彼も人の子、我も人の子




 彼女は、右手でラケットを持ち、左手にしたボールを所在なく何度か握った。
 最初は楽しかったはずなのだ。
 禁止されている場所への侵入。
 ドラマのような職業の転校生。
 見たこともない遺跡の内部。
 敵との戦闘。
 だが、だんだん味気なさが募ってくる。
 人当たりが良いと思った転校生は、遺跡に潜った途端に、<人ではない>かのような態度になって、無駄話どころか自発的な発語は一切無い。
 彼にとっては付いてきた彼女たちは<邪魔者>でしか無いのだろう。
 「ね、ねぇ、葉佩君。取手君はどこにいるのかなぁ」
 無理に作った明るい声で話しかけると、柱を触っていた彼が、僅かに彼女の方を向いた。
 「取手…?…あぁ、あれか。…さあ」
 無感動な、声。
 彼にとって、そんなものは全く興味が無いものなのだ、と。
 そう知らしめる、気の無い声。
 もう怒る気力も無くなって、彼女はただラケットを握り締めた。相棒のはずのそれは、目の前の彼のマシンガンに比べると、玩具のような武器だ。

 住む世界が違う。

 彼女は、これまで人生で、そんなことを考えたことはなかった。
 どんな人も両親から生まれてきて育ってきて…ちょっとは違う育ち方をしてきたとしても、同じ人間なのだから、分かり合えない相手など存在しないと思っていた。
 だが、目の前の人物は、あまりにも異質だ。
 淡々と『作業』をこなして、彼らの存在など目にも入っていないような彼は。
 彼女は、そっと隣を見た。
 そこには、同じく遺跡に付き合った同級生が、眠そうに半目で壁に凭れていた。
 面倒臭いだの眠いだのが口癖の皆守が、転校生の世話を焼くのは珍しい。だが、その彼も、こんなに無視されたのではさすがにもう彼に関わる気はしないだろう。
 彼女自身は、どうしたいのか。
 無視されてでも、秘密を共有した仲間として彼に接するべきなのだろうか。それとも、こんなことは今夜限りにして、<転校生>がいなかった生活に戻るべきなのか。
 彼女にも、まだどうしたらいいのか分かっていなかった。

 貝のようなものを、扉を封じる鍵にはめ込む。
 途端、光と共に戒めは解けた。
 扉に手をかけて、ふと葉佩は振り返った。
 「付いてくるですか?危険ですよー?」
 最初は可愛らしいと思った口調だが、感情が込められないというだけで、こんなにも無機質だ。余計に馬鹿にされているような気にさえなる。
 「行くわよ!取手君を助けなきゃ!」
 自分はそのために付いて来たんだ、と、そう主張したが、その熱意は彼の耳を擦り抜けて行っているようだ。
 「ねぇ、葉佩君。葉佩君も、取手君を助けるために来たんだよねぇ?」
 そうであって欲しい、と恐る恐る聞けば、返って来た返事は
 「取手…?別に…ここは奥へ向かうルートの途中ですよー。ただ、それだけです」
 何とも取り付く島も無い。
 目線を落として、どうしたらいいんだろう、と考えている間に、扉が開かれた。

 そして。

 「本当に、来たんだね…」
 奇妙な出で立ちだが、腕の長さと声が、目の前に立つのは取手だと教える。
 「君たちに、僕は救えない…!」
 叫びと同時に、周囲に蜘蛛のような魔物が現れた。
 無言で葉佩はマシンガンを構える。
 その銃口が、はっきりと取手の額を狙っていると気づいて、彼女は思わず後ろから飛びかかった。
 「駄目!葉佩君、相手は取手君なんだよ!?」
 マシンガンが僅かにぶれて、放たれた弾丸は取手の耳を掠めたようだ。
 「おおおおおっ!」
 悲鳴を上げて耳を押さえる取手に、葉佩が小さく呟いた。
 「そこ、弱点か」
 もう一度マシンガンを構えるのに、右腕を掴む。
 「駄目だってば!相手は取手君なんだよ!?友達でしょ!」
 「…友達…?」
 心底理解できない、と言った調子で問い返されて、彼女は思わず腕を放した。
 「友達…だよね?だって、一緒にお話ししたし、葉佩君だって、取手君の力になってあげたいって…」
 「そんなことを言ったですかー。変な人格ですねー」
 小さく呟いて、それでも葉佩はマシンガンの安全装置をかけた。
 「やっちーに免じて、マシンガン止めてあげます」
 そう言って、コンバットナイフを手に、取手の方へ駆けていく。
 「あ〜!そうじゃなくって〜!」
 傷つけちゃ駄目なんだってば〜!と悲鳴を上げる彼女に、同級生の面倒くさそうな「おい」という声がかけられた。
 「何よ?!皆守君も、何か言ってやってよ!」
 「それどころじゃねぇと思うがな」
 言われて初めて。
 自分たちが蜘蛛に囲まれているのに気づいた。
 「しゃああああ!」
 大きな蜘蛛が尻から糸を吐き出す。
 「きゃあっ!」
 思わず悲鳴を上げてラケットで払う。
 遠くで、彼女の悲鳴に振り向いた葉佩の姿が見えた。
 滑らかな動作でマシンガンを再び構え、彼女たちの前にいる蜘蛛の急所に的確に撃ち込んでいく。
 だが、その間に。
 取手の長い腕が、彼の体を捕らえていた。
 「君も、干涸らびるがいい…」
 「………!」
 無言で身を捩った葉佩が背後の取手を攻撃しようとナイフを振るうが、取手の腕は弱まらない。
 逆に葉佩の動きが弱くなっていくのを見て、彼女はラケットを構えた。
 「えぇい!やっちースマッシュ!」
 ぱこーん!と良い音を立てて、ボールは取手の耳に当たった。
 咄嗟に取手が耳を押さえたため、葉佩が辛うじて腕の罠から抜け出す。
 延びた腕から転がって逃げる葉佩の手首を、皆守が掴んで引っ張った。
 「大丈夫!?葉佩君!」
 慌てて近寄ると、葉佩がのろのろと顔を上げた。
 ついでに手も挙げて見せたが、手袋から覗く腕は老人のように細く皺々になっていた。
 「戦闘続行可能。けど、やっちーは逃げるいいよ。危険」
 何でもないように言う葉佩に、彼女は思わず手を上げていた。
 「馬鹿っ!私たちも仲間なんだから、戦うわよっ!」
 「…仲間…?」
 先ほどと同様に、心底理解できないといった表情で、葉佩は叩かれた頬を撫でた。
 「おーっと。あ〜、眠いぜ」
 二人を押し倒すように皆守が凭れ掛かってきた。怒鳴ろうとした彼女の頭の上を、『何か』が通り過ぎる。
 眠くてよろけたふりをして、助けてくれたのだ。
 どうでもよさそうな顔をしながらも、皆守も彼女たちの手助けをしてくれている。
 そう気づいて彼女は俄然闘志を燃やした。
 考えてみれば、葉佩はちゃんと彼女の言うことを聞いてマシンガンを撃つのを止めてくれた。
 そして、自分の身が危険になるにも関わらず、取手の目の前なのに彼女たちの前にいる蜘蛛を攻撃してくれた。
 冷たいようだが、ちゃんと彼女たちのことを気遣ってくれているのだ。
 そういえば、口数が少ないとは言え、彼女が何か言えば無視することなく何かしらの返事はしていた。
 大丈夫、と彼女は拳を握った。
 この転校生は、ちゃんと<人間>だ。
 きっと、<友達>に、<仲間>になれる。
 「うん!私たちが付いてるからさ!一緒に取手君助けようね!」
 そう言って、皺々の手を取って立ち上がるのを手伝う。
 だが、ラケットを構えた彼女に、葉佩はポケットから取り出した物を掴ませた。
 「耳に。皆守も」
 二人が耳栓をするのを確認して、葉佩は爆弾のピンを抜いた。
 投げて自分は手で耳に蓋をする。
 彼女の耳に、栓を通してさえ轟音が響いた。
 「ああああああああああっっ!!」
 取手が耳を押さえてのたうつ。
 恐る恐る耳栓を外した彼女の耳に、葉佩の呟きが聞こえた。
 「音響爆弾。有効でしたねー」
 床に伏した取手の耳から、真っ赤な鮮血が伝う。
 「葉佩君…」
 不安そうに聞いたが、葉佩は制するように腕を彼女の前に出した。
 取手が、ゆうらりと身を起こす。
 「僕は…ボク…ハ……」
 その体から、黒い粒子が吹き出した。
 「ああああああっ!!」
 完全にその身が黒いものに覆い隠され、絶叫が部屋に響く。
 途端。
 床が揺れた。
 「高周波のマイクロ波を検出しました。強力なプラズマ発生を確認」
 女性の機械的な声が、警告を発している。
 体が、ふわりと持ち上がった。
 強烈な風に押しやられたかのように、壁に叩きつけられる。…いや、叩きつけられる瞬間、皆守が彼女と壁の間に入り、抱き留められる形となった。
 「あ〜、重い。お前、もうちょっとダイエットしろよ?」
 「失礼ね!」
 思わず礼の代わりに文句を口走って、彼女は床に降り立った。
 確認すれば、葉佩もふわりと回転して音もなく着地している。
 「葉佩君!」
 「何?」
 「雑魚は私たちが引き受けるからさ!葉佩君は、思い切りあいつやっつけちゃって!」
 ラケットで指した先には、巨大な二面の生き物。
 葉佩は数瞬何も言わずに首を傾げていた。
 「大丈夫!仲間だもん、私たちのこと、信じて!」
 「…俺も入ってるのかよ」
 気怠げなぼやきは無視して、葉佩を見つめる。
 「…仲間…」
 ぼんやりとその言葉を繰り返してから、葉佩は頷いた。
 「分かった。無理する駄目ですよー」
 「まーかせて!」
 ガッツポーズを後目に、葉佩は駆けていった。
 その間に、彼女はボールを高々と投げ上げる。
 「いっくよーっ!やっちースマッシュスペシャル!」
 「…なーにが、スペシャルだよ…」
 強力なスマッシュが蜘蛛を叩き潰す。
 大丈夫。
 ちゃんとやれる。
 <宝探し屋>の仲間として、ちゃんと戦えるのだ。
 「えへへ、次、いっくよ〜!」

 葉佩もマシンガンの射程距離にまで入り、構えた。
 まずは下の男の面を狙う。
 「ひぃっ!」
 だが、小さな悲鳴とかすり傷にしかならなかったため、舌打ちして狙いを変更した。
 「妻の顔を傷つけるなぁっ!」
 下の面が悲鳴を上げる。
 葉佩は、うっすらと笑みを浮かべた。
 そして、ありったけの弾丸を、女の面に撃ち込んだ。
 
 「それ」が光となって天井や床に吸い込まれていく。
 それと同時に、何かがひらり、と落ちてきた。
 目の前にひらひらと横切ったそれを捕まえて、彼女は首を傾げた。
 「…楽譜?」
 遺跡の薄明かりの中、五線に黒い小さな点が踊る。
 部屋の中央に倒れていた取手も、頭を振りながら身を起こし、床に落ちたそれを拾い上げた。
 顔にまとわりつく布を鬱陶しそうに引き剥がし、紙に見入る。
 「これは…楽譜…姉さんが、僕にくれた…」
 部屋を一周してきた葉佩が、彼女の手の楽譜も取り上げ、まとめて取手に差し出す。
 それを受け取り、次々とめくっていった取手は、額を押さえて、何かを思い出しているかのようだった。
 「そうだ…姉さんは…姉さんの音楽は、いつでも僕の中に……」
 胸に楽譜の束を抱えて、取手は呆然と天を仰いだ。
 そして、初めて彼らの存在に気づいたように、ふと顔を向けた。
 「君たちは…そうか、君たちが…うっすらと覚えているよ。僕と戦ったんだね」
 「ルート上の障害物は排除する」
 感情の無い声で告げた葉佩に、取手は眉を顰める。
 「葉佩…君?」
 「あ、あぁ!取手君、あのさ、葉佩君はちょーっと戦闘モードだけどさ!やっぱりいい人だから!」
 慌ててフォローする彼女を見てから、取手は立ち上がった。
 そして、礼を言おうとして、目の前でベストのファスナーに手をかけた葉佩に困惑する。
 「葉佩君?」
 アサルトベストを落とし、中の作業服のようなごわごわした服を上半身脱ぐと、そこには学生服が表れた。
 「律儀っつーか…」
 思わず呆れたように呟く皆守を意に介せず、葉佩は学生服も脱いだ。そして、取手に差し出す。
 「ん」
 「…えーと…え?その…僕に?」
 「寒い」
 寒いのなら脱がなければいいのに、あぁ、寒い、は僕のことなのかな、と考えながら受け取った取手は、ようやく自分の服装に気づいて悲鳴を上げた。
 「う、うわっ!僕、何て格好してるんだろうっ!」
 上半身にまとっている鋲付きのベルトをあわあわと外して、投げ捨てる。
 それから、葉佩の学生服を手に、ちょっと困ったように笑って手を通した。
 「ありがとう、葉佩君」
 さっさと装備を再着用した葉佩の代わりに、彼女が吹き出した。
 「うっわー!全然合ってないよ!」
 他人よりも大きく、そして不釣り合いなほどに長い腕の取手には、小柄な葉佩の学生服では全然足りない。
 「あ、あの、本当に、嬉しいよ、葉佩君」
 笑い転げる彼女に、葉佩が気分を害してないだろうか、と、取手はおろおろともう一度礼を言った。
 葉佩の手が動いて、顔に上げられた。ゴーグルが押し上げられ、直に目が現れる。
 ガラス玉のような瞳が、無感動に取手に向けられた。
 「礼の必要は無い」
 「うん、でも、嬉しいから」
 取手は、葉佩の真正面に立って、彼を見下ろした。
 「あの…本当にありがとう。きみのおかげで、僕は大切なものを思い出したよ」
 「…必要ない…」
 何故か、葉佩は一歩下がった。
 「俺は、ルート上の障害物を排除しただけ。お前、助ける気持ち、無い、でした」
 「うん、でも、ありがとう」
 更に、葉佩が下がる。
 「俺は、お前、殺した」
 「死んでないよ」
 ほら、と両手を広げてみせる。
 「俺は、仕事遂行しただけ」
 「そうなんだ…?」
 首を傾げた取手に、葉佩が忙しくこくこくと頷く。
 「君の仕事って…何?」
 取手が首を傾げたまま問うと、葉佩の動きが止まった。
 少し俯き加減で、小さな声で答える。まるで、ひどく恥ずかしいことを告白しているかのように。
 「ト、トレジャーハンター…ロゼッタ協会て組織に所属してるです…」
 「トレジャーハンター…<宝探し屋>?」
 目を見開いた取手に、葉佩がますます俯いた。
 「トレジャーハンター言うと、格好良いように聞こえるですけど、ただの<盗掘屋>です。昔の人が隠してたものを暴いて外に出すが仕事です」
 「でも、僕の<宝>も取り返してくれたよ?ありがとう、葉佩君」
 「ち、違うですよ!俺は、そんなつもり全部無いでしたよ!」
 何でそこまで礼を言われるのを嫌がるんだろう、と彼女は不思議に思ってから、答えを一つ導き出した。
 「あ!分かった!葉佩君、照れてるんだね!」
 「ち、ち、ち、違う…!」
 明るく笑う彼女に、葉佩はあわあわと手を振った。
 その手袋と袖の間から覗く腕が、まだ干涸らびているのに気づいて、彼女は眉を顰めた。
 取手も気づいたのだろう、申し訳なさそうに背の高い体を曲げて、葉佩の手を取ろうとした。
 咄嗟に、それを避けた葉佩に、情けない笑いを浮かべて、取手は手を引っ込めた。
 「あの…僕は、吸い取った精気を戻すことも出来るから…こんな手で触られるのはイヤかもしれないけど、君の手を戻す間だけでも、我慢してくれないかな…?」
 ぷるぷると首を振って、葉佩は隠すように自分の手を抱え込むように丸まった。
 取手はゆっくりと腕を上げ、自分の顔の前で手を握ったり開いたりした。
 「やっぱり…イヤだったね…ごめん。こんな普通じゃ無い手、気持ち悪いよね…」
 もう一度葉佩は首を振った。
 「違う、そうとなくて…」
 がりがりと細い枯れた指が、髪を掻き回した。
 「ニポン語、難しい…」
 呟いてから、葉佩はゴーグルから延びるインカムを口に当てた。
 葉佩の口から綴られる言葉が、女性の機械的な声に変わる。
 「もしも汚れている手があるとしたら、それは私の方です。何故なら、私はたくさんの生き物を殺してきました。虎やライオンやパンダと言った野生動物や、サソリや毒蛇といった遺跡に巣くうもの、生ける屍のような自然ならぬ者を殺してきました。それから…」
 インカムを離して、自分の口から、はっきりと。
 「人間も、殺した」
 細い腕を上げて、目を細めて葉佩は続けた。
 「特別な力、無い。でも、人を殺せる手」
 彼女は、黙って見守っていた。
 今、口を出すと、「何でパンダ?」とこの場にそぐわない質問をしてしまいそうだったから。
 たぶん、それは心の防御反応だ。
 目の前の転校生が、普通じゃない職業に就いているのは理解している。『敵』を殺すのも、ただ、凄い、と賞賛を覚えただけだった。
 だけど。
 『人間も殺した』という言葉は、予想以上に彼女に衝撃を与えた。
 マシンガンを持っているのだ。魔物のみならず、人間を殺せるのも頭では理解できる。だが、『殺せる』と実際に『殺した』の間は限りなく遠い。
 ドラマの中の登場人物のように憧れを持って見ていられた彼を、今度はふと隣に現れた殺人鬼のように見てしまうのは、人としていけないことだと分かっている。
 だけど。
 だけれども。
 彼女は、何も言わずに、立っていた。
 そして、取手はどうするのだろう、と目をやった。
 取手は、ふわりと笑った。
 「違うよ」
 そして、隠そうとする葉佩の手を強引に取って、捧げるように持った。
 「君の手は、僕に<宝>を取り戻してくれた手だ。僕にとっては、これ以上無いくらい、大切な手だよ」
 握った手が、白く光るのが見えた。
 そうして、枯れた手が見る見るうちに元の姿を取り戻すのを興味津々で見ていた彼女は、ふと何かが唸るような声がするのに、きょろきょろとあたりを見回した。
 そして、そのうち、その「うー」という押し殺した響きが、葉佩の喉から漏れているのに気づいた。
 唸りながら、ようやく離された手で、ゴーグルを下げる。
 彼女は、隠されたゴーグルの下から、何かが筋を描いて落ちていくのには、気づかないふりをすることにした。
 何だか釣られて、鼻を啜り上げた彼女に、気怠そうな声がかけられた。
 「おい。いい加減、メロドラマは上でやらねぇか?」
 「うわ、皆守君てば、ひどーい!」
 この良い雰囲気を壊すなんてっ!と食ってかかった彼女に、皆守は髪を掻き回しながら叫び返した。
 「ひどい、じゃねぇだろうが!こんな夜中まで付き合わされた挙げ句に、延々ラブシーンを見せつけられてみろ!いい加減、帰りたくもなるだろうが!」
 「あ〜、皆守君てば、妬いてるんだ〜!」
 「違うっ!断じて、違うっ!」
 ぎゃあぎゃあ言い合う二人の背後では、取手が頬を染めていた。
 「ラ、ラブシーンて…」
 葉佩の方は、じっと自分の手を見ていたが、慌てて顔を上げて、すん、と鼻を鳴らした。
 「じゃあ、帰ろうか」
 そうして、彼らは遺跡から帰ることにした。
 先頭に、ぶつぶつ文句を言いながら進んでいく皆守、その背後から歩きながら、彼女は時々背後をちらりと振り返った。
 つんつるてんの学生服を着た背の高い男と、作業服を着た小柄な男は、何かとても大切なものでも持っているかのように、お互いの手を握っていた。
 背後からは、一言も会話は聞こえない。
 けれど、たぶん、あの手で会話しているのだろう、と彼女は思った。何も、指文字で会話していると言うのではない。ただ…合わせた手で、何かを語り合っているのだ。

 ロープを伝って墓の上に戻った彼らは、ひとまずその穴を分かり難いように隠した。
 その間に、取手は名残惜しそうに葉佩の手を離して、植え込みの当たりに入っていった。
 「あ、あった」
 何となく自分の行動を覚えていたのだろう、隠していた自分の学生服を見つけた取手は、着替えて、葉佩の学ランを手に戻ってきた。
 それを受け取って、作業服から学生服に着替えた葉佩に、自分の生徒手帳から取り出したものを押しつける。
 不思議そうに見上げる葉佩に、顔を赤らめながら、しどろもどろに言う。
 「その…僕のメールアドレスも書いてあるから…よければ、次に君がここに潜る時には、同行させて欲しいと思うから…連絡して欲しい」
 真っ赤になる取手の顔色が移ったかのように、葉佩の顔も真っ赤に染まっていった。
 「あ…そ、その、だけど、危ない、ですよー」
 「だから、その…君を守るために、僕の<力>を使いたいんだ…」
 「危ないから…今度は一人で行く思てたですよ」
 「僕じゃ、頼りないかな…」
 「えと、そじゃなくて…えと…」
 もじもじもじもじもじもじもじもじ。
 とりあえず、彼女は、うんうん青春だね〜と微笑ましく見守っていたが、皆守は、明後日の方を見ながら、「あ〜、ケツかゆ」と呟いていた。が、まあ、実際尻を掻きながらも、その場にいるのだから、意外と世話焼きなのかもしれない。
 ふと彼女は気づいて、口を挟んだ。
 「あれ?葉佩君、一人でって…私たちも連れていかないつもりだったんだ?」
 「俺も入れるなっつーに」
 彼女に蹴られて呻く皆守を横目で見ながら、葉佩は首を傾げた。
 「え?やっちー、また来るつもりでしたか?」
 「あったり前じゃない!<仲間>だもんねっ!」
 えへへ、と鼻を擦る彼女に、葉佩は俯いた。
 「あの、俺…ホントは、人嫌い。『遺跡で出会う人間は、商売敵。隙を見せるな、殺られる前に殺れ』教えられてた。遺跡の中の俺、本物。学校の俺、偽物。…本物、見たら、もう来ない思った」
 ゴーグルを外して、しょぼんと俯く葉佩に、彼女の母性本能が燃え上がった。
 「か、可愛い〜!葉佩君、可愛い〜〜!」
 やーん!と葉佩に抱きついた彼女に、取手が「あぁっ!」と悲鳴を上げた。
 「大丈夫!ちょっとびっくりしたけど、葉佩君はいい人だよっ!また次も呼んでねっ!」
 「そ、そですか…」
 彼女の胸に抱え込まれた葉佩は、耳まで赤くなりながら呟いた。
 皆守が、盛大な欠伸をした。
 「あ〜あ。付き合ってらんねぇぜ、まったく」
 そう言って、わざとらしく腕時計を確認しながらきびすを返す。
 「あ、皆守君も、また来るよね!」
 「んあ?」
 振り向いた皆守は、顎に手をやり数瞬考えてから、にやりと笑った。
 「ラブシーン無しならな。また付き合ってやってもいいぜ」
 また数歩進んでから振り向く。
 「お前らも、さっさと帰って寝たらどうだ?取手、葉佩、寮に帰ってまで、運動するんじゃねぇぞ?」
 そう言って、ぷかーっとアロマを吹かす皆守の後頭部に、テニスボールが食い込んだ。
 「な・ん・て・こ・と、言うのよ〜〜!」
 「おぐわっ!こ、こら、八千穂、止めろ!」
 「天罰!」
 目の前の光景に、取手と葉佩は顔を見合わせた。
 ちょっと笑ってから、寮に帰るために二人並んだ。
 

 そうして、手を繋ぐ。

 手のひらが、ぴったりくっつくように。
 お互いの手を包むように。

 手を、繋ぐ。








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