黄龍妖魔學園紀  独白・取手編





 最近、はっちゃんは少し元気が無い。
 理由は、分かっている。僕のせいだ。
 いくらいつでも元気なはっちゃんでも、睡眠不足が続くと疲れるのだろう。時々緋勇さんが代わりに授業に出てきて、はっちゃんは寮で寝ているらしい。
 夜毎に探索に出かけていても、そんな風になることはなかったのに…。
 分かっているんだ。僕が、はっちゃんに負担をかけていることは。
 けれど、どうしても我慢が出来ないんだ…。


 僕は、これまでお昼ご飯は一人で食べていた。購買部でパンを買うこともあったけど…一斉に生徒たちが集まってパンを求めているものだから、僕はあの戦場のような場所に行くのは好きじゃない。売れ残ったただの食パンやミルクパンを買う羽目になるし。
 かといって、一人ではマミーズに行っても何だか落ち着かない。周りは集団でわいわいと食べている人たちばかりだ。2人掛けの席に一人で座って食べても、あまり美味しくない。
 だから、僕はたいていお弁当を作っていた。昔は、姉さんが作ってくれていたんだけど…。
 でも、今は違う。
 いつもはっちゃんが昼休みになるとA組まで誘いに来てくれる。彼と『友達』になってからは、午前の授業が終わって廊下に出るのが楽しみになった。はっちゃんの方が先に授業が終わっていると、廊下で待っていてくれて、僕の姿を見ると目を輝かせながら「かっちゃん!お昼ご飯、一緒に食べよ!」と、すごく明るい声で叫んでくれる。
 僕は、そんな風に接してくれる『友達』なんていなかったから、ちょっと照れくさく感じていたんだけど、でも嬉しくてつい笑顔になっていたと思う。
 僕の授業が先に終わってしまったら…僕がC組の前で立っている。最初はすごく勇気が必要だった。ひょっとして、迷惑だと思われていたらどうしよう、はっちゃんが廊下に出てきたとき、僕に気づかなかったらどうしよう、ってドキドキしながら待っていた。
 でも、そんなときでも、はっちゃんはドアから飛び出してきてすぐに僕を見つけてくれて、顔を綻ばせるんだ。
 はっちゃんのそんな顔を見ると、僕は嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。あぁ、はっちゃんは僕のことを『友達』だと思ってくれているって、すごく嬉しかったんだ。
 今から思えば、あの頃から僕ははっちゃんが好きだったのかも知れない。
 はっちゃんを見ているだけで幸せになる。
 はっちゃんと話をしていると、心が暖かくなって、いくらでも旋律が湧いて出る気がした。
 あぁ、どうして、そのまま幸せでいられなかったんだろう。

 今の僕は、いつでも不安に怯えている。
 『恋人』になったはっちゃんは、僕の顔を見ると、『友達』だった時のような開けっぴろげの笑顔にはならない。もちろん、イヤな顔はしない。少し恥ずかしそうに頬を染める。あぁ、それが悪いんじゃない。すごく可愛いし…はっちゃん自身は気づいてないのかもしれないけど、その態度は彼にしてはひどく不自然だから、周りの皆に「僕が好き」と広言しているも同然で、ライバルたちを蹴落とすにはちょうど良いと思う。
 僕は、はっちゃんが好きで、はっちゃんも、僕が好き…それなのに、どうして、僕の心はいつでも飢えているんだろう。
 はっちゃんの側にいても、はっちゃんと話していても、はっちゃんを抱いていても…いつでも、僕の心は飢えている。
 まだ足りない、もっと欲しいってわめいてる。
 どうしよう。
 僕は、いつの間にこんなに貪欲になったんだろうか。
 

 いつものようにはっちゃんが誘いに来てくれて、僕はマミーズにお昼を食べに行った。
 その日は僕だけじゃなく、皆守くんと八千穂さんも一緒だった。
 当然4人掛けの席に案内されたんだけど、そうすると誰がはっちゃんの隣に座るかって言う水面下の争いがある。
 だけど、はっちゃんはそういうことに全く気づいていない。彼のそういう鈍いところは罪だと思う。気づいてくれれば、当然僕という『恋人』に「隣に座って」って一言添えてくれるだろうに、まっさきに隅っこの席に座って舞草さんと話を始める。
 そうして、僕ら3人は目だけで牽制し合うことになる。
 その日は、結局八千穂さんがはっちゃんの隣に座って、僕と皆守くんが隣り合わせに座ることになった。何故、皆守くんと隣になるんだろう…僕の肘が当たる度に、わざとらしく体を捻るし。
 皆守くんのことは友達だと思っていたけど…恋敵でもあるのに変わりはない。
 本当は、確実に僕が勝者なんだから余裕を持っても良いのかもしれないけど、僕には無理だ。
 だって、皆守くんははっちゃんと同じクラスだし、『親友』ってことになってるし…だいたい、はっちゃんも変だよ。『親友』に押し倒されて、告白されてしかもふったのに、普通に『友達』として仲良く出来るってどういう思考回路をしてるんだろう。とうてい僕には理解できない。
 そんなことをうじうじ考えていると、舞草さんが料理を持ってきてくれた。それではっちゃんの前に置いたとき、こっそり「今度、あたしも誘って下さいね!最近、お誘いが無いんで、奈々子、寂しいですぅ」って耳打ちして行った。
 そういえば、最近僕も探索には呼ばれていない。もっとも、探索に行くこと自体が減ってきてるんだけど。ついでに言えば、その主な原因は、僕なんだけど。
 八千穂さんが、ハンバーガーを食べながら、興味津々という様子ではっちゃんに聞いた。
 「そういえばさ、九ちゃんって、何でトレジャーハンターやってるの?」
 大勢の生徒がいるところで堂々と言うのはどうかと思うんだけど。まあ、ざわざわ騒がしいから、他人のお喋りなんて聞いてないかもしれないけど。
 「俺?うーん…話せば長いことながら…」
 でも、はっちゃんは気にしてないみたいで、けろっとした顔で返事した。それから、鉄火丼を一口食べてから、うーん、と唸った。
 「聞きたい?別に面白くないと思うよ?」
 「え〜、聞きた〜い!だって、すっごい興味あるもん!今までトレジャーハンターなんて会ったこと無いしさ!」
 八千穂さんの長所は、物怖じしない積極性だと思う。僕も興味はあるけど、そこまではっきり言えない。はっちゃんにもプライバシーが…とか考えてしまう。
 正直、八千穂さんは遠慮しなさ過ぎじゃないか、とも思うけど…きっと、これは焼き餅なんだろう。はっちゃんと八千穂さんは性格が似てて二人で話してるとすぐ盛り上がるし、とても仲がよいように見える。まあ、恋人というよりも兄妹のように見える気もするけど…これは僕の願望だろうか。
 はっちゃんは、鉄火丼をもぐもぐしながら、八千穂さんの方を見ながら少しずつ話をした。
 「えっとさ、俺はすっごい田舎の生まれなんだけどさ、そこで中学生まではごくフツーに過ごしてたわけ。どんくらい田舎かっつーとさ、集落ん中の大半が同じ名字なんで、名字で呼んでも通じないって感じ?坂上の○○さん、とか、駐在左の△△さん、とかさ。
 んでさ、裏の山ん中に遺跡があったらしいんだ。ガキん頃からずっと遊んでたけどさ、そんなの全然気づかなかったけどさー。
 で、俺が中学二年の夏休みにさ、一人の怪しい外国人が集落にやってきたんだ。小さい集落だからさ、そんなのめっちゃ早い速度でニュースが回るわけ。見かけが外人で日本語ペラペラのお兄さんがさ、山に何かしに来てるーって。
 当然、俺も興味津々で。うちの地区に宿屋なんて無いしさ、その兄ちゃんは山でテント張って泊まってたんだけど、『あれはスパイだ!』とか言っちゃって、ダチと兄ちゃんの後を尾けたり、いない間にテントを漁ったりしてさ、今から思えば、師匠は尾行するのを黙認してたっつーか、わざと撒かずにいてくれた感じなんだけどさ…あ、その兄ちゃんが、俺の師匠になったんだけどね?
 で、そのうち、ダチはみんな飽きて、『あれは単に物好きなキャンパーだ』ってことになったんだけど、俺はしつこくうろうろと付きまとってたわけ。
 したらさ、段々兄ちゃんも面白がって、ちょっとしたクエストくれたりしてさ…もちろん、ほんと子供騙しなもんだよ?ガキの宝探しの延長版ってくらいの。
 けどさー、俺はめっちゃ面白くってさー。
 師匠に付きまとって遺跡の中にまで入らせて貰ったんだ。
 で、師匠は結局夏休み終了と同時くらいに旅立ったんだけどさ。もちろん、連絡先なんて教えてくれないよ?
 でもさ、さっきも言ったけど、うちの集落ってめっちゃ狭いん。個人情報なんてあって無きが如しなん。で、その情報網をフル活用して、師匠が荷物を送って貰ってた住所とか連絡した電話番号とか集めてさ、中学三年に上がる時、エジプトまで行っちゃったん。
 そー、押し掛け見習い希望。
 で、まー、何つーか…一応説得っつーか…泣き落としっつーか…で、何とか弟子入りを認めて貰って、中学卒業と同時に、え〜…家出をちょっと…その…ま、したわけですな。
 うん、ま、そんな感じで。
 たまたま田舎の子で良かった〜!みたいな感じ?」
 最後に、はっちゃんは「ご馳走様でした」ときちんと手を合わせた。
 はっちゃんの様子を見ていると、何だか本当に『子供の宝探しの延長』っていう感じがする。
 でも、<トレジャーハンター>っていうのは、そんなに生易しい仕事じゃないと思う。はっちゃんも何だかんだ言って銃器の扱いに慣れているし、トラップに引っかかって死にかけたことだってあるし…。
 でも、今のはっちゃんからは、そんな『大変な仕事』という感じは全くしない。第一、トレジャーハンターだっていうのも僕が知ってるだけでも10人以上にばれてるし。
 もちろん、僕がとやかく言うべき問題じゃないんだけど、<トレジャーハンター>っていうのは、もっと慎重でないといけないんじゃないかな…。
 「お前に深刻さってのを求めるのが間違いだって分かっちゃいるが…何か、切なくなってくるぜ」
 皆守くんがぼそりと呟いて、カレー皿にスプーンを置いた。
 水を一口飲んでから、アロマのパイプをくわえる。
 「何で甲ちゃんが切なくなるのさー」
 「そりゃお前…ま、色々と」
 皆守くんはアロマパイプを力無く振って、それから頭を抱えた。
 「ま、何て言うか…お前、俺たちの命を握ってんだぜ?分かってんのか?」
 「分かってるよー」
 唇を尖らせてはっちゃんはぷぅっと膨れた。そんな風に拗ねた様子なんて他の人に見せて欲しくないんだけど…。
 「ねぇ、それじゃ九ちゃんは、おうちがトレジャーハンターの家系っていうんじゃないんだ?」
 「うん、うちは極フツーの家だよー。うちだけじゃなく、集落全部かき集めても、そんな職業に従事したどころか知ってる人間すらいないんじゃないかなー」
 うーん、と首を捻るはっちゃんに、僕は思わず言っていた。
 「それじゃ、トレジャーハンターを止めることも出来るんだね?」
 途端に、はっちゃんがびっくりしたような顔になったので、僕は自分の口を押さえた。
 はっちゃんの領域にまで、踏み込んじゃ駄目だって思ってたのに…。
 でも、はっちゃんはそう言う意味では気にしてないようで、きょとんとした顔で聞き返してきた。
 「そりゃ…血の誓約を交わして、脱退したら地の果てまでも暗殺者が〜!みたいな組織じゃないからさー。止めるのは自由だけど?」
 「う、うん、ごめん、ただ…卒業式は一緒に出られるのかなって思って…あ、その、もし二学期で探索が終了しちゃったら、はっちゃんはそのまま出て行っちゃうのかなって…」
 ずっと考えていたことだった。
 はっちゃんがこの学園に来たのは<宝探し>のためで、それが終わったら、あっさり出て行っちゃうんじゃないかって…。
 卒業したら、道が別れるのは仕方がないと思っている。
 でもせめて…せめて高校生でいる間は、一緒にいたい。
 「え…えっと〜…うーん、正確なところは緋勇さんに聞いてみないと分からないけどー、この探索速度なら…確かに、二学期くらいで終わっちゃうかも」
 初めて気づいた、という顔で、はっちゃんは指を折って考え込んだ。
 「うちの師匠なら有休が二ヶ月くらいあるけど、俺はぺーぺーだからなー。んーと…確か初年度は四日だけだったはずでー…」
 「有休があるのかっ!」
 皆守くんが空中に向かって突っ込みの手を入れた。
 気持ちは分からなくもないけど。
 何て言うか…<トレジャーハンター>っていうのは、もっとロマンを感じる職業であって欲しい。
 はっちゃんは難しい顔で机をとんとん叩いていたけど、ちょっと困ったように眉を下げて僕に頭を下げた。
 「ごめん、たぶん、仕事が終わったら、また次の仕事の斡旋が来るはずでー。ちょっと抜けて卒業式〜とかは、出来ないかも…」
 やっぱり…そうなんだ。
 なら、いっそ<トレジャーハンター>なんて止めてしまえば、『次の仕事』なんて来ないのに…。
 深いしがらみがあるっていうんじゃないなら、今は普通の高校生をしても良いはずで…。

 あぁ、でも。
 まだしも、しがらみとか義務で<トレジャーハンター>になっているなら、<普通の高校生>に魅力を感じて戻ってくれるかもしれないけど。
 ただそれが楽しくて<トレジャーハンター>をしているなら、<普通の高校生>になんて興味が無いのかもしれない。
 はっちゃんの様子を見ても、この『仕事』が終われば次の『仕事』に向かうのが当然と思っているのが分かる。
 そう、彼にとって、僕たちは『仕事場で出会った人』でしか無いのだ。
 『数ある仕事場の一つ』で『たまたま出会った』だけのこと。
 僕にとっては、はっちゃんは唯一無二の存在なのに…はっちゃんにとってはそうじゃない。
 「かっちゃん?顔色悪いよ?」
 「え…あぁ…何でもないんだ…」
 「えっとさ、なるべく卒業式だけでも戻ってこられるようにするからさー…あ、でも、仕事が終わったらここの籍は抜かれるんだよなー…んーとんーと…えっと、卒業式の日に、会いに来るから!…それじゃ、駄目?」
 心配そうに覗き込むはっちゃんの目を、僕は見ることが出来なかった。
 だって、はっちゃんにとって『仕事が終わったらここから去ること』は、当然のことで、一欠片も思い悩んでなど無いのだ。
 
 君は、行ってしまう。

 僕を、置いて。

 何故、こんな人を好きになってしまったんだろう。
 いっそ…嫌いになれたら、楽なのに。


 そうして、僕に出来ることは。
 誰よりも愛しくて、誰よりも憎たらしい人に、愛の言葉と精とを毎夜注ぎ続けることだけ。
 植物に栄養と水を与えすぎたら腐ってしまうように、君もこのまま溶けてしまってくれないだろうか?

 あぁ、だけど。
 君はとても元気な人だから。
 普通の人なら息も出来ないような水底に沈んでも、綺麗な花を咲かせてしまうんだろうね。







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