言問い
取手は、机に向かっている人の背中を見て、そっと溜息を吐いた。
かたかたという小さな音がリズミカルに響いている。
葉佩九龍という転校生は、取手の恋人でもあったけれど、同時に冷静なトレジャーハンターでもあった。
今のようにHANTを操っている時などは、完全に『仕事モード』であるため、取手の存在はそこら辺の家具同様に扱われる。
すなわち、そこに存在することを許されてはいるが、特に意識もされない、という状態だ。
そもそも、葉佩はとても淡々とした人で、取手は未だに自分が彼の恋人である、という確信を持てないでいた。
確かに、好きだと告げて、同じく好きだと返されたが、その硬質ガラスに似た透明感のある鋭利な美貌には、動揺一つ見受けられなかったし。
取手は、初恋に溺れて葉佩の一挙一動におろおろしているのに、葉佩はいつでもクールだ。
…あぁ、まあ、クールじゃなくなる時もあるにはあるが。
いつでも余裕の葉佩が、唯一肌を合わせている時だけは、少しばかり乱れてくれる。
彼のそんな姿を見ることが出来るのは自分だけだ、という優越感は、本当に恋愛関係なんだろうか?という疑心暗鬼に陥った取手を多少救ってくれる。
けれどこうして、『仕事』に入ると、取手を一顧だにしない葉佩を見ていると、ぐるぐると思考の渦に巻き込まれ、奈落の底へと吸い込まれていきそうだ。
取手は、髪の間から僅かに見える首筋や耳を見つめながら、小さく呟いた。
「好きだよ、九龍くん」
「ああ」
驚くべきことに、返事が返ってきた。
しかし、振り向くことも、HANT操作が乱れることも無く、ただ反射的に応えを返した、というように思えるが。
「僕は、本当に…君のことが好きなんだ」
「ああ」
取手はベッドに腰掛けて、背中を見つめながら独り言のように呟く。
返ってくる言葉に、意味は無いのだ、と分かっていても。
「九龍くんも、僕のことが好きかい?」
「ああ」
一瞬、意識がふわりと暖かくなりかけて、すぐに冷える。
こんな間髪入れずに戻ってくるただの応答に、意味を求めるなど虚しいだけだ。
それでも。
「君の、全てが好き…なんだ。君の心が好きなつもりなんだけど…でも、君を犯して犯して、無茶苦茶にしてしまいたくなる」
「ああ」
「九龍くんも、僕のことが好き?」
「ああ」
「僕に何度も犯されて、下半身がぐちゃぐちゃになってしまっても良いくらい、好き?」
「ああ」
取手は、あぁあ、と溜息を吐いた。
こんな問いに意味は無い。
きっと、葉佩は仕事を終えて振り向いた時には、こんな質問も、自分が答えたことも、意識に残っていないだろうから。
取手にも覚えがある。
作曲やピアノ演奏の途中で話しかけられて、返事はするけれど何を答えたのか覚えていない、ということはよくあることだ。
取手は長い手足を折り曲げるように引き寄せ、ベッドの上に丸くなった。
大人しく葉佩の仕事が終わるのを待つしか無い。
そうすれば、消灯時間までに少しは話が出来るだろう。
葉佩は同い年なのに、やけに大人びているから、拗ねてしまった自分を上手に甘やかしてくれるだろう。
それで十分じゃないか、と取手は自分に言い聞かせた。
それでも、溜息が漏れるのは抑えられない。
あぁあ。
いつになったら、僕に構ってくれるんだろう?
そうして、ただ取手がじっと待っていると、ようやくHANTがぱたりと閉じられた。
画面を見るときだけ使っている眼鏡を外し、葉佩が振り向く。
「待たせたな、取手。退屈だったか?」
「…そうでも、無いよ」
「そうか」
淡々と答えて、葉佩は立ち上がった。
数歩で取手の座るベッドに辿り着き、両膝を抱えて俯いている取手の頭を軽く撫でた。
あぁあ。
彼にとって、僕は甘えんぼの弟なんだろうか?
闇から救い出した責任を持って、最後まで甘えさせてくれるだけなんだろうか?
「さて、と。それじゃあ、始めるか?」
葉佩の手が、頭から滑り、取手の耳をくすぐった。
ぞくりと背筋を震わせながら、取手は葉佩を見上げた。
「え…何を?」
「下半身がぐちゃぐちゃになるくらいのセックス」
あっさりとした答えに、一瞬呆けてから、取手は咳き込んだ。
何か言おうとしてはむせ返る取手の背中を、葉佩の手が規則的にさすった。
「どうした?」
「ど、どうした、…って…げほげほっ!く、くろ…っ!」
すい、と離れる気配がし、涙の滲んだ目で見れば、葉佩は冷蔵庫からペットボトルの茶を出していた。
コップに注いで差し出され、喉を痙攣させながらも何とか飲み込む。
数度に分けて飲み干し、ようやく一息吐く。
「落ち着いたか」
コップが取り上げられ、机に置かれて、また葉佩が取手の目の前に戻ってきた。
「あぁ、それから」
顔色一つ変えずに、葉佩はさらりと言う。
「俺が君のことを好きである以上、犯す、つまりレイプするという状態は存在しえない。それを除けば合意する、というのを付け加えておいてくれ」
「げほげほげほげほっ!」
やはりむせ返った取手に、今度はハンカチを差し出しながら、葉佩は、
「大丈夫、君が唾液と涙と鼻水にまみれていても、俺の気持ちに変わりは無い。安心すると良い」
淡々と言って、赤く染まった取手の耳に口づけた。
たぶん、その『唾液と涙と鼻水にまみれている』みっともない顔をしているのだろうと、ハンカチに顔を埋めながら、取手は咳とともに溜息も漏らす。
取手は葉佩に恋をしている。
葉佩も取手を好きだと言う。
けれどやっぱり、何となく二人の『恋愛感情』ってものは、果てしなくかけ離れてるんじゃないか、と思ってしまうのだった。