青色



 取手鎌治は、顔立ちは美少年だがこれまでの人生で女性にもてるということは無かった。
 青白い肌、異様なほど長い手足、その体格を強調するような姿勢。
 それに引っ込み思案で物静かと言えば聞こえはよいが、ほとんど聞き取れないような暗い喋り方をする陰気な男、というように見られていれば、女性が声をかけないのも無理は無い。
 だが、葉佩九龍と出会って、彼は変わった。
 体格に変わりは無いし、喋り方がぼそぼそとしているのも同じであったが、性格が情熱的で一途であることが周囲に知れた。
 となると、俄然女子生徒の人気を集めることになったのである。
 天香学園バスケ部を全国レベルに仕立て上げた立役者であり、未来の世界的ピアニスト。それだけでももてる要素はある。
 とはいえ、葉佩が学園にいる間は、介入する余地は無かった。取手には葉佩しか目に入っていないのは一目瞭然であったし、葉佩の方もかなり独占欲が強かったのだ。
 だがしかし。
 葉佩がいなくなった今。
 邪魔者が消え、かつ、その心の隙間を埋めるという母性本能をくすぐるシチュエーションとなれば、女子生徒が放っておくはずもなく。

 前置きが長くなったが、これは、2005/2/14の物語である。


 「あの…これ、受け取って下さい!」
 綺麗なソプラノが熱を込めて歌うのを、取手はその顔を見ることすらなく断った。
 「ごめん、好きな人がいるから」
 口下手とはいえ、朝からこれで二十数回目となれば口も滑らかに動くというものである。
 第一、嘘を吐いているのではなく本当のことだし。
 葉佩がこの学園から去ったことは周知の事実である。だが、彼がもう戻ってこないことを確信している者は取手以外にはいない。
 それゆえ、転校していった葉佩と未だ付き合っていると言われれば、素直に引き下がるより他無かった。
 普通ならこんなにも女性にもてることを光栄に思うべきだし、あるいは戸惑うべきなのかも知れなかったが、取手としては一つのことしか考えていなかった。
 そう、葉佩から何か…メッセージの一つでも良いから送られてこないか、というただ一点である。
 葉佩がこの学園内にいなかろうが、こちらからは連絡の取りようもなかろうが、そんなこととは全く無関係に、取手にとって話をしたこともない女子生徒など一山20円の芋の山でしか無かった。
 その証拠に、可愛らしい女子生徒が涙ぐみながら立ち去っても一顧だにすることなく、自分の携帯を確かめては溜息を吐くというのを繰り返している。
 そんな中、また一つの愛らしい声がかけられた。
 「ちょっとよろしいかしらぁ?」
 「ごめん…あぁ、椎名さん」
 反射的に定型文を唱えかけて、取手は顔を上げて相手を確認した。
 椎名リカは<仲間>である。取手と葉佩の仲を知っているし、どちらかというと応援してくれている女性である。無碍にする相手ではない。
 「ふふ…ごきげんよう、取手くん。おもてになるようで少し妬けますわぁ」
 小さな白い手を口に当てて、お人形のような容姿の女性は笑った。
 そして、レースのスカートをわずかに持ち上げて、軽く礼をする。
 「少しお時間頂けますかしらぁ?」
 「喜んで」
 教室にいるのは落ち着かないと思っていたところだ。取手は素直に立ち上がって、椎名の後を付いていった。

 椎名の管理している理科室に入って、勧められた丸椅子に腰掛ける。
 準備室の方から戸棚を開け閉めする音がして、がさがさという紙袋が鳴る音がした。
 「どうぞ、取手くん」
 戻ってきた椎名に差し出されたものは、椎名が手にするには似つかわしくない、飾りの一つも無い素っ気ないほどただの薄茶色の紙袋であった。
 一瞬、受け取って良いものかどうか戸惑う。
 <仲間>とはいえ、相手は女の子である。バレンタインデーという日に何か差し出されて受け取っては、まずいことになるのでは無いだろうか。
 だが、差し出したまま、椎名はくすくすと笑った。
 「残念ながら、リカからではございませんのよ?九サマからお預かりしておりましたの。バレンタインに渡して欲しいって」
 「え…」
 声は戸惑っていたが、腕は脊椎反射並のスピードでその紙袋を奪っていた。
 気を悪くした様子もなく、椎名はまたころころと笑った。
 「リカはぁ、九サマのお師匠様でしたのよ?ですから、リカがお預かりしておりましたの」
 そう言われてから、ようやく自分が『何故椎名が葉佩から預かったのだろう』と疑問を顔に出していることに気づいて、取手はうっすらと頬を染めた。
 その顔を隠すように俯いて、紙袋を見つめる。
 ただのセロハンテープで留められたそれをゆっくりと剥がすと、中からは毛糸の塊が現れた。
 いや、広げると長い長方形なそれは、マフラーだろうか。
 「何て言うか…派手だね…」
 ぼそりと呟く。
 マフラーは二色の縞で出来ていた。
 一つの色は、濃紺。取手のパジャマの色である。
 それは、まあ、良い。
 だが、もう一つが鮮やかなオレンジ色というのは何なのだろうか。
 
 
 彼らが一つのベッドに『そういう』意味で眠るようになってからは、たいてい全裸で抱き合って眠っていた。それゆえ、お互いパジャマを着ることは無くなっていた。
 だが、寒い夜には、時折葉佩が取手のパジャマを借りることがあった。濃紺色のそれの上着だけを羽織っている姿は大変男の本能をくすぐるものがあって、たいていすぐに脱がす羽目になったのだが。
 いや、まあそれは置いておいて。
 「かまち君は、青色が好きなんですね」
 気怠げな表情で、濃紺のパジャマを軽くひっかけながら葉佩が呟く。
 「うん…何となく」
 薄青のシーツに濃紺色のパジャマ。
 清潔な色合いとも言えるが、冬には寒々しい見た目であった。
 葉佩が長く余った袖を、取手の顎の下に添える。
 「うーん…似合うんですけど、余計に顔色が白く見えるでしょうか」
 それから首を傾げて、何かを考えているように目を細めて取手の顔を見つめる。
 「でも、暖色系だと、それはそれで顔色が悪く見えるかもしれないし…」
 「何が?」
 「いえ、こちらの話です」
 ふふ、と笑って、取手の頬にキスを落とす。
 「赤やピンクという気はしませんし、茶色や緑というのも少しイメージが違う気もしますね」
 「うん…私服は、青系かモノトーンが多くなっちゃって」
 取手自身にも、己の容姿からして明るい色合いは似合わないのを知っている。だからつい、暗い色の服が多くなってしまったのだが。
 「かまち君は、何を着ても素敵でしょうけど」
 そうして、今度は唇へのキス。
 愛おしさを露にして見つめる葉佩の肩を掴んで、上下を逆転させた。


 「あの時から…マフラーの色を考えてたのかな…」
 ぼそりと呟くと、椎名が小首を傾げた。
 「リカにも相談されましたわぁ。どの色が、かまち君を一番素敵に見せるだろうって。ふふ、難しい質問ですわねぇ?」
 愛らしく鈴を転がすような笑いをこぼす椎名に、取手は赤面した。
 「濃紺は素敵な色ですけれど、首に当てると顔色を悪く見せますものねぇ。明るい色をお勧めしたのですけれど、取手くんの好みでなければ使って貰えないだろうからって。ふふ、取手くんなら、どんな出来であろうと九サマが編まれたものならいつでもお使いになるでしょうけど」
 「うん…」
 頷いて、毛糸の塊を抱き締める。
 それはどう贔屓目に見ても不揃いで、子供が編んだような代物であったが、その一つ一つを葉佩が編んだのだと思うと、愛おしくて仕方がなかった。
 濃紺の夜の色と、鮮やかな夕日の色を交互に編んで、葉佩はどんな気持ちを込めたのだろうか。
 マフラーに頬ずりしていると、椎名が少し悪戯っぽく目を輝かせた。
 「申し訳ございませんけどぉ、端っこだけはリカがお手伝いさせて頂きました。九サマってば、端っこをちょきんってハサミで切って来られたんですもの。残り糸で修復するのは大変でしたわぁ」
 両端を見てみれば、きゅっと絞られて可愛らしいポンポンが付けられている。するとこの部分だけは椎名の趣味か。
 「ハサミでちょきん?」
 編み物は全く分からないが、昔母が編んでいるのを見た限りでは、最後を切り落とすものでは無いだろう。布で作っているのでもあるまいし。
 怪訝な顔で取手がマフラーの端を眺めていると、椎名が柔らかく微笑んだ。
 「大きさにもよりますけれど、マフラー1本編むのに必要な毛糸は1玉。2色使ったので、そのまま全部使ったなら、2本分の長さが出来ますわ。リカが思うに、九サマは全部編んで、それからそれを半分に切ったのではありません?」
 本当は、2本編むのなら、いったん編み終えてそれから新しく始めるものなのだろうけど。
 わざわざ1本に編んだものを二つに切るところを思い浮かべて、取手はマフラーをぎゅっと握った。
 今頃、葉佩はその片割れをどうしているのだろう。
 葉佩の首にもその濃紺とオレンジの縞は巻かれているのだろうか。それとも暑い遺跡で、マフラーはしまわれたままだろうか。
 「ありがとう、椎名さん。預かってくれて」
 取手が深く腰を折ると、椎名はスカートを摘んで礼をした。
 


 それから、取手の首にはその鮮やかなマフラーが巻かれることになった。
 時折、オレンジ色の毛糸屑が視界の端を掠めることがある。
 そんな時には、日に褪せた薄茶色の髪の人を思い出して、ふと周囲を見回してしまう。
 それに、夕日の色は、その中で寂しそうに微笑んで去って行った誰より愛しい人を思い出させる。
 その彼自身は、夕日を嫌いだと言ったけれど。日に満ちた明るい時間が終わる、その瞬間が嫌いだと言ったけれど。
 けれど、夕焼けを見ると、彼を思い出さずにはいられない。
 そして、取手が、夕日の色を見て彼を思い出すように、濃紺の空を見て、彼もまた取手を連想してくれると良いな、と思う。
 そうすれば、きっと、いつでも取手の心は彼と共にあることを思い出してくれるだろうから。
 彼が、一人で闇の中で震えていないことを願う。
 同時に、彼が空虚さに耐えかねたなら、帰ってきてくれるのでは無いか、と淡い期待も抱く。
 取手は、マフラーにそっとキスする。
 彼がいつでも帰ってこられる拠点となるように、礎を築くと心に誓った。
 そのために、今、出来ることをしなければ。







 ちなみに。

 「椎名リカはレース編みは得意だが、毛糸でマフラーを編むのは下手糞だ」という噂が流れて、椎名が怒り狂ったのは、また別の話である。








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