美少女ハンター 葉佩九龍 1
「みんな、静かに。転校生を紹介します。葉佩九龍さんは、おうちの都合で世界中を転々としていたのだけれど、今回日本に帰ってきました。早く日本に慣れたいとの希望で、全寮制であるこの天香学園に編入することになったの。みんな、仲良くしてあげてね」
「初めまして、葉佩九龍です。短い期間ですけど、よろしくお願いいたします」
3−Cの面々は、一見いつも通りに転校生を紹介したかのように見えた雛川の視線が微妙に泳いでいて、声が震えているのに気づいた。
もちろん転校生はそんな違いに気づくこともなく、穏やかに微笑んで挨拶をした。
学生たちは、声もなく目を見交わしたり、頭の中だけで突っ込んだりしていた。
教壇に立っているのは。
胸くらいまでのプラチナブロンドをふわふわと波打たせ、明るい緑色の瞳と愛らしいピンク色の唇を持っている…学生服の<少女>だった。
雛川の目も時折、転校生の胸へと向かう。
改造もしていない普通の学生服だが、胸の部分が窮屈そうに張りつめている。たぶん、中にはC〜Dカップくらいの胸が収められているのだろう。
雛川は、ともすれば裏返りそうになる声を、何度か唾を飲み込むことで抑えた。
(い、いけないわ、動揺しちゃ失礼よ。このくらい、この学園では普通のことだわ。ほら、学生たちだって普通に受け入れているじゃないの。教師である私が動揺するわけにはいかないわ)
もちろん、学生たちも<普通に>受け入れていることはない。
(男が来るって聞いたけど…女子だよな?名前のせいで学生服が来ちゃったとか…)
(女の子なら女の子って紹介すればいいのに…)
(男装趣味なのかしら、でも真里野くんの制服よりはマシよね)
だが、個性的な学生の多い学園なので、動揺は声になることなく少々の波だけで収まった。
「はいはーい!あたしの隣が空いてま〜す!」
「あら、そうね。八千穂さんの隣に行って貰いましょう」
促されて葉佩は教壇から八千穂の方へと向かった。学生たちが何となく目で追って確認したところによると、しずしずとした歩き方は、朱堂のようなわざとらしい女歩きでもない、極平均的なおしとやかな女性の歩き方であった。
イスに座り、隣の八千穂ににこっと笑う。
やはりにこっと笑みを返して、八千穂は前に向いた。
授業が終わり、休み時間に改めて挨拶をする。
「おはようっ!あたし、八千穂明日香。これからよろしくねっ!」
「はい、よろしくお願いします、八千穂さん」
鈴を転がすような、と言うのだろうか、少女らしい透き通った声音に、八千穂は女同士なのに何となく照れくさくなって、えへへと鼻の下を擦った。
「あ、あのさ、葉佩さん。その…制服、どしたの?」
真っ向からの質問に、教室にいる学生たちの話し声が小さくなる。耳を澄ませている周囲に気づいているのかいないのか、葉佩はきょとんと小首を傾げた。
首を傾げる、ではない。小首を傾げる、である。
その実に少女めいた可憐な様子に、八千穂が赤くなった。
「あっ、ごめん、何でもないっ!」
慌てて手を振る八千穂に、自分の制服を見下ろしていた葉佩が安堵したような戸惑ったような笑顔を見せた。
姿も声も仕草も少女なのである。名前と制服が男なくらい大したことはない。
そして、周囲の学生たちもお喋りに戻った。
あの八千穂でさえ聞けなかったのだ。自分たちに聞けるはずが無いではないか。
<貴方は、女子?それとも男子?>
なんて、失礼なこと。
昼休みになり、八千穂は葉佩を学園の案内に連れ出した。
「えっとねー、ここが三年生の教室でしょ、それから…あれ?ピアノの音?」
ひとしきり怪談の解説をしてから音楽室を覗きに行く。
「あ、A組の取手くんだ」
「まあ…立ったままピアノを弾かれているのかしら…随分弾きにくそうですけれど…」
「うーん、でも曲を弾いてるって感じじゃないね〜」
暗いまま何をしてるんだろう、と思わないでも無かったが、八千穂はさっさとそこを離れた。
「それから二年の教室で〜、一階は職員室とか保健室とか…あ、ルイ先生いないんだ」
保健室の扉をがちゃがちゃさせてから、八千穂は振り向いた。
「中国から来てる先生でね、すっごく美人なんだ。カウンセリングもしてくれるし、一度は話をしたらいいよ!」
「中国から?楽しみですわね」
「うん、期待してて!あ、もちろん、雛せんせいも相談に乗ってくれるよ?雛先生は新任の先生で、熱心なんだ」
八千穂の説明ににこにこしながら葉佩は大人しく付いていっている。
「えーと、それからここは売店。夕方には閉まっちゃうから、昼休みとかに買い物を済ませておくと良いよ。だいたいお昼ご飯はマミーズっていうファミレスか、ここのパンを買って食べるんだ」
葉佩は説明を聞きながら、ふっと振り向いた。
腰を落として近寄ってきていた老人と目が合い、老人はわきわきさせていた手を残念そうに降ろして背を伸ばした。
「何じゃ、見ない顔じゃのぅ」
「あ、境さん!駄目だよ、この子はうちに来た転校生なんだから、変なことしちゃ!」
「変なことぉ?変なことっちゅうと…こんなことかのぅ」
電光石火の早業で八千穂のスカートをめくった境が、八千穂の右アッパーで壁にのめり込む。
目を丸くして眺めていた葉佩が、宥めるように八千穂の腕を叩いた。
「あの…可愛らしいパンティでしたわ」
「…それ、慰めてるつもり?」
「ごめんなさい」
悄げる葉佩に八千穂はそれ以上何も言えなくなって、壁にめり込んだ境に文句を付けた。
「こんのエロジジィ!いい加減にしなさいよっ!」
「ほよほよほよ〜」
呻きながら壁からずり落ちた境が、モップを支えによっこいしょと立ち直る。
「しかしのぅ、これは儂の生き甲斐じゃからのぅ…転校生じゃったか、お前さんもスカートをはかんか」
「あら」
緑色の目を丸くして、葉佩は笑いながら答えた。
「嫌だわ、わたくし、スカートなんて」
「何でじゃ、女子なら女子らしくせんかい」
ますます目を丸くした葉佩が、細い指を顎に当てて困ったように微笑んだ。
「だって、わたくし、男子ですもの。女装なんてしたくありませんわ」
境は何も言わなかった。
八千穂も何も言えなかった。
買い物に来ていた周囲の学生も無言だった。
何故か訪れた沈黙にきょろきょろと見回す葉佩の手を取って八千穂はその場を離れたのだった。
「それでね、上には通称石研っていう遺跡研究会って言うのがあってね、その上が屋上なんだけど…」
微妙に上擦った明るい声で説明していた八千穂が、ふと足を止めた。
「…あ、白岐さん」
廊下の窓ガラスに寄り添うようにして、髪の長い少女が外を見つめていた。
気配を感じたのか、振り返る。
やや目を眇めて見つめる様子は、近眼の人間が遠くを見ているような様子を思い出させた。
しばらくそうして葉佩を見つめた後、白岐は低く言った。
「…こんにちは」
「こんにちは。同じクラスの方でしたわね」
にこ、と微笑む葉佩をまた見つめて、白岐はますます低く呟いた。
「貴方は、呪われているわ…」
葉佩は何度か瞬きをした。
八千穂はあわあわと手を振る。
「あの…それはどういう意味でしょう…」
「あ、あのっ!白岐さん、今、葉佩さんを案内してる最中だから、また今度っ!」
大声で遮った八千穂は、葉佩の腕を掴んで引きずっていきつつ、空いた手で白岐に手を振った。
白岐は二人が角を曲がって姿を消すまで、ずっと見つめていた。
屋上に繋がる扉の前で、ようやく八千穂は手を離した。
「あ〜、びっくりした〜」
「あの…あの方はどういう…宗教関係か何かでいらっしゃる?」
「そんなことないよ〜。普段から口数は少ないし、この学園は呪われている〜とか呟くけど、人に言うことは滅多に…」
全然フォローになってないそれに、葉佩は首を傾げた。
「幸運の壷とか売っていらっしゃるんでしょうか?」
「…そんな話は聞いたこと無いけど」
「では、何故あのようなことを…わたくし初対面で呪われていると言われたのは初めてです」
白岐と友達になりたい八千穂としては、本格的に同意もできず困った状況だったが、葉佩は気を悪くしているのではなく心底不思議そう、というか、むしろ感心しているような雰囲気だったので、安心した。
屋上の扉を開けて、葉佩を案内すると、気怠そうな声が響いてきた。
「うるせぇなぁ。転校生如きで騒ぎやがって、おめでたい女だ」
「皆守くん!またさぼり!?」
「俺は安穏たる眠りという生産活動を行っていたのさ」
よっと身を起こした皆守は、思わずアロマパイプを落とすところだった。
目の前にいるのは、金髪緑瞳の美少女。
思わず事前に知らされていた書類を思い返す。
名前:葉佩九龍 性別:男性。
何かの間違いか、と八千穂の顔と葉佩の顔を交互に見る。
「あ、同じクラスの方なんですね。葉佩九龍と申します。以後、よしなに…」
優雅に一礼する葉佩に、もごもごと唸っておいて、それでも何とか体勢を立て直す。
「この学園で、楽しく過ごしたいのなら、生徒会に目を付けられないよう気を付けることだ」
「肝に銘じておきますわ」
柔らかく微笑んだ顔は可憐だったが、目の奥の面白そうな光は、皆守の言うことなど聞き入れそうにない強さを持っていた。
放課後になって鞄に教科書をしまっている葉佩の前に、皆守が立った。
「おい、転校生。お前、男子寮なのか?」
「はい、そうですわ。096号室を頂いております」
「じゃあ、一緒に帰ろうぜ。うろうろしてると生徒会がうるさいからな」
確かに096号室は空き室だったし、皆守とてそこに転校生が入ってくるくらいの情報は得ている。
だが、目の前の美少女が男子寮に住むとはちょっと考えにくく、念のため聞いてみたのだが、さらっと肯定されたためそれ以上何も言えなくなる。
皆守は急ぐでもなくのろのろとグラウンドを横切っていった。
半歩下がって付いてくる転校生は、皆守より頭一つほど小さい。
何でこれが男子寮なんだ、何で本人はそれで当たり前と思ってるんだ、そもそもこれは本当に男子なのか。
色々と聞きたいことは山盛りだったが、結局、面倒くさい、との結論に達して、皆守は本人の態度通りにこれを男子として扱うことに決めた。
男子寮の前でマミーズのウェイトレスに会ったが、開口一番
「おぉっとぉ!皆守くんも隅に置けませんねぇ!」
などと言われたので無視して速攻で寮の中に入った。
寮の階段の踊り場で別れを告げる。
「夕飯は下の食堂でも良いし、マミーズに行っても良い。それから入浴の時間があるが、あんまりでかくないんで部屋のシャワーで済ませる奴もいる。じゃあ、後でな」
夕食を下の食堂で取った葉佩の噂は、当然その日のうちに男子寮を駆け巡った。
男子生徒ABCが、脱衣場で服を脱ぎながらぼそぼそと話し合う。
「見たか?あの新しい転校生」
「おぉ、見た見た!金髪の美少女!あんな可愛い子と学校生活を過ごせるだなんて、こんな幸せがあっていいのだろうか!」
「いや、でもさ、男子寮にいるんだぜ?学ラン着てるし」
「それがどうした!可愛ければそれでよし!」
「いやさ、俺が怖いのはさ…ひょっとして、朱堂の同類じゃないかってことで…。たとえて言うなら、ゴブリンの上位種がホブゴブリンなように、名付けてホブすどりんという…」
「ホブすどりん…ま、まさか、マジで男!?オカマ!?」
「そう、でさ、世界中を回って来たんだろ?それで手術であの外見になったという…」
「マジで男だとすると…この萌えの行き場所はどうしてくれる!」
「俺たちに出来るのは、あれに萌えることではなく、ホブすどりんとして馬鹿にすることだろう。男なのに、あんな格好になっちまって、と嘲笑うんだ!…そうでもなきゃ…俺は…俺は…うぅ…」
「泣くな、友よ!」
がしっと男子生徒ABCが肩を抱き合っていると、脱衣場の扉ががらっと開いた。
「ここが脱衣場だ。…結構いるな。本当に、風呂に入るのか?」
「えぇ、わたくし銭湯というものは初めてですので、至らぬところがありますかも知れませんけど…」
(風呂、キターーーーーーーーーーーー!!!!)
(連れてくんなよ、皆守ぃ〜〜〜〜〜〜!!!!)
無言で阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れる中、疲れたような顔の皆守が、脱衣籠を手に取った。
「じゃ、適当な籠を選んでそこに脱いだ服を入れるんだ」
「はい」
(落ち着け、落ち着け、落ち着け…)
(あれはホブすどりんホブすどりんホブすどりん…)
(偽物のおっぱいに騙されてたまるものか…)
ぶつぶつ呟きながらも目を離せないでいる周囲の注目を浴びながら、葉佩はさらっと学ランを脱いだ。
中のシャツを脱ぐと、白いランニングが現れる。いかにも男子高校生が使いそうな代物だ。
「あ〜…葉佩」
「はい、何か?」
「お前は、あれか。その…ノーブラ派か」
はぁ?と葉佩は怪訝そうに首を傾げる。
皆守は見下ろした先でランニングの隙間から見える谷間や、綿の下から押し上げている突起を見ないようにして、ぐったりと頭を振った。
「いや、何でもない…忘れてくれ…」
「いきなり何を仰るかと思いましたわ。そうですねぇ、女の子は胸の形も気にしないといけないと思うんです。胸がある程度あれば、ブラジャーで支えておいた方がよろしいでしょうね。男としては、ノーブラ姿を見るのは楽しいですけど」
ころころ笑いながら付け加えた葉佩に、無言の突っ込みが宙を舞ったが、本人は気づいていないようだった。
ランニングも脱ぎ捨てて、白く形の良い乳房を丸出しにして、今度はズボンに手をかける。
中から現れたトランクスに手をかける前に、皆守は微妙にそっぽを向きながらタオルを差し出した。
「下にタオルを巻いて行くのが普通だ」
「あら、ありがとうございます」
トランクスをつるんと脱いで、葉佩はタオルを巻いた。
当然、胸の方はそのままである。
白く盛り上がった乳房ににピンク色の乳首というあからさまなものを露骨に出された姿に、男子生徒ABCは撃沈した。
(もういい…俺は頑張った…)
(たとえホブすどりんでもいいんだ…我が人生に一片の悔い無し!)
自分のせいで鼻血を吹いたり下を押さえる者が続出していることには気づかず、葉佩は浴場へと入っていった。
皆守の指示通り体と髪を洗い、浴槽に向かう。
するりと足を滑り込ませたところで、すでに入っていた学生が振り向いた。
どうやら近視らしく、目を細めてガンを付けるような凶悪な視線で、不機嫌そうに言う。
「ちょっと、あんた。誰だか知らないが、タオルを浴槽に漬けないで欲しいっすね。マナーってもんがあるっしょ」
「あら、ごめんなさい」
聞こえた声が、愛らしい少女のものだったので、近視の学生…夷澤は目を剥いた。
その目の前で、はらりとタオルが外された。
「なっなっなっなっ何なんだ〜〜〜!!ちょっと、あんた何者!?」
「わたくし、本日転入いたしました葉佩九龍と申します」
「って、んなこと聞いてねぇ〜!」
鼻を押さえて、更に前屈みで走って出ていくという後輩の姿を見送って、葉佩はきょとんと小首を傾げた。
「…のぼせたんでしょうか。日本って感じですわね」
とりあえず、誰も突っ込む者はいなかった。
新しい転校生が、どう見ても女子、上も下も女子、という噂は、日付が変わる前に男子寮全体に回っていったのだった。