アニマロイド 7


 


 半年、というのは、瞬く間に過ぎた。
 葉佩もそれにばかり構っているわけではなく、基本的に自分の仕事は着実にこなしていたから、カマチもまた忙しい毎日を送っていたのだ。
 時折日本に帰ってきて落ち着くと、留守だった頃のニュースにざっと目を通す。
 カマチにはよく分からなかったが、葉佩の解説によると、フレンドル社の脱税疑惑、遺伝子取り扱い国際基準違反疑惑、それに関して遺伝子取り扱い日本基準の法律確立を強力に推していた政治家に対する寄付金疑惑、その政治家の裏金疑惑…と芋蔓式に悪事が露呈していっているらしかった。
 それのどこまで葉佩が関係しているかについては、笑うばかりでカマチには教えてくれなかったが。
 そうして、1名の大臣が降格され、数名の国会議員が告訴される。
 彼らに金を供給する代わりに保護されていたフレンドル社も、次から次へと内情を暴露されていった。
 ついにはフレンドル社アニマロイドの全回収という騒ぎにまでなったが、もちろん葉佩は自分の購入データをとっくに破壊していたので素知らぬ顔をしていた。結局その騒ぎは一般の購入者の反対運動にあって立ち消えとなる。
 フレンドル社総帥は告訴され、懲役刑に処された。
 息子に関しても、これまで圧力に屈していたマスコミはその鬱憤を晴らすかのように連日悪行を書き立てて、これもまた告訴されていたが、現在逃亡中で公の場には姿を見せていなかった。

 「さて、と。行こうか」
 散歩にでも行くかのような気軽な調子で葉佩は部屋を出る。
 カマチももちろん、付いていく。今日はカマチの日なのだ。
 この交代制には性格が現れていて、カマチの日のカスカはほとんど姿を見せず、愛するマスターが他のアニマロイドといちゃついている様子など見たくない、という態度を崩さないし、カスカの日のカマチは、邪魔はしないものの、少し離れたところから耳を伏せて悲しそうな目できゅんきゅん見つめているのだった。
 葉佩としては、もちろんその日の相手を可愛いと思っているのも確かだが、当番ではない相手も可哀想で、ますます翌日には愛情表現するといった具合で他人から見ればやり過ぎなほど二人を可愛がっている。
 そんなわけで、姿を見せないカスカに行って来ますと声を掛けて、カマチを従えた葉佩はロゼッタ支部から外へ出た。
 日が高く暑いほどの駐車場でエアバイクを始動させ、カマチを後ろに乗せた。
 「しっかり掴まってろよ」
 「…はい、マスター」
 「相変わらずだな」
 いつまで経ってもマスターと呼ぶカマチに苦笑しつつ、葉佩はエアバイクで飛び出した。
 巧みなテクニックでエアカーを次々と追い越して向かった先は、国際空港だった。
 ロゼッタの任務で外国に出る時には、ロゼッタ専用機を利用するため、一般玄関をくぐるのはカマチは初めてである。
 混雑した人混みにきょろきょろしていると、葉佩が手首を掴んですたすたと歩き出した。
 呼び出しや案内の声、それに人がざわざわする音で一杯の場所に、カマチは顔を顰めた。フードの中の耳が嫌そうに伏せられる。
 葉佩は確固たる足取りでロビーを横切り、人混みからやや離れた休憩所でカマチの手を離した。
 自動販売機の紙コップのジュースを買い、ゆっくりと口を付ける。
 「程良い空き具合だ」
 辛うじてカマチに聞こえるほどの小さい呟きをこぼして、葉佩は喉で笑った。
 自動販売機のすぐ近くにあるトイレは、女性用がやや混んでいるものの男性用はほとんど人気が無かった。
 しばらくして、ロビーの方から一人の男が歩いてきた。
 カマチのようにフードを被って、背中を丸め、まるで酔っているかのようにおぼつかない足取りで近寄ってくる。
 それが、誰かということに気づいて、カマチは牙を剥きだした。
 葉佩が紙コップを手に、背を屈め、カマチの顔を間近から覗き込む。
 他人からは内緒話をしているか、キスでもしているかのような姿勢で肩を揺らして笑う。
 「殺気は抑えろ。気づかれたら困るだろう?」
 仲良く喋っているように見える男二人組をちらりと見て、フードの男は男性用トイレに入っていった。
 葉佩が手にした紙コップをゴミ箱に放り込む。
 カマチを促して、ゆっくりと男性用トイレに向かい、素早く周囲をチェックして誰も見ていない瞬間に懐からだした『清掃中』の札を入り口に掛けた。
 男性用トイレのドアを開け、中に入り、ドアが開かないよう細工する。
 用を足していた男が振り返った。
 ドアを背に、葉佩が笑う。その隣に立つカマチがゆっくりと自分のフードを外した。
 黒髪から突き出ている灰色の耳に気づいて、男は濁った目でカマチと葉佩を交互に見つめた。
 「…個室でお楽しみってんなら、俺はすぐに出ていくぜ」
 下卑た笑いに、葉佩は一瞬虚を突かれた顔になった。2秒後に意味を理解して、鼻に皺を寄せる。
 「どこまでも…てめぇの頭の中には汚泥しか詰まってないのか」
 カマチが身を屈めた。
 服を振り落とし、犬型になる。
 まだ自分がどういう状況にあるのか気づいていないらしい男に、カマチは身を低くして唸った。
 「…この姿に、見覚えはあるかい?…よくも…姉さんを…」
 「姉さん?」
 繰り返して、男はじろじろとカマチを見た。そして肩をすくめて笑う。
 「さあなあ。いちいち覚えちゃいねぇよ」
 今にも飛びかかりそうな大きな犬に怯える様子は無い。
 せっかく身一つで国外逃亡を図るくらい追い詰めたのに、どうせなら迫り来る死に怯えて泣き叫ぶくらいじゃ無いとつまらない。
 不服そうに唇を尖らせた葉佩に、男はへらりと笑った。
 「何のつもりか知らねぇが、こいつ、うちのアニマロイドだろ?うちのには、マスターに対する忠誠に加えて、親父や俺に対する忠誠も組み込んでるんだ。こいつがいくら唸っても、俺に傷一つ入れられねぇよ」
 あぁ、と葉佩は納得して、にっこりと笑った。
 「忠誠システムは消去してるんだ」
 は?と男が目を剥いた。
 「忠誠システムって嫌いなんでな。買って、速攻で外した。こいつは俺に牙を立てることもできるし…もちろん、お前を殺すことも出来る」
 「…脅したって、無駄だぜ?そんなこと、出来るわけねぇだろ?」
 威勢の良いセリフとは裏腹に、足がもつれたように男は一歩下がった。
 「試してみよう。…さ、好きなようにしろ。お前の望み通りに」
 カマチは僅かに頷いた。
 そうして、遠吠えをするように喉を反らせる。
 見かけは、何も変わらなかった。
 怯んでいた男の顔に安堵が浮かび、じわじわと嘲笑に取って代わる。
 「何だ、こけ脅しかよ」
 金色に光る獣が、ずりずりと下がって、落ちていた服に潜り込んだ。
 しゅるりと衣擦れの音と共に人型に戻り、来たときと同様にフードを被る。
 拍子抜けをした顔で、葉佩がカマチを見上げる。
 「…良いんだ。ここで殺して悲鳴を上げられても困るし。マスターに迷惑がかかるのは不本意だしね」
 「俺のことなら気にしなくて良いのに。裏をくぐるくらい訳無い」
 ぶつぶつ言う葉佩にカマチは微笑んだ。
 そうして、姉の敵に冷ややかな視線を向ける。
 「…内臓の精気を吸い取った。今、お前の内臓は、100歳の老人並になっている。…心筋梗塞で死ぬもよし、脳出血で死ぬもよし…呼吸もし辛いぼろぼろの体で生きていくもよし…お前は<自然死>するんだ」
 「うわぁ、えげつない」
 思わず呟いた葉佩に心配そうな顔を向けたので、葉佩は安心させるようにカマチの腕を叩いた。
 「それでこそ、復讐ってもんだ。面白い。せいぜい観察させてもらうとしよう」
 上機嫌で背を向けた葉佩に、男が「待ちやがれ!」と怒鳴りかける。
 だが、言葉にはならずに掠れた音がひーと鳴るだけだった。
 ぜいぜいと息をする男の膝が崩れた。
 トイレの床に転がる仇敵を後目に、葉佩とカマチはトイレを出た。
 手品師のような素早さで『清掃中』の札を回収した葉佩は、すたすたと自然な速度でロビーに向かった。
 そうして空いていた椅子にカマチと隣り合わせに座る。
 「どのくらい保つと思う?」
 フードに口を寄せ囁くと、カマチは困ったように眉尻を下げた。
 「さあ…100歳でも元気な人はいるからね…あいつの内臓は、元々ぼろぼろだったけど」
 遠目に、トイレから男がよろよろと出てくるのが見えた。
 フードも捲れて、鬼気迫る表情が丸見えだ。
 ぞくりと背を震わせ…もちろん恐怖にではなく、官能を感じてだが…葉佩は更に見つめた。
 誰かが、男の名を当てた。
 告訴されているのに逃げ回っている男の顔は、人々には見慣れたものだったので、好奇心に満ちたざわめきがロビーに広がる。
 マスコミ関係者だろうか、数名の男がカメラやパソコンを手に男に走り寄った。
 男は怒鳴ろうとした。
 その「何故自分がこんな目に遭わなくてはならないのか」という憤怒に光る目と、葉佩の面白がっている目が合った。
 男の顔が、真っ赤に染まったのが見えた。
 そうして、胸を押さえて崩れ落ちる姿を最後まで見届けることなく、葉佩はカマチを促して席を立った。
 
 
 ロゼッタ支部の自室に戻ると、部屋の中ではカスカがテレビを点けていた。
 「お帰りなさい、九龍」
 テレビには、空港ロビーと興奮して喋るレポーターが映っていて、カスカはカマチにも分かっているとでも言うように頷いて見せた。
 「救急車で運ばれたけれど、到着した時には、もう手の施しようが無かったのですって」
 さらりと言って、カスカはテレビを消した。
 途端に静かになった室内に、カマチは安堵したように息を吐いた。
 「カマチは聴覚が鋭すぎて大変だな。…よし、とりあえずお茶を入れよう。ゆっくり乾杯するのも悪くない」
 葉佩は神経が鈍磨するのを嫌ってアルコールは嗜まない。アニマロイドたちはアルコール分解能力があるので酒を飲めることは飲めるが酔うことはなかった。
 「僕がやるよ」
 「そうか?じゃ、俺はお菓子でも出すかな。何があったっけ」
 冷蔵庫に向かう葉佩と逆方向へ行き、ポットの湯を沸かし直す。
 そうして穏やかな昼下がり、3人はテーブルを囲んでティーカップで乾杯した。カスカのは人形遊び用のような小さなものなのでこぼさないようにそっと当てる。
 ふーっと満足そうに息を吐いて目を細める葉佩に、かまちはカップをテーブルに置いて改めて体を向ける。
 「…ありがとう。貴方がいなければ、姉の敵は討てなかった」
 「貴方、なんて他人行儀なのは止せよ。いつも通り『君』で良い」
 「うん。…本当に、ありがとう…九龍」
 最後に付け加えられた名前に、葉佩は破顔した。
 カマチが意固地にマスターと呼ぶのは、何か拘るものがあるのだろうと放置していたが、ようやく卒業できたようだ。
 カマチは忠誠システムなど無くても大人しく葉佩に従っていたが、これで本当の意味で<マスター>と<所有物>の関係から脱却出来るのだろうか。
 元よりアニマロイドの人格というものを信じており、対等な関係を築きたいと思っている葉佩にとっては願ってもないことだ。
 にこにこと嬉しそうに笑う葉佩を見て、カマチも幸せそうに微笑んだ。
 「これで僕も…君のことだけを考えていられる」
 「これからもよろしくな、カマチ」
 「僕の方こそ」
 目の前で盛大な愛の告白が行われ、それがさらっとスルーされたのに気づいたのはカスカだけであった。
 もちろん、カスカはそれを指摘する気は無かった。
 これからどんな関係になっていくかは分からないが、ともかく自分は愛する九龍の半分は確保しているのだ。
 自分の日にまで影響を及ぼしたら怒るが、そうでない限りはカマチのすることは多めに見よう。今まで通り部屋から出て、見なければ神経に障ることもない。
 カスカは小さなティーカップを置いて、ちらりとカマチに目をやると、うん、と頷いたので頷き返してテーブルから滑り降りる。
 どうせこの体ではお茶の用意をすることも、片づけをすることも出来ないのだ。
 後片づけは恋敵に任せるとして、自分は引っ込んだ方が良さそうだ。
 どうせ、片づけも葉佩と二人で楽しんでやるに違いないのだし。
 カスカは寝室に入り、ベッドの上の日溜まりに横たわった。
 全ては平和で、世界は愛に満ちている。
 そのことに満足して、カスカはそっと目を閉じた。






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