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 葉佩九龍は、生粋のトレジャーハンターである。
 一族の大部分がそれに携わる仕事をしていたし、葉佩自身も幼い頃から自分がトレジャーハンターになるのだと信じて疑わなかった。
 周囲の大人たちもまた、葉佩が優秀なトレジャーハンターとなれるよう訓練を施していった結果。
 出来上がったのは、何故か宝探しのロマンを感じることのない、異常に冷静な仕事人だったのである。
 無論、幼いときからこれだけ感動の薄い人間であったわけでは無いが、『ハンターたる者、いつ如何なる時でも冷静であれ』という教えが予想以上に強固に染みついたらしい。
 親族たちは、そんな葉佩を見て、失敗したと嘆いたが、葉佩自身は、そんな自分が気に入っていた。
 少しのハプニングでも大騒ぎするような神経など、金を貰っても欲しくも無いし、他人に対する情が薄ければ、その人間に対する判断が曇ることもない。
 そもそも、物心ついた時からデジタルな世界しか認識していないので、今更、右脳の良さなど説かれてもさっぱり理解出来ないし。
 だから、葉佩は<感情>というものを本当に理解しているのでは無かったが、他人の感情については、普通の人間よりも敏感であった。
 葉佩にとって、人間もまたパターンの塊に過ぎないのだが、その顔を構成するパーツの微妙な位置や角度の違いから、感情の揺れを推測しているのだ。
 そんな具合なので、その場での感情の変遷については敏感であったが、根本的にその感情が何に基づくものか、という点については、限りなく疎かった。

 まあ、そんなわけで。
 葉佩は、自分の欲求に困惑していた。
 もちろん、トレジャーハンターなどやってるからには、未知の秘宝に対する胸のときめきも感じないではない。
 だが、それは、知識欲に近いもので、解析が済んだら途端に興味を失うのだ。
 そんな自分が、とりたて珍しいというわけではない個体に殊更興味を惹かれる、という事態に、葉佩自身が付いて行けていなかった。
 そう、その個体に、特別な何かがあるとは思えない。
 なのに、何故自分は、そのパーツを眺めに行きたいと思うのだろう。
 散々考えてみても答えは出なかった。
 何となく、もやもやとするものはある。
 喩えて言うなら、真っ白な升目と膨大な単語が与えられたクロスワードで、一つで良いからキーワードを与えられたなら、他の解も連鎖的に生まれてきそうな時のもどかしさ。
 だから、葉佩は、その<キーワード>を求めて、その個体…取手鎌治の部屋を訪れるのである。

 取手が、己の訪問に困惑していることには気づいていた。
 口では、迷惑ではない、喜んでいる、と言うものの、その態度はその逆としか思えない。
 だが、この不可解な命題を解くことの方が優先だと結論づけた葉佩は、敢えて取手に迷惑かと問うことはしなかった。
 そうして、取手が就寝するまでの30分から1時間近くを共に過ごして約一週間。
 今日も今日とて、葉佩は飽きもせず取手の顔を眺めていた。
 取手の顔も、パターンの組み合わせには違いないのだが…その変化を見ているのは楽しい。
 取手には、葉佩がいないと思って普通に過ごしてくれて構わない、と言ってあるのだが、取手がちらちらこちらを見たり、視線が合って狼狽えたように目を逸らしたりと、葉佩を意識した変化を見せてくれると、もっと楽しい。
 あまり音を立てずにゆっくりと身動きする様子とか、くぐもった声で自分を呼ぶ声とかを感じると、遺跡の最奥部で秘宝を見付け出した時の満足感よりももっと心地よいと思う。
 何故、取手だけが己にそのような影響力を及ぼすのだろう、と葉佩は相変わらず熱心な目で取手を観察し続けた。
 取手は困ったように首筋を撫で…首筋を撫でるときに彼が困惑している確率は90%以上である…葉佩から視線を逸らしていたが、ついに溜息を吐いて葉佩を見た。
 「あのね、九龍くん…いつまで、こんなことを続けるつもりなのかな…」
 葉佩は首を傾げた。
 さて、いったん手詰まりとなった命題に、新たなキーワードは生まれていない。こういうのは天啓のように閃かないと、なかなか理詰めでは現れないのだ。
 だから、いつまで、と聞かれると、分からない、と答えざるを得なかった。
 「君は迷惑では無いと言ってくれたが…やはり俺は君の自由時間を侵害しているだろうか?」
 たぶん、こういう言い方をすれば、取手は迷惑では無いと答える。
 それを想定しての質問は、ずるいな、とちらりと思った。
 取手は困ったように葉佩を見つめ、イスから立ち上がって数歩寄ってきた。
 今まで、取手は机に向かい、葉佩はベッドに腰掛けてそんな取手を見つめていたのだが。
 取手が葉佩の前に立ち、身を屈める。
 「迷惑なんかじゃないけど…でも、少し…辛い、かな」
 辛い。
 それは想定外の単語だ。
 葉佩は目を見開いて、己の行為が取手にとってどう辛いのか考えてみる。
 もちろん、肉体的に侵害した覚えは無い。
 精神的に辛い、ということは…やはり迷惑だ、ということでは無いだろうか。しかし、わざわざ迷惑では無いが辛い、と言われると…。
 何にしても、取手に辛い思いをさせるのは本意では無い。
 では、せめてこの時間以外…学校でなら顔を眺めていても良いのだろうか。
 そう問いかけようと顔を上げると、取手の顔が存外に近くにあった。
 「僕はね、九龍くん…」
 どこか悲しそうに眉を寄せて、取手は大きな手で葉佩の頬に触れた。
 少し乾いた感触が産毛を滑って、くすぐったいような背筋が粟立つような感覚になる。
 取手の言葉の続きを待って、ただ取手の顔が近づくのを見つめる。
 「僕は…君が、好きなんだ…」
 その言葉は、ほとんど吐息が葉佩の唇に触れるほど近くで言われた。
 葉佩は顔の筋肉の一つも動かさずに、意味を噛み砕いた。
 好きだ、と言う。
 それは、喜ばしいことでは無いだろうか。
 何故、取手は悲しそうなのだろう。
 「だから、ね…」
 取手の手が、両頬を包む。
 鼻先が触れ合うほど近くで、取手は濡れたような目で葉佩を見つめていた。
 「君に、触れないよう、我慢するのが…辛いよ…」
 そうして、ついに、唇に柔らかなものが触れる。
 目を開いたままだったので、それが取手の唇であることは推測出来た。
 漏れる息が触れるのが、くすぐったいと思う。
 しばらく押しつけられていた唇が離れ、取手の指が葉佩の髪を梳いた。
 「…逃げないのかい?」
 少し首を傾げると、取手の掌が頬に押しつけられる形になって、それを温かいと思う。
 「何故?」
 「逃げないと…続きをするかも」
 取手の顔が視界から下がり、喉元に濡れたような感触が吸い付いた。
 葉佩はゆっくりと腕を上げ、取手の後頭部を撫でた。
 「…何を、してるんだい?」
 「え…髪を触られて気持ちよかったから、お返しを」
 言いながら、葉佩は取手の髪に触れる。
 見た目通り乾いてぱさぱさの感触が、指の間を滑り落ちる。
 そのうち髪だけでは飽きたらず、取手の頬に触れてみた。
 指先でそぅっとなぞっていくと、取手がその指を掴んだ。
 まるで大事なものにするかのように唇を押し当てられて、指先から走ったざわめきに背筋を震わせる。
 「九龍くん…本当に、逃げないと、何をするか、分からないよ」
 そうして葉佩を見る目は、今まで見たことが無い光を宿していた。
 何かが分かりそうで、肝心なところが掴めなくてもどかしい。
 とりあえず整理してみようと、葉佩は理解した事実だけを並べてみた。
 「取手は、俺に触れたいのか」
 「…そうだよ。好き…だから。男同士…だけど、本当に…君のことが、好き、なんだ」
 切々と囁かれる声の調子は、嫌いじゃ無い。
 「でも、我慢するから、辛いのか」
 「嫌われたく、ない、から…」
 何度も、嫌いになんてならないと宣言してあるのに。
 「俺は、君を嫌いにならない自信がある、と言ったはずだが」
 「でも、こんなのは…想像してなかっただろう?」
 取手が苦く頬を歪ませて、顔を寄せた。
 先ほどと同じく唇が触れ…それから湿ったものが唇を這う感触に、葉佩は眉を顰めた。
 それが僅かな隙間を見つけて口腔内に入ってくる。
 歯列や上顎の裏、舌を舐められて、くすぐったいな、と思った。
 反応の無い葉佩に焦れたのか、取手が軽く葉佩の舌を噛んだ。
 咄嗟に漏れた鼻にかかったような声に、取手がびくりと体を離した。
 「ねぇ、本当に、逃げないのかい?本当に、君を滅茶苦茶にしてしまうよ?」
 「そう簡単には滅茶苦茶にならない丈夫な体のつもりだが」
 葉佩は、いつもよりも色づいて濡れている取手の唇を見つめながら答えた。
 また、あれに触れてみたい、と、ふと思う。
 「取手は、俺に触れたいのか」
 先ほどと同じことを呟いて、葉佩は首を傾げた。
 「何故、我慢する必要があるのだろう」
 その答えも貰ったけれど。
 「俺は、別に触れられても構わない。一つだけ、条件を飲んでくれれば」
 「何?」
 間髪入れずに問われたことに、あっさりと答える。
 「俺も、君に触れたい。俺が君の顔を見る許可を貰ったように、今度から君に触れる許可も貰えるなら、俺も君に触れられても構わない」
 そう、これなら平等な条件のはず。
 これまでは、葉佩が一方的に取手の顔を見に来ていたが、条件が同じなら、遠慮することなく取手に触れることも出来る。
 そう、先ほどのように取手の髪や頬に触れるのは、悪くなかった。
 もやもやする命題に、答えが出そうな気がしたのだ。
 取手は少しばかり困った顔になって、葉佩の額に自分の額を押し当てた。
 「あのね、九龍くん…僕は、君が好きだから、君に触れたいんだけど…君は、何故僕に触れたいんだい?無駄な期待をしないために、聞いておきたいんだけど…」
 取手が、葉佩に触れたいのは、<好き>だから。
 それでは、何故自分は取手に触れたいと思うのだろう。
 人間の皮膚にそう大した違いなどありはしない。
 何故、わざわざ接触したいなどと思うのか。
 もう一度、考える。
 取手が、葉佩に触れたいのは、<好き>だから。
 <好き>だから。
 「エウレカ」
 葉佩は小さく呟いた。
 なるほど、これがクロスワードの最初のキーワードだったのか。
 自分が取手を<好き>なのだとしたら、これまでの衝動も理由が付けられる。
 ようやく命題を解決した満足を以て、葉佩はすっきり爽やかな気分で取手を見つめた。


 「それは、俺も、君が、<好き>だから、だ」







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