親友
取手がそこに通りがかったのは偶然だった。
保健室に行く途中、職員室の開いた扉。
そこから一人の声が聞こえてきたのは、それが女性のソプラノで、良く通るせいだったのと。
「ふふ…葉佩くんもこの学園に慣れてきたみたいで、先生、嬉しいわ」
『葉佩』という単語のせいだった。
雛川の明るく楽しそうな調子から言って、お説教に呼ばれたのでは無さそうだ。
職員室に使えるモノを物色に来て、捕まったというところだろうか。
彼が立ち止まってしまったことに意味は無い。
葉佩を心配したのでも、あの若くて綺麗な先生に嫉妬したのでも無い。
ただ、葉佩が職員室から出てきたときに『偶然』出会えればいいな、と思っただけだ。
ちょうど、職員室の扉と保健室の間には太い柱が廊下に張り出している。
彼はそこに身を潜めて、職員室の会話に耳を澄ませた。
「お友達も増えたみたいね。同じクラスの子たちだけじゃなくて…えっと…そう、A組の取手くん。彼とも仲が良いって聞いてるわ。他のクラスにもお友達がたくさんいるなんて、すごいわ」
担任は単純に喜んでいるらしい。日本に不慣れで言葉も怪しかった葉佩に、どんどん友達が増えるのが嬉しい、と。
まるで小学生並の心配だったが、雛川のキャラクターから言って皮肉でも何でもないのだろう。
「友達じゃ無いですよ」
一瞬、何を言っているのか、分からなかった。
葉佩の、淡々とした声は、雛川の良く通るソプラノと違って喧噪に紛れやすかったから。
「…え?」
雛川も、不思議そうに聞き返す。
「取手くんとは、友達じゃ、ないです」
ゆっくりと、噛み締められるように発音されるそれ。
今度は、自分を誤魔化すことも出来そうには無かった。
酷く頭痛がする気がして…取手は、すぐ前にある保健室の扉を開いた。
ルイ先生は不在だった。
利用票に記入して、誰もいない保健室で一番奥のベッドに腰掛ける。
入り口のカーテンも閉めて、完全に入り口からの視線を遮断する。
薄く冷たいシーツに潜り込んで、彼は目を閉じた。
友達じゃない
彼は葉佩が大好きだった。
大事な大事な友達。
彼を闇から救ってくれて、宝物を取り戻してくれた大切な存在。
強いだけではなく、どこか危なかしい脆さもあって、守らなくては、いや、守りたいと思わせる人。
学校では明るく陽気で、たくさんの友達がいるけれど、彼は<特別>なのだと思っていた。
毎日食事を共にして、昼休みや放課後にはピアノを聞いてくれて、週に2回は一緒のベッドに寝て。
同じクラスの皆守には敵わないかも知れないけれど、異なるクラスにいる者としては、一番多くの時間を共に過ごしていると思っていたのに。
なのに。
『友達』とは思われていなかったとは。
では、あの時間は何だったのだろう。
同情されていた?
『友達』でも無いのに、彼に付き合ってくれるなんて。
葉佩はとても優しい人だから。
保健室の扉ががらりと開いた。
この足音はルイ先生だ。
ルイは入り口の帳面をめくって、彼の名を見つけたようだ。
「どうした?取手」
「…すみません…頭が、ひどく痛いだけです。…寝ていれば、治ると思います」
そう、頭が痛いだけ。
ずきずきと、脈打つように頭が痛いだけ。
こんな痛み方は久しぶりだ。まるであの頃のよう。
最近は…痛みを感じることも少なくなったし、頭痛がしても、葉佩が額を撫でるだけでマシになっていたのだ。
あぁ、そうだ。
最近は、保健室に来ることも少なくなっていた。
保健室で寝ていると、すぐに葉佩がやって来て心配そうにするから。
そういえば、今日は葉佩は来るだろうか?
音楽室にいなければ、ここに探しに来るはず。
…今は、会いたくない。
会えば、ひどいことをしそうだから。
だが、昼休み終了のチャイムが鳴っても葉佩は来なかった。
何故来ないのだろうか。
今頃、葉佩は何をしているのだろう。
皆守と授業を受けているのだろうか。それとも、二人で屋上で昼寝?
駄目だ。
会いたくないのに、会わないと胃が焼け付きそうだ。
保健室内にはルイが何か書いているのだろう、ペンが滑る音だけが響いている。
授業時間のため、校内はとても静かだ。
「取手。何か言いたいことがあるなら、聞くが?」
穏やかなカウンセラーの声に、取手はシーツに潜り込んだ。
何か言いたいこと?
そんなものは無い。何も言えることは無い。
言ってしまって、止めて貰えば良いのだろうか?
『友達』ではないのなら…どうせ、嫌われているのなら…力尽くでも彼のものにしてしまいたい、というこの気持ちを。
授業終了の鐘と共に、彼は保健室を辞去した。
ルイの心配そうな視線を見るに、彼は随分とひどい顔色をしていたのだろう。だが、カウンセラーは無理矢理聞き出すことはしなかった。
「悩みがあったら、いつでもおいで」
午後中授業を受けなかった彼を咎めもせず、そんな風に言っただけだった。
保健室を出て、彼は少し悩んだ。
このまま寮に戻るか、それとも。
だが、寮に帰っても、ただ部屋で悩み続けるだけだろう。
それに、誰とも会いたくない。
だから、彼は音楽室に行って、入り口の鍵を閉めた。
カーテンも閉めてしまえば、そこは彼だけの空間。
ピアノの鍵盤に指を乗せる。
だが、音楽は、彼の中から全く流れてこなかった。
まるで姉が死んだ時のように、彼の中から旋律が失われている。
それでも、慣れた曲を機械的に指に辿らせた。
葉佩が隣にいてくれれば、身の奥から滾々と湧き出る泉のように、旋律が溢れてくるのに。
葉佩がいないと、彼は音楽すら聞こえない。
何てひどい依存。
自分の弱さと醜さと。
それから、彼をそんな風にしてしまった葉佩への憎悪と。
優しい音の代わりに、漏れ出るのは刺々しい軋み。
それ以上聞きたくなくて、指を鍵盤に叩き付けた。
顔を覆っていると、耳に小さな音が聞こえた。
入り口の鍵が開けられる音。
音楽室の鍵を持っているのは、彼と、生徒会長と、それから。
静かに開かれた扉から、小柄な体が滑り込んで、またかちりと音がした。
鍵が閉ざされる音。
そろそろ下校時刻のはずだ。一般生徒は校内にいられない。見回り対策のための行為とは分かっていたが、今の彼には、その音は葉佩と二人きりでここにいるのを否が応でも知らしめられる音であった。
葉佩が足音も立てずに近寄ってくる。
「あの…かまち君が…泣いてる気がした、から…」
葉佩は、おずおずといった調子でひそやかに声をかける。
その声の調子に含まれる労りや気遣いが、すべて同情だか博愛精神だかに則っているものかと思うと、腹の奥にかぁっと燃えるものがあった。
「…下校時刻は過ぎている、<一般生徒>」
嗄れた声が、彼の口から漏れた。
「規律に従わない者は、生徒会執行委員として、処罰する…!」
葉佩の歩みは止まらない。
彼の座るイスに膝を乗り上げ、手に覆われた彼の顔を覗き込もうとした。
「かまち君」
甘い甘い声。
「どうかしましたか?頭が痛いですか?」
額に伸びた手を掴む。力を込めて握れば、葉佩の顔が苦痛に歪んだ。
「かまち君?」
あぁ、苦痛を堪えて、訴えるように見つめる葉佩の、何と愛おしいこと。
手を掴んだ右手はそのままに、体を捻って左手で葉佩の首を掴んだ。
彼の長い指で軽々掴める細い首。
精気を吸うまでもない、ちょっと力を込めれば、葉佩は死ぬだろう。
そうすれば、葉佩は永遠に彼のものになるだろうか?
指に触れる葉佩の脈動が、いつもより少し早い。
怯えているのだろうか、と顔を見れば、闇の中で金色に光る猫のような目が、彼をじっと見つめていた。
その光が、陶然とした色を湛えていたため、彼は身じろぎした。
「…俺を…殺すの?」
囁き声に、恐怖は微塵も感じられない。むしろ愛の言葉でも囁いているような響きに、彼は指に力を込めた。
ん、と息を詰めた声を漏らしながら、葉佩の手は、彼の手を引き剥がそうとはせず、彼の頬を撫でた。
「俺を殺しても良いけど…泣いちゃ駄目ですよ。心配で、死ねなくなるから」
愛撫するような柔らかなタッチで、指が頬や目の下をなぞる。
「心配?同情、するのか?」
「…そんな、ん…優しい、気持ちじゃ…」
空気を求めて喘ぐ様子に、かぁっと頭の奥が痺れた。
「僕を、誘惑するのかい?そうやって、僕を、滅茶苦茶に、掻き乱す…!」
いっそ、本当に殺してしまえれば。
だが、彼は指に力を込める代わりに、手を握ったままの右手を引いた。
そうして、飛び込んで来た葉佩の体を抱き締める。
「君は、ひどい…!」
「今更、気づいたんですか?俺は、ひどい人間ですよー」
おどけたような口調の中に、どこか苦い自嘲じみた響きがあって、彼は葉佩の顔を覗き込もうとした。
だが、それを嫌がるかのように、葉佩が彼の背中に回した手に力を込めた。肩口に埋めた口から、くぐもった声を出す。
「ねぇ、かまち君。何かありましたか?虐められでもしましたか?」
少しの逡巡の後、彼は呟いた。
「虐めたのは、君だよ」
だが、予想外に葉佩は驚かなかった。それどころか、くすくすと小さな笑いさえ漏らした。
「それは良かったです。他の人に虐められるのは、我慢できません」
そうして、顔を上げて婉然と微笑む。
「知ってます?俺は相当嫉妬深いんですよ」
知っている…ような気がした。
彼が他の人と話をしていると、すぐに膨れ面になる。それは大事な友達を他の人に取られるのがイヤだという可愛らしい独占欲。
葉佩がそんな風だから、彼は、葉佩が自分のことを『友達』だと思っていると思いこんでいたのに。
友達じゃない
また、昼間の葉佩の声が耳の奥に甦って、彼は首を振った。
「それで…俺は、何をしましたか?」
何かを強請るような声に、彼は口を開きかけて…閉じた。
もしも、はっきりと、「友達じゃない」と言われたらどうしよう。
彼が葉佩を好きなように、葉佩の方も彼を憎からず思っていると感じたのが、とんでもない間違いだったのならどうしよう。
彼が、何も言わずに済ませたら、少なくとも今の関係は持続するのではないか?
「ねぇ、かまち君。言ってくれないと、分からないです」
肩からくすぐったく響くのは、悪魔の誘惑に似ていた。
何より魅力的で…性が悪い。
葉佩が顔を上げる。
金色の目で、彼を見つめながら、甘く囁く。
「かまち君」
古来、悪魔の誘惑に耐えられた人間は多くない。だからこそ、誘惑を退けた者が「聖人」と称えられるのだ。
そして、取手鎌治は、聖人では無かった。
「君が…昼、言ったんだ。友達じゃないって」
手から水が漏れるように、口からこぼれた言葉に、葉佩は驚いたように目を見開いたが、どこか冷静な光も奥にあることに彼は気づいた。
「それで…俺が、友達じゃない、と言ったから、かまち君は、傷ついている、と?」
一言一言確認するように葉佩はゆっくりと発音した。
「そうだよ…だって、僕は…君の友達だと…一番仲が良い、親友だと、思っていたから」
親友、という単語には躊躇いがあった。
大勢友達のいる葉佩に、自分が親友などと名乗るのはおこがましい気がしたから。
ふぅん、と葉佩が気の無い声で相槌を打った。
彼としては、一世一代の告白、くらいにドキドキしながら『親友』と言ったのに。
「かまち君は」
葉佩が彼に抱きついていた腕を解いた。
「俺のことを、親友だと思ってたですかー。ふぅん…」
淡々とした声に、感情は混じらない。
しばらく、ふぅん、と繰り返した葉佩が、目を細めてにぃっと笑った。
「かまち君が、そう望むなら、俺も『親友』ってことで良いですよ?」
くすくすと笑う様子に、まるで逆のことでも言っているかのような錯覚に陥る。
何か、間違えただろうか。
彼は、手のひらに汗が滲むのを感じた。
もう一度、考える。
「友達じゃない」
「かまち君が望むなら」
葉佩の言い方は、まるで彼が葉佩のことを「友達とは思っていない」だろうと確信しているかのようで。
彼は、葉佩を『友達』と思っているのに。大事な『親友』だと。
葉佩の指が、すぅっと上がった。
人差し指が、軽く彼の唇を押さえる。
くすぐったく滑る感触は、愛撫のようだ。
その動きを止めたくて、触れる指を上下の唇で挟むと、葉佩が静かに囁いた。
「ねぇ、『親友』のかまち君。『お友達』として、相談に乗って頂けますか?」
何が間違っているのだろう。
彼が、何かを間違えているらしいのに、それが何か分からない。
頭の中で忙しく考えながら、彼はぼんやりと頷いた。
「え…う、うん…僕で、良ければ…」
「そうですか、それは良かった」
一言一言が、彼を切り刻むナイフのよう。
葉佩の無感情に炯々と光っていた瞳が、揺れた。
「大好きな人がいるんです。とてもとても大切で、愛おしい人が」
ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
咄嗟に、葉佩の口を手で覆う。
その手をゆっくりと外させて、葉佩はにっこりと笑って見せた。
「相談に乗ってくれるんでしょう?『お友達』のかまち君」
「聞きたくない!」
「駄目だよ駄目だよ、ちゃんと聞かなきゃ、『お友達』」
耳を手で塞いでも、歌うような声が忍び込む。
「だって、『親友』なんですから。ねぇ?」
「イヤだ!聞きたくない!僕は…僕は……」
何故、彼が葉佩の恋愛相談に乗ってやらねばならないのか。
誰よりも大切で、彼だけのものにしたいと願う相手の口から、『大切で愛おしい人』などと言われるのは耐えられない。
「だって『お友達』は、恋愛相談にも乗ってくれるものでしょう?。ねぇ、聞いて。その人だけを手に入れたいんです。他の何かを傷つけても、ね」
くすくすと笑うのは、ロゼッタ経由の依頼人の少女の口癖に似ていたからだろう。
「それは…誰?」
いつも一緒にいる皆守だろうか?
それとも、明るい八千穂?秘密を共有した七瀬?
それともそれとも…愛らしい椎名、放っておけないと言っていたトト、話の合う墨木…他にも大勢いる、葉佩のバディたち。
殺してやりたい。
葉佩に、そこまで想われる相手を、殺してやりたい。
障害物を排除して…葉佩をどこかに閉じ込めて、彼だけのものにしたい。
あぁ、何て醜い独占欲。
「誰のこと?九龍くん、誰か教えてくれないか?」
そうじゃないと、相談にも乗れない、と心にもないことを言って。
腕を掴んだ手は、かなり力が入っていただろうけど、葉佩は痛そうな素振りも見せず、くすりと笑った。
「秘密ですよ。だって、もう振られたし」
唇に笑みを掃いたまま、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
まるで、そこだけ別人のように、透明な滴が盛り上がっては頬に伝う。
「振られちゃったんですよ。誰より好きなのに」
葉佩は、くすんと鼻を鳴らした。
彼の中に、矛盾する感情が渦巻いた。
葉佩が他の人間のものにならなくて良かった、という、どす黒い悦びと、こんなに可愛い葉佩を振るなんて、というその見知らぬ誰かに対する憤りと。
「な…泣かないで、九龍くん…」
指先で涙を拭う。
次から次へとこぼれるそれが指を濡らしていく。
「な、何かの間違い、とか…じゃ、ないのかな…君を振るなんて、そんなの、考えられないし…」
あぁもう、何を言ってるのだろう。
葉佩の目が、ちかりと強い光を放った。
「かまち君は、俺とその人のことを、応援してくれるんですか?」
そんなのは、イヤだ。
葉佩が彼ではない誰かと歩いたり、食事をしたり、一緒にいたりするのを見るのは耐えられそうにない。
けれど。
この感情は知られてはいけないものだ。
彼は葉佩の『友達』なのだから。
「その…もう一回、話してみれば…どうかな…勘違い、かも…しれない…し…」
途切れ途切れに言う彼に、葉佩は溜息を吐いて、ごしごしと目を擦った。
「擦っちゃ駄目だよ。赤くなるから」
手を取ろうとしたら、振り払われた。
そんな風に乱暴にされたのは初めてで、彼は目を見開いた。
ふぅ、と葉佩が大きく息を吐いた。
「完全に、振られた、と解釈して良いのでしょうか?ねぇ、『お友達』のかまち君」
あれ?
「あの…えっと……その……」
「『お友達でいましょうね』というのは、振る時の言葉なんでしょう?もー、信じられない!俺と同じ気持ちでいてくれてると思ってたのにっ!」
「あ…あの…九龍くん…?」
「しょうがないから、『お友達』で我慢しておいてあげますよ、かまち君」
ぷぅっと頬を膨らませて、葉佩はイスから降りた。
すたすたと音楽室を出ていこうとしながら、ぼそりと呟いた。
「ちぇー、甲ちゃんにでも慰めて貰おうっと」
「ちょ、ちょっと待って、九龍くん!」
辛うじて扉の前で捕まえることに成功して、彼は葉佩を腕の中に閉じこめた。
身藻掻く葉佩を押さえつけて囁く。
「教えて。九龍くんの好きな人って…誰?」
「ひーみーつーでーすー!」
「じゃあ…ヒントだけでも。その人の、どんなところが好き?」
「全部ですよっ!」
間髪入れずに返ってくる言葉。
「俺より頭一つ分背が高いところとか」
これで女性陣の大部分は消去可能。
「長くて骨張ってて男らしい指とか」
性別:男性。
「汚れた俺の手を、気にせず握ってくれるところとか、俺を守ってくれようとする姿勢とか」
これは、バディたち全員に当てはまってしまうが。
「綺麗なピアノを弾いてくれるところとか、バスケしてるとすっごく格好良いところとか」
えーと。やっぱり、それは。
「俺のことを好きなくせに一言も言わない、そのいけずなところも全部含めて大好きですよ、かまち君のことがっ!」
「い…いけずって…日本語、上達したね、九龍くん…」
「…人が告白してるのに、ぼけるところも大好きですよ。もう、好きで好きでしょうがないんですから、かまち君が何しても許せます」
あぁあ、と葉佩はいきなり脱力した。
咄嗟に支え損ねて、彼も一緒に床に座り込む。
「ねぇ、ちゃんと分かってますか?」
振り返った葉佩の顔は、夕闇の中でも分かるほど真っ赤に染まっていた。
「俺は、かまち君のことが、好きだって言ってるんですよ?」
「う…うん…わ、分かってる…と、思う…」
パニックになり過ぎて却って妙に冷静になった顔で、彼は頷いた。
「俺はね、『お友達』として好きだって言ってるんじゃないんですよ?」
「うん…僕も、『友達』としてじゃなく、君が好き」
「…『友達じゃない』って聞いて、落ち込んだくせに」
「ごめん…」
彼は激しく瞬きした。
『友達』として『好き』なのでなければ、許されないと思った。
こんな風に、どろどろした気持ちを持っていると気づかれたら、嫌われると思った。
男同士だし…彼の『依存』じみた愛情は、とても醜く歪んだものだから。
そうして、ふと、彼は不安になる。
葉佩の方こそ、分かっているのだろうか?
彼の気持ちは『友達以上』。それは分かっているだろうけど、独占欲や…性欲も伴うものだということを
「あ…あの、ね、九龍くん。一応、確認しておきたい…んだけど」
「何ですか?」
「僕のす…『好き』は、その…つまり…九龍くんが、欲しいっていうことなんだけど」
「俺もかまち君が欲しいですよ?」
きょとんと首を傾げる様子にますます不安になる。
いつでも一緒にいたいとか、そんなレベルじゃないのに。
「つまり…その…こ、こういうことも…したい…っていう『好き』、なんだけど」
正面に座っている葉佩の肩を掴む。
顔を近づけていっても、葉佩は避けなかった。
目も閉じなかったので、近づくにつれ寄り目になるのがちょっと可愛かった。
ほんの僅かに、唇が接触した、というだけで頭が沸騰しそうになりながら、彼は距離を取ってぼそぼそと呟いた。
「男同士だけど…いい、のかな…」
「うまく説明できないかも知れませんけど、俺にとっては、かまち君が男か女かなんてどうでもいいです。男だから好きになったのでも無いですし、何十億人のホモサピエンスヒト科の中の、唯一人というのが重要であって、その性別がどうであれ気になりません」
「そ、そう?で、でも、ね、男同士だと、ね」
「何か、不都合でも?」
「い、いろいろ、と…」
本来男女で為される行為を同性がするとなれば、何かと不都合がある。
そっちの方面には疎い彼でも、男同士でどうするか、くらいの知識はある。
想像するだけで、無茶だなぁ、くらいの見当は付く。
小柄な葉佩を組み敷いて、彼のものを受け入れさせて…うわぁ、九龍くんは泣くだろうなぁ、などと妄想していただけ。
だから、諦めていたのに。
いや、痛がらせるだろうから、じゃなくて、まさかそんな、葉佩が男である彼を好きになるなんて、思いもしなかったから。
ちなみに、彼の頭に、自分が受け身の可能性なんてものは、一欠片も無いのだが。
「ふぅん…まあ、そうですね。かまち君にとって、男が恋人、なんてのは、隠したいことなんでしょうね」
にこにこ笑って言われているが…なにやら抜き身のナイフでも突きつけられているような気がして、彼の背筋に冷や汗が伝った。
「そ、そ、そんなこと、無い、よ。僕は、その…九龍くんが…こ、恋人、って、すごく、嬉しい…んだけど…」
「それじゃ、どんな不都合が?」
笑ってない。
顔は笑っているが、絶対、心は笑ってない。
彼は全面降伏して両手を上げた。
「一般論、だよ。僕には、全然不都合は無いから」
痛いのは、彼じゃないし。
「ホントに?」
「本当だよ」
すり寄って、彼を見上げる葉佩の表情にくらくらしながら、かれは頷いた。
「じゃあ…もう一回、キスして?」
甘い甘い声で囁いて、葉佩が軽く目を閉じた。
ぶつけないよう、薄闇の中、唇の位置を指で確認する。
その柔らかな弾力に、顔から火を吹きそうになりながらも、彼は震えながら唇を合わせた。
ただ、口を押しつけるだけのキスだったが、息も止めて触れていたため、数十秒後には息を荒げながら離すことになる。
葉佩の方も止めていた息を吐いたのか、大きく肩が揺れているのに気づいて、彼は何となく嬉しくなって小さく笑った。
「ねぇ、かまち君」
手を繋いで立ち上がりながら、葉佩がくすくすと笑った。
「ひょっとしたら、俺の『好き』と、かまち君の『好き』は違うような気がしてきました」
「え…えぇぇええっっ!?」
今更、そんなことを言われても。
もうキスもしてしまったし、葉佩の方はそういう『好き』じゃないと言われても、もう遅い。
あれ、だけど、もう一回キスしてって言ったのは葉佩の方だし。
混乱して葉佩を見下ろすと、葉佩の方も彼を見上げていた。
ぶつかった視線の奥に、悪戯な光が宿っているのに気づいて、彼は少し力を抜いた。
「宿題です、かまち君。さて、俺は、どういう風にかまち君が『好き』なのでしょう?」
くすくすくすくす。
あぁ、本当に性の悪い悪魔のよう。
結局、いくら懇願しても、彼が葉佩の口から、それを教えて貰えることは無かったのだった。