美少女ハンター 葉佩九龍 6





 「まあ、色々ありましたが、ともかく貴方の力になると決めましたので。お祓いをやってみましょうか」
 「…どこに向かって喋ってるんだ」
 「いえ、ちょっと状況説明を、その辺に浮かんでいる方に」
 <こちら>に向かって、いろいろと一気にすっ飛ばして仲間になっている神鳳が解説した。
 ここ生徒会室には、神鳳、葉佩、皆守、取手、朱堂と、嗅ぎ付けて「仲間外れにしたら承知しないんだからね!」とラケットを構えて付いてきた八千穂、それからサポート役として白岐がいた。
 中央にぽつんと置かれた椅子に座り、葉佩は緊張した面もちで拳に握った手を膝の上に置いた。
 「よろしくお願いいたします」
 円を描いて灯された蝋燭を残して、電気が消される。
 指を立てて神鳳が呪を唱えると、じわり、と金髪美少女の姿がぶれた。
 「きゃ…」
 八千穂が漏れた悲鳴を堪えるように自分の手で口を押さえる。
 椅子に座っている学ランの<宝探し屋>は、黒髪黒い目の少年となり、黒い霧のように滲んだ少女が、首にしがみつくように、あるいは首を絞めるように、腕を回して宙に浮かんでいた。
 「…これは…かなり強力な思念ですね…」
 神鳳の額に汗が滲んでいる。
 周囲で見守っている面々は、少女がはっきり見える者、靄にしか見えない者、と様々であったが、重苦しい気配を感じて声を出すことが憚られていたが、葉佩本人は全く変化を感じ取れていなかった。
 「えーと、話できんの?神鳳」
 ざっくばらん、というか大雑把な少年の言葉に、皆守は絶句した。
 中身が男と分かっていても、今まで話していたのは丁寧な話し言葉の少女だったのである。すぐには同人物の口から出た言葉とは信じ難かった…と言うか、信じたくなかった。
 「…ちょっと、お待ち下さいね…さて…」
 それから数分は、神鳳がぶつぶつ独り言を呟いているだけのように見えた。
 額に浮かんだ汗だけが、神鳳が体力を消耗していっているのを証明している。
 ふと神鳳が顔を上げたので、葉佩も顔を輝かせた。
 「何?何か分かったか!?」
 「話は…出来るようなのですが…」
 「何て!?」
 「…ドイツ語…みたいなんですよね…」
 がくっと緊張感が薄れた。
 周囲で見守るバディたちも、顔を見合わせる。
 「ドイツ語…考えてみればドイツで拾ってきた幽霊なら当たり前か」
 「せめて英語なら…ってあたしはそれでも分かんないかも〜」
 一気に「あぁ、分からなくても仕方ないか〜」みたいな空気が蔓延したのに気づいて、葉佩は足をじたばたさせた。イスから離れるな、と言われているので、そうやって意志表示するしか無いのである。
 「俺!俺がドイツ語分かるから!そのまんま伝えてくれたら、俺が訳すから!」
 自分の顔を指さして自己主張する葉佩を見て、神鳳は気が乗らない様子で顎に指を当てた。
 「ん〜…それでは仕方がありませんね。やってみましょう」
 またしばらくぶつぶつ呟いてから。

 「あ〜…びげですねん?」

 は?と動きを止めた葉佩に、神鳳は続けた。
 「石棒念印都々逸?」
 いや、疑問口調で言われても。
 しばらく神鳳の伝える<ドイツ語>を聞いていた葉佩だが、がっくりと肩を落とした。
 指先が床に着くくらいぐったりと力が抜ける。
 「…さっぱり、分からねぇ…」
 「やはり、無理ですか」
 涼しい表情で言う神鳳を涙目で見上げる。
 「全世界共通幽霊語みたいなのは無いのかよ〜」
 「聞いたことがありませんね」
 つれない返答に、またぐったりと身を折る。
 最後の頼みの綱、と期待していただけに、ショックが大きい。
 「神鳳なら…神鳳なら何とかしてくれると信じてたのに〜」
 自分はこのまま金髪美少女ハンターとして一生を過ごすのだろうか。
 男連中に熱い視線を注がれながら暮らしていかなくてはならないのだろうか。
 …女子風呂に堂々と入れる、というお楽しみにあることはあるが、女性を口説くことすら出来ないというのは、思春期の男には耐えられない。
 「ふむ…そこまで言われたら、僕も何とかしないといけませんね」
 「何とかなるのかっ!?」
 「会話が不可能でも、祓うことは出来るのですよ。強制的になりますから、より強い力が必要ですが」
 言われてみれば、そんな気もする。
 話の通じる悪霊の方が少ない…というか、話が通じる時点で悪霊では無いような。
 この金髪美少女幽霊は、葉佩にはダメージを寄越していない。
 そう言う意味では、心安らかに成仏してくれる方が、無理矢理消滅させるよりも望ましかったが、背に腹は代えられない。
 「お願いします!お願いします!お願いします!」
 へへーと頭を下げる葉佩に、神鳳は後ろを向いた。
 「すみません、白岐さんも手伝って頂けますか?」
 「…私が?…分かったわ」
 蝋燭の円を超えて、白岐が神鳳の隣に立った。
 懐から出した札を渡し、神鳳も札を手に印を結ぶ。
 「それでは、参ります…!」
 「………」
 長髪二人が念を込める。
 円の外にいるバディたちにも、ぴりぴりとした重圧が伝わる。
 葉佩自身はぴんと来なかったが、それでも体が上へと引っ張られるような微かな違和感はあった。
 霊感のある者には、引き離そうとする力に逆らって、金髪の少女がますます力を込めて葉佩の首にしがみついているのが見えているだろう。
 ふわりと浮いた少女の体がほとんと逆立ち状態になった時、少女が顔を上げた。
 何か悲鳴のような、怒声のような響きと共に、少女の顔が憤怒に歪み、如何にも悪霊らしい顔つきになる。
 その叫声が音波攻撃のように二人の術者に襲いかかった。
 二人は札をかざして堪えるが、ついに弾き飛ばされる。
 「神鳳!白岐!」
 イスから腰だけを浮かして葉佩は叫んだ。
 白岐は八千穂が、神鳳は皆守が助け起こす。
 「…つっ…根性の入った霊ですね…」
 何かが焼け焦げるような異臭が鼻を突いた。
 白岐の髪が蝋燭に触れてしまったらしい。
 ぱたぱたとそれを手で払いながら、八千穂が助けを求めるような顔で葉佩を見る。
 「…!…そ、そりゃ、俺だって、二人を傷つけてまで…けどさ、憑いたままってのもちょっと…」
 自分の望みと、バディの身の安全を思って、葉佩は口ごもった。
 はっきりと、自分の身はどうなってもいいから二人には危険なことはして欲しくない、と言えたら良いのだが、これを逃せばチャンスが無いのではないか、という不安に苛まれる。
 神鳳がゆっくりと立ち上がった。
 葉佩の方ではなく、バディたちの顔を順繰りに見回して、爽やかに言った。
 「皆さん、多数決を取りましょう。…葉佩さんはこのままの方が可愛いと思う人、手を挙げて」
 「待てーっっ!!」
 じたばたじたばた。
 「言っておきますけどね。実は僕だって金髪美少女の貴方が可愛いな、と思っていたんですよ」
 「そんな告白いらねぇえ!」
 「どうせ貴方、憑いてても何の痛痒も感じないんでしょう?なら目の保養をさせてくれても良いじゃないですか」
 「お前、そんな自分の欲望に忠実なキャラだったのか〜!」
 冗談半分に突っ込んでいるつもりだった。
 だが、神鳳のセリフは、思ったよりも深く心に食い込んだ。
 そう、誰だって…少なくとも男なら誰だって、見かけが可愛い金髪美少女の方がいいのである。
 葉佩九龍本人の姿よりも。
 誰だって、愛らしい少女の外見の方が。

 「そうよ…男なんて、みんな、そう…」

 葉佩の口から、少女の言葉が漏れた。
 「男なんて、外見に惑わされる生き物なんだわ…誰だって、可愛い女の方を愛するの…」
 葉佩の姿が、金髪の美少女に変わる。
 否。
 金髪の少女だが、真っ赤な唇が吊り上がり、目は黒い光を炯々と宿す、悪霊の姿に。
 怒りと悲しみの波動が周囲を渦巻く。
 「男なんて…男なんて…男なんて…!」
 霊感の強い神鳳と白岐は立ち上がることすら出来なくなる。
 神鳳は必死で札をかざしたが、円の外のバディの身を守ることだけで精一杯。
 とても葉佩のところにまで攻撃どころか辿り着くことすら出来そうにない。
 「わたくしを愛している、なんて言っても、それは外見だけのことなんだわ…わたくし本人を愛してくれたりなんか…」
 ちらり、と何かの映像が見えた気がした。
 庭園で愛を囁く貴族の服装をした若者。
 身を引き裂かれるような悲しみの波動と同時に、どす黒い怒りの波動もまた囂々と渦巻く。
 その中心にいる葉佩は、泣いているかのように両手で顔を覆っていた。
 取手が、ゆっくり立ち上がって、一歩一歩確かめるように進んだ。
 「…そんなこと、無いよ」
 空気が歪んで真空を生み出したのか、ぴしりぴしりと時折刃物のように切り裂かれながら、取手は微笑んで手を伸ばした。
 「そんなこと、無いよ。僕は、外見がどうであれ、はっちゃん自身が好きなんだ」
 周囲のバディたちは声もなく心の中で突っ込んだ。
 いや、今はそんな場合じゃないっつーか!あれを喋ってるのは葉佩じゃなくて少女の霊であって!
 だが、分かっているのかいないのか。取手は腕を伸ばして小柄な少女の肩を抱いた。
 「外見なんて、関係ない。今のままの姿でも、はっちゃん本来の姿でも。僕は、君が大切だし、守りたいと思ってる」
 部屋の中の温度が10℃近く下がった気がした。
 やばいだろ、と皆守は小さく呟いた。
 この反応は、幽霊をもっと怒らせてるんじゃないか。
 「…嘘つき」
 冷ややかな、身を凍り付かせる響きがした。
 「嘘つきだわ…わたくしを愛していると言ったくせに…わたくしが病に伏せったら、別の女と…わたくしが病み衰えて醜くなったから、わたくしを捨てたのでしょう!?わたくしの外見が、醜くなったから…」
 ざわりざわりとメドューサのように金髪がうねる。
 それを優しく手で押さえながら、取手は自分で言葉を確かめるようにゆっくり言葉を紡いだ。
 「さっきも言ったけど…外見なんて関係無いかな。はっちゃんが女の子だろうと男の子だろうと関係ないし」
 いや、そこは関係あるだろう、普通。
 …と声が出せないまま、バディたちは突っ込んだ。
 「僕が好きなのは、君自身だし…あぁ、もちろん、同じことを君に強要するつもりは無いよ。僕の外見は見ての通りいびつで不気味って言う人もいるから…君がそのせいで僕を好きになれないって言うなら、仕方ないと思ってる」
 どす黒い鬼気を放っている少女から返答は無かったが、かすかに葉佩が動揺する気配を感じ取って、取手は微笑んだ。
 「ありがとう、はっちゃん。君が僕を見てくれるから、僕はこれで良いと思えるようになったんだ。だから、僕も君を…支えられると嬉しいな」
 「わたくしの…」
 殷々とした響きが地を這った。未だ顔を伏せたままの少女が、聞いているだけで背筋が粟立つような声で呟く。
 「わたくしの姿がどうであれ…愛してくれる、と?そう仰るの?」
 「うん、はっちゃんがどんな姿でも、僕ははっちゃんが好き」
 そこだけ、ちゃんと「君」ではなく「はっちゃん」と言い切った取手に、神鳳は安堵した。少女と葉佩を混同して口説いているのかと思えたが、案外と冷静に判断しているらしい。
 …狡猾、とも言えるが。
 「それでは…その証に、キスをして頂ける?こんなわたくしに」
 ゆっくりと、少女が顔を上げた。
 ひゅ、と誰かが息を飲む音がした。
 今まで彼らが目にしていた愛らしい少女の顔ではなく、骨に皮膚を張り付けただけのような顔。
 虚ろな眼窩に黒い熾火が宿り、黄色く朽ちた歯が笑うように剥き出しになっている。
 「こんなわたくしに、キスができますの?」
 嘲笑しているような挑戦的な口調に、取手の手が少女の髪から離れ、自分の口を押さえているのが神鳳の目に映った。
 まずい、と思う。
 これで取手が拒否したり逃げたりしたら、あの悪霊はもっと手に負えなくなる。
 かと言って、あの死体そのもののような相手にキスをしろと言うのは酷だ、ということも同時に認識していた。
 何とかして、取手をここまで引き戻せたら、改めて結界を張り直して守ることが出来るかも知れないが…少女が取手を離すだろうか。
 枯れ枝のような手が、取手の制服に食い込んでいるのが見える。
 「…参ったな…」
 小さな声が聞こえた。
 「僕にも、一応予定があってね…その…何て言うか…」
 …何故、照れた口調なんだろう。
 先ほどからの、取手の手が自分の口を覆ったり首に当てられたりしているのは、動揺しているのではなく照れているのだと分かって、神鳳はがくっと力が抜けた。
 もちろん、他のバディたちも各自突っ込んでいるのが気配で分かる。
 そんな背後の様子を振り返ることなく、取手はしきりに自分の首を撫でていた。
 「その…迷惑だと思って…せめて、君が出ていく最後の日に告白しようと思ってたんだけど…もちろん、キスしたいと思わなかったと言えば嘘になるんだけど、こんないきなり言われると心の準備が…」
 帰りたい、と皆守は痛切に願った。
 何で俺はこんなところで倒れ伏しているんだ、帰って寝たい、寝させてくれ。
 「こんな…みんなが見てるところでキス…なんて…あ、イヤじゃ無いんだよ、もちろん!嬉しいんだけど、卑怯な気もしないではないし…」
 一気に行っちゃえ、と八千穂は呟いた。霊感が他の人よりは薄いのか、壁まで退いてはいるが立ち上がれないほど影響を受けているわけではない。
 暴風から身を守るように腕を顔の前にかざして、目の前の光景を眺めている。
 もじもじと何やら空中に字を書きながら照れている取手の耳は真っ赤だ。
 こんなことで、本当に葉佩を口説けるのだろうか、と八千穂はもやもやしながらも目を光らせた。
 八千穂だって思春期の女の子、他人の恋愛沙汰には人並みに興味があるのだ。
 頑張れ、取手くん!と小さく応援する。
 それが聞こえたのか偶然か、取手はもじもじしながらも少女の肩を抱いた。
 「その…とにかく、他の人から見えないところに、ね」
 ひょいっと悪霊な外見の少女を抱え上げ、窓に近寄る。
 重厚なカーテンをめくってその陰に隠れたので、倒れたバディたちからは彼らの足しか見えなくなる。
 取手は、ふと外を見た。
 「見てごらん。…月が、とても綺麗だ」
 生徒会室の大きな窓からは銀色の円盤が煌々と光っているのがよく見えた。
 青白い光に照らされた少女の顔に、取手は微笑みかける。
 「僕は…はっちゃんが好き。…君が女の子でも、男の子でも…君が、僕を置いていってしまう人でも…それでも、好き」
 敬虔、とも言えるような調子で、少女の額に唇を落とす。
 それから、更に身を屈めて。






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