風と水と 4





 葉佩は初めて入れて貰った取手の自室で、ベッドに転がってごろごろしていた。
 クラシックのBGM付きで、ホットミルクなんぞ手渡されたら、すっかり神経が弛緩してしまったのだ。
 たぶん特注と思われる大きなベッドで俯せになり、眠そうな声でほにゃーんと言う。
 「…てことでね、すっごく気を遣ったのよ。俺はさ、少々怪我してもすぐに治るけどさ、七瀬の体に傷でも付けようものなら、傷物にした責任取って、結婚しなくちゃならないかと思ったさー」
 信じてくれるかどうかは別として、取手には七瀬と入れ替わった件について話しておくことにした。
 他人から見れば、葉佩が七瀬の部屋から朝帰り、ということになり、別の意味で困った噂が立ちそうだったので、先手を打つことにしたのだ。
 まあ、七瀬本体は雛川の自宅で夜を過ごしたことは、雛川が証言しているので、不純異性交遊として処罰されることは無かったが。
 取手はベッドのすぐ脇の床に腰を下ろして、ベッドにもたれるようにして呟いた。
 「…入れ替わってる間に、話してくれれば良かったのに…」
 「俺も、ちょっとはそう思ったのよ。でもさ、皆守はまーーーったく!信じてくれんかったしさ。ルイ先生は、危険だからあんまり人に言っちゃ駄目だって言うしさ。そうこうしてるうちに、雛先生がさらわれたってメールは来るし、急ぐときに信じてくれるかどうか分からないのに時間を割く余裕が無かったし」
 正直、焦っていて、まともな判断が下せなかったのだと思う。
 たかが体が入れ替わったくらいで平常心を失うなんて、俺もまだまだ甘い…と思いつつも、普通そんな事態は想定しないよな、と自分を慰める。
 「君が言うことなら…信じるのに…」
 「ぶぶー。あの時点では、言ってる外見は七瀬なんですー。…まあ、七瀬もそんなお茶目なことは言い出さないだろうけどさ」
 取手がどれだけ七瀬のことを知っているかは不明だが。
 反論しつつも、自分の言うことなら信じる、と言ってくれる取手が嬉しい、とも思ったが、意識すると照れまくりそうなので、あえて意識から追い出す。
 「もちろん、連れていくなら取手!とは思ったのよ。何たって、敵の生気を吸えば回復して貰えるじゃん?七瀬に傷一つでも残してなるものかーって。まー結局、ちょっと怪我はしたけど、最後に魂の井戸さまに頼って、無傷で返したけどさ」
 取手の腕が伸びて、葉佩の頭を撫でた。
 いつもとは違って、髪だけでなく、何だか確かめるような感じで額や頬も指の腹で撫でられて、葉佩は少し顔を取手の方へ傾けた。
 「なにー?」
 「…いつも…そういえば、少しの傷は…いつの間にか、治ってるよね…魂の井戸に辿り着く前に」
 葉佩は自分の怪我に無頓着で、少々の怪我なら…いや骨折でも放っておくことが多い。
 魂の井戸に行けば治るし、無理に救急セット使わなくてもさー、と言うのが葉佩の言い分だ。
 と言いつつ、密かに細かい傷は歩いているうちに治っているのだ。
 時間さえかければ、骨折でさえそのうち治るが。
 「そうなのよん。俺って、結構、治癒能力が高いのよぉ」
 「…君が…女言葉になった時は…何かを誤魔化している確率が高いんだけど…」
 うげ。
 ぴくりとひきつったこめかみを、指で感じ取ったのか、取手の目が真剣な色を帯びる。
 ベッドに顔を乗せるように…つまり葉佩と目線を同じにして、じーっと見つめてくる。
 今更逸らすことも出来ず、葉佩はどう言おうかと頭をフル回転させた。
 「え、えーと、ね。別に、大したことは無いのよ?ちょっと…人より、治癒能力が高いだけでね?」
 「…どうやって?」
 うわー、先天的じゃないってばれてるー。
 じわり、と浮いた冷や汗を、取手の指が拭い取った。
 取手があんまり悲しそうな目で見るので、葉佩は渋々真実の一欠片を口にした。
 「別にさ、何も痛いこととかしてないってば。…単に、薬飲んでるだけだもん」
 ぶぅっとふてくされて見せれば、取手が考え深そうに頷いた。
 取手の灰色の瞳孔を見ながら、日本人は黒と言えど茶色に近い瞳孔なのに、灰色っていうのは珍しいなぁと考えていると、取手が静かに聞いてきた。
 「…そう…薬。……もしも、僕が…その薬を飲んでみたい…って言ったら…どうする?」
 「え…」
 取手が?
 あの薬を?
 「駄目」
 一言で否定しておいて、あ、やばい、と気づく。
 どうぞ、と軽く言っておけば良かった。
 「どうして?…怪我の治りが早くなる、良い薬なんだろう?」
 口調が静か過ぎて怖い。
 あうーあうーと呻いてから、葉佩は間近にある取手の目から逃れるように、がばっと身を起こした。
 ベッドの上であぐらをかき、軽くへらりと笑う。
 「いやー、すっごく苦いから、止めておいた方がいいと思いますのよ」
 「…良薬、口に苦しって言うしね…苦いのは…平気だよ」
 「そ、それに、そのーえっとー…ひ、秘伝の薬でね?門外不出って言うかー」
 「製法まで教えてくれ、なんて言ってないよ…そう…たとえば、バスケの試合の前にだけでも、一服飲ませて欲しいな、と言ってるだけで…」
 「えっとね、えっと…そう、高いの!高価なの!一包10万円とかするの!」
 「…それでもいいって…言ったら?」
 あぐ。
 ついに言葉に詰まった葉佩が、無意味に指を振り回していると、取手がずいっとベッドの上に上半身を投げ出した。
 ベッドに肘を突き、葉佩を見上げるようにしながら、低く言う。
 「…いい加減…白状したら、どうだい?…副作用が…あるんだろう?」
 分かってて聞いてやがった、と葉佩は苦く口を歪める。
 自分はそんなに分かり易い人間だったのか。
 もっとしたたかに嘘をしれっと言える人間な方が便利なんだが。
 ぶつぶつと呟いてから、葉佩はちらっと取手を見下ろした。
 真剣に見上げてくる様は、どう考えても、誤魔化されてくれる態度とは思えない。
 葉佩は、もう一度あうーあうーと唸ってから、やけくそのように叫んだ。
 「あーもー!別に、大した副作用じゃないよ!…ちょっと…ちょっと、その…癌になる可能性が高くなるだけで」
 ふっと取手の目が翳ったので、葉佩は慌てて言い募る。
 「ホントにね、あの…ほら、治癒能力を高めるってことは、細胞の増殖スピードを加速させるってことでね、つまり癌化する可能性も高いってことなんだけどね…でも、あの、絶対癌になるって訳じゃなくて、その、可能性が他の人より高くなるってだけでね、あの…わ、分かってるから、ちゃんと若いうちから癌の全身チェックも受けるしさ、そしたら、他の健康だって信じてる人よりも、早期発見の確率が高くて、そしたら、救命率だって高いしさ、えっとえっと…」
 どう言っても、取手はますます悲しそうになるばかりで、納得してくれないので、葉佩は無意味にシーツに指で丸を書いた。
 「えっと…それから…そうだ、あの、どうせ、俺たち、癌で死ぬより、遺跡で死ぬ方が確率高いしさ!うん、一族はたいていこの薬飲んでるけど、癌が死因になった奴の話は聞いたことないもん!」
 だから、大したことないんだ、と分かってね、と期待の目で見たが、取手の表情はますます歪んでいった。
 「……君は……」
 「か、可哀想じゃないやい!可哀想なんかじゃないんだからな!俺的には、これがフツーって言うか、当たり前のことなんだし、全然…可哀想じゃないから!」
 先手を取って否定したが、取手は顔を歪ませたままベッドに上がってきて、長い腕で葉佩を引き寄せた。
 取手の胸に顔を埋める形になった葉佩は、どうしたらいいのか分からなくなる。
 最初は、本当に、自分が可哀想、という意見が全く理解できなかった。
 最近では、ほんの少し分かるような気がしてきた。
 まあ、他人がどう思おうと、自分を可哀想とは全く思わないが、それでも取手がどうしてそんな風に考えるのかの理解くらいは多少出来る。
 「…君は…本当に…もう…」
 聞こえる声が湿っていたので、やばい、泣かせたか?と顔を見ようとしたが、しっかりと頭を押さえつけられていて叶わなかった。
 ぐすぐすと鼻を鳴らす音を聞いていると、どうしたらいいのか分からなくなって、とにかく泣き止ませなくては、と頭の中が真っ白になる。
 「えーとえーと…あ、ほら、地上最強オムレツ!えっと、作ってあげるって言ってたっけ、だからあの…泣かないでくれよぉ…」
 泣き声は聞こえなかった。
 けれど、胸の震えや喉が鳴っているのは押しつけられた頬から感じ取ることが出来て、全然泣きやんで無いのだけは分かる。
 どうしたらいいんだろう。
 どうしたら泣きやんでくれるんだろう。
 どうして俺は…どうしたら泣きやんでくれるのか、分からないんだろう。
 ひょっとしたら、普通の人間なら、こういう時どうしたらいいのか知ってるんだろうか。そもそも、取手を泣かせたりしないんだろうか。
 「…ごめんねぇ…良い大人に、好物で釣るなんて、馬鹿みたいだけどさぁ…そんなんしか思いつかなくて、ごめんねぇ…」
 その声が震えていたので、取手が葉佩の頭を離した。
 「…葉佩くん?」
 見上げた先では、ぽやぽやに揺れていたが、取手の鼻が赤くなって目元が潤んでいるのは分かって、やっぱり泣かせていたんだ、と改めて思う。
 「ごめんねぇ…俺、分かんないんだ…俺、ホント…普通に友達なんていなくて、話をするのは一族か任務で必要かしか無くて…どうやったら泣き止んでくれるのか分かんなくて、ごめんねぇ…」
 乱暴に目を擦ると、慌てたように取手がティッシュを抜き取って目元を押さえてくれた。
 それを奪い取って鼻をかみ、うー、と唸る。
 「全然…それで、問題ないんだって思ってたんだけど…俺って、日常生活に不自由な人だったんだなぁ。ごめんねぇ、そんな人間関係の苦手な奴が付きまとっちゃって」
 本当は、取手に関わるのはルイリーのようなプロか、もっと同年齢の付き合い方を知っている人間がやるべきだったのかもしれない。
 自分がおかしいとは欠片も思っていなかったので、自分が関わることで取手がもっと元気になってくれれば良いと思っていたけど、本当は凄く下手な付き合い方をしていたのかもしれない。
 皆守が「いい加減にしておけ」というのは、人と関わるのが面倒だからじゃなくて、ちゃんと正解を知っていたからなのかもしれない。
 「い、今からでも、遅くないからさぁ…迷惑なら、そう言って。俺が、間違ってると思ったら、そう言って。俺、頑張って、直すからさぁ…まあもう、こんなのと関わりたくないかもしんないけど」
 取手はまたティッシュを取って、葉佩に差し出した。
 それから、いつものように優しく頭を撫でた。
 「僕はね、君がいなかったら、今でもずっと闇の底にいたと思うよ。仮に<墓守>じゃなくなっても…まあ、正直言って、最初は君が関わってくるのは、迷惑だと思っていたけどね」
 取手は苦笑して、上目遣いに恐る恐る見上げる葉佩の頭をまた撫でた。
 「でも…ああやって、無理にでも引きずり出されなかったら、僕はまだ泥沼の中で、鬱々と姉さんのことを思い出していたと思うんだ…君がいたから、僕は普通の生活に戻れたんだよ。…ありがとう」
 本当に、そうなのかな、と疑いつつ見つめると、柔らかく微笑んでくれたので、少し納得する。
 まあ、取手は優しいので、気を遣ってくれているという可能性もあるが。
 それは忘れないようにしておこう、と心に書き留めつつも、あんまり心配をかけてはいけない、と努めてにこやかに声を上げる。
 「あ、そう?だったら良いんですけどぉ。さすが俺様、自信持って良い?」
 「でもね。君の考え方が、一般人とは…日本人とはちょっとずれてるのは、事実だからね」
 「…はい」
 「君が、自分の体を大切にしない発言をする度に…僕は胸がもやもやして、どうしたら良いのか分からなくなるよ…。もっと…ちゃんと、自分の身を大切にしてくれるかい?」
 「…はい」
 具体的には、どうしたらいいのか分かっていないが、ともかく取手が身を案じてくれているらしいことだけは分かったので、神妙に頷いておく。
 「…なら、いいんだけど…」
 はぁ、と溜息を吐くところからして、取手も信じてはいないらしい。
 えーと、とにかく怪我をしないようにしたら良いんだよな、それから死に関する話題はNG、後は…まあ、その都度考えよう。
 指折り確認していると、取手が憂いげに葉佩を見つめた。
 「本当に…心配になるんだ…君は、プロフェッショナルだから、そんな心配は迷惑なんだろうけど…」
 「め、迷惑じゃないです…て言うか、取手はお母さんみたいだなー」
 「…あぁ、お母さんは、ちゃんと君の心配をしてくれるんだね」
 ほわっと取手が目を細めたので、葉佩は、あう、と詰まって目を逸らした。
 「な、何て言いますか…一般論です。…うちの親は何と言いますか…チームの一員であって、あんまり親らしくは…いや、親は親だし、愛してくれるんだけどね、それでも何て言うか…取手みたいな愛じゃないよなー。…やっぱ、あれかー。取手はお姉さんやご両親に愛されて育ってるから、俺の心配もしてくれるんだろうなぁ」
 実際、葉佩自身も、バディが怪我をして一番に考えるのは、その行動に支障が出るかどうか、と、一般人を連れておいて身の安全を守れなかった己の未熟さの反省であって、ただ痛そうで可哀想、というような考え方は全く無かった。
 取手に言われなければ、その「痛いのは可哀想」ということにすら気づいていないかもしれない。
 うちの連中は、ちゃんと知ってるんだろうか。葉佩よりも人生経験が長い分、<知識として学習>はしているだろうけど。
 やっぱり、一般人の感覚とはずれてるのかなぁ、としみじみ思っていると、取手が何かを考え込んでいるような表情で、真面目に言った。
 「葉佩くんは…どうして、トレジャーハンターを選んだんだい?」
 「へ?」
 きょとんとして、見返す。
 それから少し考えて。
 苦笑して、膝を抱えた。
 「じゃあさ、取手は、何で日本の高校生になることを選んだの?って聞かれたら、どう答えるよ」
 「…あぁ…そうだね。…僕が日本人で…日本人は高校に行くことが一般的だから…ということになるかな」
 「俺だって、同じことだよ。俺にとっては<トレジャーハンターになること>が<当たり前>で、それを疑うことなんか無かったんだ。他の道があるなんて、考えたこと無かった」
 取手にとっては、それは親の罪に思えるだろうか。
 幼い子供を洗脳した大人の責任。
 けれどきっと、うちの連中自体も、自分たちの子供が他の道を選べるということに気づいてなかったのではなかろうか。
 もしも、取手がうちの連中を責めたらどうしよう。自分にとってはどっちも大事だから…困る。
 けれど、取手は、微笑んで葉佩を覗き込んだ。
 「…でも、もう考えられるよね」
 「へ?」
 「君は…どこにでも行けるし、何にだって、なれるんだ。…今からだって、遅くなんか無い。君には…無数の道が拓かれている」
 「…そうかなぁ…もう今更、この道以外には無理そうなんだけど…」
 「そんなことは、ないよ。たとえば僕だって…今は日本の高校生だけど…そう、たとえば、卒業したら、君に付いていって、トレジャーハンターのバディを職業に選ぶ可能性だってあるんだ。君だって…ただの大学生になるとか、他の道はいくらでも選べる」
 たぶん、それを選ぶことは無いけれど。
 それでも、道は存在する。
 「…そうかな…うん、本当に、そうなら良いな」
 「そうなんだよ。本当に、そうなんだ」
 力強く頷く取手を、眩しいものでもあるかのように目を細めて見る。
 この繊細で物静かな<友人>は、何だかすっかり…エネルギーを取り戻していて。
 葉佩の方が引っ張って行かれそうだ。
 「…ありがとう、取手。ホント、ありがとう。…俺は、そのありがとうをどうやって表したら良いのかも、分かんないけどさ」
 オムレツくらいしか思いつかない己の応用力の無さが情けない。
 頭を抱えていると、取手が静かに言った。
 「…良いんだよ。…<友達>だから」
 「そっか…良いのか、<友達>だから」
 「そう」
 「そっか」
 なるほど、こういうのを<友達>って言うのか。
 本当に…しみじみと、良いなぁ、と思う。
 葉佩は、心の底から微笑んで、取手を見上げた。
 「俺さぁ。ホントに、この学園に来て、良かったと思う。ここに来て、取手に会えて、でもって<友達>になれて、本当に良かった」
 「僕も…君が、この学園に来てくれて良かった。君の<友達>になれて、嬉しいよ」



 夢を見た。
 たぶん僕は中学生くらいで…実家の近くの駅にいる。
 「かっちゃーん!ごめん、待った?いつも乗る自転車に乗り遅れてさぁ」
 「…それ、普通に遅刻って言うんじゃないかな…」
 「そうとも言う」
 「そうとしか言わないよ…」
 僕より小柄な体が、元気良くぴょんぴょんと飛び跳ねるように横に並んだ。
 あぁ、夢だな、と思う。
 葉佩くんの中学生時代なんて知らないし…と言うか、今ここにいるのは、高校生の彼だけれど…正直、中学3年生と言っても違和感は無かった。
 「ごめんねー、後で奢るからさぁ。ね?」
 両手を合わせて上目遣いに謝ってくるから、苦笑して腕時計を確認する。
 「良いよ…たぶん、間に合うし…」
 「よし、走るぞー!」
 「ちょっ…待ってよ、はっちゃん!」
 ぱたぱたと走っていく彼を追って、僕も走る。
 少し大通りから離れた路地で曲がると、そこは小さな映画館。
 「…もう…間に合うって言ってるのに…」
 「だって、始まる前に、ポップコーンとコーラがいるじゃん!」
 「…音を立てるのは迷惑だと思うな…」
 「えー、だって、映画館には付き物だしぃ」
 彼は元気いっぱいによく笑う。
 そんな様子を見ていると、たいていのことは許される気はするけれど。
 そうして二人で映画を見て。
 「やっぱ、ゆんゆんだよなー」
 「じゃあ、ポスター買えば?」
 「いやぁ、部屋にゆんゆんがいると、恥ずかしくて着替えも出来ないしぃ」
 アイドルの映画を見て、パンフレットを買って。
 それから駅前の喫茶店に入る。
 「かっちゃんは、オムレツだよなー。えーと、俺は…ボンゴレとぉ…よし、ビッグマウンテンパフェ!」
 「はっちゃん…おなか壊すよ…」
 「へーきへーき!いっぺん食べてみたかったんだ〜」
 「…僕は、手伝わないからね」
 「あぁん、かっちゃんのいけず〜」
 普通の世界で、普通に遊んで、普通に会話をして。
 自分の頭よりも背が高いパフェにスプーンを突っ込みながら、彼が笑いながら言った。
 「男がさぁ、男同士で喫茶店入って、パフェ頼むのって、いつまで許されるんだろうねぇ」
 「…はっちゃんなら、高校生でも大丈夫だと思うけど…」
 「どーゆー意味よ」
 ぷぅっと膨れる口の周りには、いっぱい生クリームが付いている。
 あぁもう可愛いなぁ、と思いつつ、自分のオムレツを食べる。
 …可愛い?
 そうか、僕は彼を可愛いと思っているのか。
 何となく納得していると、彼は足をばたつかせながら僕を上目遣いに見た。
 「かっちゃんは、将来、ピアニストになるんだよな?」
 「うん…そうなれたらいいな、と思ってる。…はっちゃんは?」
 僕の問いに、彼は悪戯っぽく笑った。
 「俺?そうねぇ、この身長を生かすなら、競馬の騎手とか、競艇の選手とか向いてると思うのよ。でもさ、頭脳活動なら、身長って関係ないし。そりゃ、バスケの選手にはなれないけどさ。俺は、それ以外の何にでもなれるんだよ」
 本当に…本当に、そうならいいのに。

 目を覚ました僕は、ひどく鮮明な夢の記憶に驚いていた。
 夢というのは、起きる直前までは覚えているつもりでも、たいてい起きてしまったらどんどん記憶が薄れてしまうものなのに、この夢は何だか本当にあった出来事のように僕の頭の中に根付いていた。
 普通に同級生として出会って、普通の学生生活を送って。
 どこか別の世界では、そんな<友達>だったこともあるのだろうか。
 あんまりそれが<過去の記憶>のように鮮明だったため、僕は一つ失敗をしてしまった。
 朝、会った彼に、
 「おはよう、はっちゃん」
 と、夢の中の名前で呼んでしまったのだ。
 呼ばれた彼が、少し不思議そうな顔をしたので、僕はミスに気づいた。
 慌てて口を押さえるが、一度出た言葉が無くなるはずもない。
 「ご…ごめん。…夕べ、夢の中で…そう呼んでいたものだから…」
 「え?俺って、取手の夢の中に出演したの?」
 彼が何だか嬉しそうなので、僕はほっとして頷いた。
 「どんな夢だった?俺、迷惑かけてなかった?」
 「うーん…山のようなパフェで、顔中をべたべたにしていたかな…」
 「…何ざますか、それは…俺ってそんなに子供だと思われてますのん?」
 「だって、君、ミートスパゲッティを食べた時に、口の周りを真っ赤にしてたじゃないか…たぶん、そのイメージなんだろうね…」
 「それはそれ、これはこれ!」
 「一緒だよ」
 笑い合いながら、学校に向かう。
 彼が「俺は何にでもなれる」って言ったことは内緒にしておこうか。
 どうも僕の願望のような気がするし、彼を追いつめてはいけない。
 「あのさぁ」
 「…何?」
 「はっちゃん、でいいよ。皆守や八千穂なんて、九ちゃんよ?俺はどこの九官鳥ですかっての」
 「…うん、はっちゃん」
 それから。
 僕が彼を可愛いと思っていることも、内緒にしておこう。






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