<仲間>





 「君が優秀なハンターであることは、資料からも伺い知れる」
 淡々とした男性の声に、彼もまた淡々と「それはどうも」といらえを返した。
 「だが、次に君に与えられる任務は、潜入探索だ。東京にある『天香学園』に一般高校生として転入し、学園の地下に潜む遺跡にて秘宝を入手するのだ」
 それには、彼は答えなかった。
 男声は更に続ける。
 「君の身分証明等の必要書類はこちらで手配しておいた。後で目を通しておくように」
 そこで、幾分、声が揺れた。
 「その、ごほん。君が望むなら、こちらで用意した人格をダウンロードすることも可能だ。君はどうやら、その…人間関係を円滑に築くのは苦手なようだからな」
 彼は、無表情に画面を見つめた。
 そして、きっかり3秒後に答えた。
 「それが、有効ならば」
 「そうか」
 声に安堵が滲み出ている。
 「では、日本の平均的高校生に溶け込みやすい人格を転送する。では、君に秘宝の加護があるように。<葉佩九龍>君」
 

 自分が、自分ではない誰かの人格で動くのを見るのは興味深い事象だった。
 ぼんやりと半覚醒状態のようなふわふわした気分で、彼はその場面を上から観察しているような気分になっていた。
 「私、八千穂明日香!よろしくね、葉佩君!」
 「こちらこそ、よろしくですー。えと…やちょさ?」
 「あはは、言いにくいんだ!えっとねー、うん、やっちーで良いよ!」
 長年使っておらず、動くとも思えなかった表情筋が、照れくさそうな笑みを浮かべる。
 自分のものとも思えないような、舌っ足らずな甘い声が、「ありがとですー」と答えるのを、彼はほとんど驚愕とでも言えるほどの新鮮な感動を持って聞いていた。
 なるほど、確かにこの人格は、一般受けするのだろう。個人的には、18歳にもなってこんな喋り方をする男など、鼻で笑ってやりたいところだが。
 まあ、自分の容姿がかなり低年齢寄りであることは自覚している。それなりに利用価値のある特性だからだ。
 その見た目には、相応しい人格なのだろう。
 それから、このお節介な女は、学園内を案内してくれた。屋上では、墓地について説明してくれる。
 あぁ、あそこが遺跡の入り口か、と彼は思った。
 一瞬、体が震えた。恋い焦がれている、とさえ言えるほど、彼は遺跡の空気が恋しかった。
 この人格は、勝手に相手に合わせて喋ってくれて、便利と言えば便利だし、それの邪魔をする気は無かったが、やはり<自分>に戻れる場所が良い。
 これまでの人生で出会ったのと同じくらいいたのでは無いか、と言うくらいの人数と接触して、彼は随分と疲れていた。
 早く一人になりたい。
 一人で、あの遺跡の中に入りたい。
 そこが、彼の生きる場所であり、逆に言えば、そこでしか彼は生きられなかった。
 少なくとも、彼は、そう思っていた。

 その夜、彼は墓場へ出かけた。見咎められても言い訳できるよう、装備は最小限にしておいた。
 だが、そこには昼間のお節介な女もいて、更に眠そうな男と、ついでに墓守まで登場したため、彼はその夜、墓に潜ることは諦めた。
 さあ、明日にはどうしようか。
 もしも、あの墓守が邪魔をしたら……。
 彼は、うっすらと笑みを浮かべた。
 邪魔者は排除せよ。
 日本の法律には目を通している。ここでは、『死体がなければ殺人事件として立証できない』のだ。
 もしも墓守と抗争になり、誤って殺してしまっても、その死体を遺跡の奥深くに埋めてしまえば、彼を殺人者として起訴することは出来ない。無論、それ以前に疑われることすら避けるに越したことは無いが。
 あの墓守のためにも、あれが職務に忠実で無ければ良いが、と思いつつ振り向けば。
 皆守と名乗った男が、彼をじっと見ていた。すぐに目は逸らされたが、あれは観察している目だった。
 「何ですかー?」
 愛らしく首を傾げて聞いてやれば、ごにょごにょと口の中で返事をして、皆守はきびすを返した。
 さて、これは何事か。
 ただ新しい<転校生>に興味を持ったか、それとも、<彼>が漏れたのに気づいたか。
 それとも。


 翌日、彼はまた新しい人物と接触した。
 ひどく顔色が悪く、猫背の男。
 彼にはどこか…芸術家肌のエキセントリックという言葉では言い表せない、何か不自然なところがあった。
 呪い、という単語が彼の脳に過ぎった。
 『本物の遺跡』には、呪術的な力場を形成するものがよくある。
 この学園の地下全体に遺跡が存在するのならば、学園で生活する者が影響を受けても不思議ではない。
 相変わらず<葉佩九龍>という人格が、そつなく彼を心配したり友好的に話しかけたりするのをぼんやりと見ながら、<彼>は相手に異常な気配がないかどうかに集中した。
 彼には、巫女や霊能者のような感応能力は一切無い。あるのは、これまで培ってきた経験によって判断する能力だけだ。
 それによると、目の前の病弱そうな男は、不安定な精神に付け込まれて何かに取り憑かれている可能性があり、それを本人は気づいていないようだった。
 だから、どうした、と彼は思った。
 そのせいで、この男は衰弱するかも知れない。最悪、自分が死ぬかも知れないし、逆に殺人者となる可能性もある。
 だが、そんなことは彼には関係が無い。
 関係が出来るとしたら…この男が、遺跡の中で、彼の行く道を邪魔する時くらいだ。


 彼は寮を抜け出してから、墓場近くで装備を着用した。
 帰りにはまた学生服で戻るため、その上に厚手の作業服を着て、アサルトベストを着ける。ベストにはマシンガン用の弾丸や爆薬といったものを入れている。
 腰のベルトにコンバットナイフを差し込んで、すぐに抜けるよう位置を調整する。
 最後にゴーグルを降ろすと、見慣れたやや緑がかった世界が広がり、彼はようやく生き返ったように大きく息をした。
 <葉佩九龍>の人格では断りきれなかった二人の同行者が待っている。
 彼らには、<葉佩九龍>が接触した。つまり、<彼>が話すと違和感があるだろうことが予測される。
 だが、遺跡に潜るのは<彼>でなくてはならない。
 神経の90%を危険察知に向けて、相手が何であれ、躊躇うことなく排除できる<彼>でなくては。
 だから、彼は、二人が疑問に思うだろが、<彼>について説明するのは省略することにした。
 おかしく思っても、彼にデメリットは無い。むしろ、これで<彼>に同行するのを嫌がってくれれば、その方が良いくらいだった。

 遺跡には、予想通り行方を阻む様々な仕掛けや、敵が存在した。
 だが、まるで侵入者が奥へと進むのを乞い願っているかのように、仕掛けの近くにはそれに関する碑文が存在した。
  秘宝は、正しき所有者を待ち望んでいる。
 馬鹿馬鹿しい、と一蹴した言葉だが、もしもそれが真実だとすれば、この遺跡に潜む秘宝は、解放を待っているのかも知れない。
 彼は、頭を振った。
 そんな言葉は、ただの欺瞞だ。
 古人が秘めておいたものを暴き立てる者が、自らを正当化するのに言うただの戯れ言に過ぎない。
 <秘宝>に人格など存在しない。
 仮にあるとしたなら、それは秘宝そのものにではなく、それを祀った人間の意志だろう。
 そして、そんな『もう存在しない』者の意志など、今生きている彼らの意志には抗えない。
 いくら過去の人間が呪っても。
 いや、現代の人間が、先祖の墓を暴く者を呪っても。
 彼は幾つもの墓を暴いてきた。邪魔をする者は排除してきた。
 だが、誰も、彼を止められなかった。
 いくら熱意を持って彼の邪魔をしてでも、ただ任務と割り切ってそれ以上の感慨もなく進む彼を止められなかった。
 人が、生まれた瞬間から<死>へと向かうしか無いように。
 秘宝も、隠された瞬間から<露にされること>へ向かうしかないのだ。
 トレジャーハンター、という響きには、どこかロマンをかき立てるものがある。
 一般論として、それを否定する気はないが、彼自身はそんな風には思わなかった。
 これは、ただの職業の一形態に過ぎない。
 ロマンさえあれば、許される、というものでは無い。
 そう、動機が<ロマンティック>であれば、誰かを傷つけて良い、という理屈は成り立たないのだ。

 
 彼は、無感動にマシンガンを目の前の敵対者に向けた。
 だが、背後から飛びかかった女のために、狙いが逸れる。
 彼女は言った。
 「友達でしょ!」
 友達、という単語は知っていた。だが、これまで彼の人生に、それが登場する機会は無かった。
 だが、論争する時間は無かったため、彼はマシンガンの攻撃をコンバットナイフに切り替えた。
 本当は、『人間』をナイフで傷つけるのは好きでは無かったのだけれど。
 マシンガンなら、何を撃っても同じ感覚だ。だが、ナイフは、彼に、対象を切る感触を伝える。皮膚を切り裂き肉を断ち、骨に当たる感触が全て生々しく手に伝わる。
 今更、綺麗な手を装う気は無いけれど、手が『人間を切る』感触を覚えるのは嫌いだった。
 対象と間合いを詰めた時、女の悲鳴が響いた。
 一般人の周囲を蜘蛛のようなものが取り囲んでいる。
 放置することも可能だったが、あの二人と最後に接触したのが彼となると、行方不明が一度に二人出るのも後々面倒くさい。
 一瞬でそう考えて、彼はマシンガンを蜘蛛へと向けた。
 だが、その間に相手に捕らわれてしまった。
 予想外に動きが早い。
 掴まれた腕から、『何か』が吸い取られていく。まるで、血液が抜けていっているような感触だったが、そこには血臭は存在せず、ただ自分の腕が干涸らびていくのが見えた。
 相手の手が緩んだ隙に抜け出す。地に転がったテニスボールを確認し、さては女がぶつけたのか、と推測する。
 耳が弱点、ピアノを弾く音楽家…その情報から、彼は音響爆弾を取り出した。


 そうして、戦闘が終わると、攻撃されたはずの男は、彼に礼を言おうとした。
 彼は、その男を殺す気だった。
 耳が弱点と知り、鼓膜を破る音響爆弾を使用した。
 なのに、男は彼に感謝しようとしている。
 そんな必要は無いのだ。
 彼の行動に、<情>が関与する余地は無い。
 そうでなくてはならない。もしも、遺跡の中で、<情>により動くとしたら…それは、死に繋がる。

  彼女のように。

 彼は頭を振った。
 男の憧憬にも似た眩しいものを見ているかのような視線に耐えられない。
 彼は、ただの<盗掘屋>に過ぎない。
 地を這い、他人の目を盗み、時には商売敵と騙し合いや殺し合いを演じる惨めな職業。
 だが、目の前の男は、彼の言葉を全く理解せず、己の宝を取り戻してくれた、と礼を言った。
 そして、干涸らびた彼の手の精気を戻すと言った。
 目の前に差し出された手を、彼は取ることが出来なかった。
 土と血に汚れた彼の手では、自分が傷つけられたのに柔らかく笑って礼を言うような、暖かな光に満ちた人生を送ってきたのだろう相手の手を取ったら、男の手まで汚してしまうような気がしたからだ。
 この学園に来て、一般的な学園生活を送ってみても、特に感慨は無かったけれど、この薄暗い遺跡の一室で暖かな感情に触れるのは、ひどく居心地が悪くて、彼は何度か自分の手をズボンに擦り付けた。
 無論、そんなことをしたからといって、彼の手に染みついた汚れが落ちることは無いのだけれど。
 だけど、男が傷ついたような顔をしたから。
 男の手のせいで、手を取らないのだと思われたようだから。
 彼は己が人を殺した存在で、これからも殺すことの出来る存在だと伝えた。
 
 けれど。

 男は、彼の手を取ったのだ。
 まるで、何か大事なものにでも触れているかのように。

 男の手は温かかった。
 大きくて、少し乾いていて、彼の手をすっぽりと包み込んでいた。
 冷え切っていた体に温度が戻る。
 じんわりと、男の手から、温かなものが流れ込んでくる。

 誰かと皮膚を接触させたのは何年ぶりだろう、と彼は思った。
 だって、怖かったのだ。
 この世界のどこにも、味方はいない。
 接触する相手は、誰も信用してはならない。いつ商売敵となって命を狙われるかも知れないし、どこで恨みを買っているかも分からない。
 手を握ると、毒を仕込まれるかも知れない。まだ成人男子の筋力には敵わない彼のこと、身の自由を奪われるかも知れない。
 握手なんて拒否していた。
 それに。
 それに、手袋を外すと、誰かに指摘されるかも知れなかったから。
 彼の手が、血塗れなことを、誰かに糾弾されるかも知れなかったから。
 
 けれど、男は、彼の手を『大切な手』だと言った。
 そうして、彼の手を取った。
 この手は、男を傷つけたのに。
 この手は、男を傷つけるかも知れないのに。

 男は、言葉では何も言わなかった。
 けれど、それからずっと手を握っていてくれた。
 彼が立ち止まりかけると、「大丈夫だよ」とでも言うかのように、僅かに力を込めた。
 先導されながら、彼はふと日本の神話を思い出していた。
 イザナギに手を引かれて現世へと向かったイザナミはこんな気持ちだったのかな、と思う。
 揺るぎ無い足取りで地上へと向かう男に引かれて歩きながら、振り返らないで、と願う。
 醜い俺を振り返らないで。
 だが、男はイザナギでは無かったし、彼もまたイザナミでは無かったので、彼らは無事に地上へと辿り着いた。
 


 翌日、彼は音楽の授業に出て驚いた。
 昨日の男が、現れたからだ。
 確か、彼はA組で、C組の授業に出る謂れはない。
 男の言い分によると、教師に頼んでピアノの講師に来たのだとか。彼には学校のシステムというものを書類上でしか認知していなかったが、それが異例なことであるのは何となく分かった。
 講師に来た、と言いながらも、「君のために弾く」と言い切ったため、クラスがどよめいた。
 だが、男は微塵も揺るがなかったし、彼もまた男の目だけを見ていたので、背後のざわめきは気にならなかった。
 そうして、『彼のために』弾かれるピアノに聞き入る。
 音楽をゆっくりと聞くことも無かったから、彼に技術の優劣はさっぱり分からなかったが、その旋律が男と同様に暖かい光に満ちたものであることは感じられた。
 
 信じていいのかな、と思う。
 
 彼の力になりたい、と言った男のことや、仲間でしょ!と言い切った女のことを。
 
  いいか、煉。
  遺跡で出会う人間は、全て商売敵と思え。隙を見せるな、殺られる前に殺れ。

  
 父の声が甦る。

  だけれども。

 そう、あの言葉には、続きがあった。

  もしも、「この人になら殺されてもいい」。そう感じられる相手がいたら。
  それは、お前の<本当の仲間>になる。
  <仲間>は全力で守れ。疑って、動きを鈍らせるな。
  あぁ、いつも組むような仮初めのチームの<仲間>じゃないぞ?
  あれは、まず疑っとけ。敵と同様、変な動きをしないか、きちんと見張っとけ。


 だけど、父さん。
 もしも、<仲間>にも裏切られたら?

  そりゃ、お前の見る目が無いんだな。
  つーか、言っただろう?
  「裏切られてでも、殺されてでも、いい。それでも信じたい」。
  そう考えられる相手が<本物の仲間>なんだよ。
  言っとくが、そんな簡単に見つかると思うなよ?
  ひょっとしたら、一生に一人かも知れないし、出会えないかも知れない。
  父さんなんか、今のところ母さん一人だからな!はっはっは!!


 俺は?父さん。俺は?

  お前は、もうちょい腕を磨かないとな。
  無防備に背中を預けるには、もうちょーっと足りないかな。


 父親も、もういない。
 この世界で、無条件に信頼できる相手は、誰一人いなくなってしまった。
 だけど。
 八千穂や皆守、取手は、彼を信用して、命を預けると言う。
 無論、彼らは素人で、裏切りが日常茶飯事の<宝探し屋>の流儀を知らないだけかも知れないが。
 まだ、『彼らに殺されても、仕方がないと納得できる』ところまではいかないが、少なくとも『敵』として認識はしないで良いのかも知れない。

 ピアノの柔らかな旋律が、彼の中に染み通っていく。
 大丈夫だよ、と。
 僕を信じて、と。
 ずっと語りかけてくるから。

 今は、今だけは、この暖かな光の中にいても良いのかも知れない。
 彼はそう思って、穏やかな音の流れに身を委ねた。








九龍TOPに戻る