風と水と 5





 葉佩は玄関で会った生徒会長に、首を傾げた。
 何でわざわざ今頃になって。
 A組で会ったときには、素無視なくせに。
 あぁ、二人きりで話をしたかったって感じか。お互い、一般生徒には聞かれたくないこともあるし。
 …あれ、てことは、皆守が用事があるって何となく不自然に姿を消したのは…排除されたってことかな。
 葉佩は、改めて生徒会長を見た。
 さすがに一般の生徒よりは威圧感があるものの、同級生と言われると…いやちょっと悩むが…それでもやっぱり青年には違いないと思う。
 同い年の青年で、任務持ち。
 立場は真逆だが、似たもの同士なのかもしれない。
 「あのさぁ。俺って、ここには任務で来たし、一応一族の名前も背負ってるから、放棄する気は無いんだけどさぁ」
 墓を暴くのを止めろ、という警告に、葉佩は否定しておいて、少し考える。
 「でもさぁ…最近…最近になって、ようやく…他のことにも意識が向き始めたの。何て言うかね、<墓守>を解放するのは、結果に過ぎなかったんだけど、ちょっと…目的にもなってきたって言うかね」
 まとまりのない言葉を、阿門が嫌がりもせずに聞いているので、葉佩はつっかえながらも続けた。
 「俺はさ、正直、任務以外には、すごく一般常識に欠けてるみたいなんだけどさ…友達、なんて、この学園に来て初めて出来たんだ。だから、この学園は、すごく大事な場所になったし、出来ればみんな幸せになって欲しいと思う。…あ、いや、あんたが、意地悪であいつらを縛ってるとは思ってないよ?あんたにはあんたの言い分があるだろうし、あんたにとっては…俺の方が、この学園の秩序を乱してるんだろうし。…でもさ、俺は…ごめんね、やっぱり、任務を続けるよ」
 阿門は、分かっていた、というように重く頷いた。
 「手加減は、せん」
 「うん…まあ、そうだろうねぇ。でもさ、俺はさ、あんたも幸せになってくれたらいいなって思う。…たぶん、いずれは直接戦うことになるんじゃないんかとは思うけどさ…お互い、頑張ろうな。逃げられないって言うんじゃなく、放棄する気がない任務なんだろ?お互い」
 いや、阿門が頑張ると、自分が危ないが。
 阿門は答えなかったが、まあ、答えは端から期待していない。
 言いたいことの10分の1も言えなかった気はするが、どだい立場が全く逆なのだ。理解して貰えるとは思わない。
 それでも、この学園の全ての人間に、幸せになって欲しい、という気持ちは本当だった。
 これ以上こっちの主張だけしても失礼だよな、と、ばいばいと手を振って玄関に向かいかけて…くるりと振り向いた。
 「あとさぁ、教えてくれると嬉しいんだけど…」
 「…何だ」
 「<墓守>って、黒い砂が出ていっても、まだ縛られてるの?この学園の外には出られないん?」
 阿門はしばらく葉佩を見つめていた。
 その無表情な様子からは、感情は読めない。
 やっぱり、ただでは教えてくれないか、と思っていると、阿門がゆっくりと首を振った。
 「いや。そんなことはない。黒い砂が出ていけば、奴らは自由だ。…<力>は残っているが」
 「良かった〜!」
 葉佩は叫んで駆け寄り、阿門の手を無理矢理取ってぶんぶんと上下に振った。
 「ありがとー!いやもうね、取手がさ、出ていけなかったら、ピアノのコンテストにも行けないじゃん?いや、行きたいとは言ってないんだけど、音楽雑誌のコンテストのページに開き癖があったんだよ。行きたいんだろうなぁ、プロのピアニストになるんだしなぁ、でも、外に出られないんじゃ、ここで一生を終えるのかと思って、俺、もうどうしようかと…試しに元気そうな真理野あたりを学園から連れ出してみようかとまで思ってたよ!」
 さりげなく人非人なことを叫んでから、阿門にもう一度、教えてくれてありがとう、と言う。
 「良かった〜…よし取手に教えてやろうっと」
 そうして、足取りも軽く今度こそ玄関から出て行った。
 背後では。
 阿門が、複雑な表情で握られた両手を見下ろし「…頑張ろう、と言われてもな…」と呟いていたが、葉佩には聞こえるはずも無かった。



 「わはは、墨木はっけーーん!」
 「わーーー!見ないで欲しいでありマス!見ないで欲しいでありマス!」
 「…はっちゃん、静かにした方が…」
 葉佩は深夜に墓から戻ってきて、こっそり寮の浴場に来たところで、赤い髪の少年を見つけて声を上げたのだが、取手に注意されて慌てて口を押さえた。
 洗い場の一番奥で髪を泡立てている墨木は壁を向いてしまったが、葉佩は気にせず真ん中くらいの洗い場に腰掛けた。
 一つおいて隣に座った取手を見て、にっと笑う。
 「取手〜ちょっと不便だけど協力しろよな」
 「…なんだい?」
 「そーれ、まーきまきー」
 タオルを取手の目の回りにぐるぐる巻いた葉佩は、自分も同じように目隠しをした。
 その格好で奥に向き、軽やかに言う。
 「墨木〜、ほら、目隠ししたから、大丈夫!」
 「あ、ありがとうございます…」
 本日は、ちょうど墨木と戦ったところなのだ。
 ポートレートを貰って帰ったところなので、同じような時間帯にこっそり入浴しに来ても不思議は無い。
 葉佩はとりあえず冷たい水で体を流してから石鹸を泡立てた。
 墨木の区画はまるでジャングルのようだったため、結構汚れてしまったのだ。
 しばらく洗ってから、耳を澄ませると、まだ墨木は洗い場にいるようなので、奥に向かって匍匐前進する。
 「すーみき!」
 「わー!何でありますカー!」
 冷たい手でぺたぺた触られて墨木は悲鳴を上げた。
 「お、顔、はっけーん」
 「は、葉佩殿…」
 「あ、この感触は…ニキビと見た。駄目だぞー、ちゃんと空気を通して、清潔にしなきゃ。…えい、潰してしまえ」
 「い、痛いでありマス…」
 「ニキビは潰してしまった方がさっさと治るじゃーん」
 容赦なくニキビと思わしき部位をぐりぐりと摘んでから、他のところも確認する。
 「お、剃り残し発見。はっはっは、いけないな、マスクで隠れるからって、手抜きしちゃ!」
 「は、はい…」
 額、鼻筋、頬、顎。
 指で確認した限りでは、結構細面のような気がした。
 もったいない、顔を出したらもてそうなのに、と思いながらぺたぺた触っていると、取手の重い声が低く響いた。
 「はっちゃん…墨木くんが、緊張してるよ…心拍数が増加してる…」
 「すげーな、聞こえてるのかー」
 相変わらず耳の良いことだ…というか、これだけ離れた人間の心拍数まで聞こえるのは大変じゃないだろうか。
 「やー、悪い悪い。虐めるつもりはないんだけど」
 そう言って、葉佩は泡を流してぺったりとした墨木の頭に、両手を乗せてついでに顎を乗せた。
 「なぁ、墨木」
 「はいっ!何でありますカっ!」
 「俺はさぁ、正直、視線恐怖症って、まーーったく!理解できないんだけどさぁ」
 葉佩は、相変わらず無神経に直截に言ってから、少し声を落としてぼそりと呟いた。
 「でも、俺にもどうしようもなく苦手なもん、あるし。人間、誰だって、そういうもんがあるのが普通じゃないかな」
 「葉佩殿にも、苦手なものが…」
 意外そうな声だったので、葉佩は顔を顰めてますます声を小さくした。
 「ある。墨木とは違って、俺のは避けようと思えば避けられるけど」
 本当は、弱みなんか見せたくない。
 が、この視線恐怖症と戦っている少年には、言った方が対等な気がした。
 「…実は。…恥ずかしながら。………実話系のオカルトが………」
 「だって、はっちゃん、ミイラも骸骨も気にせず戦ってるじゃないか」
 どうやら耳の良い取手には、囁き声でも聞こえていたらしく、不思議そうに突っ込んできた。
 「そういうのとは、また違うのよ。目の前にいたら、人魂でも平気よ?…でもさ、あの、何てーの?『何か気配を感じて、ふと目を上げたら、トイレの窓に女の顔が』とか…ぎゃああ!」
 突然耳元で叫ばれた墨木が、耳を押さえながらこちらも悲鳴を上げる。
 「な、何でありますかあ!?」
 「…いや、悪い、思い出しただけ。…そうなんだ、思いださなけりゃ大丈夫なのに…くそぉ、思い出してしまった…」
 鳥肌が立った腕を自分の手でさする。
 「怖い癖に、つい見ちゃうんだよ、そういう実話系の話。でもって、朝になったらきれいさっぱり忘れてるのに、その夜は、ホント眠れなくなるんだよなぁ…天井も見られない、窓やドアなんてもっての他、ただひたすら布団被って耐えるしか無いという。…自分で自分の想像に怯えてるんだから、情けないとは分かってるんだけどな…でも、理性的に大丈夫と考えても、怖いもんは、怖い!」
 握り拳を作って力説してから、葉佩は背後から墨木の顔を撫で回した。
 「他人が、そんなもの怖くなんか無いだろって言っても、本人は怖いんだし、怖いもんなら避けたいのも当たり前だし。…日常生活には支障が出ない俺のと一緒にしちゃ失礼かもしんないけどさ、墨木の視線恐怖症も、何も無理に視線に耐えることは無いと思うのよ。マスクしてんのも不便だろうけどさ、その方が楽に生活を送れるなら、それが一番だとは思ってるんだ。…まあ、蒸れないように、清潔にしろよーとは思うけど」
 「葉佩殿…」
 「まー、正直、お前のガスマスクは、よけい視線を浴びてる原因になってるとも思うけどなー」
 「うぅ…それは言わないで欲しいでありマス…」
 「あ、ごめんごめん。…うん、そうやって、イヤなものはイヤってはっきり言われる方が、俺は気楽でいいな」
 そう言って、葉佩は元いたところに戻ろうとした。
 「えーと、確か3歩くらいの距離…」
 目隠ししたまま、見当で後ろ向きのまま下がろうとしていると。
 何かが足首に当たり、それを避けようとして重心を変えたらつるりと滑り。
 「おぅわっ!?」
 後ろ向きにこける!と思ったところを、ぐいっと腹を引き寄せられた。
 ぽてっと転んだ先は、冷たくはあるが床のように固くはないところで。
 仰向けでじたばたしていると、上から溜息が降ってきた。
 「…ごめんね、墨木くん…そっちは見ないから、ちょっと目隠しを外させて貰うよ…」
 返事は待たずにタオルがぱさりと解ける音がした。
 脇の下を支えられて、起こされる。
 「…はっちゃん…」
 「あう。えーと、ごめんなさい。はしゃいでごめんなさい。もうしませんっ!」
 両手を取手がいる思わしき方向に合わせて頭を下げると、また一つ溜息が吐かれた。
 相変わらず取手はお母さんのようだ、と思っていると、冷たい水を掛けられた。
 「うぉ、冷たっ!」
 「…しょうがないじゃないか…ボイラーは落ちてるんだから…」
 「いや、分かってますけどね、分かってますけど、予告して欲しいっていうか」
 「はい、そっち向いて」
 「聞けや」
 ぶつぶつ言いつつも、言葉通りに後ろを向くと、やはり背中に水を掛けられて飛び上がる。
 「うひょお!」
 「…静かにね…」
 「だってさぁ…って、うひゃっ!どこ触ってんだ!」
 尻と足の境目あたりをぐいっと触られてびっくりする。
 まさか取手が痴漢行為を働くとは思わないが、尻の肉を持ち上げられる、というのには反射的に筋肉が緊張した。
 「…怪我…は治ってると思うけど…たぶん、血がこびりついてるんだね」
 座って体を洗ったため、イスに触れていた部分は洗えて無かったらしい。
 取手の目の前に尻を晒している格好なんだ、と改めて思って、葉佩は顔を赤くした。
 「うわ、ごめん、自分で洗うよ」
 「…大丈夫…もうすぐ、取れるから…」
 何度かタオルで柔らかく擦られて、どうやらそれで終わったらしい。
 「はい、おしまい」
 「あ、ありがと」
 いくら目隠ししているとはいえ、自分の体を…それも尻にちかい場所を他人に洗われるなんて、ちょっと恥ずかしい。
 頭から水を被った葉佩は、そのままずりずりと四つ這いになって浴槽に向かって…取手に腕を取られて立ち上がった。
 「はい、後2歩…」
 そしてちゃぽんと音がして、脇の下に手が入って力を込められた。
 「うわ、子供じゃあるまいし!」
 びっくりしたが一瞬のことで、ひょいっと持ち上げられて次の瞬間には浴槽に浸かっていた。
 ボイラーは落ちているので熱くはないが、それでも水シャワーよりは温かい。
 体温のようなぬるま湯に浸かっていると、墨木の緊張した声が聞こえた。
 「自分も失礼するでありマス!」
 「はいはい、どぞー」
 誰かが浴槽に入った音と波が起きる。
 「取手殿と、葉佩殿は、御親交が深いのでありますカっ」
 お新香が深いって何だろう、と葉佩が考えていると、取手が静かに答えた。
 「親交が深いっていうか…僕は、第一区画の<墓守>だったから…一番早く、解放されたから、付き合いが長いっていうだけだよ」
 微妙に感情が読めない口調だが、何となく冷たい響きを感じ取って、葉佩はうにゅうと唸った。
 「…仲良いもん…友達だもん…人生で3番目の友達だもん…」
 ぶつぶつと言っていると、取手が素早く反応した。
 「3番目?」
 「うん、1番最初が八千穂、で、2番目に知り合ったのが皆守でしょ?取手に会ったのは、3番目」
 指を折りつつ数えると、取手の落胆したような声がした。
 「…そう…3番目の友達…」
 「あ、その知り合った順番が、ね。…えーと、友達度合いとしては、取手が一番好き!」
 八千穂は女の子だし、皆守はだるい面倒くさい眠いなどと言って自由時間にはほとんど遊んでくれないし。
 「…はいはい、嬉しいよ」
 「何ざますか、その投げやりな返事は」
 とりあえず突っ込んでから、おそるおそる付け加える。
 「…迷惑?」
 タオル越しに、何かの影が目の上に来た。
 頭を撫でられる感触に目を細めていると、その撫で撫でがぐりぐりになり、しまいには浴槽に頭を突っ込まれた。
 「げぼがぼっ!」
 「…あぁ、ごめんごめん」
 「なっ、何だよぉ!もー!」
 「…何となく」
 「何となくで溺死させるなぁっ!」
 目隠しが取れてしまったので、墨木に背を向けて、ごしごしと顔を擦っていると、隣でやはり墨木に背中を向けている取手は長い足を折り曲げるように三角座りになっていて、考え込むように両膝の上に顎を乗せてじっとどこかを見つめていた。
 何だろう、何を考えてるんだろう。
 「…あのさ、取手…ふえっくしゅん!」
 「…もう、出ようか」
 ぬるま湯に浸かっていても、温かくなりそうにない。
 取手の促し通りに立ち上がると、墨木も出る気配がした。
 脱衣場で乾いたタオルにくるまっていると、素早くマスクまで身につけた墨木が葉佩の前で敬礼した。
 「自分も…自分も、葉佩殿のご友人となれるでありましょうカッ!?」
 「えー、もう友達でしょ?プリクラも貰ったし」
 「ありがとうございますっ!」
 「俺の方こそ、ありがとう。友達って、増えると嬉しいねぇ」
 にこにこしながら同意を求めるように振り返ったが、取手は何となく憂鬱そうに溜息を吐いていた。
 「取手?」
 首を傾げると、取手が気づいたのかこっちを見て、少し微笑んだ。
 「あぁ…気にしないで…個人的事情だから…」
 「…どっか、痛い?大丈夫?」
 背伸びをして、取手の頭を撫でると、取手がまた微笑んだ。
 「大丈夫。…大丈夫だよ、はっちゃん」
 「俺に出来ることがあったら、何でも言ってね?<友達>だもんね?」
 <友達>という言葉を大切そうに発音する葉佩に、取手は目を細めた。
 けれど、葉佩の期待には反して何も言わずに、葉佩の濡れた髪をタオルで包み、ごしごしと拭いた。
 「…風邪をひかないようにね…」
 何となく、取手が悩んでいる気配は分かる。
 けれど、それを言う気が無いらしいのも、分かる。
 何だろう、何で言ってくれないんだろう。
 <友達>の役に立ちたいのに。



 僕は暗く深い沼の上に立っていた。
 見渡す限りの荒野。
 緑は無く、細長く、折れたような薄茶色の植物が何本か突き出ているだけ。
 僕は、ここの主だ。
 どこにも行けない、この冷たい水の主だ。
 体が沼に沈む。
 だが、息苦しくは無い。
 冷たい冷たい水の底から上を眺めていると、ふわりと何かが水面を過ぎった。
 浮かび上がると、ふわふわと水面を掠めている人がいた。
 僕を認めて、満面の笑みを浮かべた彼は、水面には足を着けずにふわりふわりと流れつつ、僕に手を差し伸べた。
 「取手」
 甘えるような、声。
 僕は彼の手を掴む。
 「ねぇ、一緒に行こうよ」
 「…行けないよ。…僕は、ここの主だから」
 「そうなの?でも、俺は行くよ?」
 ふわりふわりと体が流れる。
 彼は、風だ。
 どこかに行ってしまう、風だ。
 もしもこの手を離したら、彼は行ってしまうのだ。
 僕をおいて。
 そして、また会えるのかどうかすら、分からない。
 「…行かないで」
 「だって、俺は風だから」
 「行かないで」
 僕は彼の手を引っ張り、その体を腕に包み込む。
 冷たく濡れた肌が触れ合う感触が、ひどく生々しい。
 ぞくり、と何かが背筋を駆け上がった。
 同じ年の男なのに、成長を途中で止めた彼の肌は、せいぜい産毛くらいであまり<男>を感じさせない。
 その滑らかな肌を抱いて、僕は沼に沈み込んだ。
 彼が教えてくれた。
 水温が低くて深いところは、死体の遺棄に向いているのだ、と。
 普通の水死体はガスが溜まって浮き上がってしまうが、水温があまりにも低いと、ガスの発生よりも水圧が勝って沈んだままなのだ、と。
 きっと、僕の沼もそんなところ。
 沈んだら、もう二度と浮かび上がれない、そんな沼。
 「行かないで」
 僕は腕の中の彼に囁きかけた。
 滑らかな、濡れた肌。
 色が薄くて子供のような乳首。
 細いウェストから腰にかけての線は、決して女性に似てはいなかったが、健康的な色気があった。
 知っている。
 何度も一緒に入浴したし…彼の裸も、形は大人だが少し成長の足らない性器も、つるりとしたお尻の曲線も知っている。
 大人の<男>ではない、まだ中性的な発達途上の肉体。
 それでも、明らかに…女性では無いのに。
 駄目だ、と思う。
 これが夢なのは知っている。
 けれど、たとえ夢でも…彼に触れてしまったら、もう元には戻れない。
 けれど。
 けれど。
 「取手。…取手が、一番、好き」
 彼が僕に腕を伸ばす。
 全身が彼に触れ、彼に包まれる。

 けれど、僕は、抗えない。



 最悪だ。
 朝、目覚めた僕は、下半身の冷たさに重い溜息を吐いた
 僕は他の人よりもそういう欲が薄いのか、自分で処理することは少ない。もちろん、夢精なんて数年ぶりだ。
 最悪なのは、そのこと自体よりも、夢を覚えていることだろう。
 僕は、明らかにはっちゃんに欲情してあんな夢を見たのだ。
 はっちゃんが他の人と仲良くした嫉妬と、彼の裸を抱き留めた感触と。
 そんなものが、一気に僕の内部を押し破ったのだ。
 醜い、と思う。
 何が<友達>だ。
 はっちゃんが、今まで同年齢の友達がいなくて、この学園で初めて<友達>というものを知った、という事実は、僕を自惚れさせてくれた。
 僕こそが、彼の初めての<友達>で、唯一の<友達>なのだ、と。
 けれど、彼は僕を<3番目の友達>と言った。
 彼は後になって、僕との関係が<友達>なら、皆守くんや八千穂さんとのそれも<友達>なのだろう、と学習したらしい。
 だから、知り合った順番で、僕は3番目。
 そう、僕は、彼の<初めて>でも<唯一>でもない。
 悔しかった。
 誰かの<唯一>大切な人になれると思ったのに。
 彼がこの学園にいればいるほど、遺跡で墓守を解放していくほど、彼には<友達>が増えてきて…僕は<唯一>どころか<大勢の中の一人>になっていく。
 あえて考えないようにしていたのに、その夢は僕の望みを露にしていた。
 僕は、彼を<僕だけのもの>にしたいのだ。
 僕の腕の中に閉じこめて、どこにも行けないようにしてしまいたいのだ。
 何て醜い欲望だろうか。
 こんなの、とても…<友達>とは言えない。
 結局、僕は…やはり歪な<化け物>なのだ。







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