マミーズで昼食を



 彼は、ようやく迎えた昼休みに、こめかみを押さえながら教室の扉をくぐろうとした。
 頭痛は、以前ほどではないものの、時折彼を苦しめる。
 食事をする代わりに、保健室に行って頭痛薬を貰おう。そうしてゆっくり休めば、また午後の授業に出られる。
 そう思いながら、猫背の体を更に曲げて、廊下へと出ようとした。

  「うわ、取手!急に立ち止まるなよ!」

 他の学生よりも頭一つ…とまではいかないが背の高い彼は、昼食へと出ていく学生たちでごったかえす廊下で、色素の薄い髪の毛の、小柄な人を見つけることが出来た。
 そして、隣に立つパーマ頭も。
 二人は、彼から遠ざかる方向へと歩いて行っている。
 鋭敏な彼の耳には、雑踏の中の二人の会話すら聞こえてきた。
 「甲ちゃん、またカレーですか?」
 「おぉ、当たり前だ。さて、今日は何カレーにするかな。たまにはチーズカレーもいいかもな」
 「俺はもっと辛いの、好きです」
 「ほぉ、言ったな、葉佩。よーし、今度俺がとびきり辛いカレー作ってやるよ」
 「楽しみですー」
 とてもとても楽しそうな会話。
 あぁ、と取手は胸を押さえた。
 ちりちりと胸を焦がすこの感情は、紛れもなく嫉妬だ。
 考えても仕方がないのに、どうしても考えてしまうのだ。
 どうして、同じクラスじゃ無かったんだろう、と。
 もしも、同じクラスに葉佩が転校生として来ていたら、あそこに立っていたのは彼だっただろうか、と。
 皆守のことは、嫌いではない。同じ保健室仲間の中でも、気の合う方だと思っている。ドライなようでいて、さりげない気遣いをする男。
 あまり騒がしいのが得意ではない彼には、ちょうど良いくらいの温度の相手だった。
 だけど。
 はぁっ、と、彼は溜息を吐いた。

  「取手〜お前がそこにいると、出られないんだけどなー」

 葉佩は可愛い。
 見た目の愛くるしさもさることながら、性格がとにかく可愛い。
 あの昼間のやたらと人懐こくて、くるくると表情の変わる喜怒哀楽のはっきりした葉佩も良いなぁ、と思うのだが、何より夜に会う葉佩が好きだ。
 『本物』の葉佩は、昼間とまるで違っていて、ひどく冷たい目をして、淡々と化人を切り捨てる。
 だが、その葉佩が恥ずかしそうに笑ったり、怯えたような視線を向けたりしてくると、もうどうしようもなく愛おしさが募る。
 葉佩が『強い』のは知っているけど、「僕が守ってあげなきゃ」と強く思うのだ。
 いつでも側にいて、彼の支えになりたい。
 なのに。
 それなのに、今。
 葉佩の隣には皆守がいて、二人は振り返りもせずに階段の方へと曲がっていく。
 きり、と扉に指が食い込んだ。

 「取手、いい加減、どけってば…」

 彼は、振り返った。
 そして、彼が真剣に悩んでいるというのに、思索の邪魔をする級友の首筋を掴んで持ち上げた。
 「…君は、かぴかぴにされたいのかい…?」
 くくく、と地を這う笑いが、彼の喉から漏れる。
 古人曰く。『他人の恋路を邪魔する者は、馬に蹴られて死んじまえ』
 そう、だから、彼が今、邪魔する相手をかぴかぴにしても、それは恋する男には許される行為なのだ。
 んぐえ、と級友の喉からカエルが潰されたような声がした。
 
  「うわー!取手さま、ご乱心〜!」

 彼は級友を吊り下げながら、ちらりと廊下に目をやった。もう彼らは階段を曲がっていったのだろう。
 ただ葉佩の姿を見ていたい、そんな些細な願いさえも遮った級友に、もう一度、くくくく…と笑って見せた。
 周囲がざわめく中。
 「取手君!」
 雑音にしか聞こえない声の中で、光り輝くような一つの旋律が、彼の耳に届いた。
 「…え…?」
 思わず級友から手を離し、その源を探してきょろきょろする。
 すると、それは、真後ろにいた。
 小柄すぎて、彼の視界から外れていたらしい。
 「葉佩君…」
 思わず、さあこの胸へ!とでも言っているかのように両腕を広げて少し屈む。
 残念ながら、葉佩は飛び込んで来たりせず、寸前で立ち止まって彼を見上げたが。
 「取手君が見えたから」
 ちょっと息を弾ませて、えへ、と見上げる視線に、取手は僅かなめまいを感じた。
 「う、うん…ありがとう…」
 
  「あぁ、あれがあの」
  「取手が3−C全員の前でプロポーズしたという転校生か〜」
  「そういや聞いたか?取手、生徒会の執行委員だったんだってよ」
  「あぁ、聞いた聞いた。何でも音楽の山内に「僕は生徒会執行委員なんですよ…お願いを聞いてくれた方が身のためだと思いますよ…」とか脅して、3−Cに潜り込んだとか…」
  「あの取手がなぁ…」
  「大人しい人間ほど切れると怖いって言うよな…」


 うるさいな、と彼は思った。
 芋だの南瓜だの一山100円の分際で、彼と葉佩の会話の邪魔をする。
 個人曰く。『他人の会話の邪魔する者は、僕に吸われて死んじまえ』
 すでに原型留めていないが。
 「あ、あの、ですねー…」
 ちょっと頬を赤らめて、葉佩は潤んだ瞳を取手に向けた。
 「取手君は、お昼、どうするですか?」
 「え?あ、うん。頭が痛いから、食べずにルイ先生に薬を貰って寝ようかと…」
 「…あ…そ、そうですか…」
 途端に悲しそうな顔になった葉佩に、彼は、はたと気づいた。
 葉佩はこれから昼食をマミーズで食べようとしていたのではないか。とすると、さっきのはお誘いの前ふりなわけで。それを彼は断ったも同然なわけで。
 あぁああ!しまった〜!
 どうしてそれにさっさと気づかなかったのか!
 無言で額を押さえる取手の袖を、葉佩がちょいちょいと引っ張った。
 「え…何?」
 促されるまま、背中を丸めると、額に葉佩の手が当てられた。
 「んと…熱は無いですねー」
 くらり。
 無いはずの熱が上がりそうだ。
 あぁ、葉佩君…どうせなら額をこつんてして欲しかったな…などと考えてから、僕は何を考えているんだっ!そういうことはもっとお付き合いをしてからっ!と考え直す。
 取手鎌治、かなり混乱中。
 
  「しかしなぁ、あの転校生、男だろ?」
  「まあ、可愛いっちゃ可愛い顔してるけどな」
  「でも、男だろ…?」
  「え〜、あたしは絵になっていいと思う〜」
  「これだから女子は…」


 『葉佩が可愛い』という単語で、彼は正気を取り戻した。
 これ以上、葉佩の可愛い姿を一山30円如き(何げに値下がり)に見せていて良いだろうか。いや、良くない。
 「あ、あの、葉佩君。とにかく、下に降りようか」
 「はい、ですー。甲ちゃんも待ってるですし」
 ちり、と胸が焼けた。
 一階まで降りたら、彼は保健室へ、葉佩はマミーズへと向かう。…皆守と一緒に。
 歩き出した葉佩の手を掴む。
 葉佩は、一瞬驚いたように彼を見上げ、それからはにかんだように笑った。
 
 手を繋いで歩いていった二人の背後では、とりあえず級友たちが砂を吐いていた。


 いくらゆっくり歩いても、所詮学校の階段である。すぐに一階に到達してしまう。
 不本意ながら、彼は渋々と手を離し、軽く手を挙げた。
 「それじゃ…また」
 「あ、あの!取手君、薬飲む言いましたか?」
 葉佩が真っ赤な顔で、制服の裾をきゅっと握って彼を見上げる。
 ぎゅっ、じゃない。きゅっ、だ。何とも絶妙な力の入り具合。
 「うん…いつも、ルイ先生に貰って、飲むんだ」
 「で、でもでも、です。解熱鎮痛剤は、空腹時に服用すると胃を痛めるです」
 その言葉はよく聞くけれど。
 彼は、これまで頭痛薬を飲んで胃が痛くなったことは無かった。病弱そうに見えて、意外と丈夫。
 だいたい、ルイ先生に貰う薬は漢方薬が主体なのか、そんなにきついものじゃないし…と考えていて、ふと思った
 「あの…葉佩君は、そんなにきつい薬飲んでるんだ?」
 可愛らしい外見と性格に紛れて忘れかけていたが、相手は<トレジャーハンター>だ。いろいろと怪我することもあるだろうし、それを誤魔化すために鎮痛剤飲んだり…うわぁ、葉佩君がそんな目に遭うなんて耐えられないっ!
 「痛いのなくする位だと、胃も痛くなるですよ」
 やっぱりそうなんだ、彼が飲んでいるのとは比べものにならないくらい強力な鎮痛剤なんだ、と彼は内心身悶えした。
 「だから、取手君も何か食べてから飲むです。雑炊とか、マミーズにあるですよー」
 そう続けられて、彼は、ふと目の前で赤くなってる<運命の人>を見た。
 これは、彼に与えられた与えられた第二の選択肢なのだ。いわば敗者復活戦。
 もちろん、今度は間違わなかった。
 「うん…そうしようかな」
 えへ、と笑った葉佩に、彼はこっそり握り拳を作った。

 校舎入り口でアロマパイプをくわえながら、ぼーっと空を見上げていた皆守が、彼らを見て顔をしかめた。
 「遅いぞ。お前ら、俺を飢え死にさせる気か?」
 「人間、2週間くらいは水だけで生きていけますよー」
 「俺はカレーを12時間以内に食わないと死ぬんだよ」
 「じゃあ甲ちゃんは、人間じゃないですねー」
 カレー星人?と笑う葉佩の頭を小突いた皆守は、眠そうな目を彼に向けた。
 「お前も来るのか」
 「お邪魔かい?」
 「そりゃお前が言いたいことだろ?」
 お互い笑顔で応酬しているが、大気温下降気味。
 気を付けなければならない、と彼は自分に言い聞かせた。
 皆守は、普段は本当に何にでも『どーでもいい』男なのだ。人であれ、物であれ。
 それを今回に限ってやけに葉佩に興味を持っている。
 『何か』があるのだ。
 葉佩に興味を持つべき『何か』が。
 そりゃ葉佩君はすっごく可愛いし、見ていて幸せになるし、誰よりも、世界中を敵にしてでも守ってあげたくなるような相手だけれど。
 もし皆守がそういう意味で葉佩を狙っているとしたら、かなり手強い相手になるだろう。何せ相手は同じクラスで、初めてのお友達で、同じ寮に住んでいる仲間なのだから。
 いや、寮には彼も住んでいるけど。クラス毎に階が違うから、彼と葉佩の部屋は離れているのだ。
 恋敵を見る目で皆守を睨んでやると、うんざりしたように目を逸らされた。
 「俺はノーマルなんだよ」
 「僕が、ノーマルでは無い、とでも?」
 何も「男好き」なわけではない。ごく普通の恋愛観念を持っていると自負している。
 ただ、葉佩が特別な存在なだけ。
 首を傾げて待っていた葉佩に、皆守が話を振った。
 「よぉ、葉佩。お前は、恋愛に、男だ女だとこだわる方か?」
 「男か、女か?恋愛?」
 んー、と考え込む葉佩に彼は心臓を飛び跳ねさせた。
 もしも、葉佩の方は、全く男が対象外だったとしたら?
 いや、普通に<お友達>として好きになって貰うだけでも十分だ…と自分に言い聞かせてみたり。
 でも、本当はやっぱり、ただの<お友達>では足りない。いつでも一緒にいたいし、出来れば……。
 自分の考えた情景に、彼は、うわぁ、と顔を赤らめた。
 ぱたぱたと手を振ってそれを追い払う取手を不思議そうに見上げてから、葉佩は軽く笑った。
 「俺は、そういうのよく分からないですよ。これまで、他の存在は、全部<敵>いう認識でしたから」
 男も女も無い。それどころか、人間か人外か、すら無い。
 あるのは、<自分>と<敵>と<それ以外>。
 「今は、違うですけどね」
 取手の顔色を見て、葉佩は慌てて付け加えた。
 自分が葉佩の<特別>な存在であれば良いのだけれど。彼にとって、葉佩が<特別>であるのと同じように。
 でも、少なくとも、彼らは手を繋ぐのだ。その他大勢ではないはず。
 そう結論づけて、彼は呆れたように先に行った皆守を追って、マミーズへと向かったのだった。

 昼休みではあったが、彼らの出足が遅かったせいか、店内は比較的空いていた。ここが学生たちにとって大事な昼食提供場所であることは全員が了承している。つまり、食べた後でもだべって席を占領するような不心得者はいない。
 食べたらさっさと出ていって、次の者に席を譲り渡し、無駄話は外の適当な場所でするのだ。
 そんなわけで、彼らは待つことなく席に案内された。
 「マミーズへようこそ〜!3人様ですね!」
 いつもは和む明るい声がこめかみに響いて、彼は自分が頭痛を感じていたのだと思い出した。
 店内の喧噪も耳に触る。
 だが、色々な食べ物の香りは、意外と彼に空腹を覚えさせた。
 壁際の席に座った彼の隣に、葉佩が座り、心配そうに見上げてきた。
 「大丈夫?無理に誘ったですか?」
 「ううん、お腹が空いてきたよ」
 「良かったですー」
 嬉しそうに笑って、葉佩は彼にメニューを押しやった。
 「んとー、何食べようかなー」
 そうして、一緒に覗き込む葉佩の体が彼に密着して、かれは心の中でまた、うわぁ、と叫んだ。
 小柄な彼のつむじが見える。柔らかな栗色の髪が彼の顎をくすぐった。
 「取手君、何食べるですか?」
 意識を必死にメニューに戻して、ともすれば上滑る視線を写真に集中させる。
 「う、うん…いつもなら、オムレツ頼むんだけど…」
 今日はちょっと卵の生っぽい感じは駄目かも知れない。
 「鳥雑炊にしておくよ」
 「じゃ、俺もー」
 さも当然と言った様子でそう言って、葉佩は卓上のベルを鳴らした。
 「おい。俺はまだ決めてないんだがな」
 「甲ちゃんの選ぶものなんて、どーでもいいです」
 「…お前…そんな、はっきりと…」
 がっくりと突っ伏した皆守が、がりがりと頭を掻いた。
 恨めしげに目だけ上げて、呟く。
 「お前は、本当に取手が好きだな」
 うわああ!とまた心の中で叫んだ彼の隣で、葉佩はにっこりと笑った。
 「好きですよー」
 うわああああああああ!
 「その愛の一欠片でも、俺に分けてくれ」
 「イヤです」
 「また、そんなにはっきりと…」
 ぶつぶつとこぼす皆守をよそに、葉佩は現れた奈々子に元気良く注文した。
 「鳥雑炊2つとチーズカレー!」
 「はーい!鳥雑炊2つにチーズカレー1つですね!かしこまりましたぁっ!」
 「…いや、俺はチーズカレーに決めたとは…」
 「少々お待ち下さーい!」
 「あ、熱いおしぼり、もう一つ下さい」
 「はーい!」
 厨房からすぐに現れておしぼりを置いていった奈々子を見送って、皆守は、それを破っている葉佩に聞いた。
 「何するんだ?」
 「んー。取手君、はい」
 ぽんぽん、と太股を叩かれて彼は、眉を寄せた。どうしろと言われているのだろう。
 「頭ここに乗せて、上向くです」
 そ、それは…!いわゆる膝枕というやつではっ!
 彼は、じたばたと心の中で両手を振り回しつつ、現実では冷静に自分の座った位置と身長、葉佩までの距離を計算していた。
 視線に気づいたのか、葉佩が少し距離を置く。
 彼は、あー、とも、うー、ともつかない声を漏らしながら、ゆっくりと体を倒した。
 葉佩の両手が、彼の顔を挟み、太股の上に落ち着ける。
 下から見上げる葉佩君も可愛いなぁ、とか考えていると、彼の目の上にタオルが広げられた。
 温かな蒸しタオルが瞼を覆う。
 それから、ゆっくりと、指先が彼のこめかみを揉んだ。
 「気持ちいいですかー」
 少しかさついた指先が、彼の肌を滑る。そして、適度な圧力が加えられ、やんわりと筋肉の緊張を解きほぐしていく。
 「う、うん…気持ち良いよ」
 「肩こりから来る頭いたなら、これで楽になるですよー」
 彼は姿勢も悪いし、時折暗い中で楽譜を読んだりして、目から来る頭痛も引き起こすことがある。葉佩もそんな経験があるのだろうか、と思ってから、彼は思いだした。
 小柄な彼には不似合いな大きなマシンガンを、片手で操作したりするのだ。肩凝りの一つや二つ、起こしても不思議ではない。
 そんな時にはどうしてるのだろうか。
 一人で部屋の中で肩を揉んだりしているのだろうか。
 「ねぇ、葉佩君」
 「はい」
 「今度、君が肩が凝ったら、言って欲しい。僕が、お返しにマッサージするから」
 ぱっと目を覆っていたタオルが除かれた。
 しばたきながら見上げると、葉佩が恥ずかしそうに微笑んだ。
 「ありがとうですー」


 あぁ、幸せだなぁ、と彼は思った。
 頭痛など、どこかへ飛んでしまったようだ。
 隣り合わせで、同じ物を食べて、他愛のない会話を交わして。
 葉佩は猫舌だ、とか、辛党だ、とかそんな情報を獲得して。
 胃と同じくらい暖かな気分で、午後の授業を受けられそうだ。
 やっぱり、この人は<運命の人>で、いつでも一緒にいたいなぁ、と想いを強くしたのだった。


 ちなみに。
 そんな二人の様子を目の前で見せつけられる羽目になった皆守は。
 「あ〜、頭が痛ぇ」
 と呟きながら、保健室のベッドに逃避しに行ったという。

 








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