リップクリーム
マミーズは部分的に盛況だった。
<仲間>が増え、葉佩と一緒に夕食を!という連中が増えたせいもある。
そんなわけで、現在隅のテーブルは『葉佩九龍と仲間たち』が占めていた。
仲良く料理の分け合いっこなどしている彼らを眺めながら、皆守はいつものカレーを口に運んだ。
ある程度腹が満ちて大らかな気分になったところで、ようやく目の前の男に声をかける。
「よぉ、取手。珍しいな、お前が九ちゃんの隣にいないのは」
ぼーっと葉佩を眺めていた取手は、初めて皆守の存在に気づいたかのように、びっくりした目で彼を見た。
「え…あ、うん」
そして、思い出したようにオムレツを食べ始める。
そう、現在二人掛けの席には、皆守と取手が向かい合わせに座っており、壁際の4人掛けのテーブルの方に、葉佩、椎名、肥後、八千穂が座っているのだった。
「お待ちどうさまー!」
舞草が、元気良く追加の料理を運んでくる。
「ありがとうです〜」
ちなみに、これは葉佩の台詞のようだが、実は椎名の方だ。
「奈々子ちゃん、食べますかー?」
「あ〜ん、まだお仕事終わらないんですよーっ!」
「はい、一口あげる」
「八千穂さん、ありがとう!さ、頑張るわよ!奈々子ファイト!」
チョコレートパフェを一口貰って、舞草は自分に気合いを入れて去っていった。
いつ見ても、無駄に元気な女だ、と何となく見送った皆守は、また取手がぼーっと葉佩を見つめて、手が止まっているのに気づいた。
妬いているのか、とも思ったが、そんな視線では無い。それだったら、もっとぶつぶつと一人で呟いてるはずだし。
「はい、九龍くんにも、一口あげるでしゅよー」
「タイゾーくん、ありがとでしゅー。…あれ?」
「あはは、九チャン移ってる〜」
「九サマ、可愛いですの〜」
仲間とはいえ、男女入り乱れて食べさし合いというのは、ちょっと凄い光景だな、と皆守などは思うのだが、あっちのテーブルの4人は、全く気にしていないようだった。
まあ、どのメンツを見ても子供っぽくて、男女の恋愛感情などとは無縁な奴らばっかりだったが。
ああ葉佩は恋愛沙汰にも関係するかも知れないが…おそろしいことに、それは男女ではなく男男だ。
…己の思考に、ちょっとめまいがした皆守は、冷たい水をあおった。
そして、一息ついても、まだ取手がぼーっとしているのに気づいて、嫌々注意を引いてやった。
「おい。さっさと食わねぇと、冷えるぞ?」
「…え?…あ…うん…」
機械的にオムレツを口に運んでいく取手が、いつ「九龍くんは、可愛いよねぇ」とか言い出しても耐えられるように、と皆守は腹をくくった。
さあ、来い!と構えたところに。
「僕さ…リップクリームって、苦手だったんだよね…」
ぼそりと呟かれた内容に、皆守は、はぁ!?と目を剥いた。
「ま、まあ…男で付ける奴は、あまりいない…よな」
合わせてやったが、取手は皆守を見もせずに、葉佩を見つめながら続けた。
「うん…自分が付けるのも、イヤだったけどね…変な味がするし…」
何を思い出したのか、取手はぺろりと唇を舐めた。
「それでさ…女の子が付けてるのを見るのも、嫌いだったんだよね…そりゃ、カサカサにひび割れた唇も、可哀想だとは思うんだけど…」
一体、この話はどこへ転がるのか。
見当が付かないまま、皆守は曖昧に頷いた。
「コマーシャルではさ…つやつやふっくらぷるんと唇〜とかやってるけど、実際に見てると、何だか脂ぎってるっていうか…つやつやっていうより、ぎらぎらって気がして…」
取手は相変わらず、一点を見ている。
それは、葉佩相手には間違いなかったが…それにしてもたった一点に集中している気がする。
何となく釣られて、皆守も葉佩を見た。
葉佩は楽しそうに話しながら、唐揚げを食べている。辛党な彼らしく、あの赤さはスパイシーチキンだろう。どうせならタンドリーチキンにすればいいのに、と皆守はどうでもいいことを思った。
「それなのに…あの唇は、リップどころか、唐揚げの油だって分かってるのに……きらきら輝いて可愛いくって…触ってみたいなぁ…とか、キスしたいなぁ…とか、思うんだよね…」
ぶーっ!
「アロマパイプ、飛距離2m80。記録更新だね、皆守くん」
げほげほげほっと咳き込みながら、皆守は、激しく手を振った。
「…けほっ…んなことはっ…げふげふ…どうでも、いいっ!」
「…咳き込みながら、突っ込まなくてもいいのに」
呆れたように呟いてから、取手は、ふーっと溜息を吐いた。
「『恋は盲目』って言うけど…ホントに、凄いものだと、最近思うよ」
「…自分で分かってんだから、重傷だな」
「本当に、そうだね」
否定はせずに、取手は頷いて、また葉佩の唇に熱い視線を送り始めた。
てかてか光った唇が動いたり、白い歯が覗いてチキンを食い千切ったり、ピンク色の舌が唇を舐めたり。
極々普通に(むしろ野性的なほどに)食事をしている光景なのに、取手には随分と目の毒らしかった。
顔を赤らめて、呼吸数すら早くしながら見つめている取手に、無駄と分かっていても、皆守は言わずにはいられなかった。
「いいから、お前ら、さっさとキスの一つくらいしちまえよ」