、学生服のポケットからプリクラを出した。
 「友達ニ、コレ、アゲマス。葉佩サン、トテモ強イ人。友達ナレテ、嬉シイ」
 「ありがと」
 「コレ、エジプト帰ッタラ、友達ニアゲヨウ思ッテタモノ。プリクラ、他ニモアル。芸者、忍者、歌麻呂…」
 「…これ、一種の女装…ま、いっか。日本らしくて」
 「むしろ、誤解されそうな日本像ではありますガ…」
 「今度、みんなでプリクラ撮ろうな〜」
 「ミンナデ、デスカ?」
 「そう、プリクラは複数ででも撮れるらしいよ?」
 「実は自分も一人で撮ったことしか無いのでありマス」
 「あ、それじゃ、今度3人で撮るか、3人で…って、俺は顔写るの駄目だったかな…後で規則を再確認しておこうっと」
 玄関に着いたので声を潜めて、おやすみ、と囁きかわす。
 そーっとそーっと各自己の部屋に忍んで行き。
 葉佩は装備を外して、私服に着替えた。
 毛布を手にとって、よし、と頷く。
 もう一度外に出ると、寒さが一段と増しているように感じた。
 「今日は寒いねぇ」
 独りごちて、葉佩は足音を忍ばせて廊下を歩いていった。





念のため注:カンパン:調合時の声がカンパ〜ン(compoundと思われ)に聞こえることから、九龍における『調合』の意。

九龍妖魔学園紀に戻る