アニマロイド 2





 大きなビルの駐輪場にエアバイクを停めて、葉佩は玄関から中へと入った。
 HANTを翳してエレベータに乗り込む。
 「まずは…俺の部屋に行くか」
 ふわりと軽い重力を感じたかと思うと、すぐにエレベータは停止した。階数表示のないそれから降りて、葉佩はすたすたと廊下を歩いていった。
 ドアの一つの前に立ち、電子ロックを操作する。
 「網膜パターン確認。解除します」
 機械的な女声と共に開いたドアをくぐり、背後のカマチを手招きした。
 ソファに座らせておいて、腰に手を当て前に立つ。
 「さて、と。服も何とかしなきゃならないけど…まずは登録かな。それから忠誠システムを解除して。…情報収集もしないとね」
 カマチの頭に手をやり、フードを脱がせる。
 現れた黒髪と灰色の三角の耳に指をくぐらせ、眉を顰めて鼻を近づける。
 「…ちゃんと、洗って貰ってた?」
 「1週間ほど前に」
 「…なるほど。じゃあ、まずはシャワーだ。俺は綺麗好きなんだよ」
 カマチを立たせて奥へと追いやり、シャワー室のドアを開ける。
 「使い方は分かるな?」
 「たぶんね」
 ドアを閉めて、バスタオルを用意し、洗ってあるバスローブを置いておく。
 次にカマチが出て来た時には、部屋の中にもう一人男が増えていた。
 緑色のTシャツを着た男が、カマチの頭の先から足の先まで眺めて、感心したように言った。
 「随分大型のを選んだな。場所によっては不便かも知れんぞ?」
 「犬型になれば、俺より小さいよ」
 「そりゃそうかも知れんが…」
 「狭い場所にはカスカが行くからいいんだよ」
 葉佩の手招きに応じてバスローブ姿のカマチが歩み寄る。それへTシャツ姿の男を指して、説明する。
 「これは俺の同僚で、夕薙大和。巻き込むことにしたから」
 「…おい」
 「とりあえず、登録と解除を済ませてしまおう」
 佇んでいるカマチの前で、ハンター二人が端末を操作していく。
 20分ほど経って、よし、と頷いた二人がカマチを見上げた。
 「カマチも俺のものとして登録したから、二次権限でこのビル内部をうろつくことが可能になったから。もちろん、俺の部屋へもフリーパスで入れるよ」
 「…そう」
 気の無い様子で頷いたカマチの体から、ぶわりと殺気が放たれる。
 咄嗟に懐に手を入れた夕薙を制して、葉佩は喉で笑った。
 「忠誠システムの解除は実感できたか?」
 「そうだね…いいのかい?」
 「いいんじゃないの?」
 くつくつと笑って、葉佩は胸から覗いたカスカを撫でた。
 「死ぬときは、誰だって一回きりさ」
 歌うように言った葉佩に額を押さえ、夕薙はやれやれと頭を振った。
 「どんな可愛い娘を連れて帰るのかと思えば」
 「カスカが気に入った子は可愛かったんだけどね。今回は、まあ、処分するなんて言われてたから緊急避難」
 「まあ、死なせるには惜しいAIレベルのようだが」
 夕薙は冷静に言って、自分のHANTを起動させた。
 「攻撃に加えて、回復能力もある、というのが売り文句だが、まだプロトタイプ段階で、世界でも16体しか製造されていない。AIは最高水準のはずだ。…この地区に配分されたのは2体」
 「雌雄1体ずつで間違い無し?」
 「あぁ。…雌の方を登録したのは、フレンドル社総帥の長男だ。…この男だが」
 HANTから浮かび上がった映像を見て、カマチの体から先ほどとは比べものにならないほどの殺気が膨れ上がった。
 映像では、若い癖にどこかだらしのない肉付きの男が、馬鹿にしたような笑いを浮かべていた。
 「いかにも甘やかされた馬鹿坊ちゃんって感じだなー」
 「まあ、一言で言えば、そんな感じだな」
 カマチの髪の毛が逆立った。
 剥かれた唇から、鋭い犬歯が覗く。
 「…よくも…姉さんを…!」
 普通の人間なら殺気に凍り付いてしまいそうなところを、葉佩は自分の顔を一撫でして暢気な声を上げた。
 「あれ、つがいの相手だと思ってたら、姉さんなんだ」
 「そりゃ、アニマロイドにつがいは設定されてないからな。同一ラインから製造されたら、全部兄弟だろうし」
 夕薙もやはり平然と答えて、映像を落とした。
 葉佩はソファにもたれて、カマチの方を見ずに小さく呟いた。
 「あんまり聞きたく無いが、でも一応聞いておくけど。…何やったら戦闘用アニマロイドがそんなにぼろぼろになるんだ?」
 ざわっざわっとカマチの筋肉がうねった。
 黒に近い灰色の瞳が爛々と炎を宿す。
 「姉さんは…僕よりも、回復能力が優れていた。音楽を奏でることも出来る<癒し系>として設定されていたんだ。…それなのに、あの人間は…」
 ぎりぎりと歯が鳴る。
 「姉さんが店に戻された時には、ぼろぼろになっていたよ…片目を刳り抜かれ…歯も抜かれ……下半身は血塗れで……!」
 僅かに匂った血臭に顔を顰めて、葉佩はカマチの手を取った。
 食い込んだ爪をゆっくり一本ずつ伸ばしながら、低く呻く。
 「…ろくでもねぇな。変態かよ」
 「ま、そのようだな。1ヶ月に1体から3体ほどのペースで女性型アンドロイド購入しているな。主にセクサロイドだが…アニマロイドも数体。戦闘用を購入したのは初めてのようだが」
 夕薙の冷静な声に、葉佩も肩をすくめる。
 「そりゃそれだけ使い潰すなら、戦闘用なんて高価過ぎだろ。…それとも、莫大なお小遣いでも貰ってんのかね」
 「かもな。…おいおい、最高級のエアカーも数ヶ月に1台のペースで購入してるぞ。マンションも幾つか…もちろん、慰謝料を請求されるような裁判も幾つか起こされてるな。まあ、示談になっているようだが」
 HANTを操りながら夕薙が呆れたように並べ立てていく。
 葉佩がちらりとカマチを見上げた。
 「フレンドル社って知ってるだろ?アニマロイド製造販売最大手」
 「もちろん。…僕だって、フレンドル社製だ」
 「そこの一番偉い人の長男だってさ。…つまり金は持ってる、モラルは無いってタイプ。しかも、政界にも顔が利くから、多少の事件は揉み消されるな」
 「だから…何?諦めろ、と?姉さんがあんなふうに殺されたのに、僕はただ黙ってお前に従ってろって!?」
 爪が伸びたままの手が、葉佩の襟首を捕らえた。
 黒蛇が鎌首をもたげて威嚇するのを、葉佩は指先一つで抑える。
 「俺はね。…狩りが好きなんだよ」
 くすくすと笑う葉佩に、夕薙が顔を覆った。
 カマチの手に、温かな手が重ねられ、愛撫するように指先が滑った。
 目を細めて婉然と微笑みながら、葉佩は滲み出る嬉しさを抑えられないように身を震わせた。
 「ぞくぞくするんだよ。少しずつ追い込むのって。…お前も戦闘用なら、狩りの仕方くらい覚えておきな。言っとくけど、すぐに殺すのなんて許可しない。すこーしずつ、じわじわ追いつめていくのが好きなんだ」
 「じゃあ」
 カマチは襟首を引き寄せて、目を覗き込んだ。
 「あの男を、殺すのかい?」
 否とは言わせない、という迫力に満ちた問いかけに、葉佩はまた笑った。
 「駄目駄目。そんな犯罪行為の言質を残すような問いかけしちゃ。お前は、あいつを殺せたら後は野となれ山となれって気分かもしれないけど、俺は表の顔を潰す気無いんだ。…面倒なんだよ、また一から確立させるの」
 「そんな問題じゃ無いんだが」
 夕薙が溜息を吐きつつ突っ込んだ。
 「お前には借りがあるから、協力はするがな。犯罪行為には手を貸さんぞ」
 「OK。情報収集だけ、よろしく。弱みとか、違法行為とかを重点的に」
 カマチが不満そうに唸った。
 すぐにでも飛び出していきそうなそれを押さえて、葉佩はにっこり笑って見せた。
 「情報収集だって、時間と出所が集中するのは危険なんだ。探ってることが分かれば警戒される。ゆっくり時間をかけて、いろんなところから少しずつ集めるものさ。…長期戦を覚悟しな」
 「僕は、今すぐにでも、あいつを引き裂きたい」
 「あ、そう?自分の手で殺るのが最優先?…俺は社会的に抹殺したり、追い込んで自殺させたり、他人に殺される羽目になるのを見物するのが好きなんだけど」
 「…イヤな趣味だな」
 口で言うほどには嫌がってはおらず、むしろ面白そうな声で言いつつ夕薙は立ち上がった。
 「さて、と。俺も仕事が入ってるからな。また、今度」
 「ありがと。頼りにしてるよ」
 ひらひら手を振って夕薙が出ていった後で、葉佩は真剣な目でカマチを見つめた。
 「で、ホントに自分の手でやる方がいい?それによって、巣から追い出すか、巣に追い込むかの基本方針が変わるんだが」
 「もちろん…この手で」
 「そっかぁ」
 残念そうに葉佩はソファに身を埋めた。
 あぁあ、と溜息を吐きながら、天井を見上げる。
 「俺は、なぶり殺しにする方が好きなんだがな。…ま、いっか。じわじわ追い詰めて、ちゃんと恐怖を感じて貰えるよう楽しむとするか」
 陰険なセリフをさらりと言う葉佩を、カマチは戸惑った目で見た。
 改めて<マスター>の顔を眺める。
 生まれて最初は、誰かの役に立つことを望んでいた。戦闘も回復も出来る自分たちは、きっと戦闘しかできないタイプや、何も出来ない愛玩タイプに比べて、人の役に立てるのだろうと思い、それが誇らしかった。
 一緒に送られてきた姉が、護衛用として買われていった時には、期待に胸を膨らませたものだ。姉は彼よりも精神的癒しも出来るように繊細に造られていた。きっと、購入した人は姉に満足するだろう、と思っていたのに。
 それが裏切られ、彼らは人間のパートナーではなく、ただの<物>であるのだ、と、そう突きつけられてからは、ひたすらあの男の死を願った。
 この檻から逃げ出し、あの男の喉に牙を立てる、それだけを夢見ていた。
 だから、処分ではなく、購入されて外の世界に出られる機会を与えてくれたこの<マスター>には感謝してしかるべきだ。まあ、今の今まで、外に出られた、という喜びしか無かったが。
 これはどういう人間なんだろう、とカマチは思った。
 どうせ戦闘用アニマロイドなんて買う人間にろくな人間はいないのだろうが、それにしたって<普通>とはかけ離れているのではなかろうか。
 まじまじと見ているカマチを気にした様子もなく、葉佩は勢いを付けてソファから立ち上がった。
 「さて、と。とりあえず、お前の服、買ってこようかな。ちょっと、サイズ測定するか」
 そう言って、ポケットからメジャーを出して、腕の長さや首周りなどを測定していく。
 「…あの」
 「なに?」
 「こういう時って、ネットで通販すれば良いんじゃないのかい?」
 「痕跡を残したくないんでね。幾つか偽名と口座は持ってるから、外での買い物はそれ使うけど、ここで通販するとロゼッタに記録が残るし」
 さらっと犯罪者めいたことを言ってのけて、葉佩は携帯にサイズを記録した。
 よし、と頷き、懐を叩いてカスカを呼び出す。
 「じゃ、俺はちょっと外に出るから。その間、カスカはカマチにロゼッタの説明と俺の職業について、簡単に解説しておいてくれる?」
 「…分かったわ」
 差し出した腕から、上半身が女性で下半身が黒蛇なアニマロイドがカマチの腕に移った。
 「腹が減ったら、適当に何か取ってくれてもいいし、冷蔵庫漁ってもいいよ。カスカに聞けば分かるから。じゃ、行って来る」
 「行ってらっしゃい。気を付けてね、九龍」
 小さな手を振るカスカに、手を振り返して葉佩は部屋を出ていった。
 何となくそれを見送っているカマチの腕から、カスカはテーブルの上に滑り降りた。
 テーブルの上にとぐろを巻いて、カマチを見上げる。
 「座って頂戴。本当は、私、他人の体温を感じるのは嫌いなの。九龍は別だけれど」
 カマチは少しばかり躊躇ってから、先ほどまで葉佩が座っていたソファに腰掛けた。
 15cmほどの上半身を反らすようにしてカマチを見上げていたカスカが、小首を傾げた。さらさらと黒髪が流れる。
 「大丈夫よ。あの人は、アニマロイドだから床に座れなんてことは言わないから。見ていて私の方が不安になるほど、人間扱いをするの」
 「…へぇ」
 「あの人は…特別よ。とても、変わった人だけど…あの人がマスターになって初めて、私にも私の自我というものがあるのだと信じられたの」
 「…君は…彼に買われた、と聞いたけれど」
 何だか、前に別のマスターがいたと言うニュアンスを感じ取ったため、カマチはゆっくりと聞いてみた。基本的に、アニマロイドが複数のマスターを持つことは無い。マスター登録はプログラムの根元に関わるため、変更するよりも初期化する方がよほど手っ取り早いからだ。
 「私、ロゼッタとは別の組織の人の持ち物だったの。…言葉通り、<持ち物>よ。マスターにとって、私は精巧な玩具でしか無かったわ。…でも、九龍がやってきて…マスターを殺したの。幸い、私は命令されていなかったから、彼を攻撃せずにただ眺めていた。てっきり殺されると思ったわ。…でも、彼は手を伸ばして、私に聞いたの。『一緒に、来る?』って」
 しゃらりと蛇身がうねり、かすかな音を立てた。
 「私、九龍をマスター登録していないの。もちろん、忠誠システムも組み込まれてないわ。なのに、九龍は私と一緒に寝て平気なのよ?私は首を絞めることもできるし…毒も持っているのに」
 しゃらり、しゃらりと鱗が擦れて乾いた音を立てた。
 「私は、九龍を攻撃しない。私は九龍を愛しているから。…だから、貴方がもし、九龍を傷つけようとするなら…殺すわ。私は戦闘用じゃないけれど、相討ちになってでも、貴方を殺すわ」
 「…覚えておくよ」
 苦笑して答えたカマチに、カスカは満足そうに尻尾を振った。
 「さあ、それじゃ九龍に言われたように、貴方が覚えておくべきことを伝えるわ。きっと次の探索には貴方も同行するでしょうから、自分で判断して動いて貰わないと」
 事務的な口調になって、カスカはロゼッタとそれに属する<宝探し屋>についての情報をカマチに伝え始めた。






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