風と水と 2
葉佩は、待ち合わせの時刻通りに墓地にいた取手に両手を合わせた。
「いやぁ、悪い。授業も受けて、放課後にピアノも弾いてる奴に、更に時間外労働を頼むのはちょっと厳しいかな、とは思ったんだけどさぁ。八千穂がどうしても抜けられない用があるらしくて」
取手は数瞬、葉佩をじっと見つめたが、ゆっくりと首を横に振った。
「別に…そんなにヤワじゃない…つもりだよ…一応…バスケ部だし…」
「バスケ部!?」
夜の静かな墓地に声が響いて、葉佩は慌てて自分の口を押さえた。
指で指し示して、取手と皆守を墓から降りるロープへと追いやる。
自分もロープを伝って降りてから、驚きの続きを叫ぶ。
「取手って、バスケ部だったの!?いや、てっきりピアノ関係の部活だとばかり」
「…一応…」
首を撫でながら横を向く取手の代わりに、皆守がどうでもよさそうに答える。
「あぁ、こいつはうちの学園を全国大会で準優勝させた立役者って奴でな。何だっけ、クォーターバックじゃなく…」
「…シューティングガードだよ…」
「すっげー。うわー、知らなかったー。あ〜、それでその体格なんだな」
改めて葉佩は取手を見つめた。
背は高いし、腕も足も長い。
これが素早くボールを取りに来たら…さぞかし壮観だろう。
「すっげー。一度、戦ってみたいなー」
命のやり取りじゃなく、スポーツで。
取手はやはり横を向いたままだったが、葉佩が期待の目で見つめると、ようやくかすかに頷いた。
「…うん…それじゃ、今度…1on1で…」
「ルールは教えてくれな。ボールは持って運ぶな、程度しか知らないよ、俺」
やはりかすかに頷いた取手に、思わず笑う。
ようやく攻略の手がかりを得ただろうか。
「そっかー、バスケ部ね。運動部とは、意外意外。…あ、でも、確かに身のこなしは素早かったか」
普段がのそのそとした動作だったので忘れそうになるが、ここで戦ったあの執行委員ボンテージな取手は、結構な強敵だった。
何よりぐるんぐるんと回転しながら迫ってくる様子が不気味…もとい身体能力の高さをうかがわせた。
「それじゃ」
すっ、と葉佩の目が、冷静な任務モードに切り替わった。
「自分で自分の身を守るくらいのことは、期待してるから。よろしく」
皆守と取手を引き連れて、いつもの道を行く。
神官通路に至るまで、二人の出番は全く無かった。
「…いつも…こんな調子なのかい?」
ぼそりと呟いた取手に、投げやりに足を運んでいた皆守が眠そうに答える。
「いや。お前がいるんで、張り切ってるんだろう」
「………え?」
塩垂の水槽を狙撃した葉佩が、くるりと振り向いた。
口を押さえておろおろしている取手を見て、ゴーグルを額に押し上げ皆守を睨む。
「どういう意味だよ。俺様、いつでも凄腕ハンターでしょうが」
「よく言うぜ」
葉佩は銃の残弾をチェックしてから、壁にもたれて悪戯っ子の表情で笑った。
「ま、いい加減、敵の急所も属性も記憶したってだけだけどな」
アサルトベストのポケットの中を確認し、よし、と頷く。
ここまで、皆守と取手の出番は無かった。
ということは、二人とも怪我や疲れは無いだろう。
「じゃ、次は二人にも頑張って貰うからなー」
「あのでかぶつと戦うのか?」
神産日のいる間を親指で指した皆守に首を振る。
「いやー、ちょっと依頼を受けててね…」
そして、神官の間へ。
いつものように蚊欲を撃ち落とし、殖を切り刻んだ葉佩は、残りの3体の塩垂を見て溜息を吐いた。
胸から取り出したカッターナイフの刃をきちちちと伸ばしたのを見て、皆守が眉を上げた。
「…何やってんだ」
「何かね、文房具でやれって依頼がね…鉛筆よりは殺傷能力が高いかな、と期待してね…」
はぁ、と溜息を吐いたところを、取手が無言で肩を掴んで引き寄せた。
どうやら背後から攻撃されていたらしい…というか、囲まれていたらしい。
取手が、ちょっと困ったような顔で手のひらを広げた。
肩の高さまで上げられたそれには、ホルスの目が浮かんでいる。
「あ〜、ごめん、取手。それ、文房具じゃないからさぁ」
「…危なくなったら…使うよ?」
「いや、本気で危なくなったら、俺もちゃんとまともなもんで攻撃しますって」
きちきちと頼りない音をさせながら、カッターナイフでちまちまと塩垂を切っていき。
何度も皆守に頭を掴まれ、取手に肩を掴まれながら、どうにか3体目の塩垂が消えたところで、部屋は一瞬金色の光に包まれたのだった。
葉佩は早速HANTを起動した。
しばらく解析を見てから、乾いた笑いを上げた。
「いやー、悪い。どうやら、トドメだけ文房具で良かったみたいだ。しかも、ターゲットは一体。無駄な労力使っちゃったなー。二人とも、怪我は無いか?」
「俺は、大丈夫だがな」
「…僕も…平気だけど…でも、葉佩くんが…」
取手が何だか泣きそうな顔で見つめてくるので、葉佩はきょとんと見返した。
どう考えても、取手を泣かせる原因が分からなかったので、本人に聞いてみる。
「俺が、どうかした?えっと…あ、カッターナイフが掠めちゃったとか!?ごめん、気を付けてたつもりなんだけどさぁ…」
間違って取手を攻撃してしまったか、と慌てて取手の全身をチェックしていると、取手がポケットからハンカチを出した。
真っ白で何の模様も付いていないそれは、綺麗に畳まれていて、取手の几帳面さを表しているようだった。
その清潔なハンカチを差し出されて、葉佩はまたきょとんとして取手の顔を見つめた。
「えーと…決闘…じゃないよな、あれは白い手袋を投げつけるんだった」
一体、何をしろと言われてるんだろう、と腕組みをした葉佩に、皆守が呆れたような溜息を吐いた。
「どうやら、本当に分かってないみたいだぞ?」
結局取られることのなかったハンカチを一瞬引っ込めて、取手はそのまま腕を伸ばして葉佩の頬をそれで包んだ。
「へ?何?」
「君は…痛みを感じないのかい?…こんなに…血が出てるのに…」
「へ?血?…うわ、じゃ、汚れるじゃん!」
咄嗟に身を引いて、自分の頬に当てられたハンカチを見ると、真っ赤に染まって重そうになっていた。
「うわー、ごめんなー、真っ白なハンカチだったのに。今度通販して返すからさぁ…」
「そうじゃなくて」
取手はまたハンカチを畳み直して葉佩の頬に当てた。
少しだけ怒ったような響きを感じて、葉佩は身を竦めた。
まあ、それでも、泣かれるよりはマシだけれど。
「…全然、止まらない…どうしよう、敵の生気を吸えば、少しは治せるんだけど…皆守くんの生気を吸っても良いかな…」
「良くねぇよ」
「それは、止めといてやれよー」
異口同音に否定した二人に、取手は一段と泣きそうに顔を歪めた。
「…だって…僕の力は…他の犠牲が無いと、治せないんだ…」
あー、これは何か滅入ってきてるな、と葉佩は努めて明るく声を上げた。
「基本的には攻撃だもんな。そのついでに治癒まで付いてくるなんて、何てお得!」
それでも取手の表情が陰々滅々としたままなので、葉佩はきょろきょろと辺りを見回して、背後の扉を指さした。
「えーと、ほら、魂の井戸行こう、井戸。な?そしたら、きっと、気分も良くなるからさ」
「…僕の…気分の問題じゃ無い…」
ぼそぼそと反論が聞こえた気もしたが、ともかく連れていこうと取手の手を引っ張って廊下に出て、緑色の扉を開いた。
暖かな光に包まれて、ほっと一息吐く。
取手が持ったままのハンカチは、すでに白い部分が無いくらいずっしりと血を吸っていた。
「ごめんなー、ホントに買って返すからさぁ」
「…そういう問題じゃない…」
「えーと、ごめん、何か想い出の品?じゃあ、頑張って洗うよ。消毒もしておくから…」
井戸から取り出したビニール袋にそのハンカチを入れようと手を差し出したら、取手がそれをぎゅっと握った。
床に血が粘って落ちる。
「うわ、取手、手まで汚れるじゃん!まあ、俺は別にウィルスは持ってないけど…あ、水で洗おうな、水!」
「君は!」
耳元に爆発した音に、葉佩は飛び上がった。
「君は」
すぐに取手の声が小さくなった。それでも普段よりは随分と大きかったが。
「何で…そんなに、自分の怪我に無頓着なんだい…?」
葉佩は首を傾げた。
うーん、と唸りながら、ともかくは取手の手からハンカチを取り上げ、ビニールに入れてから井戸に放り込み、タオルに水を含ませて取手の手を取り拭いた。
それも井戸に放り込んでしまってから、もう一度、うーん、と唸る。
取手の表情は、先ほどのような生気の煌めきは無かったが、それでも唇を噛み締めて葉佩を見つめる様子は、普段よりも感情的なようだった。
なるほど、怒りっていうのも、エネルギーは強いな、と思いつつ、葉佩は何と言おうかと首を傾げた。
「えーと、さ。ごめん、取手が何に怒ってんのか、よく分かんないんだけど…怪我がどうかしたって?」
葉佩の怪訝そうな声に、取手は少しふらついて、床に座り込んだ。
「だ、大丈夫か!?」
手を差し伸べると、ゆっくりと首が振られ、まるで丸まるようにされたので顔が全く見えなくなる。
「えーと…何かよく分からないけど、怒らせたなら、ごめんな」
「…分かってないくせに」
「あー…まあな」
葉佩はぽりぽりとこめかみを掻いて、皆守に助けを求めるように目をやった。
皆守は胡散臭そうに葉佩を見ていたが、アロマを持った手を振った。
「お前が、怪我をしてるのに、全くそれを構ってないみたいだから、心配してるんだろう」
「あぁ!」
葉佩は、ぽん、と手を叩いた。
彼らは<宝探し屋>なんてしたことのない素人なのだ。ちょっとした傷も、非日常なのだと気づいて、葉佩はにこやかに言った。
「あのくらいなら、行動に支障が無いよ。大丈夫、どのくらいなら、行動に制限が出るかくらい、認識してるからさぁ、安心してくれれば…」
「怪我は、怪我だろう?」
取手の低い呟きに、葉佩は、首をひねった。
どう言えば理解してもらえるんだろうか。
「そりゃ、怪我って一言で言えばそうだけどさ、例えば、同じ顔の傷でも、視界に影響が出るのと出ないのとでは大違いで、一くくりにするのは…」
「…痛みを感じないのかい?」
「そりゃ、痛覚はあるよ。痛みが無いと、致死レベルの傷かどうか分からなくなるし」
葉佩としては懇切丁寧に解説したつもりだったが、取手はまだ不満なようだった。
いつもの虚ろな表情では無く、どこか思い詰めたような顔で立ち上がる。
「…君は…可哀想な、人だ」
「へっ!?」
あまりに的外れな言葉に、葉佩は素っ頓狂な声を上げた。
「可哀想?可哀想って…何が?え?何で?」
お前はクレオパトラの生まれ変わりだ、と言われるくらい非現実的な言葉に、葉佩は怒るよりも呆気に取られて周囲をきょろきょろと見回した。
いくら見ても、他に『可哀想』な人はどこにもいなかったが。
自分を可哀想だと思ったことは無かったし、今も何が可哀想なのかさっぱり理解できない。
「…俺って、可哀想?」
傍観者を決め込んでいる皆守に、己の顔を指さしながら聞いてみる。
皆守は、あからさまに「そんな面倒なことを俺に聞くな」と顔に出しながら、それでも気怠く答えた。
「まあ、あえて言うなら、頭が可哀想だがな」
「あぁ、なるほど、頭が…って、何でだ!」
教科書的ノリツッコミをしてから、葉佩はもう一度取手に視線を移した。
相変わらず、怒ったような悲しんでいるような微妙な表情で、取手は葉佩の顔を見つめていた。
そういえば、いつも下を向いたり目を逸らしたりするものだから、まっすぐに目を見たのは初めてかも知れない、などと思いつつ、説明を求める目で見返すと、またふっと逸らされてしまった。
「ま、いいや。分からないことは、後で暇なときにでも考えよう。じゃ、次行くよ〜」
さっくりと頭を切り替えた葉佩は、装備を確認した。
「神産日をやって、それから次の区画に行くから。たぶん、あのお嬢ちゃんが待ってるんだ」
「…お嬢ちゃん…?」
「椎名リカだ」
皆守が取手に答えて、取手は納得したように頷いた。
「…そういえば…彼女は、理科室を任されていたっけ…」
「お前が、音楽室を任されていたように、か?」
「うん…てっきり…リカ研究会に使うんだと…思っていたけど…」
執行委員は、部屋の管理を任されているらしい。
今度教室の入り口に表示されている管理責任者の札を見てみよう、ひょっとしたら他の執行委員の名前が分かるかも、と思いつつ、葉佩はポケットをぽんと叩いた。
「ま、そういうことだから。行きますよ、お二方」
そうして、創生の間を抜けて、次の区画に行く。
何となく礼拝堂に似た雰囲気を壁を撫でながら進むと、最初の部屋は真っ暗だった。
「あちゃー。幸い敵はいないみたいだけど…」
ピッとゴーグルの暗視装置のスイッチを入れ、位置を確認してまたオフにする。
「まあ、まっすぐ歩けば良いだけだな。二人とも、手でも繋いで行きますか?」
「いらねぇよ」
皆守は打てば響くように答えたが、取手の返事は無い。
暗いせいでよく見えないので、思い切り近寄って覗き込むように顔を見上げれば、青白い顔が少し緊張しているようだった。
「何?暗所恐怖症?」
「…そんな…つもりは、無い…んだけど…」
声がわずかに震えていることに気づいて、葉佩は取手のだらりと垂れた手を腰を屈めて拾った。
そしてぎゅーっと握ると、取手がほんの少し、息を吐いた。
「この墓の闇は…何だか、吸い込まれそうな気がして…自分が、また…取り込まれてしまいそうな…」
「あー…大丈夫、大丈夫。仮にもし吸い込まれても、絶対助けに行くから」
いや、そもそも飲み込まれない方がいいのか。
「俺がずっと手ぇ繋いでるから、大丈夫。いや、ホント、ほんの数歩なんだ、出口まで」
ひょっとして、この暗視ゴーグルを付けてやった方がいいんだろうか、でもこれ狙撃するのに必要なんだよな、と思いつつ、葉佩は取手の手を引いて、一歩進んだ。
取手が慌てたようにすぐに付いてくる。
どうやら、少しでも離れたら怖いらしい、と気づいて、葉佩は手を繋いだまま取手の腕にしがみつくように腕を絡めた。
「大丈夫、大丈夫。…あ、皆守は勝手に歩くように」
「へいへい」
取手の腕に絡みついて、ついでにもう片方の手で背中をぽんぽん叩きながら、歩き出す。
「怖いんなら、歌でも歌おうか?幸せは〜歩いてこない、だから歩いて行くんだよ〜」
「お前はいつの時代の人間だ」
「親が歌ってたやつだからなぁ。今の日本の歌なんて知らないし」
暢気に歌いながら進めば、本当に10歩ほどで扉に辿り着く。
が。
「…あれ?開かない」
HANTの女性音が、無情に「鍵がかかっています」と触れれば分かるようなことを言う。
「えーと、どこかにスイッチ…あぁ、あったあった」
また一瞬だけオンにした暗視ゴーグルで蛇の形の飾りを見つけて、そっちへ行きかけて少し考える。
皆守と取手は扉の前に残しておこうか、ほんの2歩程度の距離だし。でも、扉が開いてすぐに敵がいたら、そのほんの2歩の遅れが致命傷になるかも知れないし、やっぱり背後にいて貰おうか。
「じゃ、一応また付いてきて」
そう言って、取手を引きずるように連れていくと、皆守の怠そうな足音もちゃんと付いてきた。
それを確認してから普通に蛇の頭を掴むと…下がらなかった。
「…あれ?故障?」
思わず取手の腕を離し、両手で蛇を掴む。
「えいっ!このっ!」
両手でぶら下がるように体重をかけても、びくともしない。
「…ひょっとして、フェイク?別のスイッチがどっかにあるのかなー」
暗視ゴーグルのバッテリー残量を確認して、電池を持ってくれば良かった、と溜息を吐く。
まあ、何とかなるか、とスイッチを入れて緑色になった視界で周囲を見回し、とりえあず壁面に沿って歩いてみるか、と一歩踏み出した。
かちり。
床に僅かな浮遊感があった。
「やべっ、トラップ!?」
慌てて体重をかけないように浮かせるが、周囲で何かの音がした。
「お前ら、伏せろっ!」
「いや…敵、みたいだよ…4体に、囲まれてる…いや、入ってきた方にも…2体。…昆虫系じゃないな…質量はそうでもないけど…たぶん、人型…」
取手が相変わらずぼそぼそと呟いた。
だが、自信の無さそうな響きではなく、自分の言葉を確かめているような口調だった。
「へ?見えてる訳じゃないよな?」
とりあえず近い方の敵に照準を合わせてマシンガンを連続で下から上へと流し撃ちする。
うぉっ、と僅かに反応が変わったのを確かめて、額に撃ち込むが、あまり効いていないような気がした。
それでも金色の光に変わったところで、ぐいっと肩を掴まれた。
「後ろ…もう来てる」
取手に回転させられて、何とか致命傷は避けたが、腕に刺さったものを抜いてみれば、何やら忍者が使うような細身の苦無が刺さっていた。
「Oh、ジャパニーズニンジャ〜ファンタスティ〜ック!」
「どこの外人だ、お前は」
「守秘義務がありますので、答えられませ〜ん」
ぽいととりあえずそれを床に放っておいて、葉佩はマシンガンを構えた。早いうちに弱点を探し出せれば、後で楽になる。
少なくとも頭付近だということは分かっているので、その辺りを狙い撃って、どうにか被りものの目のような模様が弱点らしいと見当づけた。
「うーん、帽子に見せかけて、実は本体?」
ぶつぶつ言いながら狙撃していると、横からにゅっと腕が伸びたので心臓が止まるかと思うほど驚いた。
いきなり何だ、と思ったら、空気が歪む音がした。
呆気に取られている場合じゃないか、と、それはそれとして自分も攻撃する。
そうして一番近い敵を倒すと、すたんすたんと軽い着地音が迫ってきていた。
「…1体…80cmくらい先…もう1体…2m先…正面じゃない…1時の方向…」
取手のぼそぼそとした声に従って、目を細めて狙撃する。
取手も横に立って腕を伸ばした。
そうして。
「安全領域に入りました。探索体勢に移行します」
女性の声が無機質に響き、葉佩はマシンガンを降ろした。
その目の前に、取手の掌が翳される。
金色に光っていたそれが、じわりと色を失うにつれ、何となく感じていた痛みが引いていった。
後で確認しよう、と思っていた部位に目を落とすと、服の破れた跡があるだけで、傷は消えていた。
「おー、サンキュ、取手」
「…君には…必要無いのか、とも…思ったけれど…」
光を失った手を握り締め、だらりと垂らす取手に、にっこり笑ってやる。
「何で?攻撃も、治癒も、助かるけど?…あ、そういや、何で敵のサーチが出来たんだ?」
「…聞こえる…から…」
「すげーな、おい」
葉佩だって、トラップにかかったと思った瞬間、神経は瞬時に高められ、全身で周囲の気配を探ったはずなのだが、何か蓋が外れるような音がしたとしか分からなかったのだ。
「便利だなぁ。暗視ゴーグルのバッテリーが切れても、取手がいさえすれば戦えるのか」
「…敵の位置は分かっても…障害物までは分からないから…壁があれば反響するけど…」
絞り出すような言葉を吟味して、なるほど、足下に穴やら障害物やらがあっても、その指示までは出来ない、と言っているのか、と理解する。
てことは、遮蔽物に身を隠して向こうがこっちに来るのを狙撃する戦闘法なら良いわけだ。
「いやいや、頼りにしてるよ。…まあ、今度から、バッテリーの予備はちゃんと持ってくるようにするけど」
実はこの遺跡は灯りが点いていると高をくくってバッテリーを持ってこなかったのは、思い切りミスだと責められても仕方のない状態なのだが。
それは棚に上げておいて、取手の聴力の良さを確認できたのだから、それはそれで結果オーライ、と納得する。
ふんふんと鼻歌を歌いながら、べしべしと床のスイッチを踏むが、それはもう固定されているようだった。
どうしよう、壁面に沿って歩くか、と思ったが、まあとりあえずもう一回このあからさまなスイッチを下げてみよう、と蛇頭を掴むと、今度は拍子抜けするほどあっさりと下がった。
「…なーんだ、強制トラップだったのか」
葉佩は一つ肩をすくめて、取手の腕を掴んでその暗闇から出ていったのだった。
それから青い水に満たされた広間の仕掛けを解き、その先でまた戦闘して。
安全領域なのを確認してから、葉佩は見つけた石版をHANTに読みとった。
「えーと…顔は泣き、両腕をだらりと垂らし、座っていた…」
ぶつぶつ呟きながら石像の周囲を回る。
「どれが座ってんだよ〜。まあ、分かりやすいのから行くか」
真ん中の部分にしがみつき、力を込める。
よいせっと顔を真っ赤にしてぐるりと回し、模様を確認して、うん、と頷く。
「さて、次は泣き顔…っと」
辛うじて手が触れる位置の頭部分を相手に、爪先だってじたばたしていると、のっそりと取手が上がってきた。
「…手伝うよ…こっちに回せばいいかい?」
「サンキュー。指を怪我しないようになー」
容易にぐるりと回った石像に複雑な思いをしつつ、自分は足の部分に取り付いた。
石像内部でかちりと何かがはまったような音がしたので、取手を見上げて、にこっと笑う。
「いいなぁ、取手は背が高くて。俺もそうすれば良かった。うちの連中、自分らが背が高いもんだから、小柄な方が狭いところに入って行けていいぞ〜とか言いやがってさぁ。そんなもんかな〜ってそうしたら、狭いとこより、高いところに手が届かなくて困る方が多いんだよな、実際は」
思わずぼやくと、取手が自分の顔を、奇妙な目で見ているのに気づいた。
不思議そうな、というか、困惑しているような、というか、とにかく疑問を持っているらしい表情に、何?と首を傾げる。
取手はしばらく躊躇っていたが、じっと見ていると、やがて小さな声で呟いた。
「…君の言い方だと…まるで、自分の身長を、自分で選んだみたいに…聞こえるよ…」
「うん、そりゃ確かに決めたのは6歳頃だから、厳密には自分で選んだってよりは、親に誘導されたって感じだけどさ…何かおかしい?」
きょとんとして聞き返す。
何故、それを疑問に持たれるのか分からない。
「身長を…どうやって、選ぶんだい?」
「へ?」
唐突に、何故蛇口をひねれば水が出るんだい?と聞かれたような気分になって、葉佩は、首を傾げた。
何がどう疑問なのかすら分からなくて、いろいろと考えた結果。
「えーと…日本では、身長は操作しない、とか?」
それまで壁にもたれてうとうとしていた皆守が、怠そうに歩いてきて柱にもたれた。
「日本では、じゃなく、一般人は身長なんぞ自然のままだろ」
「えぇっ!?」
からかってるのか、とバディ二人の顔を交互に見るが、取手は困ったような顔だし、皆守はおかしなものでも見てるような顔だしで、どうやら本気で言っているらしいと気づく。
「だってさ…だって、それって、不便じゃないか?身長がいつ伸びるか分からない上に、どれだけで止まるか分からないんだろ?」
「何が不便なんだよ」
「いやほら、いろいろ…例えば、装備とかその度に作り直したり…」
「一般人は、身長に合わせた装備は持ってねぇ」
「えーとえーと…それでも服とかさ…いや、服は安いのか…でも、でもさ、怖くない?自分がどれだけ伸びるのか分からないってさぁ。ほら、皆守はそこそこで止まってるけど」
「…そこそこで悪かったな」
意外と気にしていたらしい皆守がぶっきらぼうに言い捨てる。
取手は、自分の身長を測るように自分の手を頭にやったが、困ったように答えた。
「…別に…怖くは、無いよ…だって…それは、当たり前のことだから…」
「ひえええ」
葉佩は呟いた。
信じられない。
葉佩にとって、己の身長を選ぶことは、それこそ<当たり前>のことであって、その選択を悔いることこそあっても、そのこと自体に疑問を抱いたことなど無かったのだ。
「何だよそりゃ…いつか自分に子供が出来たら、やっぱり背が高い方が便利だぞ〜って教えてやろうと思ってたのにさぁ…」
呆然と呟き、己の頭と取手の頭に手をやってみる。
その差、30cm以上。頭一つ分くらいだ。取手がいつも背中を丸くしているのでそんなに気にならなかったが。
「…ま、でも、俺の子供もトレジャーハンターになるなら、やっぱ操作した方がいっか」
うん、と納得した葉佩は、取手に頭を撫でられて吃驚した。
まるで子供を宥めているかのような仕草に、目をぱちぱちと瞬く。
「なっ、何?また、俺が可哀想、とか?」
「…その操作って…痛くは無かったのかい?」
痛ましそうな目は、小さな子供が注射でもされるところを想像しているのだろうか。
優しいところもあるじゃん、というか、ようやく他人を思いやる余裕が出来たってことなのかな、と葉佩はまた一歩、取手エネルギッシュ計画が進んだことを心に書き留めた。
「いや、単に内服のホルモン剤なんだけど。えーと、ほら、自然に身長が伸びるのだって、ホルモンの影響だろ?全く別の物質で無理矢理操作してる訳じゃなくてさぁ…」
それでも取手がまだ痛そうな顔をしているので、葉佩は無意味に指を振り回した。
「それにさ、俺の場合9歳でこの身長になって止めたから、ちょうどバディとして同行するには適した年齢になっててさ、そんなに無茶苦茶チビを仕事に連れて行ってるような可哀想なことにはなってなくて、ですねぇ」
ね?とにっこり笑って見上げると、取手は俯いて溜息を吐いた。
葉佩の頭から手を離し、口を開きかけたが、また閉じてもう一度溜息。
顔を上げてひっそりと言うことには
「…それじゃあ…バディは、背の高い人を選ばなくちゃね…」
「へ?…あ、うん。まあ、余裕があれば、踏み台とか作るけどさ」
「僕はいつでも協力するから…さっきみたいなことでも…手伝えることがあったら、言って欲しい…」
「あ、ありがと」
何となく納得は出来ないが、まあともかく取手がやる気になってくれたらしいのは確かだったので、それでいっか、と葉佩はこれでこの話題はおしまい、と判断した。
「さて、と。それじゃ、奥の部屋に行きますかね」
二人を引き連れて、今度は赤い水の満ちた広間に入る。
石版を読んでいる葉佩の後ろで、取手がぼそりと呟いた。
「赤い水…血のようで、あまり良い気はしないな…」
あぁ、なるほど。
取手は血が苦手なのか。
そういえば、攻撃方法も生気を吸い取るものだったから血は出ないし、それでさっき葉佩が怪我したら血相変えたんだな、と納得した。
暗闇の戦闘でも、すぐに血を止めていたし。
ただでさえ顔色が悪い取手だ。血を見て気分が悪くなったら大変だ。
「うん、俺、なるべく怪我しないように頑張るからさ」
突然だったため、取手が一瞬目を丸くした。
けれど、すぐに目を細めた。
「うん…怪我は、しない方が良いよ…」
葉佩は、何度か瞬きした。
へぇ、と思う。
「取手は、笑うと、結構可愛いよな」
やっぱり顔色は悪いし、目は微妙に落ち窪んでいるように見えるが、それでもちょっと笑うと陰鬱なところが失せ、改めてみると端正な造りの顔だったんだな、と気づいた。
「いつも笑ってたら良いのに」
けれど、取手はまた困ったように俯いて、その顔を隠したのだった。