アニマロイド 5





 梯子から下に降りると、途端にひんやりとした空気に包まれ背筋が粟だった。葉佩に霊感はほとんど無いが、<見える>人間にはさぞかし色んなものが見えているだろう。
 懐からカスカが滑り出し、葉佩の首に巻き付いた。肩のあたりで両腕を広げている小さな上半身に、葉佩は唇だけで囁いた。
 「どう?いけそう?」
 「…まだ、大丈夫…」
 時々何かを払い落としているかのように身を震わせているカマチが、ちらりと見上げてきた。
 「カスカは、こういうの結構得意なんだよ。お祓いって言うか、霊障を防御するって言うか」
 説明する葉佩に、カマチはまっすぐ前を向いて、くぐもった声で呟いた。
 「僕も…出来るけど。追い払った方がいいのかい?」
 葉佩には何も見えないが、アニマロイドたちには何か見えているのだろうか。少し考えてから、
 「とりあえず、支障は無いからいい。やばそうなら頼むよ」
 「えぇ…私が、九龍には指一本触れさせないわ…」
 カマチに言ったつもりの葉佩は、耳元でカスカが答えたので目をぱちくりさせた。
 「僕の方が、攻撃力は高いよ」
 「あら、貴方は霊を攻撃して消滅させるのでしょう?彼らは導けば素直に帰ってくれるのに」
 「そう。じゃあ、君はそうすればいい。僕は僕のやり方でマスターを守るから」
 「えぇ、そうするわ。私のやり方は、霊に余計な刺激を与えないもの」
 何だか雰囲気が剣呑だ。
 「えーと。仲良くして欲しいんだけどな」
 「えぇ、もちろん。それが貴方の望みなら」
 「あぁ、もちろん。それが君の望みなら」
 返事は綺麗にハモっていた。
 葉佩はアニマロイドを所有したのはカスカが初めてで、無論2体同時に所有したことなど今回が初めてだ。
 人工知能とはいえ根本は動物の遺伝子を持つ彼らのことだ。マスターの寵愛を巡って焼き餅を妬いたり対立したりすることもある…のかも知れない。
 帰ってからゆっくり対処法を調べてみよう、と葉佩は心のノートに書き付けた。
 先に側にいたカスカにとっては、カマチは後から入ってきた邪魔者だろうし、カマチにとっても、先にいると言うだけででかい顔をする邪魔者、と言う風に見えているのかも知れない。
 どっちも可愛いんだけどな、と葉佩は溜息を吐いた。
 溜息に反応して、カマチの耳が伏せた。怒られて悄げているようなその様子に、ぽんぽんと頭を叩く。
 カスカには垂れる耳も尻尾も無かったが、狼狽えているような気配が感じられた。
 「俺はさ、お前たちのことがどっちも好きだし、それは、役に立つから、とかそういう理由じゃ無い。だから、どっちがより俺の役に立つか、とかの競争は止めてくれるとありがたい」
 「止めるよ」
 打てば響くようにカマチが返答した。
 「喧嘩を売られたら、買うけど。そっちから仕掛けてこない限りは、競争なんて、しない」
 「あら、私は戦闘用じゃないもの。そんな攻撃的なことなんてしないわ」
 「…いや、だから、仲良く、ね」
 こういう時、どうしたらいいんだろう、毅然として黙らせればいいんだろうか、と葉佩はちょっと遠い目をした。
 まあ、今のところは、見ていてどちらも可愛いから構わないが、咄嗟の時にしこりが残っているとまずい。
 アニマロイドが動物の遺伝子を持っているのは理解しているが、こんなに人間臭いとは気づかなかった。
 …人間らしいのは、人工知能の賜物だろうが…それにしたって、随分と…。
 本当に、動物の遺伝子だけなのだろうか?
 こんなに完璧に人型になって、思考まで人間らしいなんて、本当に人工知能だけの成果なのだろうか?
 人間型アンドロイドと生活したことは無いが、それらもこんなに人間臭いのだろうか。メイド用アンドロイドがご主人の寵愛を巡って対立した話など聞いたことが無いが。
 まさか、とは思うが。
 倫理的にあり得ない、とは思うが。
 アニマロイドには、人間の遺伝子も組み込まれているのでは無かろうか。
 まさか。
 第一、DNA解析をすればすぐにばれてしまうような真似をするとは思えない。
 帰ったら、これも調べてみよう。
 アンドロイドの生態(?)と、アニマロイドのDNA解析。
 調べることがあるのは、悪くない。情報を収集するのは、葉佩にとって狩りの一環であるため心躍らせる行為だ。
 けれど、今は少しだけ心が重かった。

 時折霊の襲撃があったようだが、葉佩の身に何かある前に、カスカとカマチが撃退しているようだった。この成果を報告したら、ハンターたちがこぞってアニマロイドを購入しそうだよな、と思いつつ、葉佩はまた一つ扉を開けた。
 その部屋は、霊感の無い葉佩でも分かるくらい、霊気が濃かった。
 カマチが何かに飛びかかるように身を伏せて、歯を剥き出している。
 部屋の中央には丸いテーブルがあり、香炉のようなものが乗せられている。
 「あそこから霊が出ているのか、それとも引き寄せられているのか…」
 カスカの呟きに、目を凝らす。
 暗視ゴーグルを付けていても、何故かそのあたりはぼやけてはっきりと見えないが、蓋がずれているのではないか、という気はした。
 引き出し式の棒を手に、床にトラップが無いか確認する。
 少しずつ歩を進めていくと、見えはしないが空気の濃度が濃くなって、粘りつくような感触になっていった。
 息苦しい、と思った瞬間、カマチが喉を反らせた。
 カスカは不愉快そうだったが、途端に軽くなった体に、大きく息を吸う。視界さえ明るくなった気がして、葉佩はやや足早にテーブルに近づいた。
 またすぐに空気が黒く濁っていく。
 カマチがまた精気を吸い取っているようだったが、カマチの体が金色に輝くことは無かった。
 考えてみれば、相手はたぶん<魂>だ。精気などあるはずもない。むしろ生気とは逆方向のエネルギーだと思われ、そんなものを吸収するのはかえって負担がかかるのでは無かろうか。
 さっさと片を付けよう、と葉佩はほとんどゲルのように粘った空気を押しやって手を伸ばし、香炉の蓋を閉めた。
 少しだけ軽くなった空気に、葉佩は背嚢を探って細い紐を取り出した。
 何度か目を瞬かせて、紐を蓋と本体にかける。
 更に背嚢から取り出した箱にしまって、それを持っていこうとした時点で、カスカが驚いたような声を出した。
 「封印をするのでは無いの?」
 「んー、ちょっと面白い使い道を思いついて」
 倒れないように固定した箱を少し揺すってみて、それから背嚢にしまう。
 「あまり…良い考えとは思えないけど」
 辺りの空中に向かって歯を剥き出していたカマチも、不満そうな声を上げる。
 「いや、ちょっとな。これをあの糞野郎に送りつけたら楽しいんじゃないかと思って」
 くすくす心底楽しそうに言いながら頭を撫でる葉佩に、カマチはその<糞野郎>が己の敵を指していることに気づいた。
 殺傷能力は無いかもしれない。いや、運が悪いととり殺されるが。
 嫌がらせとしては、最高かも知れないが…。
 「犯罪行為じゃないかな」
 「今更」
 「こちらがばれる心配は?」
 「指紋は付けてないし、亀急便に頼むつもりだし。あの糞野郎は色々とやばい<雑貨>を通販してやがるから、それに擬態して送れば、高確率で部屋の中まで辿り着くと思う」
 有り体に言えば、媚薬だの麻薬の類の通販をしているのだが、まあ純真なアニマロイドにそこまで言わなくてもいいだろう。
 「楽しみだなぁ…ベッドの下あたりで香炉を開いて…どんな目に遭うかなぁ。まあ、ここまで霊気が濃い場所じゃなけりゃ、そんなに効果は高くないだろうが、それでも最低でも安らかな眠りとはおさらばだろうな」
 まるで黒塚が石を撫でているかのような顔で、葉佩は背嚢を撫でた。
 カマチの尻尾が少し垂れている。
 「それは…僕も、復讐する気は満々だけどね…でも、マスターを危険な目に遭わせるのも不本意なんだけど…」
 大喜びで飛びつく気にはなれないらしい。
 「ありがとうよ。でも、ロゼッタ式封術もなかなかのもんだから、いきなり背中から霊が吹き出すことは無い…はずだ」
 こっそり付け加えた言葉に、カスカが憂いに満ちた目を向けた。
 その頬を指の腹で撫でて、葉佩は奥の扉に向かった。
 「さ、お仕事お仕事。趣味はお仕事が終わってから、たっぷり楽しむとしよう」
 
 その後の展開は、葉佩に取っては満足すべきものだった。
 悪意に満ちたトラップを解除し、出現した古代の守り部を自分の攻撃で倒す。少なくとも、肉を持ち、物理攻撃が可能な敵は良い。そうでなければ、アニマロイドたちに任せるしかなく、ストレスだけが溜まることになるだろう。
 そうして手に入れた古代の秘宝…黄金で出来た器に見えるが、あれだけの仕掛けがあったのだから、ただの器ではあるまい…を手に入れ、上の階層に戻り、ガーデンクォーツの前でロゼッタに呼び出しをかけた。
 幸い他の組織が邪魔をしに来ることもなく、緻密に計算した爆破でガーデンクォーツの間と地上を結んで、ヘリから伸びたロープを壁に掛けてぶら下げて、壁を運んで貰うことにした。
 自分たちはロゼッタ所有の飛行機に乗って自分たちの支部へと戻ることにした。
 飛行機の中で、2体のアニマロイドの体をぬるま湯で拭いてやった。
 「お疲れさま。よく頑張ってくれたな」
 本当はシャワーを浴びた方が綺麗にはなるのだが、大事なスキンシップというやつだ。
 埃にくすんでいたカスカの黒髪は艶やかさを取り戻し、元々灰色に近いカマチの毛並みも光を取り戻す。
 タオルを畳んでいると、カマチが肩に前足を掛け、ぺろぺろと顔を舐めてきた。
 「何?俺の顔も洗ってくれてるの?」
 くすくす笑いながらじっとしていると、額から順に舐めていったカマチが唇まで舌を這わせてきた。
 人間相手なら思い切りキスだよな、と思いつつも、犬型のカマチにそんな意図は無いだろうと苦笑して好きなようにさせておく。
 犬型とはいえ、本物の犬のような獣臭さの無い唾液は、ただの水のようで、本当に顔を洗ったかのように綺麗になる。
 「サンキュ、カマチ」
 と礼を言って、犬がするように鼻を摺り合わせると、カマチも甘えたように鳴きながら首筋に顔を埋めてきた。
 戦闘用だし、姉を殺されて興奮状態だったが、元々は意外と甘えんぼなんだろうか、と葉佩はカマチの首をわしわしと撫でてやった。
 「…ずるいわ」
 するりと這い上がったカスカが、小さな手で葉佩の顔に触れる。
 そして、小さな小さな唇でキスをしたので、葉佩は照れ臭くなって指で何度もカスカの黒髪を撫でた。
 「いやぁ、カスカは可愛いなぁ」
 何度か頬を摺り合わせていると、今度はカマチが首筋をぺろぺろ舐めだした。
 「こら、くすぐったいって!ほら、カマチ、止めろって」
 一人と2匹でばたばたとじゃれ合っている間に、飛行機はロゼッタ支部に到着した。
 秘宝を提出し、黒塚のところに寄って…黒塚は壁にうっとりとしがみついていたので会話は不可能だったが…葉佩は自室に戻った。
 ゆっくりとシャワーではなく浴槽に浸かっていると、カマチが「僕も」などと入ってきて、するとカスカまで入ってきて、とまたじゃれ合いの続きが始まり。
 ベッドに潜り込んだ葉佩は、布団に潜り込もうとするカマチとカスカを制して、厳かに宣言したのだった。

 「二人でゆっくり、話し合いなさい」

 隣室から聞こえてくる囁き声を子守歌にしながら、葉佩は目を閉じた。
 これまで一匹狼を気取っていたが、こうやって賑やかなのも悪くない。
 可愛い2体のバディがどんな結論を出すのだろう、と想像していると勝手に頬が緩んでくる。
 そうして、任務を達成した満足感と、それにも増して幸せな充足感に浸りながら、葉佩は眠りに落ちたのだった。






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