アニマロイド 6




 葉佩がゆっくりとソファに身を沈め、カマチの煎れてくれたお茶を飲んでいると、来客を知らせる電子音が鳴った。
 画面を覗いて夕薙だと確認して招き入れる。
 「よっ」と葉佩及び室内のアニマロイドに手を挙げてみせ、夕薙は葉佩が座っていたソファの対面に腰を下ろした。
 カマチが音もなく立ち上がってキッチンの方へ向かうのを横目で見ながら、葉佩も元の位置に座る。
 2,3の情報交換をした後に、夕薙の表情が改まったものになったので、これから本題か、と葉佩もやや神経を尖らせる。
 そこで、かまちが湯気の立つ茶碗を盆に乗せ戻ってきた。
 「どうぞ」
 夕薙の前に置かれたのは、お茶漬けである。それも使い捨てプラスチック容器に白米に茶がかかっているというだけの代物。
 数瞬、ベッドの中でコブラと対面したかのような表情でそれを見つめた夕薙が、顔を上げると、カマチは入り口の扉の横に掃除機を立てているところだった。
 その上に雑巾を乗せるところまで見てから、夕薙は呆然とした声を出した。
 「…意味を聞いてもいいか?」
 自分の犬の…今は人間型だが…行為を、愛情たっぷりに目を細めて見ていた葉佩が、軽やかに解説した。
 「最近、カマチには<呪い>について学習させているんだ。カマチは実体の無いものにも攻撃可能だが、それでも<呪い>について知っておくと便利だろう?」
 「<呪い>なんてあり得ない。全ては科学で解明できるはずだ」
 眉を顰めて持論を述べる同僚を見て、葉佩は肩をすくめただけで反論しなかった。
 「だが、<呪い>について情報を得ておくことは有用だろうな。…だが、それとこれとが、どんな関係があるんだ…」
 「ま、どうせならふやけないうちに食ったら?」
 プラスチック容器に盛られた茶漬けをもうひとしきり眺めた後、夕薙は割り箸を手にぼそぼそと食べ始めた。
 手を洗ったカマチがキッチンの方から見ているのに気づき、葉佩は手招きして呼び寄せた。
 「カマチ、夕薙はアメリカ育ちだから、京都の嫌味は通じない。詰めが甘かったな」
 しょぼん、と耳を伏せさせてカマチがおずおずとソファの隣に腰掛ける。すぐ立てるように浅く降ろした腰を奥まで押しやりながら、葉佩はカマチの頭を撫でた。
 「それに、あれは」
 と、玄関の掃除機と雑巾を指さして
 「たぶん、箒を上に向けて立てかけて、布巾を巻く、という<まじない>だとは思うが。アレンジし過ぎだ」
 「だって、箒なんて無いし…掃除機に布巾を巻くなんて、非衛生だし…」
 「まあな」
 出来の悪い生徒が頑張ったのを誉める教師の顔で…と言うにはやや愛情過多だが…葉佩はカマチの額にキスしてやった。
 ずるずると茶漬けをすする夕薙が、ぼそぼそと突っ込む。
 「いい加減、解説して欲しいんだがな」
 「ホントに聞いたことないか?『ぶぶ漬けでもどないですか?』って」
 夕薙が箸を止めてしばらく考えた。イライラしたらしいカマチが足を揺するのを手で止めて、葉佩はカマチの頭を引き寄せて自分の肩に乗せた。
 黒髪と灰色の耳を撫でていると、夕薙がようやく思い当たったらしく目を光らせた。
 「聞いたことはあるな。昔の京都で客を断る時の言葉だとか何とか」
 「そうそう。俺も何でそれが断る言葉なのか知らないけど」
 「あれも、客よけか?」
 夕薙が指さした玄関を見もせずに葉佩は苦笑した。
 「いや、あれは客が早く帰りますようにって言うまじない」
 「嫌われたものだな」
 その言葉に、大人しく葉佩に撫でられていたカマチが目を上げる。
 「いや…昨日か、明日なら歓迎したけど」
 くぐもった声に、夕薙が眉を上げる。
 「何か用事でもあったのか?」
 「…昨日か明日なら…私が不愉快になったけれど…」
 それまで姿を見せなかったカスカが扉からするすると這い出て夕薙の側のソファに登った。
 「珍しいな」
 カスカはほとんど葉佩から離れることは無い。腕や首に巻き付いているか、懐でとぐろを巻いているかのどれかだ。
 離れているのも珍しいし、わざわざ主の側でなく、夕薙のソファに来るというのも初めてのことだ。
 「今日は…彼の日だから」
 眉を顰めながらも、諦めた様子で肘を突く。
 ますます怪訝そうな顔になった夕薙に、葉佩は解答を与えることにした。
 「二人が決めたんだ。一日交代で、俺といちゃいちゃするって」
 「いちゃいちゃ?」
 「二人とも焼き餅妬きでね」
 溜息を吐いたが、そう悪くない様子で葉佩は引き寄せたカマチの頬に口づけた。
 お返しを受けながら、続ける。
 「どっちかと話してると、必ずもう一人も割り込んでくるし、俺をおいといて喧嘩するし…で、話し合いの結果が、一日交代のいちゃいちゃ」
 「それで今日は…」
 「カマチの日。で、せっかく俺と二人でお茶を楽しんでいるところを邪魔されたので怒ってるってわけ」
 くっくっと笑って、葉佩は夕薙を見つめた。
 「俺の可愛いバディのちょっとした焼き餅を、本気で怒ったりしないだろう?」
 「まあ、な」
 苦笑して顎を撫でながら、夕薙は頷いた。
 最初に会った時は、姉を殺されて怒り狂っている獣だった。
 それがまるで子犬のようにじゃれているのを見て、目を細める。
 そのまましばし無言で茶漬けを啜る夕薙に、カマチがちらりと目をやった。主を見つめるうっとりとした視線とは真反対の、「早く帰れ、さもなきゃお前を取って食う」と言っているような気配に、夕薙は最後の一口を咀嚼した。
 「さて、と。それだけ懐いているんなら、それで良いかとも思うんだが…」
 歯切れの悪い夕薙の様子に、葉佩は用件を理解した。
 こちらも彼の犬を見る視線とは異なる凍えた目になり座り直す。
 「何か、新しい動きでも?」
 「まあな。そろそろ牙城が崩壊しそうだ」
 己に関することだと気づいたカマチが葉佩にもたれていた頭を立て直した。
 「…フレンドル社の?」
 「あぁ。税務局が動き出した」
 「…税務局」
 カマチの不服そうな繰り返しに、夕薙は指を振った。
 「あのアルカポネも捕まったのは脱税の罪でだった。殺人だの器物破壊だのは、立証できなかったりトカゲの尻尾が捕まったりするが、脱税はその組織のトップにまでメスが入るんだ」
 カマチにアルカポネが誰か、とか何をした人間か、という知識は無かったが、詳しい説明を要求してマスターとのラブラブ時間を削る気は無かった。
 黙っているカマチの頭を撫でてから、葉佩は身を乗り出して夕薙の提示する情報画面に見入る。
 「まだまだじわりと包囲が始まったってところだな。ひょっとすると、うまく逃げるか誰かが犠牲になるかするだけで終わるかも知れないが…」
 「でも、そろそろフレンドル社が鼻につきだした人間もいるし…栄華もここまでかな」
 誰、とは言わなかったが、葉佩の上得意には政治家の上層部も存在するのだ。今の内閣はそこそこ順調にいっているが、内部では熾烈な派閥争いも繰り広げられている。フレンドル社と濃厚に通じている大臣の失脚を望む者も存在する、ということだ。
 葉佩が喉を鳴らして笑った。
 基本的に政治屋の争いごとに興味は無いが、そうやって絶頂の人間が追い落とされていくのを見るのは好きだった。殊に、そうなるように自分がちょっぴり手を加えた場合には。
 「大丈夫だよ、カマチ。ちゃんとお前が手を出せるよう、巣から追い出してやるから。お前は、どうしたいのか考えてなさい。…でも、あんな腐った体から出た血が付いてる間は、撫でてやらないからな」
 「…それは、辛いな」
 真面目な声で答えるカマチに笑いかけ、葉佩はそのままの顔で夕薙に向いた。
 「サンキュ、夕薙。後はこっちでやるよ」
 「あまり無茶はするなよ?」
 「前向きに善処します」
 全くやる気のない答えに苦笑しつつ夕薙は立ち上がった。
 座ったままの葉佩が手を振ると、カマチがさっさと夕薙の前に立ちドアを開いた。
 お出口はこちら、と言う手つきをされ、早く帰れってことか、と夕薙は苦笑の<苦>の部分を深めながら足を早めた。
 そうして出ていく直前に振り返り、小さく囁く。
 「葉佩は人を殺すのを厭わない。その気になれば、犯罪行為だってお構いなしだ。…だが、俺としては友人にそんなことはして欲しくない。…分かるな?」
 無表情に見つめ返すカマチの胸を拳でとんと叩いて、夕薙は出ていった。
 ロックを掛けて戻ってきたカマチを呼んで、葉佩は机の上の3D装置をオンにした。
 テレビを見るよりも、葉佩に遊んで欲しいカマチは僅かに眉を顰めたが、黙って隣に腰を下ろす。
 その頭を引き寄せて耳のあたりを撫でながら、画面の方を見たまま聞く。
 「夕薙が何か言ったか?」
 「…うん」
 「そうか」
 何を、とは問わずに、葉佩は手元のHANTを操作する。
 現れた画面は少し荒く、固定されていないのか見ていると浮遊感を覚えさせるものだった。
 空、高層ビル、路地、マンション…様々な映像が映し出され、ふわりとそれはマンションのベランダに降りたようだった。
 「…これは?」
 「アニマロイドじゃない。普通のロボットだ。…鳩型のな」
 機械の鳩が振り返り、一面の空が映し出される。
 ぴっぴっと電子音が小さく鳴る度に画像が拡大されていく。
 そうして高層ビルの最上階の部屋に焦点が合った。
 粗い粒子の画像の中で、しまりのない肉付きの男が半裸で部屋の中をうろうろとしているのが見えた。
 首筋の毛を逆立たせ、殺気を迸らせたカマチの頬にキスして、葉佩は残念そうに呟いた。
 「夕べ、あれが届いたはずなんだが。とり殺されては無いようだな」
 「…霊なんかに殺されてたまるものか」
 「そうだな。…第一、あの糞野郎は相当鈍そうだ」
 喉で笑って葉佩は画面を消した。
 「今は、まだ駄目だ。あいつは守られているし、罪悪感の欠片も感じていない。…ま、あの糞が罪悪感なんてものを知っているかどうか疑問だが」
 人型を取っているのに鋭く伸びたカマチの爪に唇を落とす。
 「どうせなら、絶望のどん底に突き落としてやろう。世界中の誰もが敵になり、誰も助けてなどくれない状況を味合わせてやろう」
 カマチには、やや理解しがたい希望だった。
 無論、姉の敵としてあの男を殺してやりたいが、カマチとしては殺せれば良いのだ。相手が絶望を感じていようがいるまいが、どうでもいい。
 ただ、あの男以外の人間を殺す気は無いので、ボディガードなどがいない状況が望ましいのは確かだが。
 「…どのくらい、待てば良い?」
 「お利口だな、カマチは」
 葉佩はカマチの頭をぎゅーっと抱き締めた。
 葉佩にとっては、カマチは人型を取っている時でも<犬>だ。現在の見た目で言えば、男同士でいちゃついて見えているという事実には全く興味が無いし、気づいてさえいない。
 「半年以内には。むしろ、他の人間に先を越されないよう気を付けないといけないかもな」
 






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